裏切りと復讐に満ちた王国で、私だけが歴史を書く
シャンデリアの光が偽りの星のように大広間にきらめく。
ドレスが舞い、軽やかな笑い声がワルツの旋律に溶け込む。
今夜は、私にとって幸せな夜のはずだった。
私は婚約者の隣に立ち、正式な婚約の発表を待っていた――上流貴族の家と、ついに認められた下級貴族である私たちの家族との結びつき。
しかし、その手を離された。
「アリシア…」
彼の声が、突然訪れた静寂の中に響く。
「君はヴァネッサを傷つけた。だから、婚約は解消する。」
世界がひび割れるようだった。
囁きが広がり、家族の名前が軽蔑の色を帯びて呼ばれる。
ヴァネッサが一歩前に出る。顔は蒼白で、瞳には涙が光る。
「騒ぎを起こしたくはないけれど…もう黙っていられないの」
私は戸惑い、胸の奥が締め付けられる。「あ…あなたは――」
「もういい」
婚約者が私の言葉を遮った。
二人の若い貴族――彼の忠実な取り巻き――が前に出る。
「私が直接見ました、アリシア様がヴァネッサ様を庭で押したのを」
「そして、もし鉱山事業の協力が続くなら、ヴァネッサ家を潰すと脅した、とも聞きました」
私は固まる。
それは…嘘だった。
「私は決して――」声が震える。
「嘘だ!」
取り巻きの一人が指を差す。「庭の使用人も見ています!」
一人の女性使用人が群衆の前に押し出される。顔は青ざめ、目は私を見ようとしない。
「わ、私は…アリシア様がヴァネッサ様の手を引っ張るのを見ました…」
その手は震えていた。私への恐怖ではなく、彼らに従わざるを得ない恐怖の震えだった。
「証人がいる!」私は焦りながら叫ぶ。「庭の使用人――彼と一緒にいた!」
一人の男性使用人が前に出る。顔には決意が宿る。
だが話す前に――
取り巻きの一人が頭の警備に耳打ちすると、
使用人はすぐに引き戻された。
「さっき、何も見なかったと言っただろう」
警備の声は群衆にも届くほど大きい。
使用人の顔が変わる。唇が震える。
「ま、間違えました…見ていません…」
小さな笑い声が響く。
その瞬間、私は完全に理解した。
これは単なる誤解ではない。
決定なのだ。
婚約者は冷たく私を見つめる。
迷いもなければ、真実を求める気もない。
「今日、君の本性を見た、アリシア」
胸の奥が崩れ落ちる。
私は群衆の中で父の顔を探す。
彼は私を見ていた――怒りではなく、失望で。
そして顔を背けた。
それはどんな非難よりも痛かった。
その夜、私は追い出された。
雨が激しく降り、私の残った尊厳を洗い流した。
貴族街の外、覆面の男たちが私を取り囲む。
「見ろよ。捨てられた小さな貴族だ」
私は戦う力も希望も失っていた。
剣が体を貫き、冷たさが痛みより先に広がる。
私は倒れた。
空は黒く、雨が顔を打つ。
ああ…これが死ぬということか。
意識が遠のく。
そして――
声がした。
柔らかく、近くで。まるで魂の奥で囁かれるように。
「哀れだね」
誰…?
「悲劇的な死だ。裏切られ、捨てられ、踏みにじられ」
その声は嘲笑ではない。
慈悲の響きだった。
「もう一度、生きたいか?」
私は声も出せず、動くこともできない。
しかし心の中で一つの感情が爆発した――
そうだ。こんな死に方はしたくない。
もう、永遠に犠牲になんてなりたくない。
かすかな笑い声。
「わかった。手伝おう」
闇が全てを覆う。
目覚めると、私は金の装飾が施された天井を見上げていた。
バラの香り。
絹の掛け布団。
馴染みのある部屋。
胸が激しく高鳴る。
ここは…私の部屋。
婚約発表の夜の前の、あの部屋。
「いや…」私は小さく呟く。「ありえない…」
鏡に駆け寄る。
映るのは若く、傷を知らぬ瞳の自分。
自分の腕をつねる。
痛みを感じる。
夢ではないのか?
