恋の行方:月詠草を求めて 君への想いと、言えない言葉 ~朱斗〜
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朱斗と蒼依が11歳となった年。
長雨がようやくその幕を閉じ、空には高く澄み渡る秋空が戻ってきた頃。
領都カマクラは日ノ本国の首都として着実な発展を遂げ、人々は穏やかな日々に安堵し始めていた。
しかし、そんな折、領都を、そしてアケトの心を深い影が覆った。
アオイが、原因不明の高熱に倒れたのだ。
連日の激務と、慣れない土地での気候の変化が祟ったのか、あるいはこの世界の未知なる風土病か。
アオイの容態は日増しに悪化し、シャナイアの『聖泉の癒導師』の力も、リリーの『清流の恵手』の献身的な看病も、彼女の熱を一時的に下げることしかできなかった。
白い顔で苦しげな息をつき、日に日に衰弱していくアオイの姿は、アケトの心をナイフで抉るように苛んだ。
(俺は…リーダーとして、皆を導くと誓った。なのに、一番大切な人を…蒼依一人救えないというのか…!?)
執務室の椅子に座ることすらできず、アケトはアオイの私室の前を何度も往復し、その表情は焦りと苦悩で歪んでいた。
万策尽きたかと思われた数日目の夜、アケトは一人、月明かりだけが照らす日ノ本神社の本殿へと足を運んだ。冷たい石畳に額をこすりつけ、彼は心の底から叫ぶように祈った。
「神よ…!この地に本当に神がいるのなら…!どうか、蒼依を…アオイを助けてください…!俺の全てを捧げます…だから…!」
その時、彼の背後にふわりと、月の光を吸い込んだかのような純白の影が立った。
三本の尾を優雅に揺らし、金色の深淵のような双眸でじっとアケトを見つめる伊奈帆だった。
「伊奈帆…!頼む、教えてくれ!蒼依を救う方法があるなら…どんなことでもする!」
アケトの魂からの叫びに、伊奈帆は静かに首を横に振った。
だが、その視線は、祭壇に安置された神秘的な水晶玉へと注がれていた。
アケトは、はっとしたように水晶玉に駆け寄り、震える手でそれに触れた。
瞬間、温かい光と共に、彼の脳裏に直接、古の言葉で記された治療法が流れ込んできた。
――『北の禁断の森、その最奥に咲くという月の雫を宿す霊草「月詠草」。
夜霧に濡れ、朝陽を受けて初めてその真価を発揮する聖なる泉「暁の泉」の水にて煎じ、誠の心と共に与えよ。
ただし、月詠草は人ならざる恐ろしき守護者に守られ、暁の泉への道もまた、幾多の魔性が阻むであろう…』
「月詠草…暁の泉…禁断の森…!」
アケトは、その言葉を噛み締めた。危険な道のりであることは間違いない。
だが、蒼依を救える唯一の希望ならば、迷っている暇はなかった。
夜明けと共に、アケトはダンテに事情を話し、朱備えの中からブレディとジャンを選び、三人で密かに出発した。
アオイのことは、マイア母さんとシャナイア、リリーに託して。
「アケト、本当に大丈夫なのか?お前一人でも十分強いのは分かってるが…」
ブレディが、心配そうにアケトの顔を覗き込む。
「ああ。だが、蒼依を救うためだ。一刻も早く月詠草を手に入れなければならない。二人には、道中の護衛と、万が一の時のための助力を頼む」
アケトの瞳には、普段の冷静さとは異なる、焦りと決死の覚悟が燃えていた。
「任せとけ!アオイちゃんのためなら、どんな魔物だってぶっ飛ばしてやるぜ!」
