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4-1 女帝の住まう向日葵畑へ

「ふぁ~あ……」


手で口元を隠すこともなく、大きな欠伸をひとつ。

昼食を終えたばかりで、胃も心も満たされているけれど、今日もやる気は見事に行方不明だ。

今日も今日とて、私はニート生活を謳歌している。

日課の鍛錬も済ませてしまったし、趣味の魔法研究もいまいち気が乗らない。

こういう日は、裏山に寝転がって空を眺めながらぼんやり過ごすのが定番になっている。


ふわりと風が吹いて、どこかで咲いている花の香りを運んできた。

その香りが、なぜか向日葵を連想させた。


「……カーラの所にでも行くか」


向日葵畑の管理人カーラ。

またの名を、破壊と殺戮の女帝カーラ。

私に武術を叩き込んでくれた師匠であり、数少ない親友のひとり。

そういえば、ずいぶんとご無沙汰している気がする。

そろそろ顔を出しておかないと、忘れられてしまうかもしれない。

いや、忘れられることはないだろうけど、放置しすぎると顔を合わせた時の嫌味が増える。

暇つぶし先が決まった私は、さっそく館に戻ってディースを探す。

彼女は台所で食料の在庫確認をしていた。


「ディース、カーラの所に行ってくるわ」

「かしこまりました。いつ頃お帰りになりますか?」

「夕飯までには帰ってくるわ。それじゃ」

「はい、お気をつけて」


ディースは自分の作業を止めて、いつも通り玄関まで送ってくれる。

そこまでしなくてもいいのに……と思いつつも、こういう律儀さが、なんだかんだでありがたい。


森に入り、三十分ほど歩いたところで、探知魔法を使い、周囲に魔族がいないかを確認する。

魔族はいないようだが、気になる強さの魔物が何匹かいる。また明日にでも駆除しておこう。

念のため、水晶獣の時にも使った魔力探知の妨害魔法を周囲に張り巡らせる。

これで、私がここにいることも、空間を裂く能力があることもわからなくなった。

剣を引き抜き、何もない空間に切っ先を向ける。

剣の先端の数ミリだけ空間を裂き、向日葵畑の近くにある高台へと繋げる。

裂いた先に探知魔法を飛ばし、高台の周囲に誰かがいないかを調べる。


「………………………」


うん、どうやらいないようだ。

私はそのまま空間の裂け目を広げ、そこを通って高台に降り立つ。

通り抜けた後は、何よりも優先して空間を元に戻す。

空間を裂くときはもちろん、閉じる際にも独特のゆがみがしばらく残るけれど、私はそれを消すための独自技術を持っている。

姉さんでも、かなり集中していないと気づけないほどにまでゆがみを抑えることができる。そこら辺の魔族では、絶対に感知できない。


「ほんと、いつ見ても綺麗な向日葵畑よねー」


振り返ると、眼前に雄大な向日葵畑が広がっている。

姉さんの城から南西に向かった場所に広がる、端まで歩くのに一時間以上かかるほどの広大な向日葵畑。

それを一望できるこの高台は、私のお気に入りの場所だ。

どういった地形変動があったのか皆目見当がつかないが、この辺りには大小さまざまな高台が点々と並んでいる。

どれも天辺が平らで、遠目には岩の塊がぽつぽつ浮いているようにも、大きすぎる湯飲みを逆さにして乾かしているようにも見える。

私が立っている一番高い高台は、地面から三百メートルほどあり、周囲の高台の倍近い高さだ。

中央には大きなくぼみがあり、そこから冷たい水が湧き出していて、切り立った崖から流れ落ちている。

水は途中の岩肌に何度もぶつかって砕けて霧となり、風に乗って周囲の空気を冷やし、高台群の間に広がる草地に潤いを与えている。

そのため、この辺りは真夏の色欲領の中では、貴重な避暑地と言って差し支えないほど涼しく、魔物もさほど強くないのでのんびりするにはちょうどいい。

そんな理由もあって、ここは魔界でも有数の観光スポットとして知られている。

常に賑わっているわけではないけれど、近くの村には確実にお金が落ちていて、色欲領の財政の一端を担うくらいの収入にはなっているらしい。


そよ風に乗って、向日葵の匂いがふわりと届いてくる。


(それなりに距離があるのに、向日葵の匂いって意外と届くものなのね)


