第2話「バズった夜」
翌朝。
田主丸の青空は、ぶどう畑の上でのんびりと広がっていた。
しかしスナック「月影」のグループLINEは、朝から異様に賑わっていた。
「おい、昨日の動画、見たか!?」
「ママの“月影セッション”、もう千回再生超えとる!」
「コメントに“泣けた”“声が沁みる”ばっかり書かれとるぞ!」
常連のひとり、農家の健吉がスマホを掲げて店に駆け込んできた。
ママ・友里恵はまだ寝ぐせ頭で、コーヒーをすすっている。
「えぇ? あんた、また変な動画上げたんじゃないやろね」
「いや、昨日のやつ! 航太とママが一緒に歌ったとこ! “#月影のママの歌声”でバズっとると!」
その言葉に、カウンターで仕込みをしていた航太の手が止まった。
「……え、まさかあの夜の?」
スマホをのぞき込むと、確かに再生数がどんどん増えていく。
コメント欄にはこう書かれていた。
「こんなスナックの歌、久しぶりに涙出た」
「都会じゃなくても、心に届く声ってあるんやね」
「このママ、プロちゃうと!?」
「ちょ、ちょっと待って、勝手に上げたと!?」
友里恵がタオルで頭を押さえながら叫ぶ。
「顔もばっちり写っとるやん! 私、化粧も中途半端やったのに!」
「いやぁ~ママ、ええ顔しとったって! “素”がええんやけん!」
「こら健吉! あんた今すぐ消してきんしゃい!」
「もう無理たい! テレビ局もリポストしとるし!」
「テレビ局!?」
友里恵の顔が青ざめた。
航太は半ば呆然としながらスマホを見つめた。
再生数は一晩で二十万回を超えている。
通知が止まらない。
ママがため息をついた。
「もう……あんたら、ほんとにもう。どげんすればよかと……」
しかし、常連たちはニヤニヤが止まらない。
「ママ~、時代がママに追いついたんばい!」
「紅白出るなら衣装、俺が貸したるけん!」
「地元PRに使えるばい、これ!」
笑いが止まらない店内。
ただ一人、航太だけが黙っていた。
その表情を見て、ママが尋ねる。
「……航太。あんた、嬉しそうやね?」
航太は、少しだけ笑った。
「正直、びっくりしてます。でも……なんか、嬉しいです」
「東京で売れんかった分、今度はバズったっちゅうことかい?」
「うーん、違うんです」
航太はギターケースを見つめながら言った。
「ママの声が届いたんです。東京じゃなくても、田主丸の歌が、人の心に届いた。それが嬉しいんです」
友里恵は、ぽかんとしたあと、小さく笑った。
「……あんた、ちょっと大人になったねぇ」
そのとき、店の電話が鳴った。
健吉が出ると、驚きの声を上げる。
「ママ! 久留米のケーブルテレビが取材したいっち!」
「えぇ!?」
「“地元発! スナックの奇跡”特集やて!」
ママは完全に腰を抜かした。
「いやいや、無理無理! 私、そんな人前で歌うタイプやなかよ!?」
しかし常連たちは一斉に拍手。
「ママ、これは田主丸の星ばい!」
「俺たちのスナックが、全国デビューや!」
「月影のママ、紅白一直線~!」
「ちょっと! 勝手に話進めんといて!」
ママが慌てて止めようとするが、もう遅い。
航太がギターを手に立ち上がった。
「ママ、もしよかったら……このまま“地元から”やりませんか」
「え?」
「東京に戻るより、ここで勝負したいんです。
ママの歌とこの町の空気で、“田主丸から全国へ”って。
それがいちばん自然な気がするんです」
店が静まり返る。
友里恵は、ゆっくりカウンター越しに航太を見つめた。
「……そんな夢みたいなこと、できると思う?」
「思います。いや、やりましょうよ。ここから。」
ママはしばらく黙っていたが、やがて照れくさそうに笑った。
「ほんとに……あんたって子は、昔からムチャクチャやねぇ」
その瞬間、常連たちがまた拍手と歓声を上げた。
「決まりばい! “田主丸から世界へ”プロジェクト発足!」
「俺は照明係やる!」
「うちはケータリングね!」
「ちょ、みんな落ち着いて~!」とママが叫ぶが、誰も聞いちゃいない。
スナック「月影」はその夜、笑い声と拍手で包まれていた。
誰もが、ちょっとだけ夢を見ていた。
航太は、窓の外に見えるぶどう畑の夜景を見ながら、静かにギターを鳴らす。
「ママの声を、ここから世界へ──」
そのつぶやきが、不思議とみんなの胸に響いた。
──そして数日後、「スナック月影から全国生配信ライブをやるらしい」という噂が、またひとつバズり始めるのだった。




