第一次ルアン攻防戦前夜
雪解けの雫がキラキラと輝き、木々の蕾が膨らみ始める初春。
ルアン村とドリマ村は、冬の間も止まることのなかった槌音と訓練の声、そして人々の熱気に満ち溢れていた。
ドリマ村の東側要塞は、冬の間に雪に埋もれながらも着実に強化され、今やフレッド男爵の小規模な攻撃程度ではびくともしないであろう威容を誇っていた。
現在は、シュートとルカオンが中心となり、ルアン村とドリマ村を結ぶ街道の本格的な敷設工事が始まっている。
シュートの前世の知識を活かした測量技術と、ルカオンの『大地創成』の力が合わされば、頑丈で排水性にも優れた道が驚くべき速さで伸びていくのだった。
「兄さん、ここの勾配、もう少し緩やかにできる?雨水の流れを考えると、あちらに側溝を掘りたいんだ」
「おう、任せとけシュート!こんなもん、一瞬だぜ!」
二人の連携は、もはや阿吽の呼吸だ。
訓練もまた、新たな段階に入っていた。
シュートの発案で、村の子供たち全員に、遊びの中で魔力を限界まで使い切るという訓練が奨励されていた。
「いいかー!最後まで魔力を使った奴には、アオイ姉ちゃんの特製苺ジュースだぞー!」
ジャンが子供たちの先頭に立って声を張り上げる。
子供たちは、目を輝かせて的当てや追いかけっこに魔法を使い、やがて魔力切れでへなへなと座り込む。
その度に、アオイやシャナイアが優しく介抱し、休息と栄養補給の大切さを教えるのだった。
(この子たちの中から、何人が優れた魔術師に育ってくれるだろうか…)
シュートは、そんな光景を微笑ましく眺めながら、村の未来への投資に手応えを感じていた。
そして、武器製造の分野でも大きな進展があった。
先の冬、フレッド男爵の圧政に耐えかねてキンテロから流れ着いたという、腕利きの鍛冶師と弓師の親子が、ルアン村に新たな技術をもたらしたのだ。
彼らは、シュートが提供した改良型の炉や道具、そしてダンテ石の特性を活かした新しい合金のアイデアに驚嘆し、喜んで協力してくれた。
その結果、村で生産される剣や槍、弓矢の質と量は飛躍的に向上し、過去最高の水準に達していた。
ブレディやジャンは、新しく手に入れた切れ味鋭い剣や、精密な射出が可能な弓を手に、訓練にも一層熱が入っている。
そんな中、かねてからの計画通り、港町キンテロへの使者が派遣されることになった。
白羽の矢が立ったのは、交渉術に長け、元ドリマ村の長として人望もあるドリクと、そして元貴族としての教養と立ち居振る舞い、そして何よりシュートやアオイからの信頼厚いマリンだった。
使者出発の数日前、アオイとライカは、夜、マリンの部屋を訪れた。
最近、マリンの表情がどこか晴れず、思い詰めているように見えたからだ。
「マリンさん、大丈夫ですか?何か、私たちに話せることがあれば…」
アオイが心配そうに声をかけると、マリンは堰を切ったようにポロポロと涙をこぼし始めた。
「アオイ様…ライカ…私、私なんかに、本当にあんな大役が務まるのでしょうか…。元は貴族だったとはいえ、フレッドの家では奴隷として働いていたこの私が、キンテロの町長様と対等に話すなんて…考えただけで、足がすくむのです。
また、あの頃のような蔑んだ目で見られるのではないかと…そう思うと、怖くて…」
マリンは、嗚咽を漏らしながら、膝の上で拳を握りしめた。
アオイは、そっとマリンの肩に手を置いた。
「マリンさん…。あなたの不安な気持ち、とてもよく分かります。
でも、私たちがマリンさんにお願いしたのは、元貴族だったからというだけではありません。
あなたの知識、教養、そして何よりも、その誠実で思慮深いお人柄が、この交渉には絶対に必要だと信じているからです。
身分なんて関係ありません。
マリンさん自身の力を、私たちは信じています」
「母さん…」
ライカも、母の手を強く握りしめた。
「俺も、アオイ様の言う通りだと思う。
母さんは、俺が一番尊敬する人だ。
フレッドの屋敷でだって、いつも俺を守って、正しいことを教えてくれたじゃないか。
だから、大丈夫だよ。
母さんなら、きっとできる!」
アオイとライカの真っ直ぐな言葉と、温かい眼差しに、マリンの心は少しずつ解きほぐされていくのを感じた。
