聖女の親友は悪女。悪女の親友は聖女。
”聖女”の呼び声高いティナのノートが噴水に捨てられていた。
こういう事件が起きるたびに、疑われるのは常に”悪女”セレーネだった。
聖女ティナと悪女セレーネは、アストルム王国にある王立アカデミーの同級生だ。
ティナはもともとベイカー子爵の領地に住む平民だった。回復魔法が得意だったことから、ベイカー子爵に見いだされ、今はその養女となりこうして王立アカデミーに通っている。アカデミーで彼女は、「聖女」と呼ばれていた。
一方のセレーネはエバンス侯爵家のご令嬢だ。と言っても、実は彼女は侯爵家で育っていない。現侯爵の妹だった彼女の母が、傭兵だった父と駆け落ちして生まれたのがセレーネだった。その両親も、セレーネが10歳の時に、流行病であっという間に亡くなってしまった。身寄りのなくなったセレーネは、その後孤児院に預けられた。
自分が侯爵家の血を何も知らなかったセレーネだったが、彼女の持ち物から、亡くなった母がエバンス侯爵家の出身であるとわかる。妹の忘れ形見であるセレーネは、エバンス侯爵家に引き取られ、伯父の養女となった。そして、今では王立アカデミーの生徒となっている。
セレーネが悪女と呼ばれるのには理由があった。市井育ちの彼女は、貴族特有の遠回しで曖昧な物言いが苦手だった。常にストレートな発言をしてしまう。悪意はない。彼女なりの正義感からの発言なのだが、それが大いに誤解を招いていた。
先日も、令嬢のグループがお茶をしながら誰かの悪口を言うのが聞こえてきた。見てみぬふりならぬ、聞いて聞こえぬふりをすればいいものを、つい、セレーネは口出ししてしまった。
「こそこそ裏で悪口を言っていないで、言いたいことがあるならば直接本人に言えばいいじゃない。あなた方のやり方は陰険すぎる」
ある意味、潔いほど堂々としているセレーネなのだから、男子生徒に人気のティナに対して、陰で嫌がらせをすることは考えにくいのだが、生徒たちはそう思ってはくれなかった。
というのも、侯爵令嬢であるセレーネが、同じくアカデミーに通うこの国の第二王子アンドリューの婚約者候補となっているからだった。
アンドリューも例にもれず、優しい聖女ティナに夢中だった。
その結果、その婚約者候補であるセレーネがティナに嫉妬をしてこのような嫌がらせをしているのだと、どこからともなく噂が立つようになったのだ。
だが当の本人であるセレーネは、自分にそのような噂があることすら知らなかった。自分がこの貴族社会の中で好かれていないことは自覚していたが、そもそも学園内で孤立していた彼女には、噂の内容までは届いていなかったのだ。
被害者であるティナは、一度たりともセレーネを責めたことはない。それどころか、一度だけ彼女が犯人ではないと否定さえしている。
「クソ、またか。セレーネのやつ……」
「誰がしたことなのかはわかりませんが、セレーネ嬢を疑うのはどうかと……」
「なぜ、そう思うんだ? もしかして彼女に脅されているのか!?」
「い、いえ、そういう訳では。セレーネ嬢がやったという証拠が何もないので……」
なぜ、セレーネの仕業ではないと思うのか。
実はティナとセレーネは、子ども時代親友同士だったからだ。二人がまだ平民としてベイカー子爵領で生活していたころの話だ。いたずらな男子によく意地悪をされていたティナを、セレーネはいつも庇ってくれていた。そんな正義感の塊のような彼女が、アンドリューの婚約者になりたくて自分に嫉妬したあげく、意地悪をするはずがないと思ったのだ。
だったらそう言えばいいのかもしれない。だが、ティナにはどうしてもそれができなかった。なぜならば、彼女がベイカー子爵の養女であることは伏せられていたからだ。そして、自分がそのような事情で子爵の実子とされているのだから、セレーネも似たような事情があるのだろうと、先回りして推測していたからだ。
