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第六話:街道の洗礼と失墜の烙印

『嘆きの森』での一件は、俺たちの旅に静かな変化をもたらした。山賊たちから奪った武器と金は旅の資金の足しになり、何よりも仲間たちに大きな自信を与えた。自分たちの力が本物であること、そしてアッシュの指揮があればどんな困難も乗り越えられるという確信。それは彼らの顔つきを、より一層精悍なものに変えていた。

森を抜けると、街道の景色は劇的に変わった。今まで獣道に近かった道は硬く踏み固められ、やがて石畳へと姿を変えた。道の両脇には定期的に見張りの兵士が立つようになり、その姿はここが王国の中心部に近いことを示していた。

すれ違う人々の数も増えた。商品を山と積んだ商人たちの荷馬車や、武装した傭兵団、貴族を乗せた豪華な馬車。それらが行き交う様は、コーザ村しか知らなかった仲間たちにとって驚きの連続だった。

「おい見ろよ、あの馬車! うちの荷馬車の倍はありそうだぜ!」

ピートが興奮したように声を上げる。彼は他の荷馬車の構造や装飾に釘付けだった。

「あの傭兵団すげえな。全員が鋼鉄の鎧を着てる。俺たちの装備とは大違いだ」

リョウが羨望の眼差しで屈強な傭兵たちを見つめる。

「人が多いな……なんだか落ち着かねえ」

ケンは逆に人の多さに警戒を強め、槍を握る手に力を込めていた。

彼らの反応は無理もない。ここは彼らが今まで生きてきた世界とは、全く違う文明の中心地なのだ。俺たちの荷馬車も最初は立派に見えたが、こうして他の馬車と比べると、まだどこか田舎臭さが残っているように感じられた。

だが俺は少しも気後れしなかった。俺たちの荷馬車に積まれた商品の価値は、その辺りの商人が運ぶどんな高価な宝石や香辛料にも負けないと確信していたからだ。

数日間の旅を経て、俺たちの目の前に巨大な壁が姿を現した。天を突くかのような高さと、どこまでも続く長さ。それが商業都市ランガの城壁だった。

「で……でけえ……」

リョウが言葉を失い、呆然と壁を見上げている。ピートもケンも同じだった。彼らの故郷コーザ村が丸ごといくつか入ってしまうほどの圧倒的なスケール感。それがこの都市の力そのものだった。

城壁には巨大な門があり、そこへ向かって人や馬車の長い列ができていた。俺たちはその最後尾につくと、ゆっくりと順番を待った。門を通過するには通行税を払い、身分を証明しなくてはならない。

門番の兵士は俺たちの荷馬車を見ると、少し訝しげな顔をした。辺境の村から来たと自己紹介すると、その目はわずかに侮蔑の色を帯びた。田舎者が何の用だと顔に書いてある。

「積荷は何だ」

「コーザ村の特産品です。野菜の加工品や布など」

俺が冷静に答えると兵士は鼻で笑った。

「野菜と布だと? そんなもののためにわざわざ辺境から来たのか。物好きなことだ」

彼は面倒くさそうに通行税を要求した。俺は黙って銀貨を支払う。ここで揉めても仕方がない。この都市ではまだ、俺たちは何者でもないのだから。

ようやく門を通過した俺たちを迎えたのは、凄まじい喧騒の渦だった。


ランガの街は、生命の坩堝だった。

石畳の道を埋め尽くす人の波。様々な言語が飛び交い、怒声や呼び込みの声、笑い声が混じり合って一つの巨大な音の塊となっている。空気には焼きたてのパンの香ばしい匂いと香辛料のエキゾチックな香り、そして下水や家畜の糞の悪臭が渾然一体となって漂っていた。

道の両脇には石造りの重厚な建物がひしめき合い、それぞれの店先には多種多様な商品が並べられている。きらびやかな宝石、見たこともない果物、異国の衣装、武器防具。世界の全てがこの場所に集まっているかのようだった。

「うわああ……」

ピートが子供のように目を輝かせて周りを見回している。彼の技術者としての好奇心は刺激されっぱなしだった。

リョウとケンは人の多さに完全に気圧されていた。彼らは俺のすぐそばを離れず、警戒するように周囲を睨んでいる。護衛としての役目を忘れなかったのは立派だが、その姿は明らかに「おのぼりさん」だった。

俺はそんな仲間たちの様子に苦笑しつつも、冷静に状況を観察していた。

《マインドブースト》を発動させると、街に溢れる膨大な情報が俺の脳内へと流れ込んでくる。人々の話し声、店の看板、馬車の轍の跡。それら全てがデータとなって解析されていく。

