第五話:技術の覚醒と旅立ちの準備
コーザ村は変わった。大地が蘇り食料が満ち溢れた。だが俺がもたらした変革はそれだけでは終わらない。真の復興とは食料の確保だけで成し遂げられるものではないからだ。それは技術の革新であり経済の自立でありそして人々の意識の変革でもある。俺の次の目標はコーザ村を単なる農村から生産拠点へと昇華させることだった。
そのための最初の鍵は村の西外れにある小さな鍛冶場にあった。
鍛冶場の主はガンツという名の老人だ。七十歳を超えているがその腕は分厚く背筋もまだ曲がっていない。彼はこの村で唯一の鍛冶職人であり村人たちの鍬や鎌を長年打ち続けてきた。頑固で無口そして自分の仕事に絶対の誇りを持つ典型的な職人だった。
俺が鍛冶場を訪れた時ガンツは火花を散らしながら真っ赤に焼けた鉄を叩いていた。彼の額には玉の汗が浮かびその瞳は炎と鉄だけを見据えている。
「ガンツさん。少しよろしいですか」
俺が声をかけると彼はちらりとこちらを一瞥したが手を休めはしなかった。カンカンとリズミカルな槌の音が続く。
「なんだアッシュか。見ての通り手が離せん。用なら後にしろ」
その態度は以前と何も変わらない。俺が村に奇跡をもたらした聖者様と持て囃されていることなど彼にとっては関知しないことのようだった。その職人らしい無骨さが俺はむしろ好ましかった。
「新しい農具のことで相談が。今よりもっと軽くて丈夫で切れ味が落ちない農具は作れませんか」
俺の言葉にガンツの槌がぴたりと止まった。彼はようやくこちらに向き直る。その目には侮蔑と呆れが混じっていた。
「若造が知ったような口を利くな。軽さと丈夫さは両立せん。切れ味を求めれば脆くなる。それが鉄の理だ。何十年も鉄と向き合ってきた俺に説教する気か」
「説教ではありません。提案です。もしその理を覆す方法があるとしたら」
俺は彼の前に進み出ると言った。
「俺の魔法を試させてください。あなたの技術と俺の支援魔法が合わさればきっと奇跡が起きます」
ガンツはしばらく俺の目をじっと見ていた。彼の瞳の奥で疑念と好奇心がせめぎ合っているのが分かった。彼は生粋の職人だ。自分の技術を信じている。だが同時に未知の可能性を完全に否定するほど愚かでもない。
やがて彼はふんと鼻を鳴らした。
「好きにしろ。だがもし俺の仕事の邪魔をしただけだったらその魔法とやらでどうなるか分かってるな」
それは彼なりの許可だった。
俺は頷くとガンツに向かって意識を集中させた。
「《マインドブースト》」
ふわりと光がガンツを包む。それは彼にしか見えない光だった。
次の瞬間ガンツの体に衝撃が走った。
「なっ……!?」
彼は目を見開き自分の両手を見つめた。何かが違う。いや全てが違って見えた。
目の前の炉で燃える炎。その一つ一つの揺らめきが温度と酸素濃度の変化を示す数式に見える。手に持った鉄。その内部構造炭素の含有率不純物の位置までが透けて見えるようだった。振るう槌の重さ角度速度。それらがもたらす結果の全てが完璧に予測できた。
彼の脳内に何十年とかけて培ってきた経験と知識が奔流のように渦巻きそして新たな秩序の下に再構築されていく。今まで不可能だと思っていたことが可能だと理解できた。軽くて丈夫な合金のレシピ。焼き入れの最適なタイミングと温度。人間工学に基づいた最も効率的な農具のフォルム。
それらが天啓のように次々と閃いた。
「おお……おおおおおっ!」
ガンツは獣のような雄叫びを上げた。彼は何かに取り憑かれたように再び炉に向かうと恐ろしいほどの集中力で鉄を叩き始めた。その動きには一切の無駄がない。まるで神が乗り移ったかのようだった。
俺はその様子を静かに見守っていた。俺の魔法は対象の能力をブーストするだけだ。元になる技術や知識がなければここまでの効果は発揮されない。ガンツの職人としての人生そのものが俺の魔法の触媒となったのだ。
ガンツは寝食を忘れ槌を振るい続けた。三日三晩鍛冶場には槌の音と彼の雄叫びだけが響き渡った。
そして四日目の朝。彼はふらつきながら鍛冶場から出てくると俺の前に数本の農具を突き出した。
「……できたぞ」
それは鍬と鎌だった。だが俺たちが知っているものとはまるで違う。刀身は黒曜石のように鈍く輝き柄は手に吸い付くような滑らかな曲線を描いている。何より信じられないほど軽い。
村人たちが集まりその神業のような作品に息を呑んだ。試しにその鍬で固い地面を掘り返してみるとまるで豆腐を切るかのようにスムーズに刃が入っていく。石に当たっても刃こぼれ一つしなかった。