お互いのためにも、二人が子ども時代、村の学校で同級生だったなどと公表するわけにはいかない。それこそ、ベイカー子爵だけでなく、セレーネにも迷惑がかかるかもしれない。ティナはそう考えていたのだ。
それはセレーネも同じだった。6年ぶりに顔を合わせた友と、あの時のように楽しく過ごしたかった。だが、彼女がベイカー子爵の実子とされていると知り、彼女の過去を守らないといけないと思った。だから、不用意にティナには近づかないようにした。
二人の間にあるそんな誤解と配慮が、二人の間の空気を微妙なものにしてしまっていたのだ。
その日は、アンドリューをはじめとするまだ婚約者のいない貴族たちのための茶会が開かれていた。その場にティナもセレーネもいた。
ティナは相変わらずアンドリューたちに囲まれていたが、セレーネは他の令嬢たちの横で一人、お茶を飲んでいた。
「あのような人がこのアカデミーにいるだなんて、本当に嫌だわ」
「本当よね。あのようにはしたなく何人もの殿方を誘惑するなんて、貴族の令嬢のすることではないわ」
「どうしてアンドリュー殿下はあのような女を大切になさるのかしら」
「ねえ、ご存じ。実はティナ嬢はベイカー子爵の実子ではないらしいのよ」
「子爵とメイドとの間に生まれたお嬢様というのは嘘ということ?」
その話が耳に入ってしまったセレーネは立ち上がると、その中の一人――ティナがベイカー子爵の実子ではないと言い出した令嬢にお茶をかけた。
「キャーーー!」
「ちょっと、何をなさるの!」
「ひどいわ、セレーネさん!」
令嬢たちは騒ぎ立てた。
「申し訳ございませんでした。手が滑ってしまったわ。汚れてしまったドレスは弁償させていただきます」
「何が手が滑ったよ!」
「そうよ、どう考えてもわざとじゃない!」
この騒ぎに、少し離れたテーブルにいたティナやアンドリューたちも駆けつけてきた。
セレーネは令嬢たちに、もう一言言ってやりたかった。だが、ここで彼女たちが話していた内容に対して反論すると、ケンカの原因がティナの耳に入ってしまうかもしれない。
「はっきりと言わないとわからないかしら? グレース嬢がお召しになっているそのドレス、あまりに似合っていないので、お着替えなさった方がよろしいのではと思ったの。つまりこれは、私の親切心から行ったことよ」
どうせ自分は嫌われているのだ。だったら、ティナを守るため、徹底的に悪女になってやろうじゃないか。
「な、なんですって!」
「あまりにもひどい言い様ですわ!」
「アンドリュー殿下、ご覧ください、セレーネ嬢の悪行を!」
「どうか、セレーネ嬢を罰してくださいませ」
「なぜ、あなた方はアンドリュー殿下を巻き込むのかしら? 今は私とあなた方が話しているのだけど。それとも、このことにかこつけて、殿下の同情を誘い、誘惑しようとでもお考えかしら?」
令嬢たちはそれ以上言い返すことができなかった。
「セレーネ嬢、先ほどのことは本当か?」
「本当です。私を罰するというのであればどうぞご自由に」
「わかった。君にはしばらく停学の上、自宅謹慎を命じる。このような事件を二度と起こさないように」
「かしこまりました」
セレーネはアンドリューたちに対して頭を下げると、令嬢たちを睨みつけながらその場を後にした。
セレーネが停学の間、アカデミーは平和だった。今、ティナに嫌がらせをすれば、セレーネのせいにすることができないと犯人たちが考えたからだろう。
だからか、セレーネが学園に復帰した途端、ティナに対する陰湿な嫌がらせが再開された。
「きゃあっ!」
お昼明けの午後の授業の際、ティナが教室に置きっぱなしにしていたカバンをあけると、中から蛇の死体がでてきたのだ。
それはセレーネも目にした。アンドリューたちは真っ先にセレーネを疑った。
「セレーネ嬢! あれほど騒ぎを起こすなと言ったのに、何もわかっていないようだな」
「おっしゃっている意味がわかりません」