ジャンは、拳を握りしめ、力強く言った。
禁断の森への道は、想像以上に険しかった。
鬱蒼と茂る木々が陽光を遮り、不気味な静寂が支配する。
時折、獣の遠吠えや、得体の知れない魔物の気配が彼らの神経を刺激する。
「…来るぞ!」
アケトが鋭く警告を発した瞬間、森の奥から唸り声を上げて、巨大な牙を持つオークの小隊が襲いかかってきた!その数、およそ五匹。
「ちっ、こんな時に!」
ジャンが舌打ちし、弓を構える。
だが、アケトは彼らを制し、一瞬でオークたちとの間合いを詰めた。
「邪魔だッ!!」
その叫びと共に、アケトの愛剣が閃き、鞘から抜き放たれた瞬間には既に、オークの首が宙を舞っていた。
残りのオークたちが怯んだ隙に、アケトは雷の魔力を纏った拳を叩き込み、目にも止まらぬ剣技で次々と薙ぎ倒していく。
その戦いぶりは、普段の彼の冷静沈着な指揮官としての姿からは想像もつかないほど荒々しく、そして圧倒的だった。
まさにオーバーキル。
蒼依を救いたいという一心だけで、彼は力のセーブという概念を完全に忘れていた。
数瞬後、そこにはオークの亡骸だけが転がっていた。
「…すげえ…」
ジャンが、呆然と呟く。
「アケト…お前、アオイさんのことになると、本当に人が変わるな…」
ブレディも、アケトの普段とは違う、剥き出しの力と感情に圧倒されていた。
「…急ぐぞ。時間がない」
アケトは、短くそう言うと、再び森の奥へと歩き出した。
その後も、彼らは凶暴なワーウルフの群れや、毒を持つ巨大蜘蛛、硬い甲羅を持つリザードマンといった魔物たちに次々と遭遇したが、その全てを、アケトが先頭に立って瞬く間に殲滅していった。
ブレディとジャンは、アケトの援護に回ろうとするが、その必要すらないほどの圧倒的な力だった。
「おい、ブレディ…アケトの奴、本気でやばくねえか?あんなに強いなんて知らなかったぜ…」
道中、ジャンが小声でブレディに囁いた。
「ああ…。これが、俺たちのリーダーの本気か…。俺たちも、もっともっと強くならねえと、あいつの隣には立てねえな」
ブレディも、アケトの背中を見つめながら、静かに、しかし熱く決意を新たにする。
そして、丸一日以上森を駆け抜け、ついに彼らは月詠草が咲くという断崖絶壁にたどり着いた。
その崖の中腹、月の光を浴びて淡く輝く数輪の花――それが月詠草に違いない。
だが、その花を守るように、巨大な影が空を舞っていた。
鋭い鉤爪、鷲のような頭、そして獅子の体を持つ、伝説の魔獣グリフォンだった。
「グルルルルァァァァッ!」
グリフォンは、侵入者であるアケトたちに気づくと、甲高い威嚇の鳴き声を上げ、猛スピードで襲いかかってきた!
「ジャン、ブレディ、援護を!俺が引き受ける!」
アケトは剣を抜き放ち、グリフォンへと真正面から立ち向かう。
ブレディは炎の剣でグリフォンの爪を防ぎ、ジャンは炎の矢でその巨体を牽制する。
しかし、グリフォンの力は想像以上に強大で、その鋭い爪はブレディの剣を弾き飛ばし、風を操る魔法はジャンの矢の軌道を逸らせる。
「くそっ!この化け物め!」
アケトは、仲間たちが苦戦するのを見て、ついにその奥の手の一つを解放した。
「万象廻天、不動の縛!『不動の炎陣』!」
アケトを中心に、地面から朱色の魔法陣が広がり、そこから無数の炎の鎖がグリフォンへと伸び、その巨体を雁字搦めに縛り上げた!
