忘れられない土曜日
「お腹いっぱいになった? じゃあ、一緒にお買い物に行こっか」
「オッケー、もう準備できた。腹いっぱいだよ」
俺は大きく伸びをして、ゆっくり立ち上がった。
「瞬、服とか靴、着替えないの?」
「めんどくさいだろ。どうせ家のすぐ近くのスーパーだし、すぐ終わるって」
本当はさ、俺って一板一眼の格好が大嫌いなんだ。
普段一番好きなのは、ルーズな服にスリッパ。どこにいても、家にいるみたいな心地よさがある。
「もう、もう……せめて靴だけは履きなよ。いい子だから、ママが髪梳いてあげるね」
……なんか、ヤバい雰囲気。
まさか本気で俺を息子扱い? 雫のこの慈愛たっぷりの顔、何だよこれ。
新しくママが増えるとか、勘弁してくれ。
慌てて手を振って拒否。
「いい、いい! 自分でやるから!」
俺は風のように玄関へダッシュ。
靴箱から靴を引っ張り出し、ついでに置いてあった櫛も掴んで、ささっと髪を梳いた。
全部整えて、雫と一緒にドアを開ける。
開けた瞬間、朝の陽光が容赦なく降り注いできた。
眩しくない、でもちょうどいい暖かさ。
薄い金色のヴェールみたいに、通り全体を優しく包み込む。
道路の両側に並ぶ桜の木。
枝には淡いピンクのつぼみがびっしり。
少しせっかちなやつらは、もう数枚の花びらをそっと開いていた。
そよ風が吹くたび、細かな光の影が地面で揺れて、
空気中に、ほのかな甘い香りが漂う。
通りはもう賑やかになってた。
行き交う車と人。
そんな車水馬龍の景色を見ながら、雫が悪戯っぽく振り返る。
「外、車多いね~。ママと手つないで渡る?」
「勘弁してくれ……もうママとか言わないから」
俺は両手を上げて降参。
「ふふ、残念~。女の子と手つないでお散歩するチャンス、逃しちゃったね」
「……今からでもいい?」
一瞬で真顔になる俺。
もっと顔の線が強ければ、完全にジョジョ立ちだ。
雫はぷっと吹き出して、手で口元を隠す。
「だーめ♡ 過ぎたものは戻らないよ~」
「そっか……」
俺はわざとため息をつく。
まぁ、別に本気でがっかりしてない。
手つなぐなんて、恋人同士の方がいいしな。
慣れた相手なら、こういう冗談も普通に言える。
あと10年くらい成長すれば、現充みたいに誰とでも気軽に話せるようになる……かも。
のんびり歩きながら、ぼんやり考える。
そういえば、最近ちゃんと通りを見たことないな。
春の通りって、こんなに綺麗だったっけ。
桜の花びらが、ひらひらと目の前を落ちていく。
学校行くときはいつも急いでるし、寝不足でぼーっとしてる。
週末なんて、昼まで寝て、起きたらゲーム三昧。
外の景色なんて、眼中になかった。
「すごく綺麗……自由に歩いてるの、幸せだね」
雫のつぶやきに、つい横を見た。
……綺麗だ。
朝陽が桜の枝の間を抜けて、
細かく柔らかく、雫の髪の先と頰に落ちる。
眩しくない、でも十分に温かい光。
彼女の清潔で柔らかな輪郭を、淡くぼんやりした金色に縁取る。
風がそっと吹いて、淡い桜の花びらがゆっくり舞い落ちる。
肩を掠めたり、柔らかい髪に止まったり。
彼女は少し上を向いて、空に舞う桜を見上げてる。
目が優しい三日月みたいに細まって、長い睫毛が陽光に震えて、
澄んだ春の水みたいにキラキラしてる。
俺の足が、思わず止まった。
こんなの、ドラマでしか見たことないだろ……。
すぐに首を振る。
俺、何回目だよ。
最近、可愛い女の子見るとすぐボーッとして。
実は俺、隠れ変態なんじゃね?
思考を振り払うように、大股で歩き出す。
後ろで、雫が何か意味深げに振り返った気がしたけど……気づかないふり。
「ねぇ、瞬。好きな女の子、いるの?」
「いるわけないだろ。いたら、お父さんがあんなに婚約者探しに必死になるわけないじゃん」
「ふふ、そうとも限らないよ~」
「いや、いたら最高だな。アニメみたいに、可愛い子たちが俺を巡って修羅場とか」
「女の子の前でそれ言う人、死宅すぎる……」
「気心知れた相手との雑談って、こういうもんだろ。
思ったこと、全部言えるのが一番楽じゃん」
「そっか……それ、いいね。すごくリラックスできる」
雫はのんびり笑う。
「どうした?」
「ううん。ただ、そういうのがいいなって。
瞬とはこれからも、ずっとこうやって……何でも話せるままでいてほしいな。お願い」
「言われなくても、そうなるって。
学校で空気読むのだけで疲れるのに、
慣れた相手にまで気取ってたら、生きていけないよ」
雫の言ってるニュアンス、全部は分からないけど……
とりあえず、頷いておいた。
コンビニに入る直前、雫がまた後ろをチラッと見る。
「どうした? なんかあるの?」
「ううん、後ろに子猫がいて、ちょっと気になって」
「猫、好きなんだ?」
「大好き♡ でも昔、家で飼えなくて……。
大学出て、いい仕事について、自分をちゃんと養えるようになったら、絶対飼うの。
瞬、これ、私の夢の一つなんだよ」
「じゃあ、頑張れよ」
「うん。だから今日はたくさんおかず買おうね。
今週末と来週月曜の分まで、お弁当作るから」
「お弁当? 俺の分も作ってくれるってこと?」
冷たいお弁当だけど、学校の三明治より全然マシだ。
「もちろん。嫌じゃなければ、私が瞬の分も作ってあげる」
「ぜひお願いします!」
「ふふ……じゃあ、ママって呼んでくれたら、もっと美味しいの作っちゃうよ?」
「絶対嫌!」
「はーい、じゃあ……仕方ないな。これなら断れない条件、出してあげる」
雫が「しょうがないなぁ」って顔で、
体を少し前傾させて、俺の耳元に顔を寄せる。
……近い。
体がくっつきそうなくらい。
跳び退きたいけど、そんなことしたら完全に童貞丸出しだろ。
「瞬、来月から生活費、私が管理するね。
お小遣い欲しいときは……」
「は!?」
俺、完全に固まった。
「瞬のお父さんが言ってたの
今月の残りの分も私に渡して、全権委任だって。
電話して確かめてもいいよ?」
「金のためにプライド売る気はない!」
……と言いつつ、心の中はもうグラグラ。
そんな俺をからかって楽しそうに、雫が余光で後ろの棚をチラリ。
誰もいないのを確認して、ふっと口元を上げる。
まるで全部わかってるみたいな、意味深な笑み。
「ふふ、もうからかわないよ。
瞬が自分で管理したいなら、全部渡すから。
元々、瞬のものだもんね」
「やったー!」
読んでくださり、ありがとうございます。
新人ライターの私にとって、恋愛カテゴリーで単日8位という結果は、夢のような出来事でした。
ベテランの方から見れば大したことはないかもしれませんが、
本日は1日でPVが1000を超え、本当に大きな励ましになりました。
これからも一つ一つ丁寧に執筆を続けていきますので、
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