1-3 森を抜けて
麓の町に買い物に行くために、森の中を歩く。
足元には湿った落ち葉が積もり、踏みしめるたびにくしゃりと音を立てる。木々は高く、枝葉が空を覆っているせいで、昼間でも薄暗い。ところどころ、葉の隙間から差し込む光が、地面に不規則で少し不気味な模様を描いている。風が吹けば、枝が揺れ、葉がささやき合うような音がする。空気はひんやりとしていて、鼻をくすぐるのは土と草の匂い。
そんな静かな森の中、ふと背筋に冷たい感覚が走る。
空気の流れとは違う、肌にまとわりつくような重さを持っている――魔物の気配だ。
「……こちらを狙っていますね」
「そうね。襲い掛かってきたら始末しましょうか」
言い終わるや否や、背後の茂みから大きな熊が飛び出してきて、ディースの首めがけて飛びかかる。
彼女は後ろを振り返ることもなく、すっと身をかわす――いや、それをやると前を歩いている私に飛んでくるよね。
腐っても魔王族の私にとって、この程度の突進は止まって見える。
回避は余裕だけれど、主が攻撃先いるのに避けるのはディースらしい。そういうちょっと毒のあるところが、天使っぽくなくて好きなのよね。
私も難なく熊の強襲を避ける。
「さすがノワエ様」
「ディース、斬る?」
「私は袋を持っていますので、お願いします」
「主遣いが荒いわね。っと!」
正面から再び突進してきた熊に何か違和感を覚える。右手で頭を押さえて止めると、毛並みの下に感じるのは、魔物特有の魔力ではなく、ただの生き物の体温だ。
「……ディース、これ魔物じゃないわ。動物よ」
「おかしいですね。確かに魔物の気配を感じたのですが」
無益な殺生は好まない。
左手でコツンと額を叩いてやると、熊は勝てないことを悟ったのか、じりじりと後退し、距離が離れたところで一目散に逃げていった。
――と思ったら、間髪入れずに、先ほどの熊よりも二回りほど大きな熊が飛び出してくる。
「ああ、こっちが魔物ね」
出てくるや否や、爪を振り下ろしてくる。先ほどの熊とは比べ物にならないほど、素早く重い一撃。けれど、私にとっては取るに足らない。
「魔物なら遠慮なく斬れるわね」
腰にぶら下げていた愛剣で一閃。熊の魔物は上下真っ二つになり、絶命した。二つに分かれた体から魔力が漏れ出し、蛍のような淡い光となって、天へと昇っていく。
魔物というのは、生物の負の感情と魔力が結びつくことで生まれる存在。
初めは姿を持たない概念的なものだけれど、周囲の負の感情や魔力を糧に育ち、やがて近くの生物に擬態する。今回なら、野生の熊に擬態していた。
負の感情は生き物がいれば必ず発生するし、魔界の空気には魔力が満ちている。
そのためその二つを糧にする魔物は、長く生きれば生きるほど強くなり、擬態できる生物も多彩になる。中には、我々魔族に擬態する魔物だっている。
造形も習性も戦闘能力も擬態元にそっくりになるが、魔物には目玉がない。本来目があるはずの場所は、何かを見せたくないものがあるかのように黒く塗り潰されている。
目線の動きがないから攻撃の予測が難しいけれど、この程度の魔物なら、私も、ディースも攻撃が目の前に迫ってからでも対処できる。
「ノワエ様、お見事です」
「ディース、初撃を避けたな?」
「先ほども申し上げました通り、私は大きな荷物を持っていますので回避しかできません」
そう言って、空の手提げ袋をひょいっと持ち上げるディース。
「あんた、本当に大した天使よね」
「お褒めに預かり光栄です。では、参りましょうか」
たまに飛び出してくる魔物を切り伏せながら、なぜか従者を守る形で鬱蒼とした森を進む。
「この辺りの掃除もしないといけないわね」
「そうですね。まだ私の足元にも及ばないとはいえ、徐々に強くなってきています」
私は元よりディースも魔界ではかなりの実力者だ。だからこの辺りの魔物が多少強くなっても特に支障はない。けれど、この森を抜けた先にある町が襲われたら私たちの生活に影響が出る。
最近は狩りもサボっていたせいで、魔物たちが調子に乗ってきている。近いうちに掃討戦をしなければいけない。
そんなことを考えながら、町へ歩を進める。
「お、見えてきたわね」
森を抜け、緩やかな坂を下った先に広がるのは小さな町。
規模こそ控えめだけれど、交易の中継地としてはなかなかの賑わいを見せている。遠目にも、荷車を引く商人や、品定めに余念のない魔族たちの姿がちらほらと見える。
「ディース、お小遣いは?」
「ありません」
被せ気味の回答。あまりにも潔い否定に清々しさすら感じる。仕方がない、今日はウインドウショッピングで満足することにしよう。
平地をしばらく歩き、町の門へと向かう。門前には列ができていて、私たちもその最後尾に並ぶ。検問では簡単なボディチェックが行われる。
この町も、私の住む館も、姉さんが治める色欲領に属している。だから守衛は淫魔たちがおおい。
彼女たちはどこかやる気がないし、触る場所が妙に局所的だし、夜のお誘いもやたらとしつこい。慣れていない魔族なら、門の時点で骨抜きにされる。そして誘われるがままについて行き、荷物を置き忘れて二度と返ってこない。
これが色欲領の日常。ある意味、魔界らしい洗礼とも言える。
私もディースもそんな手練手管には慣れているので、検問のしつこい誘いを適当にあしらって町に入る。
今日もいつも通り活気に満ちている。
「私は食材を探しますが、ノワエ様はどうされますか?」
「魔法店に顔を出すわ」
「かしこまりました。では、こちらが終わりましたら連絡いたします」
「うん。じゃあまた後で」
大通りの途中まで一緒に歩き、町の中心にある噴水の前で分かれる。水音が心地よく響き、周囲には露店や旅人が集まっている。私は西側に延びる通りへと足を向ける。
右手に赤色の家がある交差点を左に曲がり、二本目の家と家の隙間を抜けて、細々とした裏通りを進む。突き当たりに、行きつけの魔法店がある。
この辺りは建物が密集していて、空が狭い。日差しもほとんど届かず、通り全体が薄暗い。店の扉は薄紫色だったらしいが、辺りの暗さを取り込んだのか今では黒ずんでいる。
扉に触れると、バチッと音を立てて電気が走る。どうやら留守のようだ。
(あ~、当てが外れたわね)
待っていたところでいつ帰って来るかわからない。
いないものは仕方がないし、踵を返して来た道を戻る。他に見たい物はない。というか、見たら欲しくなるから、さっさとディースと合流するのが賢明だ。




