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第一話:役立たずの烙印

ひんやりとした石壁が松明の火に照らされ不気味な陰影を落とす。じっとりとした湿気が肌にまとわりつき、時折通路の奥から響く不快な魔物の咆哮が鼓膜を震わせた。

ここは難易度B級に指定されたダンジョン『嘆きの迷宮』。その名の通り一度足を踏み入れれば生きて帰ることはおろか、精神を正常に保つことすら難しいと恐れられている場所だ。


そんな死地を俺たちパーティー『竜の牙』は比較的順調に攻略していた。いや正確に言えば、俺以外の四人がだ。


「アッシュ!《フィジカルアップ》を切れさせるな! トロいんだよ!」


最前線で巨大な両手剣を振るうリーダーであり勇者のレオンが怒鳴る。その額には青筋が浮かび苛立ちを隠そうともしない。


「は、はい! 《フィジカルアップ》!」


俺は慌てて詠唱しレオンの屈強な肉体に向けて支援魔法を飛ばす。ふわりとした光が彼を包み込み、その腕の筋肉がわずかに盛り上がるのが見えた。直後レオンの剣が唸りを上げ、向かってきたオークの棍棒を弾き飛ばしがら空きになった胴体を一閃のもとに切り裂いた。


「チッ、雑魚が時間を食わせやがって」


返り血を浴びた顔で悪態をつくレオン。彼の後ろでは屈強な戦士であるガイが盾を構え、レオンの死角を完璧にカバーしている。


「レオンさん次が来ますぜ。《クイック》を俺にもお願いします!」

「わ、わかった! ガイにも! 《クイック》!」


俺は立て続けに魔法を放つ。ガイの足元に淡い光が灯りそのステップが目に見えて軽やかになった。彼は迫りくるゴブリンの群れを巧みな盾さばきでいなし、的確にカウンターの剣を突き立てていく。


「リリア! 援護を!」

「言われなくても! 《ファイアボール》!」


パーティーの紅一点、魔術師のリリアが杖を掲げると灼熱の火球がゴブリンたちの中心で炸裂した。断末魔の悲鳴が迷宮に響き渡る。


「皆さんお怪我は? 《ヒール》!」


最後尾から神官のセラが柔らかな声で回復魔法を唱える。彼女の魔法は仲間たちが負ったかすり傷を瞬く間に癒していく。


勇者、戦士、魔術師、神官。そして支援術師である俺、アッシュ。

完璧な役割分担に見えるかもしれない。だがこのパーティーにおける俺の立ち位置は限りなく低い。いやゼロに等しかった。


「おいアッシュ、ちゃんと私にも《マインドブースト》かけときなさいよね。魔力が減ってるんだから」

「ご、ごめんリリア! 今かける!」


リリアの突き刺すような視線に俺はびくりと肩を震わせる。彼女はいつもそうだ。俺の支援をまるで当然の権利のように、それでいてどこか見下した態度で要求してくる。


俺の職業、支援術師サポーターは直接的な攻撃手段を一切持たない。できるのは仲間の身体能力を一時的に向上させる《フィジカルアップ》や敏捷性を上げる《クイック》、そして魔法使いの魔力効率を上げる《マインドブースト》といった地味な補助魔法だけだ。

レベルが上がっても新しい攻撃魔法を覚えるわけでもなく、ただ支援魔法の効果時間や効力がわずかに増えるだけ。戦闘の華やかさとは無縁の縁の下の力持ち。それが俺の全てだった。


戦闘が一段落し短い休息を取る。皆が呼吸を整えポーションを飲む中、俺はただ彼らの様子を窺うことしかできない。


「ったく今日のレオンさんはキレッキレでしたね!」

ガイがわざとらしくレオンを持ち上げる。

「ふん、当たり前だ。俺が本気を出せばこの程度のダンジョン、赤子の手をひねるようなものだ」

レオンは胸を張り得意げに鼻を鳴らした。


「それはレオンの力が素晴らしいからよ。でももう少し魔物の配置を考えて進まないと私の魔力がもたないわ」

リリアが不満げに唇を尖らせる。

「そうですよレオンさん。少し慎重に行きましょう。セラの回復魔法ヒールにも限りがあるんですから」

セラが心配そうに眉を寄せた。


会話はいつもこの四人で完結する。俺は存在しないかのように扱われ、ただ次の指示を待つだけの置物だ。

もちろん俺だってパーティーの一員として貢献している自負はあった。俺のバフがあるからこそレオンの剣はより鋭く、ガイの動きはより速くなり、リリアの魔法も長く維持できるはずなのだ。

