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2-1 隣で眠る姉は色欲の魔王

「う……ん……」


体が熱い。

気だるさが全身にまとわりついて、まぶたを持ち上げる気力すら湧かない。けれど、体は正直で、使い切った水分を求めている。

夢と現実の境界をゆっくりと越えて、重たいまぶたを持ち上げる。視界に飛び込んできたのは、息のかかるほどの距離で眠る姉さんの顔だった。

性別も種族も関係なく、誰もが見惚れてしまう、罪深いほどの美貌。

顔まわりを縁取るように整えられた、赤みを帯びた深い茶色の髪。

触れるだけで傷がつきそうなほど、きめ細やかで、透き通るような白い肌。

完璧に整ったパーツが美しく収まった、身長に対して驚くほど小さな顔。

本当に、いつ見ても、ため息が出るほど綺麗だ。

私も尊敬する姉さんに少しでも近づこうと努力しているけれど、こうして間近で見るたびに、どれだけ努力しても、この完成された美しさには届かないと感じてしまう。

昨日、姉さんは予定通りに夕暮れの気配とともに現れて、いつものように食事もお風呂も私と一緒に済ませて、そのまま当然のように私とベッドに入ったのだった。ぼんやりとした頭で、そんなことを思い出す。

視線を、顔からゆっくりと下へ滑らせていく。

細く美しい首を越え、息をするたびに揺れる、甘い果実を蓄えた柔らかな膨らみ――その大きさにそぐわない、慎ましい桜色の蕾。

少し力を込めたら折れてしまいそうなほど華奢で、余分なものが一切ない、完璧な曲線を描く腰。

まるで愛する人を守るように、私の腕は自然と回り、抱き寄せる形になっていた。

甘い蜜に誘われるがまま、姉さんの体をさらに自分の方へと引き寄せる。


「ん……」


姉さんが、艶のある声を漏らす。

私といるときだけ見せる、完全に無防備な寝顔。

私だけが知っている、私だけの姉さん。どうしようもなく、狂いそうなほど愛おしい。

日が昇っていようが、体が水を欲しているとか、そんなことはどうでもいい。

小さく開いた唇が、まるで誘うように呼吸を繰り返していて、口の中で舌が何かを求めて細かく動いている――その甘い罠に、私は思考を手放し、ただ誘われるがまま、そっと唇を近づける。


「……姉さん、魅了の魔法には引っかかりませんよ」

「や~ん。ノワエちゃんの意気地なし~」


ぱちりと目を開ける姉さん。その表情は、どう見ても今起きたばかりではない。たぶん、私の寝顔が可愛いからとかそんな理由で、ずっと起きて眺めていたのだろう。


「もう少し相手をしたいですけど、さすがにこの時間から足腰立たなくされるのは困るんです」

「ふふっ。そう言いながら、背中の手はそのままよ?」

「そりゃ、今起きたばっかりですから」


名残惜しさを振り切って、私は腕をすっと引き抜いて起き上がる。こうでもしないと欲望に流されて、まただらだらと時間が溶けていってしまう。


「もぉ~。色欲の魔王が直々に誘ってあげてるのにぃ~」

「それが年に一度くらいなら嬉しいんですけど、さすがにこの頻度じゃありがたみも薄れますよ。大事なお話はリビングで聞きますから、早く来てくださいね」


後ろから聞こえてくる、名残惜しそうな言葉を背中で受け流しながら、私はさっさと服を着替えて部屋を出る。 振り返ったら、きっとまた甘い罠にかかってしまうから。


「ふぅ~」


階段を下りながら大きく息を吐く。

姉さんの魅了の魔法は、認めたくはないけれど私の数少ない弱点だ。子供のころから仕込まれたせいだと思うけれど、私の方が強くなってからもなかなか防ぎきれず、気がつけばそっちに流されてしまう。

