旧友
「影山くん、ダメ……かしら?」
それまで立って会議を進めていた千鶴先輩が、不意に自席へと腰を下ろした。そして、おもむろに足を組み替える。
パンストに包まれたその美しい脚が、俺の目の前でこれ見よがしに、しなやかな曲線を描き出した。
「ふふ。もし影山くんがみんなを立派に指導して、入賞まで導いてくれたら……美少女とのデートを三日間に増やしてあげてもいいわよ? 当初の約束より、二日もお得でしょう?」
「俺はそんな薄っぺらな男じゃありませんよ。聖闘士に同じ技は二度通じないって、相場が決まってるんです」
断固として拒絶しようとした、その時だった。
俺の視線の端に、例の美脚が嫌でも飛び込んでくる。脳内での壮絶な葛藤――時間にして、およそ一秒。俺はおもむろに口を開き、指導を開始した。
「影山くんみたいな男の子って、本当に分かりやすくて可愛いわね」
……クソ。今日も今日とて、俺は先輩の手のひらで転がされている。
正直に言って、部活の皆は驚くほどゲームの才能があった。特に夜空さんは、元からプロ顔負けの腕前なんじゃないかと思わされるほどだ。少なくとも、リーグ・オブ・レジェンド(LoL)の段位ならグランドマスター以上はあるだろう。
彼女のレーン戦での癖を見ていると、どういうわけか不思議な既視感を覚えた。まあ、どこかの有名配信者の解説動画でも参考にしているんだろうと、深くは考えなかったけれど。
部活を終え、俺は鞄を背負ってのんびりと家路についた。
指導は想像以上にスムーズだった。皆が穏やかで、俺が問題を指摘しても嫌な顔一つせず聞いてくれるおかげだ。
特に白瀬さんは、本当に優しかった。中路のキャラをいくつか実演して見せるとずっと褒めてくれたし、大会が終わったら『シャドウ・アクション』を一緒に遊ぶ約束までしてしまった。
不意に吹いた風に、俺は慌てて自分の頬を叩く。
恐ろしい。白瀬さんはLoLのアーリよりよっぽど「魅惑」が上手い。
だが、俺のような人間は眺めているだけで十分だ。自惚れて自意識過剰になれば、今の良好な関係を壊すだけなのだから。
十数分歩いて一戸建ての自宅に着いた。三階建てで立地も悪くないが、両親は実家で畜産業を営んでいるため、俺はずっと一人暮らしだ。
当然、弁当を作ってくれる奴なんていない。飯は適当に買い食いか食堂で済ませる。一人の食事には慣れているし、昼飯を抜いて水だけで過ごしても、誰に気に留められることもない。
YouTubeでも眺めようとしたその時、一ヶ月以上連絡がなかったゲーム友達からメッセージが届いた。LoLを三年間一緒にプレイしてきた仲だ。
最初は、掲示板で「ゲームが下手で叩かれるから教えてほしい」と助けを求めていた奴だった。中学生だった頃の俺はまだ外向的で、ネット上の社交に積極的だったから、すぐにフレンドになったんだ。
声は爽やかなイケメン風で、よくボイスチャットで一緒に遊んだ。俺が教え始めると、彼はすぐに人並みの強さになった。……俺との差は、まだあるけれど。
中学のいじめに耐えていた一番辛い時期、彼にだけは全てを話せた。プレゼントを贈ってくれたこともあったな。本名は知らない。ネットでの名は『星空』だ。
星空:『そういえば、学校の電競(eスポーツ)部に入ったって言ってたよね。予想通り、人気者になれた?』
俺:『全然。陰キャは一生陰キャだわ。最近女子と喋れるようにはなったけど、脈なんてあるわけないし』
泣いている子犬のスタンプを送る。
星空:『大丈夫だよ、僕がずっとそばにいるから。ゲーム、しよっか?』
ファントム:『一ヶ月も放置したくせに! でも久しぶりだな、早くログインしろよ。最近LoL練習してんだ』
◆ ◆ ◆
一方、この街のどこかにある少女の部屋。ゲーミングチェアの上で、コートや大衣に身を包んだ少女が画面を見つめて呟く。
「違うよ、瞬くん。私、ずっと見てるんだから。ずっと、ずっと、ずっと……」
Lineの着信音が響き、少女は軽く咳き込んだ。そして、外見からは想像もつかないほど清涼感のある声で電話に出る。
「瞬くん、もう入ってるよ。早くグループに招待して」
彼女は準備万端だった。ゲームをする時は、いつも通話をするから。
少女はトップレーンのレネクトンを選択し、熟練の動きでミニオンを管理する。挑発するように「グッド」のスタンプを相手に晒す。
その時、電話越しに声が聞こえた。
「星空くん。今日さ、部活の女の子で君にそっくりな子がいたんだ。歩き方のロジックとか、煽りスタンプまで全く同じでさ」
「はぁっ!?」
驚きのあまり、少女の声が裏返った。
「……今、女の子の声がしなかったか?」
「気のせいだよ。……それより珍しいね、その子のプレイスタイルまで把握してるなんて。もしかして、その子のこと好きなの?」
少女は平静を装い、話題を逸らして誤魔化す。
「確かに超可愛い子だけど、向こうは俺に興味なんてないと思うよ」
「そんなことないよ! その子は絶対、君のことが大好きなはずだよ!」
口を滑らせたことに気づき、少女は懊悩して自分の頭を叩いた。
「ははは。お前、その子本人かよ? なんで気持ちまで分かるんだよ。一ヶ月一緒にいるけど、百言も喋ってないぞ」
「……予想だよ! 瞬くんは優しいし、技術も凄いし、背も高くてがっしりしてるから。女の子なら、絶対好きになるよ」
少女は必死にフォローするが、言えば言うほど綻び(ほころび)が広がっていく。
瞬くんの記憶では、自分(星空)とは一度も会ったことがないはずなのに。それなのに、なぜ彼が「背が高くてがっしりしている」ことを覚えているのか。
そう思い至った瞬間、ゲーミングチェアに座る少女の顔は熟したトマトのように赤く染まり、己の馬鹿げた失態にのたうち回った。
幸い、相手は気づかなかったようで、むしろ褒められたことに上機嫌になり、二十分後には敵の拠点を破壊した。
「ご飯行ってくるね、瞬くん。また明日一緒に遊ぼう」
心臓が小刻みに跳ねている。少女は口実を作って急いでログアウトした。
「……なんで正体を明かせないんだろう。私、本当にダメだなぁ」
少女は机の上の写真を見つめた。後ろからこっそり撮った、あの男の子の写真。
少女はその写真を頬に当て、熱くなった顔を冷やす。
写真が離れたそこにあった顔は、紛れもなく夜空 祈のものだった。




