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第二十一話:王女の探求と真実への扉

霧降りの平原での決戦から、数日後。

エリアン王国の首都は、建国以来、最も熱狂的な歓喜に包まれていた。ガルニア帝国という、長年の脅威に、完全なる勝利を収めた。その報は、国民一人一人の心に、誇りと、そして何よりも、未来への希望を灯していた。


首都の大通りには、凱旋した兵士たちを讃えるための、無数の花びらが舞っていた。民衆は、道の両脇を埋め尽くし、兵士たちの名を呼び、感謝の言葉を叫んでいる。


「英雄たちに、栄光あれ!」

「エリアン王国、万歳!」


その熱狂の中心にいたのは、この歴史的な戦いを指揮した、老将軍ダリウスだった。彼は、民衆の歓声に応えながらも、その心は、不思議なほど、静まり返っていた。

英雄?

違う。俺は、英雄などではない。

彼は、誰よりも、あの戦いの異様さを、理解していた。

霧降りの平原で、彼は確かに、自軍の兵士たちが、人間を超えた存在へと変貌するのを、目の当たりにした。傷ついた者は瞬時に回復し、疲れた者は無限の活力を得て、恐怖した者は不屈の闘志に燃えた。

それは、まるで、戦場という盤面の上で、目に見えぬ巨大な何者かが、駒を動かしているかのようだった。自分は、ただ、その圧倒的な力の流れに、身を任せていただけに過ぎない。


(あれは、一体、何だったのだ……)


神のご加護。兵士たちは、そう信じている。民衆も、そう信じている。

だが、ダリウスの、長年の軍人としての経験が、それを否定していた。神とは、もっと気まぐれで、そして、間接的な存在のはずだ。あんなにも効率的に、あんなにも完璧に、一つの軍隊を「強化」するような奇跡は、神の御業とは、どこか異質に感じられた。

彼の脳裏には、黄金の天秤ギルドからもたらされた、「神託」という名の、あまりに的確すぎる作戦指示書が、焼き付いていた。

全ては、あの商人ギルドが、背後で糸を引いている。

ダリウスは、そう確信していた。だが、その目的も、手段も、全く分からない。

彼は、熱狂する群衆の中で、一人、言い知れぬ畏敬の念と、そして、かすかな恐怖を感じていた。



その、国民的な祝賀ムードとは裏腹に、エリアン王国の王宮の中枢は、静かな、しかし深刻な議論に揺れていた。

戦後処理の会議。議題は、ガルニア帝国との講和条約についてだった。


「帝国からは、莫大な賠償金を取るべきです! 我らが受けた屈辱を、十倍にして返してやらねば!」

「いや、それよりも、二度と我が国に牙を剥けぬよう、軍備を完全に撤廃させるべきだ」


大臣たちが、口々に、威勢のいい意見を述べる。だが、その議論は、すぐに、本質的な問題へと移っていった。


「だが、皆の者、忘れてはおるまい。我らが、この勝利を、自力で勝ち取ったわけではないことを」


宰相の、冷静な一言が、会議室の空気を、一変させた。


「あの奇跡は、一体、何だったのか。そして、我らに、破格の支援と、的確すぎる『神託』を与えた、黄金の天秤ギルド。彼らの真の目的は、一体、何なのだ?」


その問いに、答えられる者はいなかった。

今のエリアン王国は、ガルニア帝国という狼を退けた代わりに、黄金の天秤ギルドという、底の知れない巨人の掌の上に、乗せられているようなものだった。彼らが、もし、エリアン王国を支配するつもりなら、もはや、抗う術はない。

このままでは、ギルドの傀儡国家になりかねない。

その危機感が、王宮全体を、重く支配していた。


会議が、再び、出口のない迷宮に入り込もうとした、その時だった。

玉座の脇に控えていた、一人の女性が、静かに、一歩前へ進み出た。


「父上。そして、皆の者」


その、凛とした声に、全ての大臣たちが、息を呑んで、彼女に注目した。

エリアン王国、第一王女、フィオナ。

国王の一人娘である彼女は、その絹のような金髪と、透き通るような青い瞳で、王国一の美姫として知られていた。だが、彼女の本当の価値は、その外見にあるのではない。幼い頃から、帝王学を学び、誰よりも国の歴史と民を愛する、聡明で、そして、行動力のある、次期女王候補。それが、彼女の真の姿だった。