「グギャアアアアア!」
グリフォンが苦しげにもがく。
「今だ!『雷轟一閃』!!」
アケトの剣が、雷光を纏って一閃する。それは、グリフォンの太い首を正確に捉え、一撃のもとにその命を絶った。
巨体が轟音と共に地に墜ち、アケトたちもまた、激しい消耗感と共にその場に膝をついた。
だが、彼らの目には、確かな達成感が宿っていた。
アケトは、震える足で崖を登り、ついに月詠草を手に入れた。
休む間もなく、彼らは暁の泉を探し出し、奇跡の水を汲み取り、再びカマクラへと飛ぶように戻った。
アオイの私室では、シャナイアたちが憔悴しきった表情で看病を続けていた。
そこへ、泥と血にまみれ、しかしその手に確かに希望を携えたアケトが帰還した。
「蒼依!」
アケトは、マイア母さんに月詠草と暁の泉の水を託すと、アオイの傍らに崩れるように座り込み、力なく彼女の冷たくなった手を握った。
薬湯が煎じられ、アオイの口元へと運ばれる。最初は飲む力もなかったアオイだが、アケトが必死に呼びかけると、微かに目を開け、こくりと薬湯を飲み下した。
それから数時間、アケトはアオイの手を握りしめ、ただひたすら祈り続けた。
そして、夜が明け、朝陽が部屋に差し込み始めた頃、アオイの呼吸が穏やかになり、その顔に血の気が戻り始めたのだ。
「…朱斗…さん…?」
掠れた声で、アオイがアケトの名を呼んだ。
「蒼依!気がついたか!」
アケトは、思わずアオイを抱きしめそうになるのを必死でこらえ、彼女の手を強く握り返した。
「…私…どうして…生きて…?」
「大丈夫だ。もう大丈夫だから…お前は、助かったんだ…」
アケトは、安堵と喜びで涙が止まらなかった。
回復した後、シャナイアから、アケトが自分のためにどれほど危険な冒険をし、文字通り命懸けで薬草と水を手に入れてきたかを聞かされたアオイの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「朱斗さん…私のために…そんな…そんな無茶を…馬鹿ですわ…本当に…」
「お前のためなら、どんなことだってするさ…お前がいなくなったら、俺は…」
アオイは、アケトの傷だらけの手を見つめ、そして自分の頬へとそっと寄せた。その温もりが、彼女の心に深く染み渡る。
「…ありがとう、朱斗さん。あなたのおかげで、私はまた…こうして生きている。あなたがいてくれて、本当によかった。
あなたは、やっぱり…私の知っている誰よりも、頼りになる人だわ…ううん、それ以上よ。私の…私の…」
アオイの言葉は、そこで途切れた。
だが、その潤んだ瞳は、どんな言葉よりも雄弁に彼女の深い感謝と、そして彼への特別な想いを伝えていた。
シュートは、その視線に射抜かれたように動けなくなる。
彼女の温もり、彼女の香り、そして自分に向けられた絶対的な信頼と、それ以上の何か。
(今だ…今なら言えるかもしれない…!蒼依、俺は…ずっと前から、お前のことが――)
アケトは、ゴクリと唾を飲み込み、意を決して口を開こうとした。彼女の名前を、愛おしさを込めて呼ぼうとした、まさにその瞬間だった。
「旦那ァァァァ!アケトの旦那ァァァァ!いらっしゃいますかぁ!?」
社務所の扉が、遠慮というものを知らない勢いでドカッと開き、行商人オラライが満面の笑みで飛び込んできた。その手には、何やら怪しげな壺と、派手な色の布切れが握られている。
「いやあ、旦那!とんでもねえ掘り出し物を見つけやしたぜ!こいつは東方の秘薬と言われてる『マムシドリンク』!
そしてこっちは、南国の貴婦人が愛用したとかいう『孔雀の羽扇子』!今ならセットで、お値段なんと…金貨1枚!」
オラライの、場違いなほど陽気で商魂たくましい声が、静かで感動的だったはずの部屋の空気を、一瞬にして台無しにした。
アケトは、額に青筋を浮かべ、盛大にずっこけそうになるのを必死でこらえた。
(…お、オラライぃぃぃぃ!このタイミングで、なんでお前が来るんだよぉぉぉぉ!)
ますます惹かれる蒼依への想いを、なのに好きと言えないアケト。
彼の受難と、もどかしい恋路は、まだまだ続くようだった。
アオイの全快は、村中に大きな喜びをもたらした。
そして、アケトがアオイのために成し遂げた献身的な行動は、改めて彼への信頼と尊敬を深めさせた。
アオイ自身もまた、アケトへの想いを胸の奥でさらに強く確かなものへと変えていた。
二人の間に「好き」という言葉が交わされるのは、もう少しだけ、先の物語となりそうである。
伊奈帆は、そんなじれったい二人を、社の屋根の上から、相変わらず面白そうに、そしてどこか温かく見守っているのだった。
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