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10-1 といっても、一人じゃ勝てない

「ありがとう。それじゃあ、また来るわ」

「カーラ、またよろしくね」


 店主にあいさつをして雑貨店を後にする。

 退店を告げるドアベルの音が、どこか寂しげに響いた。


(まだ暑いわね……)


 地平線に半分ほど隠れているくせに、やけに自己主張の激しい太陽のせいで、少し歩いただけで額に汗が滲んでくる。


(正直、さっさと帰りたいわね)


 とはいえ、約束をすっぽかすわけにもいかない。

 汗を乱暴にぬぐいながら、用事がなければ絶対に足を向けないであろう、村の密集部と閑散部の境目にあるカフェを目指して歩き続ける。


(今月も、なんとかやっていけそうね)


 内ポケットの財布はほどよい重みを持ち、歩くたびにカシャカシャと小さく鳴った。


 私の愛する向日葵たちは、どれだけ大事に育てても一文の儲けにもならない。


 そもそもお金儲けを目的に育てているわけではないけど、現実問題として、一文無しで生きていけるほど魔界は甘くない。


 だからといって向日葵畑を解放して、見ず知らずの魔族を迎え入れる気もさらさらない。


 そんな自分勝手を押し通す私の収入源は、懇意にしている雑貨店に卸している向日葵の芳香剤だけだ。


「ん……?」


 目の前にボールが転がってきた。

 私はそれを拾い上げ、近くにいた子どもたちへ軽く投げ返す。


 子どもたちはお礼を言うと、また大きな声を上げながら遊びに戻っていった。


(裏の女帝だった私が、こうして無防備に歩けるのは先代のおかげね……)


 向日葵と出会わなければ。

 先代の色欲の魔王と出会わなければ。

 私はどれほど酷い人生を送っていたのだろうか――想像もつかない。


 元裏の女帝だったとは思えないほど穏やかな気持ちで歩いていると、カフェが見えてきた。


 テラス席に座っていた目的の彼女は、初めは陽炎に揺られて輪郭がぼやけていたが、近づくにつれて、その整った顔立ちがはっきりしていく。

 私に気づいた彼女は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


「カーラ様。お待ちしておりました」

「ええ、待たせたわね」


 彼女が引いてくれた椅子に腰を下ろす。

 すでにアイスレモンティーが用意されていた。


「失礼します」


 そう言って対面の席に座った彼女の名はジャヒー。


 その所作はどこまでも美しく、幼いころから高度な教育を受けてきたことがよくわかる。


「今日はお呼びして申し訳ありません」

「いいわよ、ついでだし。それより、毎回聞いて申し訳ないんだけど……暑くないの、あんた?」


 ジャヒーはこのクソ暑い中でも、黒色のインナーシャツに薄緑色の厚手のローブを重ね、さらに礼装用の手袋までしている。顔以外の露出がまったくない完全防備だ。

 見ているだけでこちらまで暑くなってくる。


「もちろん、暑いですよ。ですが愛する者以外に、必要以上に肌を見せないのは私のポリシーですから」


 涼しい顔でそう言うジャヒーの眼光は虎のように鋭く、強い意志を感じさせる。

 心身ともに強い者だけに許されたこの視線が、私は昔から好きだ。


「これ、イレアナに依頼されていた分。それと、これはあんたの分よ」

「私の分もいただけるんですか。ありがとうございます!」


 私は芳香剤の入った小袋を二つ渡す。

 色欲領のあれこれを一手に引き受けるジャヒーが、ここまで足を運んでくれたのだ。駄賃として個別に渡しても罰は当たらない。


「にしても、イレアナも贅沢な荷受人を寄こしてきたわね」

「カーラ様の相手をするとなると、それなりの強さと気品が必要です。ほかの子たちでは務まりません」


 そう言ってアイスティーに口を付けるジャヒーは、淫魔族としては珍しい、貴族の出身だ。

 非常に高い気品と知性を備え、並の魔神族に匹敵する戦闘能力を持つ。そしてなにより、体を武器とする淫魔族でありながら、肌を極限まで露出しない。

 そんな淫魔族の異端を詰め込んだ彼女は、色欲の魔王イレアナの腹心だ。


「で? 他に何かあるんじゃないの?」

「いえ、本当にイレアナ様の芳香剤を受け取りに来ただけですよ」


 そう言って、ジャヒーはちらりとアイスレモンティーに目を向けた。

 ああ、要件はコップの裏に隠してあるのか。

 日に当たりすぎて頭がおかしくなったのだろうか、ちょっとボケすぎだ。


 私はコップを持ち上げると同時に、裏に置かれていた紙を素早く回収する。急かすような素振りはないから、急ぎの要件ではないのだろう。


「――!?」


 コップを置いて次の話題に移ろうとした刹那、周囲の空気がひやりと沈む。

 その直後、死の気配が音もなく滲み寄り、深い闇が私を包んだ。


 ジャヒーも同じ気配を察したようだ。鋭い視線がこちらに向けられる。


「……カーラ様。これは、死霊族……の魔物でしょうか?」

「そうみたいね。それも、とびっきり強いヤツ」


 闇の魔力が漂う方角から、逃げ惑う者たちの怒号と悲鳴が混じり合い、地鳴りのような振動となって押し寄せてくる。

 村全体が、死の闇にゆっくりと沈んでいくようだった。


「ご協力、いただけますか?」

「もちろんよ。……ジャヒー、あんたは兵士をまとめて村の魔族たちの避難を進めなさい。私は時間を稼ぐわ」

「……かしこまりました。ご武運を」


 何か言いたげに口を開きかけたが、ぐっと堪えて詰め所へ走り出すジャヒー。

 ジャヒーは確かに強いが、今回の相手には実力が足りない。共闘しても足手まといになるだけだ。それなら、避難を進めてもらった方がいい。


(といっても、一人じゃ勝てないでしょうね……)


 こんな化け物じみた魔物が存在していることも、ましてそれが村に現れたことも、信じられない。

 だが、現実として脅威はもうすぐそこまで迫っている。


(……ノワエを呼ぶか)


 私の最愛の親友にして、最強の魔王。

 強さを隠している彼女を、誰が見ているかもわからない街中に呼び出して戦わせるのは、本来なら避けたい。


 けれど、もしこの村が魔物に蹂躙されれば、後始末として、より厄介で危険な仕事がノワエに回るだろう。

 その方が、彼女の強さが露見する可能性はずっと高い。


 それに、ここは先代が愛し、私に託した村だ。私が背を向けるわけにはいかない。


 他に選択肢はない。私は水晶を取り出し、ノワエに連絡を入れる。

 暇だったのか、ノワエはすぐに出た。


「ノワエ、向日葵畑の近くの村に来なさい。以上」


 必要最低限だけ告げて、私は魔物の方へと走り出した。


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