そんなことを思ってから、私はおもむろに高台から飛び降りる。

もちろん、そのまま着地したら痛いから、着地の五メートルほど手前で浮遊魔法を使ってゆっくりと地上に足をつける。


「さて、行きますか」


常夏の色欲領らしく、直射日光は厳しい。

けれど、高台から落ちる霧が薄く広がっていて、光を柔らかく拡散してくれる。

そのおかげで空気はひんやりしていて、肌を撫でる風が心地いい。

汗の不快感とは無縁で快適に歩けるし、地面を踏みしめるたび、草の間から冷気が立ち上るような気さえする。

十分ほど歩いたところで、向日葵畑にたどり着いた。


カーラは観光スポットを作りたかったわけではなく、ただ向日葵畑を作りたかっただけだ。

だから、観光客が向日葵を摘んだり悪戯したりするのを防ぐため、そしてあらぬことを企む者を入れさせないために、向日葵畑全体を覆うように、ドーム状の魔法防壁が張られている。

ガラスよりも透明度が高いその壁は、目視することも感知することも難しい。

もちろん通り抜けるなんてできないし、構造が複雑なため解除も困難で、あらゆる攻撃を相殺してしまう優れものだ。

そんな強固な魔法防壁を作ったのは、何を隠そうこの私なので、突破方法も解除方法も熟知している。

私は難なく魔法防壁を潜り抜け、向日葵畑の中へと入る。


地平線まで続く――というとさすがに大げさだが、一魔族が所有するにしてはあまりにも広すぎる向日葵畑。

それをたった一人で管理しているカーラは、一日、というか人生の大半をこの畑で過ごしている。

私よりもはるかに背の高い向日葵が所狭しと育っている。その中からカーラを見つけるのは大変だが、魔法防壁が突破された場合、カーラが気づくような仕組みになっている。

だから、しばらく待っていれば彼女の方から会いに来てくれる。


しばらくすると、背の高い黄色い花たちの中から、深紅の髪と瞳を持つ女性魔族――カーラが現れる。

私の視線が、自然と少しだけ上に傾く。

かつて「破壊と殺戮の女帝」と恐れられていたとは思えない、戦いとは無縁そうな華奢な体つき。

年中真夏のこの地で畑作業をしているにも関わらず、焼けることを知らない、透けるような白く美しい肌。

しかし、その瞳は、いつでも私を殺せると言わんばかりに鋭く、そして冷たい。

自然と空気が張り詰め、殺気が静かに空間を満たしていく。

彼女は、私たち魔王族に次ぐ力を持つ魔神族だ。

その中でも、並の魔王族に匹敵するほどの攻撃力を誇る――まさに破壊のためだけに生まれてきたような魔族である。


「はぁ……ノワエか……」


カーラは私を視認すると、「またお前か」と言わんばかりの呆れた表情を浮かべ、気怠そうに話しかけてきた。

張り詰めた空気が、まるで針を刺した風船のように抜けていく。


「ご息災のようでなによりよ、カーラ」

「一応聞いておくけど、今日は何しに来たの?」

「暇つぶし」

「帰れ」

「最強の魔王の暇つぶしに付き合えるのだから光栄に思いなさいよ」

「そんなに暇なら、イレアナのところに行きなさいよ。息をつく暇もないほど可愛がってもらえるでしょう?」

「頻繁に姉さんと会っていたら、体が持たないわよ」

「あら? 最強の魔王を自称した割には、ずいぶん情けないわね」

「誰しも弱点はあるものよ」


実際、その気になれば姉さんぐらい組み伏せられる。

……まぁ、そんなことできるわけもなく、いつも流されるわけだが。


「はぁ。まぁいいわ。ついてきなさい」


大きくため息をついてから、向日葵畑の中へと戻っていくカーラ。私は慌ててその後ろを追う。

畑には五メートルをゆうに超える向日葵が所狭しと並んでいて、辺りを見渡すことができない。

そのため、一歩中に入れば、すぐに方向感覚が狂う。

カーラは畑の中心にある小屋を目指し、歩きやすい場所を瞬時に見極めながら、私のことなど気にも留めず、どんどん進んでいく。