「わからないだと! このような低俗な嫌がらせを」
「まさか、ティナ嬢のカバンにそれを入れたのは私だと、殿下はおっしゃるのですか?」
「そうだ! 一番早く教室に戻るのはいつも君じゃないか。この嫌がらせができる人間が、君以外に誰がいる!?」
確かに、昼休み後に最初に教室に戻ってきたのはセレーネだった。いつも一人で食事をしているセレーネは、誰ともおしゃべりをしない分、食べ終わるのも早い。食べ終わったのであれば、うるさいカフェテリアにいるよりは、誰もいない静かな教室で読書でもしていたほうがいい。そう思い、いつも教室には早く戻ってきていたのだ。
「君が停学の間、このようないたずらは一切起きていない。君が復学した途端にこれだ! 犯人でないというのであれば、証拠を示せ!」
「殿下、状況証拠だけで私を犯人と決めつけるのはどうかと思います。しかも、それを自ら証明せよとは。それは、悪魔の証明に近い。不可能です。ただ、殿下がそのように私を疑うのであれば、私は常にティナ嬢の横にいることで潔白を証明してみせます」
「な、なんだと! そんなこと、許可できるわけがないだろう! 君がティナに何をするのかわからないのだから!」
「では、殿下が私を見張ればよろしいではないですか?」
「なんだと!」
「殿下いけませんわ。セレーネ嬢は殿下にお近づきになるたけにティナ嬢への嫌がらせを利用されているのですわ」
「そうですわ。これではセレーネ嬢の思うつぼですわ」
「君の魂胆はもうわかっている! 君はティナの半径3m以内に近づいてはならない!」
「…………わかりました。仰せのままに」
うるさい外野どもだ。
それにこの王子も、はっきり言って頭が悪い。仮にもし自分が何か悪行を行うのであれば、完璧なアリバイを作って、絶対に疑われないような状況で犯行を行う。いかにも犯人ですというような状況の中で犯行を行うなど、愚か者のすることでしかない。
それに犯人をセレーネと決めつけることで、真犯人を逃すことになるのだ。それが一番の問題だ。
そんなこともわからないのか。
セレーネは、今までティナが嫌がらせを受けていることさえよく知らなかった。彼女が、王子の婚約者を目指している令嬢たちのヘイトを集めていることは何となくわかってはいたが、このような直接的な嫌がらせをされているとは。
しかも、アンドリューの言葉を聞く限り、何度もティナは被害にあっているのだろうから、王子たちは何ら有効な対策を取れていないのだ。
やはり、あの男たちにティナを任せてはおけない。
セレーネは考えた。どうしたら、ティナの秘密とティナ自身を守ることができるのだろうかと。
「そうだ、ティナではなく、アンドリュー殿下に近づけばいいんだ」
そうすれば、今、ティナへ向いている令嬢たちの目もこちらに向く。
翌日、セレーネは家で作った手作りのクッキーをもって、アンドリューに声をかけた。
「殿下、ごきげんよう。殿下、私は今までの言動すべてを真摯に反省し、悔い改めました。これはほんのお詫びです。どうか皆さんで召し上がってください。私が作ったクッキーです」
「そのようなもの、受け取れるわけがないだろう。何が入っているのかわからない……」
「何も入っていませんよ。お疑いならば、今この場で私が一つ食べてみせます」
「それに、君にはティナに近づくなと言ったはずだ」
「はい、そう承りました。ですが、殿下に近づくなとは命じられていません。もし、私とティナ嬢を近づけたくないのであれば、殿下がもう少し私の方に近づいてくださいな」
そう話すと、セレーネは裏のなさそうな表情で、にこっと笑った。
「な、なんだと!」
「アンドリュー殿下、私は大丈夫です。どうかセレーネ様のクッキーを受け取ってあげてください。その、私も食べてみたいです」
ティナはセレーネのクッキーを心の底から食べたいと思った。子どもの頃、セレーネの母親がよく作ってくれた秘伝のクッキーの味を思い出す。シナモンの甘くスパイシーな香りがふわっと広がるティナとセレーネと、セレーネの母と3人で作った、少し硬めのクッキーだ。