「私が、ランガへ参ります」


フィオナは、はっきりと、そう宣言した。


「そして、この目で、直接、真実を確かめてまいります」


「ならん!」

老王が、即座に反対した。

「お前は、この国の希望だ。お前の身に、万が一のことでもあれば……!」


「だからこそ、です、父上」

フィオナは、ひるまなかった。

「このまま、何も知らぬまま、見えざる支援者の意のままに国の未来を委ねることこそ、真の危機です。我々は、まず、相手を知らねばなりません。彼らが、我らにとって、真の友なのか、それとも、狼より狡猾な、狐なのかを」


彼女は、感謝を伝えるための、公式な大使節団としてではなく、真実を探るための、密使として、お忍びで旅立つことを、提案した。


「我が国の運命を、左右するほどの力を持つ存在。その正体を、この国の指導者たる者が、知らずにいることなど、許されません。これは、王族としての、私の責務です」


彼女の瞳には、民と国を背負う者としての、強い覚悟の光が宿っていた。

その気高い姿に、国王も、大臣たちも、もはや、反対の言葉を、見つけることはできなかった。



数日後。

フィオナ王女は、信頼できる、数名の護衛騎士だけを連れて、商人の娘に扮し、エリアンの首都を、密かに出発した。

彼女の旅は、驚きの連続だった。

ランガへ向かう道中、彼女は、先日の戦いで最も被害の大きかった、国境地帯を通過した。そこは、本来なら、復興には何年もかかるはずの、焦土と化しているはずだった。

だが、彼女が目にしたのは、信じられない光景だった。

崩壊した鷲巣砦は、すでに、以前よりも、遥かに堅牢な姿で、再建が始まっていた。破壊された村々は、黄金の天秤ギルドから送られた、大量の物資と、優れた技術者たちの手によって、驚くべき速さで、元の姿を取り戻しつつあった。

避難していた民も、次々と帰郷し、彼らの顔には、悲しみよりも、未来への希望の色が、浮かんでいた。


(……これが、黄金の天秤ギルドの力……)


フィオナは、その底知れない財力と、組織力に、改めて、戦慄した。

彼らは、戦争を勝利に導くだけでなく、その後の、復興すらも、完全に、掌握している。

彼らの目的は、やはり、このエリアン王国を、完全に、自分たちの影響下に置くことなのか。

フィオナの心に、警戒心と、そして、それ以上に、強い好奇心が、湧き上がってきた。

これほどの力を持つ組織を、裏で動かしている「軍事顧問」とは、一体、どれほどの傑物なのだろうか。


ランガに到着した彼女は、その巨大さと、人の多さに、圧倒された。首都とは、比べ物にならない、富と、活気と、そして、欲望の坩堝。

だが、彼女は、その喧騒に、臆することなく、まっすぐに、商業地区の中心にそびえ立つ、黄金の天秤ギルド本部へと、向かった。



バルドの執務室は、静かな緊張感に包まれていた。

彼と向かい合って座っているのは、商人の娘に扮してはいるが、その気品と威厳を、隠しきれていない、一人の美しい女性。


「……それで、王女殿下。この老いぼれに、一体、どのようなご用件ですかな?」


バルドは、老獪な商人の笑みを浮かべながら、言った。

フィオナは、彼の単刀直入な物言いに、少し驚いたが、すぐに、平静を取り戻した。


「ご存知でしたか。私が、エリアンの王女、フィオナであることを」


「はっはっは。このランガで、私の目と耳から、逃れられるものは、そう多くはありませぬ。それに、王女殿下のその青い瞳は、エリアン王家の象徴。あまりに、有名でございますよ」