二人の信頼が、何よりも力強い支えとなる。
「アオイ様…ライカ…ありがとう…。
私、弱音を吐いてしまって…でも、あなたたちの言葉で、少し勇気が湧いてきました。
ええ、私にできる限りのことを、精一杯やってきますわ」
涙を拭い、マリンの表情には、か細いながらも確かな決意の光が灯っていた。
そして出発の日。シュートは、決意を新たにしたマリンと、落ち着いた様子のドリクを励ました。
「マリンさん、ドリクさん、どうかよろしくお願いします。決して無理はなさらないでください」
「はい、シュート様。必ずや、良き報せを持ち帰ります」
ドリクが応える。
マリンもまた、深々と頭を下げた。
「…精一杯、務めてまいります」
その声には、もう迷いはなかった。
◇
キンテロの町長モビックとの対談の席。
ドリクは、用意した手土産を差し出した。
アオイが丹精込めて育てた、宝石のように輝く大粒の高級イチゴと、そして…屈強なオークを討伐した証である、その牙や皮などの素材だった。
イチゴの芳醇な香りと甘美な味わいに、モビックは目を見張った。
そして、オークの素材を見た瞬間、彼の表情は驚愕に変わった。
「こ、これは…まさか、あの狂暴なオークを…貴殿らが?」
「はい。我らが村の若者たちが仕留めたものでございます」
ドリクは、誇らしげに答えた。
この手土産は、ルアン村がただの辺鄙な村ではないこと、そしてフレッド男爵の支配下にある他の村々とは一線を画す実力を持っていることを、雄弁に物語っていた。
話し合いが進むにつれ、やはりモビック町長もフレッド男爵の強欲な支配には相当な不満を抱いていることが明らかになった。
しかし、彼は慎重だった。
「お気持ちは痛いほど分かる。だが、我々キンテロが、公然と男爵に弓を引くわけにはいかぬのだ。それは、町の破滅を意味する」
マリンは、その言葉に一瞬唇を噛んだが、アオイとライカの顔を思い出し、毅然と顔を上げた。
ドリクは冷静だった。
「もちろんです、町長。我々も、貴町に無理な要求をするつもりはございません。
ただ…もし、万が一、我々と男爵との間に戦が起きた場合…貴町が、積極的に男爵へ兵を出すようなことだけは、お控え願いたい。
それだけをお約束いただければ、我々にとっては大きな助けとなるのです」
モビックは、しばらく腕を組んで沈黙していたが、やがてゆっくりと頷いた。
「…よかろう。ルアン村と男爵閣下の争いに、キンテロが積極的に兵を出すことはしない。
それを約束しよう。
ただし、これはあくまで中立の立場を取るということであり、貴殿らに肩入れするわけではないことをご理解いただきたい」
直接的な援軍は得られなかったものの、キンテロの中立を確約できたことは、大きな成果だった。
使者たちは、安堵の表情でルアン村への帰路についた。
彼らが持ち帰った報せは、フレッド男爵との来るべき決戦に向け、ルアン村の戦略に新たな一手をもたらすことになるだろう。
キンテロでの交渉を終え、ドリクとマリンは安堵の表情で帰路についていた。
キンテロの町は活気に満ち、お土産にと買い求めた珍しい海産物や工芸品が、馬車の荷台で小さく揺れている。
「マリン殿、本当にお疲れ様だった。
貴女の落ち着いた対応がなければ、モビック町長もあそこまで腹を割ってはくれなかっただろう」
ドリクが心からの労いの言葉をかける。
「いえ、ドリク様こそ。
私一人では、とても…でも、これで少しは村のお役に立てたでしょうか」
マリンは、まだ緊張の余韻を残しながらも、達成感に頬を緩ませていた。
そんな和やかな雰囲気も束の間、街道の脇の茂みから、慌てた様子のオラライが飛び出してきた。
彼は、シュートの指示でキンテロの動向を探っており、ドリクたちが交渉を行うことも知らされていたのだ。
「ドリクの旦那!マリンの奥方!大変だ!フレッドの野郎が、いよいよ兵を挙げなさるぞ!」
オラライの顔は蒼白で、その声は切羽詰まっていた。
「なにっ!?詳しく聞かせろ!」
ドリクの表情が一気に険しくなる。
「間違いねぇ!
俺の仲間が、男爵の城から武器や兵糧が運び出されるのを見たんだ!
