9-2 憤怒の魔王 -アザゼル-
アザゼル兄さんが姿を見せたのは、日が傾き始めたころだった。
鋭いまなざしと端正な顔立ちは、冷静で苛烈な指導者を思わせ、近づくだけで空気が張りつめるような気配をまとっている。
血を思い起こさせる赤い髪を後ろへ流し、その色が強烈な存在感をさらに際立たせていた。
父さんと同じ黒を基調とした重厚な鎧を身に着け、その細部には深紅の薔薇が刻まれている。
従者は三十人ほどだろうか。威厳を保つためなのだろうが、相変わらず無駄に大所帯だ。
私の館にこれだけの人数が入れる応接室はない。
兄さんだけを応接室に通し、他の者たちは大広間で待機してもらうことにした。
「うむ。掃除も行き届いているし、茶もさほど悪いものではないな」
紅茶を出すと、兄さんはいつものように優雅な動きで口をつけた。
こういう所作の美しさは、私や姉さんよりも上だ。
「ところでノワエよ。お前、ディース以外にもう一人雇ったと聞いたが?」
「ええ、雇いましたよ。でも兄さんの前に出せるほどの魔族ではありません」
「俺が聞きたいのはそういうことではない!!」
兄さんは拳を机に叩きつけた。
鈍い衝撃音が応接室に重く響く。
「そいつがお前の素性を周りに言いふらさないかを警戒しているのだ!!」
自分の意向にそぐわないと、すぐに怒りを爆発させる――憤怒領の魔王らしいといえばらしいけれど、机が壊れると困るから勘弁してほしい。
「大丈夫ですよ。彼女には私が魔王族だということも、ディースが堕天使だということも言っていません。それに、他に引き取り手がいないのも確認していますし、何より館の中から出られないようにしていますので」
「馬鹿者かお前は!! 水晶で通信する可能性があるだろう!!」
「残念ながら、下級魔族以下の能力しかありませんよ。通信くらいはできるでしょうけど、それを隠す魔法なんて使えませんし、仮に使えたとしても、さすがに私かディースが気づきます」
「……万全の状態を維持しろ。これは命令だ! お前みたいな出来損ないの魔王が生きていられるのは、父さんの慈悲だということをもっと自覚しろ!!」
「わかりました」
「まったく……。お前は魔王族としての意識が低すぎる! とにかく、父さんや私の顔に泥を塗るような真似だけはするな!」
これに関しては、その通りだと思う。
魔王族は良くも悪くも力を持ち、魔界を統治することを義務付けられた種族だ。
私はその責任を、あまり重く受け止めていない。
「ディース、お前のような薄汚い天使が魔界で生きていられるのも、父さんの慈悲であることを忘れるな!!」
「もちろんでございます。天界を追われた身である私が長年魔界で暮らせているのは、我が主アウレオールス様のお陰です」
なぜか後ろで控えていたディースにまで飛び火したが、彼女は涼しい顔で受け流している。
「ノワエにしろディースにしろ、弛み切っているな!! たまにはお前に本当の魔王というものを見せてやる!! 表に出ろ!!」
何が気に入らないのかよくわからないが、数ある中でも一番面倒なパターンだ。
ひとまず、言葉で済ませられないか探ってみる。
「いや、兄さんが強いのは分かっていますし、私じゃ兄さんの相手にならないですよ」
「当たり前だ馬鹿者!! お前ごときが私の相手になってたまるか!! 愚妹に魔王族とは何かを教えてやると言っているのだ。つべこべ言わずに付いてこい!!」
「……はーい」
兄さんは私とディース、それに従者を全員連れて森に入っていく。
開けた場所で立ち止まり、「ここでいいか」とつぶやいてから、魔法防壁を展開する。
住居を壊す心配のない森の中に移動したり、周囲の従者に被害が及ばないように配慮しているところを見ると、思わず口元が緩む。
普段は傍若無人にふるまっていても、本当は小心者で真面目なのが隠しきれていない。
「ではゆくぞ!!」
私がしぶしぶ剣を構えた瞬間、兄さんはほぼ不意打ちのような形で斬りかかってくる。
とはいえ、私と兄さんの能力差は大きい。危険を察知すれば自然と体が戦闘態勢に入り、兄さんの攻撃なんてスローモーションにしか見えない。
ここで兄さんを真っ二つにしたら姉さんが助かるかな、なんて一瞬よぎったが、逆に面倒になるのは目に見えている。
だから、兄さんの軽い攻撃を剣で受けて、自分から後ろに吹っ飛んでおく。
「あいたたた……」
調子に乗って吹っ飛び過ぎたせいで、お尻を強かに打った。完全な自滅だ。
「ノワエ、これが魔王族だ!! お前みたいな弱い魔王族は不要なのだ!! それを生かしてやっている父さんと私に感謝しろ!!」
雀の涙ほどとはいえ、仕送りをしてくれている父さんならまだしも、なぜほとんど会いもしない兄さんに感謝しなければいけないのか分からない。そう思いつつも「わかりました」と返す。
無様に尻もちをついた私を見て満足したのか、兄さんは剣を収める――が、途中でその手が止まった。
「ノワエ、お前が新しく雇った従者を呼んでこい」
「へ? なんで?」
あまりに突拍子のないことだったので、思わず素で返してしまった。
兄さんの怒りが爆発するかと思ったが、何事もなく話が進む。
「魔王族の従者が、下級魔族にも満たない魔族などあってはならない! この場で処刑する!」
高らかにそう宣言する兄さん。
私は数舜考えてから意味を理解して、慌てて返事をする。
「いやいや、待って待って。そんなことされたら生活が困ります」
「ならば魔王族にふさわしい魔族を連れてくることだ」
「兄さんの求める魔族を雇ったとしたら、私が制御できないじゃないですか。それこそ父さんと兄さんに迷惑がかかりますよ」
「黙れ! おい、お前たち! 館の中を探せ!!」
「はっ!!」
適当なことを言ってやり過ごそうと思ったが、どうやら止まらない。
ルルカを何もせずに渡したら本当に殺される。どうせ連れてくるなら、細工する時間を作るためにも、私が連れてきた方がいい。
「わかりました、わかりましたよ。連れてくるから、ちょっと待っていてください」
「お前たち、逃がすかもしれんからついていけ。ノワエ、言っておくがお前が戻ってこなかったり、妙なことをした場合はディースを殺すからな!!」
切っ先を喉元に突きつけられるディース。相変わらず無表情だが、「アザゼル様くらいなら逃げられますから安心してください」と言っているのがわかる。
「わかっていますよ。さすがに下級魔族程度でディースを失うわけにはいかないですし、兄さんに怒られて私が殺されるのも嫌なので、素直に連れてきますよ」
それでも兄さんは信用しなかったようで、結局従者三人を連れて館に戻った。