バルドは、探るような目で、フィオナを見つめた。

フィオナは、姿勢を正すと、まず、エリアン王国を代表して、深々と、頭を下げた。


「この度の、貴ギルドからの、身に余るご支援、心より、感謝いたします。バルド殿。あなた様は、我が国の、救国の恩人でございます」


「いやいや、とんでもない。我々は、長年の友好国が、危機に瀕しているのを、見過ごせなかっただけのこと。商人として、当然の判断をしたまでです」


バルドは、そう言って、言葉を濁す。

だが、フィオナは、その腹の内を、見逃さなかった。


「では、その『商人としての判断』について、お伺いいたします」

彼女は、本題に入った。

「我が国を救ってくださった、貴殿の『軍事顧問』様に、お会いさせていただきたい。我が国の王に代わり、このフィオナが、直接、礼を述べさせていただくのが、筋と存じます」


その言葉に、バルドの目の色が、わずかに変わった。


「……ほう。軍事顧問、ですか。そのような者は、我々のギルドには、おりませぬが」


「とぼけないでいただきたい」

フィオナは、引かなかった。

「我が軍にもたらされた『神託』。あれは、人間の知恵を超えておりました。まるで、戦場の全てを、神の視点から、見ているかのようでした。あれほどの脚本を描ける人物が、ただの人間であるはずがない」

「バルド殿。貴殿が、我が国の、真の恩人を、隠し続ける理由は何ですかな? それとも、何か、我々には知られてはならない、不都合な真実でも、あるのですかな?」


フィオナの、透き通るような青い瞳が、全てを見透かすように、バルドを、真っ直ぐに射抜いていた。

バルドは、しばらく、沈黙した。

目の前の王女は、ただの美しい人形ではない。自分と同等、いや、それ以上に、鋭い洞察力と、胆力を持った、恐るべき交渉相手だ。

彼は、悟った。この王女相手に、下手な嘘や、はぐらかしは、通用しない。

そして、彼は、アッシュの顔を思い浮かべた。あの方なら、この状況を、どう判断するだろうか。

おそらくは、「面白い」と、笑うだろう。


バルdは、深く、息を吐いた。


「……分かりました。王女殿下の、その覚悟、しかと、受け取りました」

彼は、ついに、折れた。

「ですが、その方が、王女殿下にお会いになるかどうかは、私には、分かりかねます。全ては、あの方の、ご意志次第。……ついてきていただけますかな」



バルドの、豪華な馬車に揺られ、フィオナは、ランガの貴族街にある、一軒の屋敷へと、導かれた。

「コーザの館」。

その壮麗な佇まいに、フィオナは、息を呑んだ。


「……ここが、あの方の?」


「いかにも」


バルドに案内され、屋敷の中へと足を踏み入れる。

静かで、洗練された空間。だが、その空気は、どこか、張り詰めているようにも感じられた。

彼女は、広大な応接室へと、通された。


「ここで、お待ちを。あの方が、お見えになるまで」


バルドは、そう言うと、一礼して、部屋を出て行った。

一人、残されたフィオナは、緊張した面持ちで、ソファに腰掛けた。

一体、どんな人物が現れるのだろうか。

白髭を生やした、年老いた賢者か。

歴戦の、傷だらけの将軍か。

あるいは、人ならざる、何かか。

彼女の想像は、様々に、膨らんでいった。


やがて、静かに、扉が開いた。

フィオナは、息を呑んで、扉を見つめた。

そこに現れたのは、彼女の、あらゆる想像を、裏切る人物だった。


部屋に入ってきたのは、一人の青年だった。

自分よりも、おそらくは、年下であろう、穏やかな顔つき。質素だが、清潔な服を、身にまとっている。

その手には、一冊の、分厚い本が抱えられていた。

青年は、フィオナの存在に気づくと、少しだけ、驚いたような顔をしたが、すぐに、穏やかな笑みを浮かべた。


「……あなたが?」


フィオナの唇から、思わず、声が漏れた。信じられなかった。この、まるで、学者のような青年が、あの、神の御業のごとき奇跡を、起こしたというのか。


青年は、静かに、本を閉じると、彼女の前に進み出た。

そして、その、全てを見透かすような、静かな瞳で、彼女を見つめ返した。


「お待ちしておりました、フィオナ王女殿」

「私は、アッシュと申します」


二人の視線が、交錯する。

一人は、国の未来を憂い、真実を求める、気高き王女。

もう一人は、世界を、自らの脚本通りに動かそうとする、追放された支援術師。

大陸の歴史を、新たに動かすことになる、二つの知性の邂逅。

その瞬間が、今、静かに、訪れたのだった。

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