奴ら、本気でルアン村を潰しに来る気だ!早急にご報告を!」
三人の間に、一気に緊張が走る。もはや一刻の猶予もない。
「馬車を出すぞ!急げ!」
ドリクの号令で、彼らはルアン村へと馬車を飛ばした。
道中、ドリマ村の分岐点に差し掛かったところで、ドリクは馬車を止めた。
「俺はここで降りる。ドリマ村の連中と共に、男爵を迎え撃つ準備をせねばならん。
オラライ、マリン殿、お二人で急ぎルアン村へこの事を伝えてくれ!」
「分かりました、ドリク様!ご武運を!」「旦那も、お気をつけて!」
オラライとマリンは、ドリクの力強い眼差しに頷き、再び馬車を駆った。
ルアン村に到着するや否や、マリンとオラライはダンテとシュートの元へ駆け込み、一部始終を報告した。
「…フレッド男爵、ついに動き出しましたか」
シュートは冷静に頷き、しかしその瞳の奥には鋭い光が宿っていた。
ダンテは即座に村の主要メンバーを集めた。
「男爵の狙いは、間違いなくこのルアン村だろう。
だが、奴らがドリマ村をどう見るか…無視はできまい。シュート、策はあるか?」
「はい、父さん」
シュートは即答した。
「ドリマ村は既に我々の重要な拠点です。
男爵軍を挟み撃ちにするためにも、また敵の陽動に備えるためにも、先手を打って守りを固めるべきです。
ジョバンニさんを指揮官とし、補佐にルカオン兄さん。
戦闘員としてブレディとケイトさん、そして索敵要員としてキャシーを、至急ドリマ村へ派遣します。
ドリマ村の防衛と、敵の動向を探り、状況によっては男爵軍の背後を突くことも視野に入れます」
シュートの迅速かつ的確な提案に、ダンテは力強く頷いた。
「よし、それでいこう!ジョバンニ、ルカオン、頼んだぞ!」
「承知した!ドリマ村は俺たちに任せろ!ケイト、準備はいいな?」
「ええ、あなた!ジャンとリリーのことは、村の皆さんに託しましょう!」
ジョバンニとケイトは、覚悟を決めた表情で頷き合う。
「おう、ドリマの要塞は俺が手掛けたんだ。そう簡単には破らせねえぜ!シュート、お前もルアン村を頼んだぞ!」
ルカオンも力強く応じる。
ブレディとキャシーも、「必ずドリマ村を守り抜きます!」「風の目で、敵の動きは全て捉えてみせる!」と決意を新たにした。
彼らは、最低限の準備を整えると、他の村人たちからの激励を受け、夜明けを待たずにドリマ村へと急行した。
その迅速な対応を見届けたダンテは、改めて村中に号令を発した。
「戦闘準備だ!
女子供は避難準備を訓練通りに!男たちは武器の確認!
見張り台は警戒を厳に!鐘を鳴らせ!」
カン、カン、カン!と、村に設置された警鐘がけたたましく鳴り響き、穏やかだった村の空気は一変する。
農作業をしていた者も、家の中にいた者も、皆がそれぞれの持ち場へと走り出した。
武器庫からは磨き上げられた剣や槍が運び出され、弓兵たちは矢筒を満たし、防御壁の上には次々と人影が現れる。
シュートとアオイも、ダンテと共に村全体の指揮を執り、村は巨大な生き物のように動き始めた。
一方その頃、フレッド男爵の居城では――。
「フハハハハ!去年の秋、我が可愛いクジュたちが、あの忌々しい黒髪の小娘にしてやられた屈辱!このフレッド、一日たりとも忘れたことはないわ!」
玉座にふんぞり返るフレッド男爵は、憎悪に顔を歪ませていた。
その傍らには、奇跡的に回復した息子のクジュ、そしてゴミュ、カッス、インバの四人の子供たちが、未だ消えぬ傷跡をさらしながらも、同じように復讐の炎を燃やしていた。
「父上、今度こそあの小娘アオイを八つ裂きにしてくれましょうぞ!」
「私たちの受けた苦しみを、百倍にして返してやるわ!」
「あの村ごと焼き払ってくれる!」
子供たちは口々に怪気炎を上げている。
「うむ、それでこそ我が子だ!
今回は、我が領内の精鋭を集めに集めた!総勢五十名!
これだけの兵力があれば、あの程度の田舎村、赤子の手をひねるも同然よ!」
フレッド男爵は、集まった兵の数に満足げに頷いた。
彼にとって、ルアン村は未だに取るに足らない存在であり、アオイはその象徴でしかなかった。
「良いか、者ども!目標はルアン村!
あの黒髪の小娘アオイを生け捕りにし、逆らう者は一人残らず根絶やしにせよ!
さあ、出陣じゃ!あの者どもに、フレッド男爵の恐ろしさを、目にもの見せてくれるわ!」
傲慢な笑いと共に、フレッド男爵の軍勢が、ルアン村へと進軍を開始した。
彼らはまだ、自分たちが足を踏み入れようとしている場所が、どれほどの変貌を遂げているかを知る由もなかった。
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