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第十五話:再結成の誓いと地獄の始まり

「コーザの館」の壮麗な応接室から、自分の住む安宿へと戻る道すがら、ミリアの心は期待と不安で激しく揺れ動いていた。

アッシュ。あの穏やかな見た目とは裏腹に、世界の理すら左右するほどの、人知を超えた力を持つ青年。

彼の弟子になる。それは、自分たちが夢見ていた「強さ」への、最短にして最高の切符であることは間違いない。だが同時に、彼の底知れない野望の一端を担うということでもある。自分たちは、一体どこへ連れていかれるのだろうか。


なにより、ゴードンとティナは、この突拍子もない話を信じてくれるだろうか。

彼女が安宿の汚れた扉を開けると、二人は心配そうな顔で駆け寄ってきた。


「ミリア! 大丈夫だったのか!?」

「何日も帰ってこないから、何か事件に巻き込まれたんじゃないかって……」


ゴードンとティナは、ミリアの無事を心から喜んでくれた。その純粋な友情が、ミリアの胸を締め付ける。


「ごめん、二人とも。心配かけて。……大事な話があるの」


ミリアは、意を決して、ここ数日間で自分の身に起きたことの全てを、正直に話した。

あの洞窟での奇跡が、神の祝福などではなく、「アッシュ」という名の支援術師の魔法によるものだったこと。

自分が、その力の源を探し当て、彼と接触したこと。

そして、彼から、自分たちのパーティーを弟子として迎え入れ、最強の冒険者へと育て上げるという、破格の提案をされたこと。


ミリアの話を聞き終えた二人は、呆然としていた。ゴードンの大きな口はあんぐりと開かれ、ティナは小さな目をぱちくりさせている。


やがて、最初に口を開いたのは、ゴードンだった。


「……ミリア、お前、疲れてるんじゃないのか?」

彼の声には、戸惑いと、ミリアを気遣う響きがあった。


「そうよ、ミリア。そんな、まるでおとぎ話みたいなこと……。きっと、悪い貴族か何かに騙されてるんだわ。あなたの純粋なところを利用しようとしてるのよ」

ティナも、心配そうにミリアの手を握った。


彼らの反応は、もっともだった。信じろと言う方が無理な話だ。

ミリアは、こうなることを予測していた。


「騙されてなんかいない。私は、この目で見たの。彼の周りで起きている、数々の奇跡を。それに、あなたたちも、あの力を体験したでしょう?」


「そりゃあ、まあ……。だが、あれが個人の魔法だったなんて、にわかには信じられねえよ」

ゴードンは、腕を組んで唸った。


「俺たちは、俺たちの力で強くなるべきだ。誰かから与えられた力に頼るのは、何か違う気がするぜ」


ゴードンの言葉は、正論だった。冒険者として、それは正しい誇りの持ち方だ。

ミリアたちの間に、気まずい沈黙が流れた。初めて、三人の心に、小さな亀裂が入りかけた瞬間だった。


その時、安宿の粗末な扉が、コンコン、と静かにノックされた。


「誰だ?」

ゴードンが、訝しげに扉を開ける。

そこに立っていたのは、質素だが清潔な旅装をまとった、一人の青年だった。

ミリアは、息を呑んだ。アッシュだった。


「少し、話がこじれているようだから、直接説明に来た」


アッシュは、静かな笑みを浮かべ、部屋の中へと入ってきた。

ゴードンとティナは、彼のただならぬ雰囲気に、完全に気圧されている。


「あなたが……アッシュさん?」

ティナが、おずおずと尋ねた。


「ああ、そうだ。君たちが、ゴードンとティナだね。ミリアから、いつも話は聞いている」


アッシュは、まるで旧知の友人にでも会ったかのように、気さくに話しかけた。だが、その瞳の奥の深淵は、ゴードンたちにもはっきりと見えた。

ゴードンは、ミリアを守るように、一歩前に出た。


「あんた、ミリアに何をした! もし、こいつを騙そうってんなら、俺が許さねえぞ!」


彼は、持てる限りの勇気を振り絞って、アッシュを睨みつけた。

アッシュは、その態度を不快に思うどころか、むしろ感心したように頷いた。


「いい仲間だな、ミリア。……ゴードン、君の仲間を思う気持ちは立派だ。だが、言葉だけでは、何も伝わらんこともある」


アッシュは、ゴードンに向かって、静かに言った。


「俺に、全力でかかってこい。君のその斧で、俺を斬れるものなら、斬ってみろ」


「なっ……!?」

ゴードンは、その挑発に、一瞬戸惑った。だが、彼の単純な気性は、すぐに怒りに火をつけた。


「面白い! 後悔すんなよ、お坊ちゃん!」


ゴードンは、雄叫びを上げると、部屋の隅に立てかけてあった手斧を掴み、アッシュめがけて振り下ろした。それは、彼の持てる力の全てを込めた、渾身の一撃だった。並の冒険者なら、頭蓋骨ごと叩き割られていただろう。