扉は閉ざされたまま。カーテンの隙間から朝光が差す。
声が再び、今度ははっきりと、頭の中で響いた。
「それは夢ではない」
私は凍りつく。
「あなたは…誰?」
「私の…一部だと思えばいい。犠牲者として死ぬことを拒んだ私の側面」
息が詰まる。
「君に二度目のチャンスを与える、アリシア」
声はさらに深くなる。
「しかし、今回は…以前のように弱くしてはおかない」
拳が自然と握られる。
辱めの記憶が押し寄せる。
父が背を向けた視線。剣が貫いた痛み。
恐怖はまだ残る。
痛みも、生々しい。
だが今回は…一人ではない。
そして、おそらく――
もう無力な少女のまま待つ必要はない。
唇がゆっくりとほころぶ。
それは自信に満ちた笑みではない。
だが、死から甦った者の、微かな笑みだった。
「ヴァネッサ…」私は静かに呟く。
そして、生まれた時から下級貴族の家に生まれた少女として、
勝ちたいと心から思った。
夕暮れの風が鉄と炭の煙の匂いを運ぶ中、小さな子どもが私にぶつかり、よろめきかけた。
反射神経が思考より早く働き、私はその腕をつかむ。
「すみません、ミス!」彼は深く頭を下げた。
「大丈夫よ」と私は優しく答える。「名前は?」
「リアンです」
リアン。
その名前が、まるでハンマーのように記憶を叩きつける。
かつてこの子は地下の密使となり、鉱石関連の書類を国外へ密輸していた。捕まり…南門に晒されて吊るされた。
私は彼を必要以上に見つめた。
運命は、まさに目の前で回転している。
「リアン、普段君の家の炭を買うのは誰だ?」と私は平然と尋ねる。
彼はためらい、ささやくように答えた。
「黒い制服の人たちです…名前は一度も言わなかった」
黒い制服。
王室のものではない。
鉱山貴族の家のものでもない。
見えざる組織の影が、私の脳裏に形を作り始める。
その夜、私は誰にも知られずに家に戻った。
父の書斎、蝋燭の光がまだ揺れている。
私は少し開いた扉の陰に立つ。
「同盟は重要だ」と父の声が緊張で震える。「あの鉱山が財政を救う」
「もし要求が多すぎたら?」叔父の声は低い。
「宮廷の支援さえあれば、彼らは挑発できない」
宮廷の支援。
やはりそうか。
これは単なる結婚以上の契約が絡んでいる。
私はゆっくりと後退する。
王室が関与しているなら、ヴァネッサに直接攻撃するだけでは、前回よりも早く潰されるだろう。
いや、彼らを互いに疑わせるしかない。
数日後、市場に小さな噂が広がり始めた。
王室のことでも、ヴァネッサのことでもない。
鉱石の品質が落ちていること。
剣がいつもより脆いこと。
税は上がるのに、兵器が減っていること。
小さな噂。ほとんど意味のないこと。
だが、私はそれが軍の貴族たちの耳に届くようにした。
兵器の供給に乱れがあれば、将軍たちは怒る。
そして軍が怒れば、宮廷は不安になる。
私は攻撃しなくてもいい。
疑問を生むだけで十分なのだ。
街の別の場所、鉱山貴族の家のバルコニーで、ヴァネッサが立っている。
「アリシアが動き出した」と、背後の黒衣の男が囁く。
ヴァネッサは振り向かない。
「知っているわ」
「計画通りなら、今排除できる」
彼女は薄く笑う。
「いいえ。掘らせなさい。深く入れば入るほど、出るのが難しくなる」
男はくすりと笑う。「お母様の時のように?」
ヴァネッサの瞳は冷たく変わる。
「二度と口にしないで」
港で買収した者から、最初の報告を受け取る。
鉱石の一部は王室の倉庫に入らず、夜間に外国の船へ送られていた。
旗は見慣れないもの。
だが、その紋章を見た瞬間、血の気が引いた。
かつて、私を殺した男の剣の柄に刻まれていたもの。
なるほど…
鉱山は金だけの問題ではない。
兵器のルートだ。
一部の貴族に知られず、武器が国外に流れているなら、誰かが何かを準備している。
反乱か?
クーデターか?
頭の中でかすかな笑い声が響く。
「面白いだろう?」
目を閉じる。
「口出しするな」
「君のゲームを楽しんでいるだけ。でも気をつけて、アリシア…大きな盤ほど、見えない王は多い」
拳を握る。
「一体、あなたは誰?」
「味方でも、敵でもない。死から生まれた影だと思えばいい」
答えにならない答え。
次の手はもっと大胆でなければ。
野心的だが宮廷に軽んじられている第二王子の一人に、ささやかな招待状を送る。
兵器供給の噂が届けば…
兄弟を蹴落とすチャンスを嗅ぎつければ…
盤は大きく揺れるだろう。
その夜、私は部屋の窓辺に立つ。
かつては捨てられたポーン。
今は誰も持たない二つのものを握っている。
未来の知識と、
それを使う忍耐力。
「ヴァネッサ」と私は小さく呟く。
君はただの駒かもしれない。
あるいは、このゲームの女王候補かもしれない。
だが誰が黒幕であれ――
私は彼らを影から引きずり出す。
そして今度こそ…
雨に打たれて倒れるのは、私ではない。
数日後、私の書斎で、蝋燭がほとんど燃え尽きる中、最後の手紙を封印した。
貴族ではなく、教会宛だ。
この時代、剣より鋭いのは教会の声だ。
道徳の正当性が私に味方すれば、宮廷でさえも慎重にならざるを得ない。
軽いノック。
「アリシア」
その声で、指が蝋燭の上で止まる。
知っている声。
ゆっくりと振り向く。
兄が立っていた。
追い出された夜と同じ顔。
父が私を無視したとき、ただ見ているだけだった顔。
雨の中、家の門を通る私に何も言わなかった顔。
「どうしたの、兄さん?」私は静かに尋ねる。
彼は許可を待たずに入ってきた。目は私の机の上の紙、封印、まだ乾いていないインクを走査する。
「最近、学院に顔を出さないな」と彼は軽く言う。「サミュエルにも会っていない」
サミュエル。
その名前は、奇妙で、嫌悪感を伴う。
婚約者。
たった一言で、私の人生を破壊した男。
過去の記憶がよみがえる――私は大広間の真ん中で立っている、兄はただ黙って見ていた。助けず、阻まず。
今、彼は心配そうにやって来た?
何のために?
