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スナック月影、今夜も歌う  作者: やしゅまる


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4/10

第4話「ぶどう畑のラブソング」


 その年の夏、田主丸を強い台風が襲った。

 朝、スナック「月影」の前で健吉が空を見上げ、ため息をついていた。


「やられたばい……」


 ママ・友里恵が心配そうに駆け寄る。

「ぶどう、大丈夫やったと?」


「全滅たい。せっかくええ糖度までいっとったのに、みんな落ちてしもうた……」

 健吉の声はいつになく沈んでいた。あの豪快なお調子者が、肩を落としている。


 航太も顔を曇らせた。「そんな……収穫直前だったのに……」


「ま、自然には勝てんけんね」

 健吉は笑おうとしたが、唇が震えていた。

 30年続けたぶどう農家としての誇りが、風に散っていったようだった。



 翌日。

 ママと航太は、潰れた棚の横に立っていた。ぶどうの房が泥の中に落ち、甘い香りが切なく漂う。


「健ちゃん、手伝うけん。片付けしよう」

「よか……これはワシが蒔いた種の責任やけん」


 そう言いながら、健吉はひと房を拾い上げた。

 泥がついて、見た目は悪い。けれど、光に当てると中の実はまだ透き通るように輝いていた。


 航太がそのぶどうを見つめながら、ぽつりと言った。

「……傷ついても、甘いままなんですね」


 ママが振り向いた。

「ん? 何の話?」


「このぶどう、見た目ボロボロでも、味は変わらない。

 なんか、人間と一緒だなって」


 ママは笑って頷いた。

「そげん言われたら、なんか歌になりそうやね」


「……歌?」

「“ぶどう畑のラブソング”とか、どう?」


 ママの何気ないひと言に、航太の目が輝いた。

「いいですね、それ! “見た目じゃなくて、中身の甘さ”の歌にしましょう!」


 その場で航太がギターを取り出す。

 ママはぶどう箱の上に腰かけ、柔らかく口ずさみ始めた。


♪ 風吹いても 実は落ちん

泥にまみれても 甘さは消えん

涙で育った ぶどうの丘で

今日も笑おう 生きとるけん──♪


 風が吹き抜け、葉の音が歌に溶ける。

 健吉は、遠くからそれを見つめていた。

 気づけば、手にはスマホ。震える指で、配信ボタンを押していた。



 数時間後。

 スナック「月影」のグループLINEが鳴り止まなかった。


「ママと航太の“ぶどう畑ライブ”、すごか!」

「コメント欄が涙だらけやん!」

「“健吉さん、元気出して”って全国から来とるばい!」


 航太が画面をのぞき込むと、再生数はもう十万回を超えていた。

 支援のコメント、ぶどう購入希望、寄付の申し出……。


 ママが健吉の肩を叩いた。

「アンタ、また勝手に配信したね?」

「す、すまん! でも、あの歌聴いたら……世界に聴かせたくなってしもうた!」


 ママはあきれたように笑いながらも、目に涙を浮かべていた。

「もう、しょうがない男やねぇ……」


 その夜、ママと航太は即興で録音した「ぶどう畑のラブソング」を、正式に“チャリティーソング”としてネットにアップした。

 タイトルは、健吉の言葉から取った。


『人の優しさもバズるんやな』


 コメント欄には、全国からのメッセージが並んだ。

「この歌で農家を応援したい」「ママの声、涙出る」「健吉さん、負けないで!」



 夜更け、店のカウンターにて。

 健吉が静かにグラスを置いた。

「ママ、航太。……ありがとな。ワシ、もうちょっと頑張れそうや」


 ママが笑った。

「そりゃそうたい。ぶどうも人も、踏ん張りどきがいちばん甘くなるんよ」


 航太も笑った。

「“失敗も、人生の肥料”ってやつですね」


 健吉はふたりの顔を見て、少し涙ぐんだ。

「お前ら……ほんま、いいチームやな」


 そして、照れ隠しのようにグラスを掲げた。

「今度の収穫祭で、また歌ってくれんか? “ぶどう畑のラブソング”」


「もちろん!」

 ママと航太が声をそろえた。


 店の外では、壊れかけた棚の向こうに、また小さな新芽が出ていた。

 まるで誰かの歌声に応えるように。


 その夜、田主丸の空には、星と月が寄り添うように輝いていた。

 ──人の優しさも、ちゃんと実を結ぶ。


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