だが、アッシュは、動かなかった。

彼はただ、静かに右手の指を二本立て、迫りくる斧の刃を、その指先で、ぴたり、と受け止めた。

キィン、という甲高い金属音が響き、ゴードンの手斧は、まるで分厚い壁にでも激突したかのように、びくともしなくなった。


「……は?」


ゴードンは、目の前で起きていることが、全く理解できなかった。自分の渾身の一撃が、たった二本の指で止められている。

アッシュは、無表情のまま、指先にほんの少し力を込めた。

パキッ、という乾いた音と共に、ゴードンの愛用の手斧の刃に、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。


「……あ……ああ……」


ゴードンは、腰を抜かし、その場にへたり込んだ。

ティナも、ミリアも、そのあまりに超常的な光景に、言葉を失っていた。


アッシュは、二人に向かって、優しく語りかけた。


「さて、信じてもらえたかな? これでもまだ、疑うかい?」


彼は、何も言わなかった。ただ、その指先から、ふわりと、温かな光を放った。

その光は、ゴードンとティナの体を、優しく包み込んだ。

次の瞬間、二人の体に、あの洞窟での奇跡が、再び舞い降りた。


「こ、この感覚は……!」

ゴードンは、自分の体に、再び力がみなぎってくるのを感じた。


「ああ……温かい……力が、湧いてくる……」

ティナも、恍惚とした表情で、自分の両手を見つめている。


アッシュは、もう一度、静かに言った。

「俺は、人の可能性を引き出すことができる。君たちの中には、まだ君たち自身も知らない、素晴らしい才能が眠っている。俺は、それを目覚めさせる手助けができるだけだ」

「俺と共に来れば、君たちは強くなれる。仲間を守る力も、夢を叶える力も、手に入れることができるだろう。……どうするかは、君たちが決めることだ」


ゴードンとティナは、顔を見合わせた。

もう、疑う余地はなかった。目の前の青年は、本物だ。自分たちの運命を、根底から変えてしまうほどの、絶大な力を持っている。

二人は、ゆっくりと立ち上がると、ミリアの隣に並んだ。そして、三人一緒に、アッシュに向かって、深く頭を下げた。


「「「よろしくお願いします!」」」


三人の声は、完璧に揃っていた。

「灯火の団」が、アッシュの下で、真の意味で再結成された瞬間だった。



その日から、「灯火の団」の地獄の特訓が始まった。

彼らは、アッシュの指示で、「コーザの館」に移り住んだ。だが、彼らに与えられたのは、豪華な客室ではなく、屋敷の裏手にある、質素な訓練用の宿舎だった。


「今日から、君たちには、俺が組んだ特別メニューを受けてもらう。覚悟しておけ」


アッシュの言葉に、三人は緊張した面持ちで頷いた。

彼らの最初の訓練相手として現れたのは、リョウとケンだった。


「よお、新入り。俺たちが、お前らの教官役だ。手加減はしねえから、そのつもりでな」


リョウが、ニヤリと笑いながら言った。

ミリアたちは、彼らが自分たちと同じくらいの歳であることを見て、少しだけ安堵した。だが、その安堵は、訓練が始まった瞬間に、絶望へと変わった。


「うおおおっ!」

ゴードンが、新調したばかりのバトルアックスを、リョウめがけて振り下ろす。だが、リョウは、その大振りの一撃を、まるで戯れるかのようにひらりとかわすと、カウンターでゴードンの腹に強烈な蹴りを叩き込んだ。


「ぐふっ……!」


ゴードンは、くの字に折れ曲がり、地面を転がった。


「動きが直線的すぎる。そんなんじゃ、ナメクジも切れねえぞ」


リョウの容赦ない言葉が突き刺さる。

ミリアとティナも、ケン相手に全く歯が立たなかった。ミリアの剣はことごとく弾かれ、ティナの魔法は発動する前に、ケンの投擲した訓練用の槍によって妨害されてしまう。

三人は、開始からわずか十分で、何度も地面に打ちのめされ、泥だらけになっていた。


「な……なんだよ、こいつら……。強すぎる……」

ゴードンが、呻くように言った。

自分たちと同じくらいの歳の若者が、A級冒険者と噂されるほどの、圧倒的な実力を持っている。その事実に、三人のプライドは、容赦なく打ち砕かれた。


その訓練の様子を、少し離れた場所から、エリアナが冷静に観察していた。彼女の手には、クリップボードとペンが握られている。


「ミリアの剣筋は、理想的な軌道から、平均で3.4度ずれていますね。あれでは、威力と速度が半減します」

「ゴードンの斧の振りは、遠心力を約15パーセント、ロスしています。もっと腰の回転を意識しないと」

「ティナの詠唱は、母音の発音が甘い。それだけで、魔力の収束率が20パーセント近く低下しています」


彼女は、三人の動きを、まるで機械を分析するかのようにデータ化し、その弱点を的確に、そして無慈悲に指摘していく。

アッシュは、その訓練全体を、静かに見守っていた。

三人が、何度打ちのめされても、その度に、彼は遠隔から、ごく微量の回復魔法と、持続的な支援魔法をかけ続けた。

彼のバフによる超回復能力のおかげで、彼らは、本来なら数日は動けないほどのダメージを受けても、すぐに立ち上がることができた。そして、休む間もなく、次の訓練へと向かわなければならなかった。