「体調が悪くてね」と私は軽く答える。
彼はかすかに笑った。笑みは薄すぎた。
「父は心配している。サミュエル家との関係は重要だからな」
ああ。
私を心配しているのではない。
同盟を心配しているのだ。
「わかった」と私は柔らかく答える。「だからこそ、家族の未来を考えている」
彼の目がわずかに細まる。「どういう意味だ?」
私は立ち上がり、彼に近づく。わずかに止まって、冷静さの裏に隠れた迷いを読む。
「兄さんは、サミュエルが本当に家族を思っていると信じる?」
彼は一瞬、沈黙する。
それで十分だ。
「サミュエルは主要家の息子だ。責任の意味を当然知っている」
外交的な答え。
しかし説得力はない。
私は小さく微笑む。「ただ…彼は他人の影響を受けやすすぎる気がする」
「他人?」声が警戒に変わる。
「ヴァネッサ」と私は軽く呟く。名前は何でもないかのように。
一瞬、兄の表情が硬直する。
面白い。
何かを知っている。
「変なこと考えるな」と彼はすぐに言う。「ヴァネッサはただ地位を得ようとする新しい貴族だ」
新しい貴族。
正当な貴族ではない。
彼は私の本心を否定しない。
私は考え込むふりをしてうつむく。「もちろん。家族が損をしないようにしたいだけ」
心の中で観察する。
彼は私を気遣って来たのではない。
家族の利益のために、私が有利な道を歩むか確認しに来たのだ。
父が送り込んだのかもしれない。
あるいは…私の変化に気づき始めたのかもしれない。
「アリシア」声が柔らぐ。「何があっても、この家族の一員であることは変わらない」
美しい言葉。
だが遅い。
前世では、必要な時にこの言葉は決して聞けなかった。
「わかってる、兄さん」と私は穏やかに答える。
しかし頭の中では、別の声がくすくす笑っている。
「見ろ?役立つ時にしか近づかない」
沈黙。
心の中の返答。
だがそれは真実。
今、確かめるべきこと――
兄はただの臆病者か、
それとももっと大きなゲームの一部か?
「兄さん」と私は呼ぶ、彼が出て行く前に。
彼は立ち止まる。
「もし家族が王室と真実のどちらかを選ばねばならない時…父はどちらを選ぶと思う?」
彼はすぐに答えない。
その沈黙――
私が得られる最良の答えだった。
翌日、私は家紋のない馬車に乗った。
従者もいなければ、貴族の象徴もない。
ただ一人、忠実な老馬車夫がいるだけだった。
古い街区の中央にそびえる教会。
白い石造りの壁は、時間に蝕まれくすんでいるが、鐘の音は荘厳に響く。
ここはただの祈りの場所ではない。
王国の道徳的正当性の中心地だ。
そして今日、私が呼ばれた。
内陣の会議室には香炉の香りが漂う。
ひとりの高位聖職者が私の前に座っている。
その法衣は質素だが、指には金の指輪が光り、権威を示していた。
「数か月前、」彼は口を開く。「王室から書簡が届いた」
驚きはなかった。
「教会のいくつかの活動に税を課すよう、との依頼だった」
声は落ち着いているが、目は私の反応を試す。
「あなたはどう思う?」ゆっくりと続ける。「王室の財政状況は芳しくないのでは?」
この問いは単なる経済の問題ではない。
政治の質問だ。
私は過去を思い出す。
王室は隣国帝国の強国領地で独立運動に資金を投じ、火遊びをしていた。
もしその地域が揺らげば、帝国は弱体化する。
賢い戦略。
しかし、高コストで、危険も伴う。
「可能性としては、」私は慎重に答える。「王室は外交のために資金を振り向けているのかもしれません」
聖職者は驚いた様子を見せない。
「介入ですか?」
私はすぐには答えない。
沈黙は、時に確認よりも強い。
彼は背もたれに体を預ける。
「つまり王室は、成功するか分からぬ事柄に金を費やしているということか」
怒りではない。
計算された口調だ。
私は少し俯く。「王室の政策を評価するつもりはありません」
小さな嘘だ。
「しかし、教会の資金を求めるということは…彼らは本当に窮地に立たされているのかもしれません」
部屋が静まり返る。
教会は常に中立だった。
もしも圧迫されていると感じ始めれば、王冠と祭壇の間に最初の亀裂が入る。
聖職者は鋭く私を見つめる。「あなたはどう勧める?」
重要な瞬間だ。
強く反抗を促せば、教会は疑うだろう。
王室を支持すれば、この機会は失われる。
「直接拒否せず、」私はゆっくりと答える。「しかし、すぐに支払うこともせず」
彼は眉を上げる。
「つまり、先送り?」
「試すのです」
私は落ち着いた声で続ける。
「王室に資金を送る代わりに、教会は一部の資金を安全な投資に回すことができます。たとえば安定した鉱山など」
少し間を置く。
「教会に有利な契約を結ぶのです」
聖職者は目を細める。「ヴァネッサの家ですか?」
私は微かに笑う。「彼らは台頭中です。もし教会が経済的に支援すれば、家は恩を負うことになります」
半分は真実。
言わなかったこと――
もし教会がヴァネッサの鉱山に投資すれば、金属供給のスキャンダルが明るみに出た際、教会も巻き込まれる。
そしてその時、彼らは評判を守るために、私の側につくしかなくなる。
「しかし、」聖職者は静かに言う。「民の寄付金を投資に使うのですか。飢饉が起きたら?食糧危機が?」
道徳的な問い。
私のイメージを決定する問いだ。
私は真剣に彼を見る。
「なら、契約は金の配分を教会に与え、単なる利益の約束ではないようにしてください」
彼は黙る。
「鉱山が金属と金を生むなら、教会は災害に備える備蓄を持てる。以前よりも大きく」
それは完全な嘘ではない。
ただ…私は知っている、鉱山は嵐の中心になるだろう。
そして嵐が来た時、教会は慌てふためく。
これほど巨大な教会のパニック――
それは極めて強力な交渉の武器になる。
聖職者はゆっくりと頷いた。
「あなたは、思ったよりも政治を理解しているようだ、アリシア嬢」
私は丁寧に頭を下げる。
「過分なお褒めです」
だが頭の中で、あの声が再びささやく。
「楽しみ始めているな」
答えない。
なぜなら、初めて――
私は本当にこのゲームを楽しんでいるのだ。
数日が過ぎ、火に油を注ぐように噂は広がる。
教会は鉱山に投資した。
市場では、人々の声が変わり始めた。
「寄付金を事業に使うのか?」
「もし作物が失敗したら、誰が助けてくれる?」
「王室は税を求め、教会は鉱山で遊ぶ…」
私は全て聞いていた。
一つ一つのささやきが、意識に小さな針のように突き刺さる。
これは危険な一手だと知っている。
民衆が私の関与を知れば…
敵が私を操る存在だと知れば…
かつて自分の剣で討つはずの敵の刃が、今度は私の胸を貫くかもしれない。
一晩中眠れなかった。
天井を見つめる。
間違った一手だったか?