「すげえ……」「魔法の道具だ……」
村人たちの驚嘆の声を聞きながらガンツは力なくその場に座り込んだ。彼の顔は疲労困憊だったがその瞳は満足感と達成感で爛々と輝いていた。
彼は俺に向かって深く深く頭を下げた。
「アッシュ……いやアッシュ様。俺は間違っていた。あんたは本物だ。このガンツ一生あんたについていく」
頑固な職人が完全に頭を下げた瞬間だった。コーザ村の技術革新はこの小さな鍛冶場から始まったのだ。
ガンツの成功は他の職人たちにも火をつけた。
俺は次に村の木工職人である親子ヨハンとその息子ピートの元を訪れた。彼らは商業都市ランガへ向かうための荷馬車の制作を任されていた。
彼らの工房を訪れるとちょうど車輪のことで頭を悩ませているところだった。
「だめだ父さん。このままじゃランガまでの道程に耐えられねえ。もっと頑丈な木材が必要だ」
「だが頑丈な木は重い。そうなると馬への負担が大きくなる」
俺はその会話を聞きながら彼らに近づいた。
「その問題俺に解決させてください」
俺はガンツの時と同じように二人にも《マインドブースト》をかけた。
二人の脳裏にもまた天啓が閃いた。木の繊維の走り方乾燥のさせ方。異なる木材を組み合わせることで軽さと丈夫さを両立させる技術。衝撃を吸収するサスペンションの構造。彼らが今まで思いつきもしなかった設計図が頭の中に鮮明に浮かび上がった。
「すごい……」「こんな方法があったなんて……」
親子は顔を見合わせるとすぐに作業に取り掛かった。彼らの作る荷馬車はもはや単なる荷車ではなかった。それは芸術品であり機能美の塊だった。
さらに俺は村の老婆たちの元へも足を運んだ。彼女たちは織物の名手だったが使えるのはありふれた羊毛と麻だけだった。
俺は彼女たちに村の周りに自生する植物から新しい染料を作り出す知識を授けた。どの草の根を煮詰めれば深い藍色になるか。どの花の蜜を使えば鮮やかな黄色になるか。
老婆たちはまるで少女のように目を輝かせながら新しい色作りに没頭した。やがて彼女たちはコーザ村の豊かな自然を写し取ったかのような美しく深い色合いの布を織り上げることに成功した。それは風にそよぐと玉虫色に輝き見る者の心を奪った。
村人たちはその布を「翠風織」と名付けた。コーザ村最初の特産品の誕生だった。
こうして村は変わっていった。農業だけでなく工業工芸の拠点としても目覚ましい発展を遂げ始めた。誰もが自分の仕事に誇りを持ち村全体が一個の巨大な生命体のように成長していく。その全ての中心に俺がいた。
*
光が強ければ影もまた濃くなる。
コーザ村が再生の喜びに沸いている頃王都の裏路地では絶望がその濃度を増していた。
武器屋の薄暗いカウンターにレオンは立っていた。彼の目の前には無造作に置かれた聖剣がある。かつて彼のプライドそのものだった剣だ。
店の主人は脂ぎった手で聖剣を撫で回しながら値踏みするような視線をレオンに向けた。
「ふぅん。確かに見事な装飾だ。だがこれは実戦向きじゃねえな。金持ちの貴族が壁に飾るためのもんだ。悪いがそんなもんに大金は出せねえぜ」
店主は意地悪く笑いながら信じられないほどの安い金額を提示した。それはこの剣の本来の価値の百分の一にも満たない額だった。
「……っ!」
レオンは屈辱に奥歯を噛み締めた。拳がわなわなと震える。今すぐこの男を殴り飛ばしてやりたかった。
だが彼にはもうそんな力も気力も残っていない。何より金が必要だった。
「……それでいい。売る」
絞り出すような声でそう言うのが精一杯だった。
店主は満足げに頷くと金貨数枚をカウンターに放り投げた。まるで物乞いに施しを与えるかのような仕草だった。
レオンはその金貨をひったくるように掴むと逃げるように店を出た。背後で店主の嘲笑が聞こえた気がした。
手に入れたわずかな金で彼らは中古の武具を買い揃えた。ガイは凹みだらけの盾をリリアは先端が欠けた杖をそしてレオンはどこかの誰かが使い古したであろう無骨なロングソードを手に入れた。
それらはかつて彼らが使っていた輝かしい武具とは似ても似つかない鉄屑同然の代物だった。
「これで……また戦える」
レオンは自分に言い聞かせるように言った。だがその声は虚しく響くだけだった。
彼らはギルドで最も簡単なゴブリン討伐の依頼を受けると意気消沈したまま森へ向かった。
結果は惨憺たるものだった。
レオンの剣はゴブリンの粗末な棍棒と打ち合っただけであっさりと刃こぼれした。ガイの盾は最初の衝撃で大きな音を立てて歪んだ。リリアの杖は魔力を上手く集められず放たれた魔法は子供の火遊び程度の威力しかなかった。