懐かしい味がした。あの頃に戻れたら。戻りたいと願う。
ティナは涙がこぼれそうになった。だけど、ここで泣くわけにはいかないと思い、必死に耐えた。
ティナとセレーネは6年振りかにはっきりと目を合わせてお互いを見た。セレーネは、ふっと表情を緩めた。つられるようにティナも目を細めた。
(ああ、私たちの友情はまだちゃんと続いているんだ)
二人にはその事実だけで、今は十分幸せだった。
それからというもの、セレーネは、アンドリューがティナと共にいる際は何かと理由をつけて彼に付きまとった。さも、アンドリューが好きでたまらないと言わんばかりの態度で。
当初は迷惑そうにしていたアンドリューだったが、セレーネが「殿下、殿下」とあまりにも懐いてくるものだから、次第に彼女が可愛いと感じるようになっていた。
同じ平民として育ってきた二人だったが、大人しかったティナと異なり、セレーネはもともと活発で、男子の友達も多かったのだ。この辺りは貴族のご令嬢たちと異なり、相手が王子だろうが何だろうが、男子と親しくすることに対して何の抵抗もないのだ。
セレーネがティナの近くにいるからなのか、ティナに対する嫌がらせはピタリとやんだ。またセレーネを恐れているからなのか、アンドリューと親しくしているセレーネにその標的が移るということもなかった。
セレーネはこのような現状に、心の底からほっとしていた。
しかし、事態は思わぬ方向に進んでいく。
王室が、セレーネを第二王子妃とするために、王室でお妃教育を受けるようにと通達を出したのだ。
ティナは子爵令嬢だが、セレーネは侯爵令嬢だ。その上、ティナは現子爵の実子ではないという噂も耳にする。どちらが王子妃に相応しい身分なのか、さすがのアンドリューもそこはよくわかっていた。そこでアンドリューが、セレーネとの婚約に向けて動きたいとの意向を示したのだ。
セレーネはアンドリューに惚れているわけではない。もし、ティナが彼との婚姻を望んでいるのであれば、当然譲る気ではあった。貴族社会においてそれが可能なのかどうかは別として。
それに、この話が出るまでは、ティナ自身も、アンドリューが好きでたまらないようには見えなかった。
ティナはどちらかというと、アンドリューと一緒にいる令息たちの中で言うと、モーガン伯爵家の令息・ジョセフのような物静かで知的な男性が好きなのではないかと感じていた。少なくとも子どもの頃、二人でナイショ話をしたときは、彼のような男の子が好きだったのだ。
だが、ティナは明らかに二人が婚約すると知って、青ざめ、動揺していた。
「ティナ、あなたがアンドリュー殿下のことが好きならば、私はこの話、断ろうと思うの」
セレーネはティナにそう伝えたかった。だが、なかなか二人だけになる機会がない。
そんな折、事件が起きた。
セレーネが階段から落ちて、かなりの大怪我を負ったのだ。
セレーネはついうっかりしていて足を踏み外したと話したのだが、そもそも彼女が落ちた階段が、普段使われていない場所だったこともあり、様々な憶測を呼ぶこととなった。
というのも、第二王子の親友の一人が、セレーネが誰かからの手紙を見て、どこかに向かったところを見ていたからだ。不審に思い、セレーネを探しに向かったところ、彼女の悲鳴と階段の下に落ちているのを見つけたのだ。
しばらくの間、セレーネはアカデミーを休んだ。それだけだったらよかったのだが、同じ時期、ティナもアカデミーを休んだのだ。
このことで、口傘のない令嬢たちは、「セレーネを突き落としたのはティナなのではないか」と噂しだした。
セレーネが登校できる程度に回復するころには、アカデミーはすでにこの噂で持ち切りだった。
(ティナ、なんでアカデミーを休んだの? そんなことしたら疑われるに決まっているじゃない!)