だからこうして、気合と根性でけじめをつけるしかない。

とはいっても、この爛れた関係を続けるのも、私の立派な仕事なのだが。


「ノワエ様、おはようございます。本日もお勤め、お疲れ様です」

「おはよう、ディース。朝ごはんの準備をお願い。あと、水」

「かしこまりました。少々お待ちください。イレアナ様も起きておられますか?」

「ええ。もうすぐ来ると思うわ。ディース、たまには変わってみる?」

「いえ、まだ死にたくはありませんので」

「ディースちゃん、そんなことしないって~」


甘ったるい声と共に、下着姿の姉さんが食堂に入ってくる。

豊満で美しい胸が、下着の中で苦しそうに、でも動きを妨げられているとは思えないほど、扇動的に揺れている。

淫魔族にとって下着姿は正装だから間違ってはいないのだけれども、目のやり場に困るのでちゃんとした服を着てほしい。まぁ、無理だけど。


「知ってる? 一番気持ちいのは死ぬ寸前なのよ。私はプロの中のプロだから、その辺りのさじ加減は絶妙よ? 今からどうかしら?」

「おはようございます、イレアナ様。そのことについては重々承知しております。それはもう何度も聞いておりますので」

「じゃあ、さっそく試してみない?」

「イレアナ様、ノワエ様、お水をどうぞ」


ディースは、姉さんの言葉を遮るように、わざわざ私の隣に座ったイレアナ姉さんと私に水を差し出す。

木製のコップに口をつけて一気に飲み干す。体に水がじんわりと行き届くのが心地よい。

姉さんは「ありがとう」と言ってから、静かに口をつけて少しだけ飲む。昨日あれだけ暴れたというのに、私と違ってさほど喉は乾いていないようだ。

百二十七代目の色欲の魔王であるイレアナ姉さんは、当然この館に住んでいるわけではなく、普段は自分の領土にある立派な城で、数えきれないほどの淫魔の側室たちと、賑やかに暮らしている

腹違いの姉とはいえ、立派な魔王様なので客間は用意しているのだけど、姉さんが客間で寝たことなんて一度もない。


「イレアナ様、申し訳ありませんが朝食の準備がありますので。失礼いたします」

「や~ん。妹に続いて従者にも振られちゃったぁ~」


私に見せつけるように胸を寄せ上げながら、姉さんが腰を滑らせるように揺らし、艶めかしく体を揺らす。昨日あれだけ私と遊んだのに、まだ満たされていないようだ。

心の中でため息を吐きつつ、早く本題に入るように促す。


「で、姉さん、今日は何の用ですか?」


先日、勇者に倒されるという大任を果たしたばかりだが、そのお礼だけでここまで来るとは思えない。九割ぐらいは私を使ったストレス発散だろうが、一割ぐらいはちゃんとした用事のために来ているはずだ。


「最近、強欲領との境目の村で、水晶獣の魔物が出るらしいのよ」

「それを退治してほしい、と」

「ええ。強欲領との境だから、私が出てうっかり強欲領に入るのは避けたいし、水晶獣は強いから、うちの子たちや傭兵に頼むのも嫌なのよね~」


水晶獣はその名の通り、体毛が細い水晶でできた狼型の魔物だ。

陽光を浴びれば虹色に輝き、夜には月光を反射して幽霊のように浮かび上がる。

その美しさに惑わされる者もいるが、実際には生半可な攻撃などまるで通用しない。硬度と魔力耐性を兼ね備えたその外皮は、並の武器では傷ひとつつけられず、魔法も弾かれることが多い。

しかも賢く、群れず、その慎重さと知性ゆえに、事前に発見することはほぼ不可能で、気づいたときには牙が届く寸前であることが多い。

そんな水晶獣は、森の奥で静かに暮らす穏やかな種で、魔族に対して敵意を持つことは少ない。十年に一度ぐらいの頻度で、彼らの寝床に立ち入って被害に遭う者がいるぐらいだ。

だが、最近現れているのは、魔物が水晶獣の姿を模倣した異形の存在だ。見た目こそ似ているが、気性は荒く、魔族を見かければ逃げるどころか、牙を剥いて襲いかかってくる。

そのくせ水晶獣本来の知能や戦闘力は忠実に再現されてしまうため、総じて戦闘能力の低い淫魔たちでは、まともに対峙することすら難しい。お得意の魅了の魔法も一切通じない。

