1-2 帰宅。でもすぐに出発
勇者にやられるという大任を果たした私は、鼻歌交じりに横穴を進む。
地上に出ると、住み慣れた館が見える。権力を持つ魔王なら、数人の従者が館の外で待っているのだろうけれど、私にはそんな権力も財力もない。だから、自分で大きな扉を開けて中に入る。
「お帰りなさいませ、ノワエ様。お仕事、お疲れ様でした」
勇者との寸劇を終え、埃まみれで帰ってきた私を出迎えてくれたのは、私の唯一の従者にして、このボロ屋敷の管理者でもあるディースだ。
見る者の目を奪う鋭い眼差しと、整った顔立ちに高い鼻、そして絹糸を束ねたような滑らかな銀髪を持つ。その髪は、光を受けるたびに冷たい輝きを放ち、彼女の冷静沈着な性格を表しているようだ。普段は地味な給仕服を着ているため控えめな印象を受けるが、薔薇の刺繍が施された純白のドレスを纏えば、まるでどこかの姫君のように変貌する。
そんな彼女は、天界から追放された、魔界にただ一人の堕天使だ。私の従者であり、育ての親であり、毒舌が持ち味の相棒でもある。
「ただいま、ディース。埃まみれになっちゃったから、着替えを持ってきてくれる?」
「すでにご用意しております」
「さすがディース。手際が良いわね」
魔王らしさを演出するために着ていた堅苦しい礼装を脱ぎ、いつもの着慣れたローブに袖を通す。心身ともに肩が軽くなる。
「お茶もご用意しております。どうぞこちらへ」
礼装をディースに渡し、木の床がきしむ音を聞きながら食堂へ向かう。
慣れ親しんだ日常が戻ってくると、つい愚痴のひとつやふたつが口をついて出る。
「人間相手にわざと負けるのも、なかなか骨が折れるのよねぇ……。今回の勇者たち、連携は取れていたけど、単純に弱すぎるわ。あれじゃ、一般魔族すら倒せないわよ」
世界によって人間の強さはまちまちだ。
中級魔族を倒せるほどの豪傑がいる世界もあれば、魔界に足を踏み入れただけで肉体が耐えきれず潰れてしまうような、脆弱すぎる世界もある。
「人間が弱いのは、仕方のないことです」
ディースが食堂の扉を開けてくれる。私はいつもの席、一番奥の、主らしい特等席に腰を下ろす。
「しかし勇者たちも少し気の毒ですね。せっかく魔王を倒して元の世界に戻っても、魔物は減らないのですから」
「そこまで面倒見られないわよ」
数十年に一度、魔界にやってくる勇者一行と戦い、接戦を演じ、最終的に負けてあげる。それが、半ニートの魔王である私に与えられた、数少ないお仕事のひとつだ。
辺境に住み、領土も持たない私は、誰もやりたがらない面倒事を引き受けて細々と報酬を得ている。
魔界では力こそが正義。仕事とはいえ人間に負けるなど恥さらしもいいところだし、私に過失がない事案でも、なぜか私のせいになる理不尽さを持ち合わせている。
だからこの“勇者にやられる係”は、誰もやりたがらない。
一番理不尽だったのは、私が落ちた穴に、私の生死を確認するために飛び降りてきた勇者がいたこと。
服についた埃を払っていたら、横からぐしゃっという音と共に落ちてきた。三百メートルの落下で、当然ながら原型はとどめていなかった。
それ以降、私以外は穴に落ちられないような仕組みを魔法で作った。
安全対策は本当に大変だ。完璧だと思っていてもそれを超える者が必ず現れるのだ。
「さてと、あとは姉さんに報告して終わりね」
依頼主であり、私を養ってくれている姉に連絡するため、水晶を取り出して魔力を込める。
どこかの世界で見た“スマートフォン”と似たような理屈で使える、魔界の通信手段だ。ただ、魔界では空気中に漂う魔力に乗せればいいだけなので、通信網の整備なんて不要だ。
水晶が光り、映し出されたのは――
「は、はぁ~い、んっ、イレアナ、ちゃんっ。でぇ~す。あんっ!!」