セレーネはティナを守るために、適当な証言をした。
「実は、あの日、男性から手紙をもらったの。そんなの初めてのことだったから嬉しくて、ついその場所に行ってしまったの。そうしたら、全く知らない男がいて、怖くなって逃げようとして転んでしまったの。黙っていてごめんなさい」
彼女の証言は、半分は正しく半分は嘘だった。
手紙をもらったのは事実だ。だがその送り主はなんとティナだったのだ。ティナと二人で話ができる。そう思ったセレーネは急いで指定された場所へと向かった。だが、そこに待っていたのは見知らぬ男だった。腕をつかまれそうになって、慌てて逃げようとして階段から落ちたのだ。
正直、この件にどの程度ティナが関わっているのかはわからなかった。ティナも誰かに脅されて手紙を書いたのかもしれない。あるいは、誰かがティナの字を真似て手紙を書いたのかもしれない。
ずっと登校できていないティナに「大丈夫だよ」と言ってあげたかった。
セレーネはその日、誰にも行先を告げずに一人でベイカー子爵家へと向かった。
そして、夜になっても帰らなかった。
かわいい姪を心配したエバンス侯爵が彼女を探し回った。当然、このことはアンドリューたちの耳にも入ることになった。
「もしかして、セレーネを呼び出した不審な男が連れ去ったのかもしれない」
侯爵とアンドリューたちはセレーネの足跡を追った。その中で、彼女がベイカー子爵家へと向かったことをつかむ。
「セレーネはティナに会いに行ったのか? あの二人、そこまで親しそうではなかったが、なぜ?」
「とにかく、ベイカー子爵邸に行ってみましょう」
アンドリューたちは子爵家の門前に来ていた。急な第二皇子とエバンス侯爵の来訪を知ったベイカー子爵は彼らを客間に通した。
「第二王子殿下が、我が子爵家に一体どういったご用でしょうか?」
「セレーネがティナを訪ねて行かなかっただろうか?」
「さあ、私は何も知らないのですが、少々お待ちを。執事に確認してみますので」
そう言うと、子爵は執事を呼びつけた。
「ところで、ティナはなぜこのところアカデミーに来ないのだ?」
「ああ、その件でしたら、実は娘はセレーネ嬢がお怪我をなさったことに大変なショックを受けておりまして。なんでも娘と約束をしていた先でセレーネ嬢がお怪我をなさったようなので」
「なんだと?」
「ああ、ご存じありませんでしたか。エバンス侯爵閣下、娘がご息女に対し、大変申し訳ないことをいたしました」
「ベイカー子爵、そう思うのであればなぜすぐに我が家に謝罪に来なかったのだ」
「その、娘も気を病んでおりまして……お嬢様も大変な状況だと思いまして……」
ベイカー子爵は何とも歯切れがわるかった。しばらくするとちょうどいいタイミングで執事が戻ってくる。
「旦那様。メイドの話によりますと、お嬢様ですが、夕刻、尋ねてこられたご友人とどこかへお出かけになられたようです」
「なんと! それでまだ戻ってこないというのか!」
子爵は大げさに驚いてみせた。
「それで、どこに行くと娘は話していたのだ?」
「はあ、それが、少し出てくるとだけおっしゃられたようで、どことまでは……メイドの話ですと、近くの広場にでも行かれたのではないかと。まさかこのような時間になるまでお戻りになるとは思わず……」
「まさかそんなことが! 今すぐにメイドを呼んできなさい。私が直接話を聞こう」
「子爵、その話はもう結構だ。この先は我々で捜索する」
「そ、そうですか、では、私も微力ながらお手伝いをさせていただこう。娘の責任も大きいであろうから……。侯爵閣下、本当に申し訳ない」
アンドリューたちが聞き込みを行ったところ、広場で二人の目撃情報はなく、逆にアンドリューたちが子爵邸を訪れた後、子爵邸の裏口から一台の馬車が西に向かって走り去ったことがわかった。
アンドリューたちは再びその馬車の足取りを追った。
王都の西地区には貧民街が広がっていた。
その中にある一軒の空き家では、縛り上げられ気を失ったセレーネの横で、ティナが震えながら遺書を書いていた。
「早くしろ!」
遺書を書くティナを刃物を持った男たちが脅す。
「ご、ごめんなさい。手が……手がふ、震えて、しまって……」
(誰か、誰か、助けて! 誰か、早く気が付いて、ここに!)