「くそっ! なんだこの安物は!」
「だめ! 全然魔力が乗らない!」
「レオンさん危ない!」
彼らは数匹のゴブリン相手に翻弄され傷だらけになって逃げ帰るしかなかった。
安宿に戻った彼らを待っていたのはさらなる絶望だった。プライドを売り払って手に入れた金で買ったガラクタは彼らの無力さを証明しただけだった。金もプライドも失い手元には傷ついた体と絶望だけが残った。
レオンはベッドに突っ伏し声を殺して泣いた。何が悪いのか分からない。どうしてこうなったのか分からない。ただひたすらに続く不運と無力感。彼の心は完全に折れていた。勇者の輝きはもうどこにもなかった。
*
コーザ村では商業都市ランガへの出発準備が着々と進んでいた。
ヨハン親子が作り上げた新型の荷馬車が村の広場に鎮座している。それはもはや荷馬車というよりは移動要塞とでも呼ぶべき威容を誇っていた。軽量かつ頑丈な車体に加えガンツが作った特殊合金の車軸と衝撃吸収サスペンションを備えている。どんな悪路でも乗り越えられるだろう。
その荷馬車に村人たちが作り上げた加工品や特産品が次々と積み込まれていく。
ジャガイモの粉が詰まった麻袋が百袋。様々な種類の干し野菜が五十樽。色とりどりのジャムの瓶が千個以上。そして目玉商品である「翠風織」が五十反。
それはこの小さな村が生み出した富そのものだった。
「これだけの量を本当に売りさばけるのか……?」
村人たちが期待と不安の入り混じった表情で荷積みの様子を見守っている。
俺はその輪の中心に立ち旅の供となる仲間を選抜していた。
「今回の旅に同行してもらうのはピート、それからリョウとケンの三名だ」
ピートは荷馬車を作ったヨハンの息子で腕の立つ木工職人だ。荷馬車に何かあっても彼がいれば安心だ。リョウとケンは村の若者の中でも特に腕っぷしが強く狩りの経験も豊富だった。
選ばれた三人は緊張した面持ちで俺の前に立つ。彼らの瞳には俺への絶対的な尊敬と信頼が宿っていた。
「お前たちに俺の魔法をかける。少し驚くかもしれないが心配はいらない」
俺は三人にそれぞれ《フィジカルアップ》の魔法をかけた。それも普段村人たちにかけているものより数段強力なものを。
「う……うおおおお!?」
三人は自分の体に起きる急激な変化に驚きの声を上げた。筋肉が隆起し視界がクリアになり全身に力がみなぎっていく。
「なんだこれ……岩でも砕けそうだぜ!」
リョウが自分の腕を見つめながら叫ぶ。
俺は彼らにガンツが作った新しい剣と槍を渡した。
「君たちの役目は荷馬車の護衛だ。だが戦闘は最終手段だ。基本的には俺の指示に従って隠密行動に徹してもらう」
俺は彼らに簡単な戦闘の心得と隠密行動の基本を教え込んだ。《マインドブースト》状態の俺の指導は効率的かつ的確だった。三人はスポンジが水を吸うように知識と技術を吸収しみるみるうちに精悍な戦士の顔つきに変わっていった。
出発前夜。村では俺たちのための壮行会が開かれた。
広場には篝火が焚かれ村人全員が集まっていた。テーブルには採れたての野菜を使ったご馳走が並び皆が笑顔で酒を酌み交わしている。
ダリオスが立ち上がり俺の前に杯を差し出した。
「アッシュ。何と言って感謝すればいいか分からん。お前さんはこの村の救い主だ。我々の希望だ。この旅の成功を村の皆で祈っている」
村人たちが口々に感謝の言葉を述べる。子供たちが俺の周りに集まり尊敬の眼差しを向けてくる。
俺はその純粋な信頼と期待を一身に受けながらかつて役立たずと罵られ追放された日のことを思い出していた。
あの時の孤独と絶望。それに比べて今のこの温かさはなんだろう。
誰かに必要とされることの重み。そして喜び。
俺はもう一人ではない。俺には守るべき人々がいる。導くべき未来がある。
俺はもはやただの追放された支援術師ではなかった。一つの共同体を背負いその運命を導く指導者へと変貌しつつある自分をはっきりと自覚していた。
俺は杯を掲げた。
「皆の期待に応えてみせます。必ず成功させて帰ってきます」
その言葉に割れんばかりの歓声が上がった。
翌朝。朝靄が立ち込める中俺たち四人は巨大な荷馬車と共に村の門をくぐった。
村人全員が見送りに来てくれている。
「行ってきます!」
俺は振り返り手を振った。朝日が荷馬車を黄金色に照らし出す。それはまるで未来への輝かしい船出を祝福しているかのようだった。
俺たちの目的地は商業都市ランガ。
コーザ村の運命と俺自身の未来を賭けた最初の大きな挑戦が今始まろうとしていた。