今回は、内なる声もすぐには嘲笑わない。
ただささやく。
「大きなゲームはいつも犠牲を生む。問題は…君はその一人になる覚悟があるか?」
私は目を閉じる。
違う。
同じように死ぬわけにはいかない。
もしこの一手が露骨すぎれば、釣り合いが必要だ。
民衆の反抗勢力。
過去、彼らは私を殺した者たちだ。
だが、ただの盗賊ではない。
不正義に火を灯す薪なのだ。
私が中立を保てば――
完全に王室を支持せず、完全に教会に寄らず――
混乱が来た時、
私は巻き込まれずに済む。
少なくとも、最後に自分で側を選べるだろう。
夕方、私は地味な服に着替え、南部の狭い路地を歩く。
建物はそのままだ。
木の壁はくすみ、窓は割れている。外から見ると、安酒場のように見えるが、港湾労働者で賑わっている。
だが私は知っている。
ここで会合が行われる。
ここで王冠と祭壇に対する憎悪が結集される。
そして…
ここで私は最後に息をした。
足が止まる。
記憶が、無断で襲ってくる――
雨。
荒っぽい笑い。
鋼の閃光。
自分の手にかかる温かい血。
胸が詰まる。
「怖いのか?」あの声が再び現れる。
「黙れ」
「でも、ここで死んだ場所だ」
私は木の扉の前で立ち止まる。
手が震える。
実際には死を思い出したくなかった。
助けが来ないという無力感。
だが、防ぐためには――
私は中に入らなければならない。
扉を押す。
木が小さく軋む。
室内は煙で濃い。
安酒と汗の匂いが混ざる。
数人の男女が輪になって座り、声は低くとも火を帯びている。
私を見ると会話は止まった。
大柄な男が立つ。
「ここでは貴族は相手にしない」
声は平坦で、粗暴ではない。
しかし明らかに友好的ではない。
私は恐れず見つめる。
過去、最後に剣を握った男だ。
彼は私を知らなかった。
豪華なドレスと憎悪だけを見ていた。
今は家紋を身に着けていない。
「貴族として来たわけではない」私は落ち着いて言う。
「なぜ王室を憎むのか、知りたいだけだ」
部屋は静まり返る。
隅の女性がくすりと笑う。「私たちは飢えているから」
他の者が付け加える。「税が上がったから」
「鉱山は貴族を潤す、私たちをではない」
私はその名前を再び聞く。
鉱山。
影響はすでに現れている。
大柄な男が鋭く私を見つめる。「なぜ答える必要がある?」
私は机に近づく。
「もしかしたら…私たちの利害は完全に異ならないかもしれない」
半分だけ真実。
彼らの目が互いに交わる。
私は綱渡りをしていることを知っている。
教会の投資に私が関与していることを知れば――
前よりも早く死ぬかもしれない。
しかし、成功すれば――
この集団は、必要な時の火花になるだろう。
内なる声が再びささやく。
「気をつけろ、アリシア。炎は永遠に制御できない」
私は知っている。
だが今回は――
計画なしに雨の中で立つことはない。
そしてもし、この場所で再び死が待ち受けていても…
今回は、誰が本当に剣を握っているのか、見届けたいのだ。
「私が貴族だからよ」と、私はついに口を開いた。
部屋の空気が一気に張りつめる。
数本の手が腰の剣に伸びる。
「私はあなたたちを支援できる資金がある。そして、使える秘密も持っている」
沈黙は疑念に変わった。
大柄な男が鋭く私を見つめる。「普通、貴族がここに来るときは護衛を連れてくる。あるいは罠を仕掛けてくる」
「一人で来た」
事実だ。
「なぜ?」隅の女性が問う。
私はゆっくり息を吸う。
「正直な貴族になりたいの。民衆の側に立ち、不正から守る貴族に」
数人が鼻で笑った。
「皆、座り心地のいい椅子に座る前はそう言うものさ」誰かがつぶやく。
私は気にしない。
「それは正しいかもしれない」と、落ち着いて答える。「全ては人間の欲望のせい。税は上がる。鉱山は一部の者を潤す。道徳を守るべき教会までも…金のために動く」
それが餌だ。
反応はすぐに見えた。
「つまり、教会の投資について知っているのか?」大柄な男が鋭く問う。
私はまっすぐ見返す。
「それ以上のことも知っている」
数人が互いに目を合わせる。
私は部屋の中央にある木製の机に歩み寄った。
「王室は国外介入のために資金を使っている。別の帝国領で戦争を促している。民衆の金は政治ゲームのために使われている」
空気が変わる。
今回は冷笑ではない。
真剣な視線。
「証拠は?」女性が問う。
「まだない」と私は正直に答える。「だが、出てくるだろう」
それはリスクだ。
しかし大きな嘘はすぐに崩れる。あいまいな約束の方が安全だ。
「信じろとは言わない」と続ける。「協力を申し出ているだけ」
大柄な男は目を細める。「どんな協力だ?」
「私は下の情報が必要。あなたたちは上からの保護が必要」
少し間を置く。
「もし王室が公然とあなたたちを弾圧する日が来れば、私が王宮の中で声になる。教会が民衆を裏切れば、私が文書を明らかにできる」
それは完全な演技ではない。
本当にそうするつもりだ。
ただし――理由は彼らが想像するほど純粋ではない。
若い男が突然立ち上がる。「君はただ俺たちを利用したいだけじゃないのか?」
鋭い質問だ。
私は目をそらさずに答える。
「皆、互いに利用している」
部屋は静まり返る。
「違いは、私は清らかぶらないということ」
その言葉で彼らは止まった。
荒削りな正直さは、理想論よりも説得力があることがある。
大柄な男はようやく席に戻る。
「拒否したら?」
私は微笑む。
「拒否しても、私は資源を持つ貴族。あなたたちは小さな集団。暴動が起きれば責められる」
ほのかな脅し。
恐怖ではなく、現実の認識を示す。