だが彼らはその事実を認めようとしない。俺の支援は彼らにとって「あって当然の空気」のようなものだった。


「……よし、休憩は終わりだ。次の区画へ進むぞ。ボス部屋はもうすぐのはずだ」


レオンの号令で俺たちは再び立ち上がる。

俺は黙って全員にそれぞれ最適なバフをかけ直した。レオンとガイには《フィジカルアップ》と《クイック》。リリアには《マインドブースト》。そして全員の集中力を高めるために微弱ながら《フォーカス》の魔法も展開する。

俺の魔力マナだって無限じゃない。常に全員の状態を把握し効果が切れる前にかけ直すのは想像以上に神経を使う作業だった。


しかしそんな俺の苦労が報われることは決してなかった。


事件が起きたのは迷宮の最深部、ボスであるミノタウロスとの戦闘中だった。

ミノタウロスはB級ダンジョンの主にふさわしい圧倒的な巨体とパワーを誇っていた。その咆哮だけで空気が震え並の冒険者なら足がすくんで動けなくなるだろう。


「総力戦だ! 各自最大火力で叩き込め!」


レオンが聖剣を構え突撃する。俺は即座に彼へ持てる限りの《フィジカルアップ》を重ねがけした。

ガギィン!と甲高い金属音が響き聖剣とミノタウロスの巨大な斧が激突する。火花が散り衝撃波が俺たちのいる後衛まで届いた。


「今よ! 《ライトニング・ボルト》!」

リリアの放った雷撃がミノタウロスの分厚い皮膚を焦がす。しかし致命傷には程遠い。

「グルォォォオオ!!」

怒り狂ったミノタウロスがターゲットをレオンからリリアへと変更した。


「リリア危ない!」

ガイが身を挺してリリアの前に立ち大盾でミノタウロスの突進を受け止める。凄まじい衝撃にガイの足が地面にめり込むが彼は歯を食いしばって耐え抜いた。


「セラ! ガイの回復を!」

「はい! 《ハイ・ヒール》!」

セラの強力な回復魔法がガイの傷と疲労を癒していく。


その間も俺は必死だった。レオンの力が落ちないようにガイの防御が破られないようにリリアの魔力が尽きないように、そしてセラの詠唱が途切れないように。

絶え間なく四人へ向けて支援魔法を更新し続ける。視界が明滅しこめかみを汗が伝う。魔力欠乏の兆候である軽い眩暈を感じながらも俺は指を止めなかった。


激しい攻防の末ついにミノタウロスが膝をついた。消耗は激しいが勝機は見えている。


「とどめだァッ!」


レオンが聖剣に魔力を溜め必殺の一撃を放とうとした、その瞬間だった。


「……っ!」


限界だった。俺の魔力がついに底をついたのだ。

ふっと空気が抜けるようにレオンにかけ続けていた《フィジカルアップ》の最強効果が途切れた。


「なっ……!?」


力が抜けたような感覚にレオンの動きが一瞬鈍る。必殺剣の輝きが明らかに弱まった。

ミノタウロスはその好機を見逃さなかった。最後の力を振り絞りレオンの体勢が崩れた隙を突いて渾身のカウンターを繰り出したのだ。


ドゴォッ!!


斧の柄の部分がレオンの脇腹を強かに打ち据えた。

「ぐはっ……!?」

レオンは短い悲鳴を上げて吹き飛ばされ壁に叩きつけられて動かなくなった。


「レオンさん!?」

「レオン!」


パーティーに激震が走る。リーダーの戦闘不能。それはパーティーの崩壊を意味した。


「くそっ、立て直すぞ!」

ガイが叫ぶがミノタウロスは止まらない。矛先を今度は魔法使いであるリリアに向けた。

「きゃあっ!」

「リリア! 下がって!」

セラがリリアを庇うように前に出るが神官である彼女に攻撃を防ぐ術はない。


万事休すかと思われたその時だった。

壁に叩きつけられていたレオンがふらつきながらも立ち上がった。その瞳には屈辱と怒りの炎が燃え盛っている。


「……この俺が……!」


彼は最後の力を振り絞り聖剣を投擲した。狙いはミノタウロスの眉間。吸い込まれるように飛んでいった剣は見事にその一点を貫き、巨大な魔物は断末魔の咆哮を上げて崩れ落ちた。