まずは拠点が必要だ。俺たちは比較的安価で、荷馬車ごと泊まれる馬宿を見つけると、そこに腰を落ち着けることにした。

部屋に入ると、仲間たちはどっとベッドに倒れ込んだ。無理もない。ここ数日間の旅と大都市の刺激は、彼らの心身をすり減らしていた。

「少し休んでいろ。俺は街の様子を見てくる」

俺が言うと、リョウが慌てて起き上がった。

「だめだアッシュさん! 一人じゃ危ない! 俺たちも行く!」

「いや。君たちはここで荷馬車と商品の番人をしていてくれ。それが今回の最も重要な任務だ。俺は一人の方が動きやすい」

俺はそう言うとマントで顔を隠し、雑踏の中へと一人で消えていった。


俺の目的は情報収集だ。この街で俺たちの商品を最も高く、そして効率的に売りさばく方法を探す。

俺は酒場や市場を巡り、人々の会話に耳を澄ませた。

「また黄金の天秤ギルドが、新しい航路を独占したらしいぜ」

「ちぇっ、あのギルドのせいで俺たちみたいな小商人は上がったりだ」

「だがギルドマスターのバルド様は筋を通すお方だ。品質の良い品物なら、正当な値段で買い取ってくれるともっぱらの評判だぜ」

「その品質ってのが問題なんだよ。あのギルドの鑑定士の目はごまかせねえからな」

複数の場所で、同じ名前が何度も登場した。

「黄金の天秤」、そしてギルドマスター「バルド」。

俺はさらに情報を集めた。黄金の天秤ギルドはこのランガの商業をほぼ牛耳っていること。ギルドマスターのバルドは一代でギルドを最大規模にまで成長させた叩き上げの傑物であること。彼は冷徹で計算高いが公正な取引を重んじ、信用のない相手とは決して取引しないこと。

情報は揃った。

俺の選択肢は二つあった。一つはギルドを避け、小さな商会と地道に取引を重ねていくこと。もう一つは、最初からこの街のトップであるバルドに直接取引を持ちかけること。

リスクが高いのは後者だ。門前払いされる可能性が高い。だが成功すれば得られるものも大きい。コーザ村の未来のためには、悠長なことをしている時間はない。

俺は決めた。狙うは「黄金の天秤」の首領ただ一人。

俺は馬宿に戻ると、仲間たちに自分の計画を話した。

「正気かアッシュ!? この街で一番でかいギルドの親玉に会うなんて!」

ピートが驚きの声を上げる。

「無茶だ。追い返されるに決まってる」

リョウも反対の意を示した。

「だが成功すれば、俺たちの状況は一変する。俺には勝算がある。君たちの力が必要だ。ついてきてくれるか」

俺が真剣な目で彼らを見つめると、三人は顔を見合わせた。やがて彼らは覚悟を決めたように頷いた。

「……分かった。アッシュの言うことなら信じるぜ」

「俺たちにできることなら何でもする」

「ああ。腹は括った」

俺は満足して頷いた。明日が、最初の戦いになる。


翌日、俺たち四人はランガの商業地区の中心にそびえ立つ壮麗な建物へと向かった。大理石で作られた巨大な柱。磨き上げられた扉。そこには黄金の天秤をかたどった紋章が掲げられている。ここが「黄金の天秤」ギルド本部だ。

建物の前には、屈強な鎧を着た門番が二人仁王立ちしていた。その目は鋭く、俺たちのような見慣れない者たちを値踏みするように見ている。

俺は堂々と彼らの前へ進み出た。

「我々はコーザ村の者だ。ギルドマスター・バルド殿に面会を申し込みたい」

俺の言葉に、門番の一人が鼻で笑った。

「ギルドマスターに? 小僧、お前自分が何を言っているか分かっているのか。アポイントメントもなしに辺境の村の者が会える方ではない。失せろ」

予想通りの反応だ。腕ずくで追い払おうとする門番に対し、リョウとケンが俺の前に立ちはだかろうとする。俺はそれを手で制した。

「待て。力ずくは得策じゃない」

俺は冷静に門番を見据えた。

「我々は手ぶらで来たわけではない。これを見てもらおう」

俺は懐から小さな布切れを取り出した。それは「翠風織」の端切れだ。太陽の光を受けて玉虫色に輝くその布に、門番の目が釘付けになった。

「な……なんだこの布は。シルクでもない。見たこともない輝きだ……」

門番は驚きを隠せない。俺は畳み掛けた。

「これは我が村の特産品『翠風織』。これだけでも十分な価値があると思うが、これだけではない」

俺は腰に差していた一本のナイフを抜いた。ガンツが俺のために特別に打ってくれた試作品だ。

「これは?」

「鉄のナイフだ。だが、ただの鉄じゃない」

俺は門番の鎧の籠手部分を指さした。

「少し借りるぞ」

俺はそう言うと、ナイフの刃を籠手に当てて軽く引いた。

キィンという甲高い音と共に火花が散る。そして驚くべきことに、門番の鋼鉄の籠手にあっさりと深い傷が刻まれた。ナイフの刃は、全くこぼれていない。

「なっ……! 俺の鎧に傷をつけやがった!」

門番が怒鳴るが、もう一人の門番がその腕を掴んで止めた。

「待て! それよりあのナイフだ! 鋼鉄を紙のように切りやがったぞ! ありえない!」

二人の門番は、恐怖と驚愕が入り混じった目で俺の持つナイフを見つめている。

俺は静かに言った。

「我々が持ってきたのは、これほどの品だ。これでもギルドマスターに会う価値がないと?」

俺の言葉は静かだったが、絶対的な自信に満ちていた。門番たちは顔を見合わせ、ごくりと唾を飲んだ。彼らはただの門番だが、商品の価値を見る目がないわけではない。目の前の田舎者たちが、とんでもない品物を持っていることだけは理解できた。