「私はあなたたちを潰すために来たのではない」と優しく続ける。「嵐が近づいている。そしてその嵐が来たとき…民衆が最初の犠牲になる」
頭の中の声がささやく。
「上手くなってきたな」
私は無視する。
今回は――
計画がある。
大柄な男がついに口を開く。「もし嘘なら…わかる」
私はまっすぐ見返す。
「もし嘘なら…殺していい」
言葉は、感じているよりも冷静に出た。
過去、彼らは本当にそうしたのだ。
再び沈黙。
隅の女性が小さく笑う。「この貴族、勇敢ね」
大柄な男はゆっくり頷く。「よし。まず、君の秘密を聞こう」
私は息を整える。
この一手で全てが変わる可能性がある。
話しすぎれば死。
話さなさすぎれば無価値。
「ヴァネッサ家の鉱山は、王室にだけ金属を売っているわけではない」
数人の顔がこわばる。
「夜間に外国船への出荷がある。公式記録なし」
大柄な男が再び立つ。
「本当か?」
「噂を共有しに来たのではない」
半分は真実。
この情報が制御不能で広まれば、暴動は早すぎるタイミングで起きる。
私はまだ準備できていない。
「時間が必要」と続ける。「あなたたちも」
大柄な男はついに言う。「真偽を確かめる」
私は頷く。
まだ契約は成立していない。
だが扉は開かれた。
振り返って立ち去ろうとすると、背筋に冷気が走る。
この場所。
死んだ場所。
しかし今日は――
無事に出てきた。
頭の中の声が再びささやく。
「気をつけろ、アリシア。二つの炎を同時に灯したぞ――教会と民衆」
私は微笑む。
良い。
すべてが燃え上がり始めたとき、
誰を救い、誰を燃え尽きさせるか…
自分で選べるのだから。
数週間が過ぎる。
小さな炎が徐々に燃え上がる。
民衆はもはや私を甘やかされた貴族とは見なさない。
名前を希望を込めて呼ぶ者もいる。
「私たちの声を聞いてくれる」と噂を広める者もいる。
正当性。
小さいが、確実に育っている。
しかし知っている――
もし宮廷の誰かが私の動きを早すぎると気づけば、発展する前に潰される。
私は守護者が必要だ。
弱い家族でもなく、偽善的な教会でもない。
剣が必要だ。
そして王国で、宮廷でさえ恐れる唯一の剣―
―
大将アルディオン。
民衆のために常に剣の象徴を掲げる男。
国外介入を拒み、政治的野心のために兵士の血を流すことを公言する。
前世では…
裏切り者として処刑された。
密かに、静かに。
当時の私は、自分の破滅に夢中で意味を理解できなかった。
今、理解した。
彼は裏切り者ではない。
脅威だ。
私は、王宮兵舎の中庭で彼を待つ。
簡素だが正装の貴族服。
曇天、風には鉄と汗の匂いが混じる。
兵士たちは立ち止まる。
補佐官が近づく。「アリシア嬢。大将は約束なしで客を受け付けません」
「知っている」と私は落ち着いて答える。「金属供給についての報告に来たとだけ伝えて」
数分後、入室を許される。
アルディオン大将の部屋は簡素。
過剰な装飾はない。
壁には王国全域の大きな地図、赤い点で印がつけられている。
背を向けて立つ。
高く、姿勢正しく、こめかみには白髪が混じる。
「貴族の娘が老兵に望むものは?」振り向かずに問う。
声は粗くなく、しかし親しげでもない。
「兵士たちが無駄死にしないよう確認したい」
彼はようやく振り向く。
鋭い視線で計測し、剥ぎ取るように見つめる。
「美辞麗句だ。戦場を踏んだことのない者が口にする言葉だ」
私は気にしない。
「長く踏んだ者には無視される言葉でもある」
沈黙。
彼は目を少し細める。
興味深い。
「どういう意味だ?」
私は地図の机に近づく。
「武器の金属供給は、すべて王室倉庫に届いているわけではない」
目は変わらない。
しかし指の動きが止まる。
「続けろ」
「夜間に外国船へ出荷されている。公式記録なし。事実なら…兵士の武器の質は落ち、王室資金は我々の戦争でもない戦争のために浪費される」
彼は歩み寄る。
「裏切りについて話しているのか」
「可能性について話している」
直接非難はできない。
彼は私の目の前で立ち止まる。
「なぜ私に話す?」
最も危険な質問だ。
間違えば、私が扇動者と疑われる。
「私を信頼し始めた民衆がいる」と部分的に正直に答える。
「そして彼らは不安に感じ始めている。暴動が起きれば…安定を守れなかったとして、軍が責められる」
私は低く続ける。
「もし金属供給が漏れていれば、兵士は政治ゲームのために死ぬ。民衆は税と飢饉で死ぬ」
窓からの風が地図をわずかに揺らす。
「反乱を求めているわけではない、大将」
「調査してほしいだけ」
彼は長く私を見つめる。
「このように話すリスクは理解しているな?」
「一度死んでいる」と心の中で答える。
だが口から出たのはただ、
「承知しています」
彼は机に戻る。
「多くの貴族は権力を望む。民を思う者は少ない。軍に触れる勇気はさらに少ない」
そして静かに言う。
「君の言うことが正しければ…宮廷にはやりすぎている手がある」
ビンゴだ。
否定せず、しかし味方でもない。
「火を扱っているな、アリシア嬢」
「承知」
「もし君が分裂を煽ろうとしているだけなら――」
「その結果は引き受ける」
空虚な勇気ではない。
賭けだ。
彼は再び私を見つめる。
「密かに調査する」
私は深く一礼する。
兵舎を出るとき、ようやく心臓が速く鼓動した。
頭の中の声が再び。
「王国の剣に触れたな」
私はゆっくり息を吐く。
良い。
今、私には:
信頼し始めた民衆。
鉱山に巻き込まれた教会。
そして宮廷を疑い始めた大将。
二つの炎が灯り、
一つの剣が動き始めた。
しかし、まだ一つの問いが残る――
アルディオン大将は、私の守護者になるのか…
それとも次の処刑者なのか?