静寂が戻ったボス部屋に荒い呼吸だけが響く。

討伐はできた。しかしパーティーが受けた損害は大きかった。何よりも勇者であるレオンが瀕死の重傷を負わされたという事実が重くのしかかる。


「レオンさん大丈夫ですか!? 今すぐ《ハイ・ヒール》を!」

セラが駆け寄りレオンの治療を始める。

リリアとガイも安堵の表情でレオンの元へ集まった。


俺は魔力が空っぽのままその場で立ち尽くしていた。

やってしまった。俺のせいでレオンが危険な目に遭った。俺がもっとうまく魔力を管理できていれば……。


「……アッシュ」


低い声が俺の名前を呼んだ。治療を受けて少し回復したレオンが憎しみに満ちた目で俺を睨みつけていた。


「てめえ、最後の最後でバフを切りやがったな?」

「ち、違うんだ! あれは魔力が尽きて……」

「言い訳か?」

レオンはゆっくりと立ち上がると俺の胸ぐらを掴み上げた。抵抗する力も俺には残っていない。


「てめえみたいな攻撃もできねえ回復もできねえ、ただ後ろでフワフワ光を飛ばすだけの奴が! 一番重要な局面でミスりやがって!」

「……っ!」

「おかげで俺は死にかけた! このパーティーの恥だ!」


レオンの怒声が石壁に反響する。

ガイが追い打ちをかけるように言った。

「まったくだ。ただバフをかけるだけの簡単な仕事もできねえのかよ。役立たずが」

「本当に。あなたのせいでレオンが傷ついたじゃないの。責任取れるの?」

リリアの冷たい言葉が俺の心を抉る。


唯一セラだけが悲しそうな顔でこちらを見ていたが彼女は何も言わなかった。いやこの場の雰囲気では何も言えなかったのだろう。


「もう我慢ならねえ」

レオンは吐き捨てるように言うと俺を突き飛ばした。尻餅をついた俺を彼は完全に見下していた。


「アッシュ。てめえは今日限りでこのパーティー『竜の牙』から追放だ」


追放。

その言葉が俺の頭の中で何度も繰り返された。


「そ、そんな……。俺はずっとみんなのために……」

「うるせえ! お前がいたから俺たちの本当の力が発揮できなかったんだ! 足手まといなんだよお前は!」

「レオンの言う通りだぜ。お前みたいな支援専門の奴なんてどこにでも代わりはいるからな」

ガイが嘲笑う。


俺は何も言い返せなかった。

彼らの言う通りなのかもしれない。俺はただのお荷物だったのかもしれない。

攻撃も回復もできない半端者。支援魔法だって誰にでも使える初歩的なものばかりだ。そんな俺が勇者パーティーにいたこと自体が間違いだったのかもしれない。


「さっさと失せろ。お前の顔なんざ二度と見たくねえ」


レオンはそう言い放つと俺に背を向けた。リリアもガイも汚物でも見るかのような目で俺を一瞥するとレオンに倣う。

セラだけが何か言いたそうにこちらを振り返ったがリリアに腕を引かれて行ってしまった。


ボス部屋に俺は一人残された。

ミノタウロスの死骸がまるで俺の未来を暗示しているかのように静かに横たわっている。


パーティーへの貢献を信じて必死に魔力を注ぎ込んできた日々。罵倒されても無視されてもいつか認められると信じていた。

だがその結果がこれだった。


役立たずの烙印を押されゴミのように捨てられた。


「……くそっ」


涙が頬を伝った。悔しさと情けなささ、そしてどこにもぶつけようのない怒りが胸の中で渦巻く。

『竜の牙』はミノタウロスのドロップアイテムや素材には目もくれずさっさとダンジョンから去ってしまった。彼らにとってそんなものよりも俺を切り捨てることの方が重要だったのだろう。


俺は空っぽの魔力と心を引きずるようにゆっくりと立ち上がった。

追放された。これからどうすればいい?