「……分かった。ここで待っていろ。上の者に報告してくる」

最初に俺を侮蔑した門番がそう言うと、慌てた様子でギルドの中へと駆け込んでいった。

俺は計画の第一段階が成功したことを確信し、静かに微笑んだ。


しばらくして、俺たちはギルドの一室に通された。大理石の床に豪華な調度品。コーザ村の公民館とは天と地ほどの差がある。

俺たちは緊張する仲間たちと共に、静かに待った。

やgて扉が開き、一人の初老の男性が入ってきた。痩身だが、その眼光は剃刀のように鋭い。指にはめられたいくつもの指輪が、彼がただ者ではないことを示していた。

「私がこのギルドの鑑定責任者をしているクルトだ。君たちが途方もない品を持ってきたと聞いたが」

彼の声は冷たく、感情がこもっていない。彼は鑑定士として数多の商品を見てきたのだろう。その目には一切の油断も隙もなかった。

俺は立ち上がると、テーブルの上に持参した商品を並べた。

翠風織の反物。ガンツ作のナイフ数本。そして様々な種類のジャムや干し野菜のサンプル。

クルトはまず、翠風織を手に取った。彼は指先でその感触を確かめ、光にかざしてその輝きを吟味し、最後には布の端を少しだけ口に含んで繊維の質まで確かめているようだった。

彼の眉が、ぴくりと動く。

「……信じられんな。この手触りと光沢。原料は何だ。蚕ではない。植物性の繊維のようだが……これほどの布は、王宮ですらお目にかかれんぞ」

次に彼はナイフを手に取った。彼はルーペを取り出すと、刃の隅々まで入念にチェックする。そして懐から取り出した小さな金属塊に刃を当てた。ナイフは吸い込まれるように、金属塊を二つに切り裂いた。

「……ダマスカス鋼でもオリハルコンでもない。見たこともない合金だ。軽量でありながらこの硬度と靭性……魔法武器マジックアイテムでもないのに、この性能は異常だ」

彼の額に汗が滲んでいた。最後に彼はジャムを小指の先に少しだけつけて舐めた。

「……うまい。果実の風味が全く損なわれていない。それでいてこの保存性。製法が、全く想像できん」

彼は全ての商品を鑑定し終えると、深くため息をついた。そして初めて俺たちの顔をまともに見た。その目には先ほどまでの冷たさは消え、代わりに鑑定士としての純粋な興奮と、商人としての貪欲な光が宿っていた。

「……降参だ。君たちの勝ちだ。これほどの品を、一体どこで手に入れた? 君たちは何者なんだ?」

クルトの問いに、俺は堂々と胸を張って答えた。

「我々は辺境のコーザ村の者です。そしてこれらの品は、我々の村が生み出した技術のほんの一部に過ぎません」

「ほんの一部だと……!?」

クルトは絶句した。

俺は彼にコーザ村の現状を少しだけ話した。もちろん俺の魔法のことは伏せて、あくまで村人たちの努力と技術革新の結果だと説明した。

クルトは俺の話を信じられないという顔で聞いていたが、目の前にある現物の持つ説得力は絶大だった。

彼はしばらく考え込んだ後、ついに決断した。

「……分かった。ギルドマスター・バルド様にお会いいただく価値が、君たちにはある。いや、会っていただかねばこちらが損をする」

彼は立ち上がると、俺たちに向かって言った。

「三日後。同じ時間に再びここへ来てもらいたい。ギルドマスターとの面会の場を、私がセッティングしよう。それまではこの街で騒ぎを起こさぬよう、お願いしたい」

その言葉は、俺たちの完全な勝利を意味していた。

俺たちはクルトに一礼して、ギルドを後にした。

外に出ると、ランガの喧騒が再び俺たちを包んだ。だがそれは、もう俺たちを気圧するものではなかった。

「やったなアッシュ!」

「すげえよ! あの偉そうな爺さんを黙らせちまった!」

仲間たちが興奮して俺の肩を叩く。

俺は彼らの笑顔を見ながら、この街での最初の戦いに勝利したことを実感していた。

だが本当の戦いはこれからだ。相手はこの商業都市を支配する百戦錬磨のギルドマスター、バルド。

俺は心の中で静かに闘志を燃やした。

コーザ村の未来と俺自身の復讐のために、俺はこの街の全てを手に入れてみせる。そのための大きな一歩を、今日確かに踏み出したのだ。

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