遺書の内容はこうだった。
セレーネがアンドリューの婚約者になることがどうしても許せなかった。だから彼女に痛い目を見せて脅そうとしたが、バレてしまったので、彼女を殺して自分も死ぬ。これは自分の独断で行うことであり、子爵家とは何のかかわりもないことだ、と。
今、自分に遺書を書かせている男たちは、彼らが手にしている武器で自分やセレーネを襲うことはないだろう。おそらく、ティナがセレーネをナイフで刺したように偽装したうえで、同じナイフでティナを殺すつもりなのだろうから。
いざとなったら、最後の力でセレーネに回復魔法をかけよう。今まで散々自分を庇ってくれた彼女をこのようなところで死なせるわけにはいかない。
それでもダメなときは、この男たちが持っている剣に飛び込もう。せめて、この茶番劇が子爵によって仕組まれたものだと誰かに知らせるのだ。
「まだ終わらないのか!」
「お、お願いだから、ど、怒鳴らないで。余計に……書けなくなってしまうから……」
その時、確かにティナは外に何者かの気配を感じた。
(ああ、この魔力はアンドリュー殿下のものだ)
「助けて! 誰か助けてください! セレーネはここにいます!」
ティナは今まで出したことのないようなありったけの大声で叫んだ。
「貴様!」
男がティナの口を塞ぐと同時に、別の男が彼女に切りかかる。ティナの大声で意識を取り戻したセレーネは咄嗟にティナの前に躍り出た。
「ティナ危ない!」
男が振り下ろした剣はセレーネの背中を切り裂く。
「セレーネ!!」
それとほぼ同時にドアが蹴破られて外から剣士が数名なだれ込んできた。
その場にいた男3名はアンドリューが率いてきた騎士たちによって取り押さえられた。
「セレーネ! セレーネ、どうして! 私なんかのために、なんで!」
ティナは必死に回復魔法を唱えた。涙をボロボロこぼしながら。
「お願いします。どうか神様、ティナを助けてください! 私の命に代えても! お願いします!」
その時、奇跡が起きた。ティナは聖女として完全に覚醒したのだ。温かな光が二人を包み込み、ティナが唱えた回復魔法によって、セレーネの背中の傷がみるみるうちにふさがった。
「……ティナ? よかった無事で。助けてくれたんだね」
「セレーネ! 私なんかのために、無茶しないで!」
二人は6年の月日を経て、ようやくあの時のように、お互いの名前を呼びあった。
後日、ベイカー子爵は捕えられ、爵位剥奪の上投獄された。回復魔法が得意だったティナを実子となし、聖女と触れ回ることで、彼女を王子妃にして権力を握ろうとしたのだ。それが上手くいかなくなった途端、ティナにすべての罪を着せて処分するつもりだったのだ。
アカデミーにティナが入ってから彼女が受けた嫌がらせ、それすらもアンドリュー王子の気を引くために子爵の手の者が行ったことだったことも明らかになった。
ティナは子爵に利用されていたとはいえ、彼の罪の一端を担ってしまったことに対して潔く罰を受けるといった。
「アンドリュー殿下! 私の親友を傷つけるなんてひどいです。もし彼女に過分な罰を与えるというのであれば、婚約は破棄させてもらいますので!」
「そんなことを平気で言うから、君は悪女などと噂されるのだ……」
「悪女で結構。私は大切なものを守るためでしたら、何物をも恐れませんから」
「君には敵わないな」
こうしてティナの罰は減刑されることとなった。
そして、ティナは聖女として大切な親セレーネの側で、彼女を力の限り支えていった。
◇ ◇ ◇
「ティナ! クッキー焼いたの、食べる? あっ、アンドリュー殿下もよかったらどうぞ」
「婚約者の俺はついでか……」
「ありがとう、セレーネ。あなたのつくるクッキーは甘くて硬くて本当においしいね」
読んでくださりありがとうございました。
お気に召していただけましたら、評価いただけると幸いです。
他にも作品を書いていますので、そちらもよろしくお願いいたします。