それは、肉体的にも、精神的にも、まさに地獄だった。

アッシュは、訓練の合間に、彼らに問いかけた。


「なぜ、強くなりたい?」

「何のために、戦う?」

「君たちが、本当に守りたいものは、何だ?」


彼は、単に力を与えるだけでなく、彼らの戦う意志そのものを、根底から鍛え直そうとしていた。

最初は、ただ打ちのめされるだけだったミリアたちだが、数日が経つ頃には、彼らの目に、変化が現れ始めた。

悔しさが、諦めではなく、闘志へと変わっていった。


「……もう一回、お願いします!」


ミリアは、泥だらけの顔を上げ、リョウを真っ直ぐに見据えた。彼女の瞳には、決して折れない光が宿っていた。

ゴードンは、力任せに斧を振るうのをやめ、エリアナのアドバイス通り、効率的な体の使い方を意識し始めた。

ティナは、発音練習を繰り返し、詠唱の無駄を徹底的に省き始めた。


彼らは、この地獄のような訓練の中で、自分たちの未熟な才能が、確かに磨かれ、開花していくのを、実感していた。

苦痛と、それ以上の成長の実感。その奇妙な高揚感が、彼らを突き動かしていた。

「灯火の団」の、本当の意味での再生は、この地獄の底から始まったのだ。



王都の、雨が降る、寒い夜。

地に落ちた勇者レオンは、裏路地の片隅で、ずぶ濡れになりながら震えていた。

仲間と別れ、一人になってから、彼は自分の無力さを、骨の髄まで思い知らされていた。

用心棒の仕事を見つけては、チンピラ数人相手に手間取り、「元A級が聞いて呆れるぜ」と罵倒され、追い出された。

日雇いの荷物運びをすれば、かつての自分なら軽々と運べたはずの荷物が、鉛のように重く、使い物にならないと罵られた。

彼は、自分の体に起きている、深刻な弱体化に、気づかないふりをすることが、もうできなかった。


その日も、彼は、なけなしの銅貨で買った安酒を呷り、酔いに任せて、酒場で他の冒険者に絡んでいた。

「俺は、勇者レオンだ……。A級パーティー『竜の牙』の、リーダーだった男だぞ……!」

だが、その言葉は、誰の心にも響かない。

「ああ? 落ちぶれたC級のアル中が、何か言ってるぜ」

「勇者様が、俺たちに酒でもおごってくれるのか?」

下品な嘲笑が、彼を包む。

かっとなったレオンは、相手に殴りかかった。だが、その拳は、空を切る。逆に、強烈なカウンターを顔面に食らい、彼はあっさりと意識を失った。


気がつくと、彼は、冷たい雨が降り注ぐ、ゴミだらけの路地に捨てられていた。

顔は腫れ上がり、体中が痛む。懐にあったはずの、最後の銅貨も、なくなっていた。

全てを失った。仲間も、金も、栄光も、そして、勇者としての誇りも。

雨水がたまった水たまりに、自分の顔が映っていた。

そこにあったのは、輝かしい勇者の顔ではなかった。やつれ、汚れ、絶望に歪んだ、ただの惨めな男の顔だった。


「……なぜだ」


彼の唇から、か細い声が漏れた。


「なぜ、俺は、こんなに弱くなったんだ……?」


スランプ? 不運? 違う。これは、そんな生易しいものではない。まるで、自分の体から、根源的な何かが、ごっそりと抜き取られてしまったかのようだ。

その時、彼の脳裏に、あの、いつもおどおどしていた、役立たずの支援術師の顔が、ふと、浮かんだ。


(……まさか、アッシュ……?)


あいつがいなくなってからだ。全てがおかしくなったのは。

いや、そんなはずはない。あいつは、ただ、後ろで光を飛ばしているだけだった。俺たちの力が、あんな奴の魔法に、左右されるわけがない。

だが。

だとしたら、この弱さは、どう説明すればいい?

俺たちが強かった、あの頃。いつも、俺たちの体は、温かい光に包まれていたような気がする。疲労を知らず、力がみなぎっていた。

あれは、全て、アッシュの……?


認めたくない。

認めてしまえば、自分の栄光が、全て、自分が見下していた男によって与えられた、偽りのものだったと、認めることになる。

それは、彼のちっぽけなプライドが、到底、耐えられることではなかった。


「う……うわあああああっ!」


レオンは、獣のような叫び声を上げた。

雨の中、泥水に映る自分の惨めな姿を見つめながら、彼は、初めて、恐ろしい真実の入り口に、立たされていた。

彼の心に芽生えたその小さな疑念が、やがて、彼を後悔と絶望の、本当の地獄へと突き落とすことになる。その時は、もう、すぐそこまで迫っていた。

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