「……何やってるんですか、真昼間から」
「そ、そんな、卑猥なこと、言わせないでぇ……。んっ」
水晶の中で私たちに見せつけるように乱れまくっている全裸の痴女、もといイレアナ姉さん。私を養ってくれている姉にして色欲の魔王。
治める色欲領の城下町はほぼすべてが歓楽街で構成されており、その中の誰よりも秀でた技術を持つ、名実ともにその道のプロである。
「……さっきよりも激しくなってないですか?」
「だってぇ~。愛しのノワエちゃんっ、に見られてたらっ! ……そりゃ……ぁっ。高ぶっちゃうって……んん~!!」
「お楽しみを邪魔するのも悪いので、手短に伝えますね。勇者は無事に帰還しました。以上」
「あんっ! ちょ、ちょっとまって、もっとおはなし――」
何か言っていたけれど、通信を切る。私と姉さんは相思相愛……なはずだけど、真昼間から自分の配下の淫魔と盛り合っているところなんて、見たくも聞きたくもない。
頭を抱えていると、ディースが横から声をかけてきた。
「嫉妬されるのは構いませんが、そんなにすぐに切ってもよろしいのですか?」
「違うわ。ただ、そういう気分じゃないだけよ」
「いえ、週末はイレアナ様が泊まりに来られる予定だったと記憶しております。先ほど欲求を満たさずに切ってしまいましたから、当日は余計に激しくなると考えられますが……」
「あ~……」
やらかした。完全に忘れていた。
「何だかんだ言いつつも、愛玩具になることを望んでおられるのですね」
「そんなつもりはないんだけどね……。ま、いいわ。今日からご飯は精の付くものでお願い」
「かしこまりました」
基本、私は姉さんからの要求に対して拒否権がない。いつも通り、覚悟を決めて受け入れるだけだ。
「あ、もしかして買い出しはまだ? まだなら付いて行くわよ」
「……そうですね。お疲れのところ、ありがとうございます」
「いいのよ。ほら、さっさと準備して」
「かしこまりました」
ディースは一礼してから食堂を後にする。私は持っていく物は特にないので、腰にかけた愛剣だけを確認して、彼女の帰りを待つ。
ほどなくして、身支度を終えたディースが戻ってくる。給仕服の上にコートを羽織り、麻でできた大きな手提げ袋を持っている。
「では、行きましょうか」
「はい」
絶対に誰も来ないだろうとは思いつつも、館の扉にはきちんと鍵をかける。
山奥にひっそりと建つ我が家は、外観こそ物語の舞台に出てきそうな洋館風だけれど、誰が見ても「ここに誰かが住んでいるとは思えない」と言われそうな隠れ家じみた佇まいだ。
まぁ、二十人は余裕で生活できる大きさの館に、実際に住んでいるのは魔王と堕天使の二人だけなのだから、そう思われても仕方ない。
鍵をかけた後は、館を包むように設置した魔法防壁の状態を確認する。誰もここを目指してくることはないが、偶然迷い込んだ賊なんかに荒らされるのは御免だ。
さて、出発。
ディースは一応、私の従者ということになっているので、私の少し後ろを歩く。
ニート魔王に気を遣う必要なんてないし、何なら私を育ててくれた親でもあるのだから、前を歩いてくれても構わないのだけれど。そういう形式をきちんと守るのが、ディースの良いところだ。
「魔法防壁もそろそろ補修しないといけないわね~」
いつもそう言いながら、もう二か月ほど放置している。
魔法防壁とはその名の通り、魔法で構築された壁だ。本来は戦闘時に攻撃を防ぐために使うのだけれど、住居に使う場合は、許可された魔族以外を完全に締め出すセキュリティ機能を持たせるのが一般的だ。
ちなみに、私が改良を加えたこの防壁は、魔力が一定以下の者には館そのものが認識できないようになっている。さらに、中にいるとき限定だけれども、誰かが侵入したこともわかる仕組みになっている。




