第4話「ぶどう畑のラブソング」
その年の夏、田主丸を強い台風が襲った。
朝、スナック「月影」の前で健吉が空を見上げ、ため息をついていた。
「やられたばい……」
ママ・友里恵が心配そうに駆け寄る。
「ぶどう、大丈夫やったと?」
「全滅たい。せっかくええ糖度までいっとったのに、みんな落ちてしもうた……」
健吉の声はいつになく沈んでいた。あの豪快なお調子者が、肩を落としている。
航太も顔を曇らせた。「そんな……収穫直前だったのに……」
「ま、自然には勝てんけんね」
健吉は笑おうとしたが、唇が震えていた。
30年続けたぶどう農家としての誇りが、風に散っていったようだった。
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翌日。
ママと航太は、潰れた棚の横に立っていた。ぶどうの房が泥の中に落ち、甘い香りが切なく漂う。
「健ちゃん、手伝うけん。片付けしよう」
「よか……これはワシが蒔いた種の責任やけん」
そう言いながら、健吉はひと房を拾い上げた。
泥がついて、見た目は悪い。けれど、光に当てると中の実はまだ透き通るように輝いていた。
航太がそのぶどうを見つめながら、ぽつりと言った。
「……傷ついても、甘いままなんですね」
ママが振り向いた。
「ん? 何の話?」
「このぶどう、見た目ボロボロでも、味は変わらない。
なんか、人間と一緒だなって」
ママは笑って頷いた。
「そげん言われたら、なんか歌になりそうやね」
「……歌?」
「“ぶどう畑のラブソング”とか、どう?」
ママの何気ないひと言に、航太の目が輝いた。
「いいですね、それ! “見た目じゃなくて、中身の甘さ”の歌にしましょう!」
その場で航太がギターを取り出す。
ママはぶどう箱の上に腰かけ、柔らかく口ずさみ始めた。
♪ 風吹いても 実は落ちん
泥にまみれても 甘さは消えん
涙で育った ぶどうの丘で
今日も笑おう 生きとるけん──♪
風が吹き抜け、葉の音が歌に溶ける。
健吉は、遠くからそれを見つめていた。
気づけば、手にはスマホ。震える指で、配信ボタンを押していた。
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数時間後。
スナック「月影」のグループLINEが鳴り止まなかった。
「ママと航太の“ぶどう畑ライブ”、すごか!」
「コメント欄が涙だらけやん!」
「“健吉さん、元気出して”って全国から来とるばい!」
航太が画面をのぞき込むと、再生数はもう十万回を超えていた。
支援のコメント、ぶどう購入希望、寄付の申し出……。
ママが健吉の肩を叩いた。
「アンタ、また勝手に配信したね?」
「す、すまん! でも、あの歌聴いたら……世界に聴かせたくなってしもうた!」
ママはあきれたように笑いながらも、目に涙を浮かべていた。
「もう、しょうがない男やねぇ……」
その夜、ママと航太は即興で録音した「ぶどう畑のラブソング」を、正式に“チャリティーソング”としてネットにアップした。
タイトルは、健吉の言葉から取った。
『人の優しさもバズるんやな』
コメント欄には、全国からのメッセージが並んだ。
「この歌で農家を応援したい」「ママの声、涙出る」「健吉さん、負けないで!」
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夜更け、店のカウンターにて。
健吉が静かにグラスを置いた。
「ママ、航太。……ありがとな。ワシ、もうちょっと頑張れそうや」
ママが笑った。
「そりゃそうたい。ぶどうも人も、踏ん張りどきがいちばん甘くなるんよ」
航太も笑った。
「“失敗も、人生の肥料”ってやつですね」
健吉はふたりの顔を見て、少し涙ぐんだ。
「お前ら……ほんま、いいチームやな」
そして、照れ隠しのようにグラスを掲げた。
「今度の収穫祭で、また歌ってくれんか? “ぶどう畑のラブソング”」
「もちろん!」
ママと航太が声をそろえた。
店の外では、壊れかけた棚の向こうに、また小さな新芽が出ていた。
まるで誰かの歌声に応えるように。
その夜、田主丸の空には、星と月が寄り添うように輝いていた。
──人の優しさも、ちゃんと実を結ぶ。