しかし、そう、陰謀と復讐の計画は続くべきだ――そして正確に。
王宮はささやき声を聞き始めた。
公式の報告ではない。
公然の非難でもない。
ただ、誰かが水面下で何かを動かしている、という噂だけ。
一部の貴族たちは、王室の封印付きの書状を受け取った。
私の家族も含まれる。
大規模な会議が開かれることになった。
書状の文面は非難してはいない。
だが、あまりに緊急すぎて、平凡とは言えない。
私は自分の書斎でその文面を何度も読み返す。
これは違う。
前世では、このような会議がこんなに早く開かれることはなかった。
つまり――
誰かが私の記憶より速く動いている。
あるいは…
私があまりにも多くのことを変えてしまったのだ。
その日の会議は、本来なら晴天のはずだった。
しかし昼が近づくにつれ、空は黒く染まる。
雲が集まり、前触れのように重く垂れ込める。
前世では、この嵐に身震いした。
私は窓辺に立ち、体を抱きしめ、すでに亡き母を思い出す。
恐怖があった。
失うことへの恐怖。
孤独への恐怖。
未来への恐怖。
そして嵐の後――
作物は不作となり、民衆は怒り、反乱組織は勢力を増す。
権力転覆の計画が練られ、数年後…私は死んだ。
しかし今、私は知っている。
その計画は、嵐が来る前からすでに仕組まれていた。
嵐はただの引き金だった。
王国は、空が暗くなる前から、すでに脆弱だったのだ。
私は同じ窓の前に立つ。
稲妻が走る。
だが今回は、震えてはいない。
もし王国が弱まるのなら――
私は、その崩壊を自分の望む方向へ導く。
その夜、私は書状を書いた。
教会のためではない。
大将のためでもない。
民衆のためでもない。
敵国のためだ。
書状には、私の名前も、家族の名前も一切記さない。
一部は、海外と商取引のある他の貴族の名義で書かれた。
内容は簡潔。
王国の財政状況の情報。
漏れた金属供給のこと。
軍内部の潜在的な紛争。
そして重要な一文――
「三年以内に侵略が行われれば、防衛は内部から弱まる」
私は戦争を求めていない。
ただ、導火線に火をつけただけだ。
賢ければ、彼らは理解する。
頭の中の声が再び現れる。
「本当にすべてを燃やしたいのか?」
私は消えかけた蝋燭を見つめる。
「王国は私がいようといまいと、崩壊する」
「そして君は、その設計者になりたいのか?」
私は答えない。
答えはすでに明白だからだ。
しかし、一つだけが心をかき乱す。
あまりに明確に動けば、責任を問われる。
あまりに隠れれば、崩壊の方向を制御できない。
そこで、最も危険な最後の一手を打った。
地下情報網に、断片的で不完全な情報のコピーを渡す。
一つの組織ではない。
複数だ。
情報は相手ごとに少しずつ異なる。
民衆には:税と金属漏れの証拠を。
教会には:王室が資産を掌握する可能性の警告を。
軍には:一部貴族が供給を妨害している兆候を。
王宮には:大将が民衆の支持を集めているという噂を。
完全な嘘ではない。
ただ、異なる角度から整理された真実の断片だ。
もし彼らが少しでも偏執的なら――
互いに疑い合う。
そして偏執心が大きくなれば――
火は、私が手を触れなくても燃え広がる。
再び稲妻が走る。
私は一つのことに気づく。
かつては、生き延びたかった。
今は…
戦争を設計している。
「これは復讐か?」と声が問う。
「違う」
「では何だ?」
私は暗い窓に映る自分を見つめる。
「支配だ」
もし世界が燃えるのなら――
私はもう、踏みにじられる灰にはなりたくない。
風の行く方向を決める手になりたいのだ。
しかし、この規模のゲームは決して完璧には進まない。
そして嵐が翌朝、ついに静まったとき――
王宮の使者が予想より早くやってきた。
直接の命令で。
家族のためではない。
私のためだ。
威信のために。
王宮で大きな名前が囁かれ始める。
一部の老練な貴族、王室顧問、影響力のある家系――
秘密の書簡や噂で広まる。
彼らは騒然とする。
不作が襲い、民衆は飢える。
市場でも村でも、噂は急速に広がる。「王国は弱っている」「反乱が起きるかもしれない」
海では、外国船が偵察する。外からの戦争の兆候がはっきり見える。
そのすべての中で…私は落ち着いて座っていた。
後に休息の場とする部屋で。
いつになるかは未定。すべてが終わった後かもしれない。
しかし、この場所…安全だ。静かだ。
民衆の叫びも、貴族のささやきも、大将の鋼の音も届かない。
私は机の上の蝋燭を見る。炎が壁に揺れる。
前世なら、戦争の知らせを聞けば震えていただろう。
今は、微かに笑むだけ。
雷の一閃、港を打つ波、嵐に折れる木の枝―
―