支援術師なんていう不人気な職業でソロで活動できるはずもない。他のパーティーが拾ってくれる可能性も低いだろう。


絶望だけがそこにあった。

世界からたった一人だけ切り離されてしまったかのような途方もない孤独感。


「……もう、終わりだ」


力なく呟いたその時。

ふと自分の手のひらが淡く光っていることに気がついた。

それは魔力が回復し始めた兆候だった。俺の魔力回復速度は人よりも少しだけ早い。それも俺が持っている数少ない取り柄の一つだった。


ぼんやりと光る自分の手を見つめていると、ある考えが頭をよぎった。

――そういえば俺は自分自身に支援魔法をかけたことがあっただろうか?


パーティーにいる時は常に仲間への支援を最優先にしていた。自分のことなど考える余裕もなかった。

だが今はもう俺には支援すべき仲間はいない。


「……試してみるか」


何かにすがるような気持ちで俺はか細い声で詠唱した。

自分自身に向けて。


「《マインドブースト》」


ふわりと温かな光が俺の全身を包み込んだ。

その瞬間。


「――え?」


俺は自分の身に起きた変化に言葉を失った。

世界が変わった。


頭の中を覆っていた濃い霧が一瞬で晴れ渡るような感覚。思考が信じられないほどクリアになる。さっきまで感じていた魔力欠乏の疲労感が嘘のように消え去り、代わりに体の中から力がみなぎってくるのを感じた。


そしてそれだけではなかった。

俺の脳裏に膨大な情報が流れ込んできたのだ。


このダンジョン『嘆きの迷宮』の構造。

未発見の隠し通路の場所。

まだ徘徊している魔物の正確な位置と数。

さらにはこのミノタウロスがドロップした素材の現在の市場価値と今後の価格変動予測まで。


「な……なんだこれ……?」


まるで世界のことわりそのものにアクセスできるようになったかのような全能感。

これが《マインドブースト》?

いや違う。今までリリアにかけていたものとは明らかに効果の次元が違う。


俺は震える手でもう一つの魔法を試した。


「《フィジカルアップ》」


再び光が俺を包む。

次の瞬間俺は自分の身体が鋼鉄にでもなったかのような感覚に襲われた。

試しにすぐそばにあった人頭大の瓦礫を片手で持ち上げてみる。


「……かるっ」


さっきまで両手で押してもびくともしなかったであろう岩が、まるで発泡スチロールのように軽々と持ち上がった。

信じられない光景に俺は呆然と自分の手のひらを見つめる。


もしかして俺の支援魔法は……。

他人にかけた時と自分にかけた時で効果が全く違うのか?


いや違う。

思考がクリアになった頭で俺は一つの可能性に行き着いた。


俺は今までパーティーメンバーという「他人」にばかり魔法をかけてきた。それは自分の魔力を切り分けて他人に分け与える行為だ。当然効果は劣化する。

だが自分自身にかけるということは魔力の全てを効果の全てを100パーセント自分自身に注ぎ込むということになる。


そして俺の支援魔法の本当の効果は――俺自身すら今まで全く理解していなかったのだ。


「……そうか」


乾いた唇から笑みがこぼれた。


「俺の魔法は弱くなんかなかったんだ」


レオン。ガイ。リリア。

お前たちはとんでもない勘違いをしていた。

お前たちが「役立たず」と切り捨てたこの力はもしかしたら……世界すらも動かせるほどの可能性を秘めているのかもしれない。


俺は立ち上がりミノタウロスの死骸に近づいた。その角や皮は高値で取引される一級品だ。さっきまでの俺なら一人でこれを解体して持ち帰ることなど不可能だっただろう。

だが今の俺にはできる。


《フィジカルアップ》で強化された腕力で俺はたやすく素材を剥ぎ取っていく。

《マインドブースト》で活性化した頭脳は最も効率的な解体手順を瞬時に導き出していた。


追放された絶望はいつの間にか未知の力への興奮と元仲間たちへの静かな怒り、そしてこれから始まるであろう新たな人生への期待に変わっていた。


「見てろよお前たち」


俺は薄暗いダンジョンの中で一人静かに呟いた。


「俺がいなくなったことを骨の髄まで後悔させてやる」


それは世界から見捨てられた一人の支援術師が、世界の裏側の支配者として君臨することになる始まりの狼煙だった。

こちらのチャンネルで短編作品が朗読動画として公開予定となっています!

https://www.youtube.com/channel/UC6qN3bpnwpAfkzVINKOT-vQ

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