無駄な被害を出さないためにも、私に頼んでくるのは妥当だ。


「わかりました。さっと倒しておきますね」

「ありがと~」


わざと豊満な胸を私の体に押しつけ、柔らかな感触と肌越しの熱をこれでもかと伝えながら、姉さんが絡みつくように抱きついてくる。


「お待たせしました……。ノワエ様、イレアナ様、ここで遊ばれるのはちょっと……」

「安心しなさい、やらないわよ」

「や~ん。そんなこと冷たいこと言わないでよぉ~。ディースちゃんに見せながらするのもきっと気持ちいいわよ。もしかしたら、ディースちゃんもその気になって参加するかもしれないし」

「残念ながら、天使に魅了の魔法は効きませんので」

「そんなつれないこと言わないでよ。ノワエちゃんもディースちゃんが乱れる姿、見てみたいでしょ?

「いや全然……。ディース、食事の準備を続けてくれる? 」

「かしこまりました。といっても簡単なもので申し訳ありませんが……」


ディースが運んできたのは三段重ねのホットケーキだ。

姉さんは腐っても色欲の魔王だから、本来はそれなりに格式ある朝食でもてなすのが礼儀だ。だが、主がニートであるこの館に、そんな贅沢を支える予算はない。


「あ~ん。美味しそう。こうして朝から禁断の料理を出してくれるのは、ここだけよ~」


ディースから素焼きの茶壺に入ったハチミツを受け取った姉さんは、スプーンでそれを掬い、ふわふわの甘い塔に惜しげもなくたっぷりとかける。

ハチミツは、段差を滑り落ちるように、黄金色の筋を描いて流れていく。

その一連の動きすらどこか艶やかで、見ているこちらが妙に意識してしまうのが姉さんらしい。

そんな姉さんから瓶を受け取り、私も静かにハチミツをかける。甘い香りがふわりと立ちのぼり、朝の空気に溶けていく。


「姉さん、あの辺りって近くに町がありましたよね?」

「あるわよ。小さい町だけど。数日かかるようなら、その町を拠点にしてもらっていいわ。はい、これ関係者の印よ」


姉さんは、下着の間に手を差し入れ、絶対にすぐに見つかるはずなのに、わざとらしくごそごそと動かして息を荒げながら、親指ほどの大きさの水晶が付いたネックレスを取り出す。

受け取ったネックレスは、じんわりと温かく、姉さんの体温と色欲の気配が色濃く残っていた。

この水晶の中には、色欲城の関係者であることを証明する情報が魔法で刻まれており、面倒な手続きも、財布の心配も、ついでに待遇の格も、これ一つで勝手に整う。

なお、色欲領で使われている身分証明の魔法は、私が既存の術式を何度も改良して仕上げたもので、他の領土のものよりも偽装がずっと難しい。


「わかりました。ディース、しばらく留守番をお願い。身一つで行くつもりだから、ポーチだけでいいわ」

「かしこまりました。ご準備いたします」

「ディースちゃんって、いつもあっさりと許可を出すわね。ノワエちゃんが心配じゃないの?」


そんな滅多なことはないが、仮に私が死んだとすれば、その責任を追及されてディースは処刑されるだろう。魔界にとって厄介者である堕天使の彼女は、たとえ自らに非がなくても、処刑の口実さえあれば十分なのだ。


「ノワエ様の実力は私が一番知っておりますので」


堂々と、本当に憂いなく答えるディース。珍しく素直なことを言ってくれるな、と思った矢先――


「それにしても、あんなに小さくてか弱かったのに、いつの間にこんな化け物になったんでしょうか」

「化け物って……」


やはり毒舌が標準装備であった。

私が知っている限りではあるが、魔王族で一番、魔界では二番目に強いだろうから、否定はできない。

姉さんが色欲領内の近況――といっても、ほとんどが姉さんとお気に入りの子たちの痴態について――を、楽しげに語ってくれる。

私は適当に相槌を返しながら、静かに食事を進める。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした。この後はすぐに出発されますか?」