すべて、自分が仕組んだ交響曲の一部だと知っている。
大物たちの名前?私は覚えている。
陰謀、行動、癖まで――すべて掌握している。
そして外の世界が崩れ始めても、私はここに座り続ける。
今まで踏み入れたことのない場所で、
物語の結末を知る者だけが味わえる静寂を楽しむ。
外からの戦争も、不作も、宮廷の陰謀も――
すべて、私の遊びの材料になる。
頭の中の声が、昔の囁きのように再び。
「ずいぶん落ち着いているな…戦いが始まる前に勝ったかのようだ」
私は蝋燭を見つめる。「今回は」と、静かに言う。
「最後の章を書くのは、私だ」
そして窓の外、嵐は荒れ狂う。
だが室内、私は…まだ落ち着いて座っている。
すべての炎が完全に燃え上がる前の、静寂を楽しみながら。
しかし、陰謀と復讐は続く。
その一方で…ヴァネサとサミュエルは行動を開始していた。
他の数人の王子たちも同盟を結び始める。
彼らの計画は明確だ:王冠を守り、内部の脅威を排除し、…そして自身の地位を確保すること。
王自身も動揺し始めた。
緊急会議が召集される。
あらゆる行動が急がれる。
アリシアの家族も状況は変わらず。
父と兄は突然、数人の貴族に訪れられる。
助言、説得、そして脅迫――
中立でいるべきか? 王室に従うべきか?
現れた脅威に立ち向かうべきか?
だが父は、以前と同じように、ただ黙るしかなかった。
混乱が顔に張り付いている。
恐怖と名誉と迷いが絡まり合い、進むべき方向を示せない。
その間に、私は姿を消した。
誰の助けも借りず。
王室の力も使わず。
自分の技量だけで。
訓練された技能を駆使し、平民の女性に変装する。
家紋も、護衛もない。
ただの少女の姿で、街を歩き、影に紛れる。
この行動は自由をもたらす。
民衆の中を、諜報員の間を、目立たずに行き来できる。
その間に…暴動は激化していく。
私の知る名前、脅威となる者や障害となる者が次々と捕らえられる。
父と兄は、まだ混乱の中にありながらも、遠くからそれを見守るしかない。
そして、最初の大砲が撃たれたとき…
王宮の壁を狙ったその砲撃の音が、聞く者すべての心を揺るがす。
ヴァネサは顔を青ざめさせる。
「こ、これは…狂気だ!」と、彼女はパニックで囁く。
サミュエルはうなだれ、頭を抱える。
「どう…どうしたらいいのかわからない…」と、突如の混乱に動揺する。
私は、影からそのすべてを見つめる。
恐怖で彼らを脅すためではない。
遊びのためでもない。
私は正確に知っている――
いつ、彼らの恐怖が頂点に達するのか。
いつ、失策が露呈するのか。
そして、すべてを自分の手で利用して、王国を内側から崩壊させることができる瞬間を。
街では民衆が、誰が最初の爆発を仕掛けたのか、疑問を抱き始める。
王宮では「内部の裏切り者」の噂がささやかれ始める。
ヴァネサとサミュエル…まだパニックに陥っている。
父と兄…まだ混乱している。
そして私?
私は、かつての少女のままだ。
世界の目には。
だが内側では…嵐の設計者である。
ゆっくりと、確実に。
王宮は徐々に統制を失い始める。
かつて民衆に忠実だったアルディオン将軍の部隊も、王室の命令を拒み始める。
「民衆の方が、腐敗した王宮よりも重要だ」と、彼らはささやく。
外では、民衆の部隊がヴァネサの邸宅を包囲し始める。
残る護衛は必死に防ごうとするが、数で圧倒されているのは明らかだ。
サミュエルは疲れ果てる。
アリシアを探す。
数か月ぶりに婚約者を目にしておらず――なぜか、この混乱の中で、彼はパニックに陥り始める。
「アリシア…どこにいるの?」と、瓦礫の街を見つめながらつぶやく。
その間に、外国の艦隊が国境を越えてくる。
警告の鐘が鳴り響き、軍は攻撃に備える。
しかし、王宮を守るはずの者たちはもういない。
忠誠心は揺らぎ、密かにより強い勢力の側に味方している。
その混乱の中、王は想像もつかない決断を下す。
正式に権力を手放すのだ。
この変化に従わない貴族たちは、すぐに処刑される。
首を切られ、革命の正当性として掲げられる。
かつて恐れを抱いていた民衆は歓声を上げる――
彼らにとっては勝利、王国にとっては完全な崩壊。
そしてそのすべての裏で、アリシアは姿を現さない。
戦場にも、王宮にも、いない。
ただ影から見つめる。
彼女は知っている。
首が落ち、壁が崩れ、兵が背を向けるたびに…
新しい世界が形作られていることを。
彼女の心には一つの確信がある。
すべての決断、すべての裏切り、すべての混乱…
計画通りに進んでいる。
ヴァネサはパニックに陥り、サミュエルは疲弊し、外国の圧力が迫る…
そして私?