彼女を見失えば迷子になるし、かといって乱暴に歩いて向日葵を傷つけようものなら、問答無用で拳が飛んでくる。

体も歩幅も小さい私にとって、カーラの後ろを追うのは競技種目だ。


「そういえば先日、また勇者に倒されたそうね?」


色々なことに気を配りながらカーラを追いかけていると、彼女は歩く速度をまったく緩めずに話しかけてきた。

考えなければならないことが増えた半面、声で位置がわかるようになるので、多少離されても大丈夫になった。


「ええ。ちゃんと捨て台詞も吐いたし、全員無事に帰したわよ。我ながら名演技だったと思うわ」

「あんた、そんなことばかりしていたらなめられて、身分を明かしても誰も信じてくれなくなるわよ」

「身分を明かして外に出る気はないし、信じてもらえない方が都合がいいわよ。それに、姉さんにいやというほど舐めまわされてるし、姉さん以外に舐められても何も感じないわよ」

「……あんたらしくて安心するわ」

「そりゃどうも」


五分ほど歩き、向日葵の海を抜けると、円状に向日葵が生えていない草地に出る。

その中心に、向日葵の背丈よりも少し高い、こじんまりとした木造の小屋が建っている。

向日葵に影響が出ないように設計されたのだろう。建物はすべて木材で造られていて、豪華な石畳も精巧な飾り物もない。

そのぬくもりと素朴さが、周りの風景と見事に調和している。

カーラはこの建物を小屋と呼んでいるが、中は二十畳ほどの広さがあり、小さな家といった方が近い。


「どうぞ、魔王様」

「うむ、くるしゅうない」


カーラが静かに、自然な節の目が混じる扉を開けると、向日葵の香りがやさしく出迎えてくれる。

枯れた向日葵をもとに作られた芳香剤の香りで、心が落ち着く――けれど、どこか元気をもらえる香りだ。

この芳香剤は姉さんの意向で近くの村に卸しているが、数が少ないため、貴重品として取引されている。

貴族連中の間では匂いの良さよりも、使うこと自体がステータスとされており、法外な値段で転売されることも多い。

カーラは私には無償で渡してくれるけど、転売なんてしたら、たぶん本気で殺される。

まぁ、私はこの香りが本当に好きだから、そんなこと絶対にしないけど。


「散らかっていて悪いわね」


カーラの言葉とは裏腹に、部屋で散らかっていると言えるのは、せいぜい机の上に置かれた本とコップくらいだろうか。

それ以外は、生活の気配すらないほどに整えられている。

ディースもそうだが、彼女たちはどうしてこんなにも綺麗に片付けられるのだろうか。


「さて、ニートと違って私は忙しいから。適当にくつろいでおいて」


中に入らずに、そのまま立ち去ろうとするカーラの腕をつかんで引き留める。


「カーラが相手をしてくれないなら、来た意味がないじゃないの」

「作業が中途半端なのよ」

「最強の魔王様がわざわざ来てあげたんだから、作業を止めてでもおもてなしするのが礼儀じゃないかしら?」

「喜んで人間にやられるような魔王に興味はないわ。あ、そうだ。暇なんだったら魔法防壁の手入れをお願いできるかしら」

「やだ、メンドイ」

「わかった。殴られるか蹴られるか、どっちがいい?」

「なんでどっちも暴力なのよ……。はいはい、やりますよ」

「わかればよろしい。いつもの棚に、今朝焼いたサブレが入っているわ。ご自由にどうぞ」

「カーラ様! 喜んで魔法防壁の手入れさせてもらいますわ」

「……脅した私が言うのもアレだけど、仮にも魔王族なんだから、もう少し単価を上げた方がいいと思うわよ」

「私は安くても、何かがもらえるなら喜んでやるわ」

「まぁ、それでいいならいいけど……。じゃあ、私は作業を終わらせてくるわ」


そう言ってカーラは向日葵畑の中へ戻っていった。


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