「そうね。さっさと倒してしまいたいし、姉さんも仕事、溜まってるでしょ?」

「ん~。それと同じぐらい、ノワエちゃんへの愛も溜まってるけどなぁ~」


そう言って、姉さんは胸元の下着を少しずらす。うっすらと色の違う部分がわずかに見えた。

昨夜、いやというほど見たはずなのに、どうしても直視できなくて目線をそらしてしまう。


「そうなんですね。それよりも姉さん、空間を繋げるのはお任せしていいですか」

「や~ん。妹が冷たいぃ~」


そう言いながら、また私に抱きついてくる姉さん。そして、いつものように私の顔に胸を押し付けてくる。

気持ちいいのは否定しないが、窒息しかねないので姉さんを引きはがす。


「あ~あ。またまた振られちゃった……。空間を繋げるのは私がやるわ。でも城に繋げるから、現地には歩いて行ってもらえる?」

「わかりました」

「ノワエ様、こちら、ご準備いたしました」


私が持ち歩く物をポーチにまとめてくれていた。


「さすがディース。……うん、問題なさそうね」


中身をざっと確認してから、姉さんに向き直る。


「は~い。じゃあ行きましょうか。ディースちゃん、また来るわね~」

「お待ちしております」


姉さんと一緒に館から出て、森の中に入る。

色欲領は年中夏だ。外は雲ひとつなく晴れていて、からっとした陽気が広がっていたが、森の中は木々の影が陽射しを遮り、まるで別の季節のように涼しい。

木々の間を縫うように、姉さんと並んで歩く。

地面には乾いた落ち葉が散らばり、踏むたびにかさりと音を立てる。

頭上では、葉が育ち盛りの子供のように、我先にと陽射しを惜しげもなく浴び、風が通るたびに揺れて、木漏れ日を踊らせていた。

森の奥へ進むほど、空気はひんやりとしていて、肌に心地よい。


二キロほど歩いたところで、姉さんは何もない空間に指先を添えると、ゆっくりと、なぞるようにしてスーッと切り込みを入れていく。

空間は抵抗なく裂けていき、切り込みに沿って木材が軋むような音をわずかに立て、淡い紫の光が滲み出す。風もないのに、周囲の空気がわずかに揺れた。

そこに行き先の魔力を流し込むと裂け目が一気に広がり、色欲城の謁見の間が広がる。


ありとあらゆる世界で、空間というものは裂くことができる。それを別の場所に繋ぐことで移動時間を大幅に短縮できる。

この魔法は、知識はもちろん、その場の魔力の流れを読み取る感覚、繋ぎ先の正確な景色を描く想像力、そして豊富な魔力が必要になる。

実質的には、有り余る魔力を持つ魔王族専用の魔法であり、魔界でも使えるのは五、六人ほどしかいないだろう。

姉さんもその数少ない使い手のひとりだが、技術的には長距離の接続は難しく、勝手知ったる場所でなければ繋げることができない。


私はこの空間を裂く魔法に加えて探索魔法を併用することで、繋ぎ先の正確な地形や詳細な状況を把握できる。

そのため、魔界なら行ったことのない場所も含めて、ほとんどの地点に繋げることができる。

他にもいろいろな便利魔法があるのだが、これらを併用できるのは私だけで、空間系の魔法に関しては、誇張抜きで魔界で右に出る者はいないと自負している。

そして、この魔法をそれだけ使いこなせるということは、それだけ魔力があるということであり、ほぼイコールで戦闘能力があるということでもある。

だからこそ、私が空間を裂いて繋げられるという事実は、隠しておく必要がある。

自分でやった方が早いのに、今回のように姉さんに繋いでもらうようにしているのは、そのためだ。


空間の裂け目は魔力が不安定で、本能的に死を連想させる領域だ。

そんな恐ろしい場所も、私たちにとっては日常の一部で、臆することなく裂け目を越える。

それに最悪の事態が起こったとしても、私ならどうとでもできるという自信があるからだ。


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