私は影に潜み、微かな笑みを浮かべる。
「さあ…この世界は灰になるだろう」と、私は静かに呟く。
そしてその灰の中から…
私は新しい秩序を築くのだ。
夜の間、ネズミのように隠れながら生きる生活は、徐々に疲労を蓄積させていた。
数か月が過ぎた。
王国は劇的に変わり果てていた。
サミュエル家の王朝は終焉を迎え、
かつて陰謀を企てたヴァネサや数人の貴族は、今や政治的な囚人となっていた。
サミュエル自身も、かつて自らを支配者と信じていた男は、厳重な監視下に置かれた政治囚となっている。
狭く暗い部屋で座る彼らの顔は青ざめ、目には生気が失われていた。
かつて豪華な大広間で笑い合った日々は過去の幻のようだ。
今、互いを見つめ合うしかない。
そして…アリシアが現れる。
焦ることもなく、動揺することもなく、
足取りは軽やかで、落ち着いている。
まるで、この世界は最初から自分の手の中にあったかのようだ。
手にはいくつかの封印された書類を持っている。
「これは、あなたたちのため」と、柔らかくも鋭い声で言う。
書類を前に置くアリシア。
そこには、彼ら自身の計画の証拠があった――
最初からアリシアを排除しようとした計画、ヴァネサの権力を保証するための陰謀。
それがすべて明らかにされている。
ヴァネサは書類を見つめ、口を開けたまま動けない。
サミュエルは怒りを抑えようとするが、目は混乱と恐怖で光っている。
「こ、これは…?」ヴァネサが震え声で尋ねる。
「あなたたちが最初から計画していたことです」とアリシアは静かに答える。
「すべて記録され、証拠も揃っている。そして見て…今の私の立場は、あなたたちより上にある。」
彼女はゆっくりと彼らの周りを歩き、ひとりずつ視線を送る。
「もし最初からこれを見せられていたら、あなたたちは愉快なことに気付いたでしょう。」
サミュエルは唾を飲み込み、胸が高鳴る。
「ア…アリシア…」
「私はずっと知っていた」とアリシアは薄く微笑む。
「あなたたちの一歩一歩、すべての陰謀…覚えていた。そして、この瞬間を待っていた。」
ヴァネサは震え、世界が完全に崩れ去ったと感じる。
サミュエルは俯き、すべてが手の届かない場所にあることを痛感する。
「さて」とアリシアは続ける。
「あなたたちの立場は逆転した。以前と同じ状況…でも今回は、私が完全に支配している。」
彼女は机の書類に視線を落とし、再び二人を見つめる。
「かつて私は弱い存在と見なされ、侮辱され、捨てられた。
あなたたちは簡単に私を排除できると思った。
今はどうだ? あなたたちが私の影の下に座っている。」
部屋は静寂に包まれ、聞こえるのは彼らの重い息と、アリシアの落ち着いた足音だけ。
「もしこれが権力の問題だけだと思うなら…間違いです」
声は鋭いが、大きくはない。
「これは、誰が歴史を書き、形作るかの問題。私は…今、それを書いている。」
ヴァネサは目を伏せ、アリシアの瞳を見つめることができない。
サミュエルは目を閉じ、追い詰められた感覚に苛まれる。
そしてアリシアは、闇から現れた影の操り手のように、二人の上に立つ。
かつて彼女を抑圧した世界が、今、彼女の掌の中にある。
彼女は窓の外を見る。
自らが生み出した混乱に街が順応していくのを見つめながら、
心にただ一言が残る。
「今…私が世界の行く先を決める番だ。」
民衆の群れの中、私は――もうアリシアではない――かつて自分を圧迫したヴァネサ、サミュエル、そして貴族たちの処刑の場面を見つめる。
民は目を見開き、ある者は俯き、ある者は手を打つ。
かつて隠れていた指導者たちは台頭し、権力の空白を埋め始める。
そして私は…姿を消す。
アリシアという名前は歴史に刻まれた。
今、私はサラ。
ただの平凡な少女。
田舎の土の道を歩き、新たに見つけた平穏を楽しむ。
小さな家は質素で、緑の田に囲まれ、空気は澄み、生活は簡素だが幸福に満ちている。
ここで、私は妻であり、母である。
この平和な日々は、過去の犠牲の産物――権力、陰謀、血の世界を捨てた果てに手に入れたもの。
子どもたちが木や田の間を駆け回るのを見て微笑む。
夫は優しく私を見つめる。
初めて、自分の人生が本当に自分のものだと感じる。
私は市場へ出かけ、日常の営みを楽しむ。
安心と穏やかさ、世界がもはや自分を傷つけないかのような感覚。
しかし、その静寂は破られる。
「アリシア!」
振り向く。
声に心臓が止まりそうになる。
目の前には――髭を蓄えた、絶望に満ちた顔
――
かつての兄だった。
「この野郎! 家族を裏切り、平穏に生きているのか!?」
怒りと悲しみが入り混じった声で叫ぶ。
私が動く前に、彼は襲いかかる。
刃が体を貫き、熱く鋭い痛みが走る。
血が流れる。
私は彼を見つめ、言葉を失う。
「これで何かが解決すると思ったのか…」心の中でつぶやく。
しかし、体は徐々に弱り、視界は暗くなっていく。
最後の瞬間、私は微笑む――勝利ではない、
ただ、自分が…自由だと知っているからだ。
平穏な世界は、短くとも、私のものであった。
私は選んだのだ――この世界を。
もはや王宮でも、陰謀でも、血でもない。
最後の息とともに、私は感じる…自由を。
終。




