まるで新婚夫婦みたい
「お風呂の準備できたよ。瞬、先に入ってね。食器は私が片付けるから」
自分の部屋を整えた雫が、さっそくお風呂にお湯を張ってくれた。
私が先に入るよう気遣ってくれて、残りの皿洗いまで引き受けてくれる。
……本当に、泣ける。
まるで、出来合いの奥さんみたいだ。
でも残念ながら、彼女は俺のことが好きなんじゃなくて、親の都合とこっちの方が自由だから、って理由で一緒に住んでるだけなんだよな。
「いいよ、お前が先に入れ。俺は後でいいから」
「ありがとう、瞬」
◆ ◆ ◆
食器を洗い終えた俺はソファでYouTubeを眺めていた。最近、鬼畜動画がやたら増えてるな……。
「お風呂、空いたよ。瞬、どうぞ」
振り向くと、雫が少しうつむき加減で立っている。
バスタオルの端が揺れて、細い腰のラインが一瞬だけ覗く。慌てて手で押さえたけど、もう遅い。
いつもきっちり結んでいたポニーテールは解けていて、濡れた黒髪が頬に張り付き、普段の凛とした雰囲気はどこかへ消えて、代わりに柔らかくて、思わず指で梳きたくなるような……甘い可愛さが溢れていた。
バスタオル一枚じゃ、隠しきれない。
少女の曲線が、柔らかく、でもはっきりと主張してくる。
俺の息が、一瞬止まった。
「……あ、すぐ行く」
必死で紳士ぶって視線を逸らし、逃げるように浴室へ飛び込んだ。
……落ち着け、俺。
浴室に入って、俺は最悪のことに気づく。
このお湯……さっきまで雫が入ってたやつだ。
俺、変態じゃない……はず。
髪を洗い終えて、意を決して湯船に沈む。
まだ、ほのかに残る少女の甘い香り。
シャンプーの匂いと、彼女自身の体温みたいな温かさが混ざって、頭がくらくらする。
温かな湯に浸かりながら、さっきの姿が脳裏に蘇る。
思わず頬を軽く叩いた。
「落ち着けって……俺、痴漢じゃねぇよ」
何度も深呼吸して、ようやく心拍がまともになった。
美少女の入浴後姿なんて、陰キャゲーマーにはラスボス級の即死攻撃だろ、これ。
いつもならサッと済ませるのに、今日は妙に長く浸かってしまった。
風呂から出ると、雫がソファの端に座って、ドライヤーで髪を乾かしていた。
低いブーンという音が、リビングに優しく響く。
雫は少し前かがみになって、一方の手でドライヤーを、もう一方の手で濡れた髪を優しく梳いている。
暖かな電灯の光が、入浴後の白い肌に柔らかい艶を乗せていて……まるで、触れたら溶けそうなほど繊細だ。
濡れた黒髪が、温風に煽られてふわりと舞い上がり、また静かに落ちる。
扱いにくい前髪が、首筋や頬に張り付いて、風が吹くたびに小さく揺れる。
普段のきりっとした眉目が、こうして無防備になると、どこか霞んだように柔らかくて……長い睫毛が伏せられて、瞼に薄い影を落とす。小さな鼻先、入浴の熱でほんのり桜色に染まった唇。
バスタオルはきちんと巻いているのに、それでも隠しきれない。
細い肩、鎖骨の浅い窪み、緩やかな胸の膨らみ……
小さな動作一つ一つが、静かで、でもやけに色っぽい。
温風が髪の水気を飛ばすたび、シャンプーの清潔な香りと、彼女本来のほのかな甘い匂いが混じり合って、部屋中に広がっていく。
……もう、目が離せない。
やっと落ち着いたはずの心臓が、また暴れ始めた。
視線をどこにやっていいか分からなくて、俺の目は勝手に彼女を追いかけてしまう。
こんな試練、俺みたいな陰キャに耐えられるわけないだろ。
完全にラスボス戦じゃん……。
慌てて適当な言い訳を口にしながら、
「お、おやすみ!」
と叫んで、二階へ逃げ出した。
「瞬、髪乾かさないの?」
「大丈夫、タオルで拭くだけでいいんだ。髪乾かすの、嫌いなんだよ」
「……この人、本当にバカ」
同居初日の夜は、そんな照れくさくて、ほんのり甘酸っぱい空気の中で、静かに過ぎていった。
「おはよう、瞬」
まぶたを開けた瞬間、長い黒髪の美少女がベッドのすぐそばに立っていて、柔らかな微笑みで俺を見下ろしている。
「……は? どうしたんだよ」
「ふふ、朝ごはんの時間だよ? もう九時過ぎちゃってるんだから。このままじゃご飯、冷めちゃうよ」
「わ、わかった……すぐ行くから、とりあえず出てってくれ」
俺は普段、部屋の鍵をかける習慣なんてない。一人暮らしの癖だ。
それに、長年独りで生きてきたせいで、冬以外はろくな寝間着なんて着ない。
下着一枚で寝落ちするのがデフォルト。
そんなみっともない姿で、朝起きたら美少女がベッドサイドにいる……
普通に考えて、誰だって死ぬほど恥ずかしいだろ。布団の下、完全にやばい状態なんだから。
「じゃあ、早く起きてね。下で待ってるから」
正直言うと、俺に「朝食を食べる習慣」なんてものはほぼ存在しない。
陰キャゲーマーの週末なんて、朝方までゲームに没頭して、特に用事もないから昼まで爆睡が基本。
午後の一時か二時になって、ようやく這い出て、棚の非常食——乾パンかエナジーバー——をかじって命をつなぐだけだ。
こんな風に、ちゃんと温かい朝ごはんを食べるなんて……
いつ以来だろう。本当に、思い出せない。
そんなことをぼんやり考えながら、階段をゆっくり降りていく。
テーブルにはもう、湯気がふわふわと立ち上る朝食が並んでいた。
豚肉たっぷりのお粥に、こんがり焼けたトースト。
雫はちょうど、牛乳を小さな鍋で温めているところだった。
「おはよう、瞬。粥にする? それとも牛乳がいい? どっちが好きか分からなかったから、両方用意しちゃったよ」
「おはよう……どっちでもいい。うん、粥にする」
いつもより何時間も早く起きたせいで、まだ頭がぼーっとしている。
欠伸を噛み殺しながら適当に椅子に腰を下ろして、目の前の少女をぼんやり見つめる。
「まだ洗顔と歯磨きしてないでしょ? だめだよ~、瞬。いい子だから、先に済ませてからご飯食べようね」
「……お前、俺の母親かよ」
ツッコミを入れつつ、それでもだるそうに体を起こして洗面所へ向かう。
「お母さんって呼んでもいいんだよ? 全然気にしないから。かわいい息子くん♡」
振り返らなくても分かる。
今、絶対にくすくす笑いを堪えて、頰を緩めてる顔だ。
同い年の女の子に「お母さん」なんて呼ぶ趣味、俺には一生ないっての!
洗顔と歯磨きを済ませて席に戻ると、ようやく肉粥に手をつけた。
豚肉の旨味がじんわり染み込んだお粥は、香りが良くて、とろみがあって……本当に、すごく美味しい。
久しぶりのまともな朝食というのもあって、一気に平らげてしまった。
食べ終わった瞬間、体がふわっと軽くなった。
ちゃんとエネルギーが補給されたんだろうな。
この肉粥、ゲームにあったら間違いなく最上級の回復アイテムだ。HP全快+スタミナMAX+精神安定バフ付き、みたいな。
「お腹いっぱいになった? じゃあ、一緒にお買い物に行こっか。昨日、ちゃんと約束したよね」




