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アオイ7歳 逃走開始

いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 温かい応援のおかげで、頑張れています。どうぞお楽しみください!

朱斗さんからの手紙をもらった翌日。


私が拠点から戻り、物置同然の、割り当てられた薄暗い部屋で息を潜めていると、あの嫌味な男爵家の執事が、珍しく私の部屋の前に現れたのだ。


「アオイ様。旦那様がお呼びです。すぐにご準備なさって、旦那様の書斎までお越しください」


その声には、いつもの侮蔑に加え、どこか焦りのような響きも感じられた。


(…旦那様が、私を…?)


過去に一度もない呼び出し。


胸騒ぎがする。全身の血がサーッと引くのを感じた。


(バレた!? 私の訓練が? 拠点のことが? それとも、マリンとライカのことに気づかれた? まさか、伊奈帆の存在が…!?)


最悪の事態ばかりが頭をよぎる。


しかし、ここで動揺を見せるわけにはいかない。


「…承知いたしました。すぐに参ります」


平静を装い、まずはライカの元へ急いだ。


彼は母親のマリンと一緒に、裏庭の隅で目立たないように掃除をしていた。


「ライカ、男爵様からの呼び出しよ。理由は分からないけれど、良くない予感がするわ。


何かあった時のために、いつでも動けるように準備しておいて。すぐに合図を送るかもしれないから」


ライカは、私のただならぬ様子に目を見張り、無言で力強く頷いた。


マリンさんも、心配そうな顔で頷き返す。


覚悟を決め、私は男爵の書斎へと向かった。


重厚な扉の向こうには、予想通り、厳めしい顔の父フレッド男爵と、私を嘲るように見下す兄姉四人


――異母兄のゴミュとクジュ、異母姉のインバ、そして同腹の兄カッス――が待ち構えていた。


部屋の空気は重く、彼らの敵意が肌を刺すようだ。


「…来たか、アオイ」


男爵は、私を値踏みするように見つめ、切り出した。


「貴様には、名誉な役を与えてやる」


「名誉、でございますか?」


「そうだ。近々、ルアン村とかいう生意気な村へ、懲罰のための兵を出すことになった。


アオイ、お前もその遠征に加われ」


(ルアン村へ…!? 北部の辺境…まさか、朱斗さんがいるかもしれない場所に…!?)


頭が真っ白になりかけるのを、必死で抑える。


「当然であろう!」


ゴミュが嘲笑う。


「お前もフレッド家の人間のはしくれ。父上のご命令は絶対だ。むしろ、感謝するべきだな、このような機会をいただけるとは!」


「そうよ」


インバが冷ややかに続ける。


その目は、以前の屈辱を思い出したのか、特に陰湿な光を宿している。


「以前、クジュと私が少しからかってやった時に、生意気にも魔法なんぞ使ったじゃないの! あの時の屈辱…! その威力、なかなかのものだったわ。


水魔法だったかしら? ならば、男爵家のためにその力を使うのが当然でしょう? せいぜい、あの時のように水魔法で敵を倒せばいいわ! できるものならね!」


(あの時のこと…! クジュとインバが一方的に私に絡んできて、警告のつもりで水の塊をぶつけただけ…それでこの仕打ち…!)


「そうだ!あの時の借りは、戦場で返してもらうぞ! 我ら兄姉も参加する。お前だけが楽をすることは許さんぞ」


クジュが、まだ少し顔に残る痣(これは最近訓練によるものだろうか)をさすりながら、不機嫌そうに言う。


「そうだそうだ。先陣を切って、我々の盾となり、少しでも育ててもらった御恩に報いるのだな、出来損ないめ」


実の兄であるはずのカッスが、唾を吐きかけるように言った。


「先陣…それはつまり、人身御供として死ね、ということですか?」


私は、感情を殺し、努めて冷静に問い返した。


「言葉のまんまだよ、アオイちゃん」


ゴミュが下品に笑う。


「お前が一人で最初に突っ込んで、派手にやられてくれれば、敵の油断も誘えるだろう? 男爵家の娘として、立派な武功じゃないか。ギャハハハ!」


「それは、父上である男爵様ご自身の、ご意向なのですか?」


「当たり前だろうが!」


ゴミュが怒鳴る。


「父上も、目障りなお前を、これでようやく合法的に処分できるんだ。せいぜい、犬死にしないようにしっかりやれよ! 命令だ!」


(やはり…そういうことだったのね…私を、使い捨ての駒として、死地に送り込むつもり…)


怒りと憎悪が、黒い炎のように心の奥底から湧き上がってくる。だが、今は耐える時だ。


「…承知、いたしました」


感情を完璧に押し殺し、深く頭を下げる。


「ただ…私は武器も防具も、何も持っておりませんが…」


「心配するな。最低限の装備くらいは用意してやる。使い古しの革鎧と、錆びた短剣でもくれてやろう。ありがたく思え」


男爵は鼻で笑う。


「出発は数日後だ。それまでにせいぜい、死ぬ覚悟でもしておくんだな。…もう下がれ」


「…失礼いたします」


書斎を出た瞬間、私は壁に手をついた。


心臓が激しく脈打ち、冷や汗が止まらない。


(ルアン村への遠征…数日後…ロバの到着を待つ時間はない…! 今夜、決行するしかない!)


決意を固め、マリンとライカ、そして伊奈帆が待つであろう秘密の拠点へと急ごうとした。


だが、その考えは甘かった。


廊下の先で、待ち構えていたかのように、再びあの四人の兄姉が現れたのだ。


彼らの顔には、サディスティックな喜びの色が浮かんでいる。


「あらあら、名誉ある先陣、おめでとう、アオイ」


インバが、ねっとりとした声で言う。


「せいぜい頑張れよ、人身御供! お前の死に様を、高みの見物とさせてもらうぜ!」


カッスが下卑げびた笑みを浮かべる。


そして、彼らは待っていましたとばかりに、私を取り囲み、殴る蹴るの暴行を加え始めた! バシッ! バシッ! ドカッ!


「どうした、痛いか? 痛いだろう!?」


「もっと抵抗しろよ、つまらない!」


「この黒髪、本当に気味が悪いんだよ!」


(…痛くない)


予想外の感覚に、私は内心驚いていた。


日々の鍛錬と魔力制御によって無意識に発動していたのだろう、【身体強化】の魔法が、彼らの非力な打撃の痛みをほとんど消し去っていたのだ。


いや、痛みはある。けれど、それ以上に、腹の底から湧き上がる、燃えるような怒りが、肉体的な感覚を麻痺させていた。


この屈辱は? この憎しみは? この理不尽は?


(…もう、我慢する必要なんてないじゃない。どうせ今夜、ここを出ていくのだから。こいつらに、これまでの全ての仕返しをする、最後の機会…!)


そして、冷たい閃きが、私の脳裏を貫いた。


(待って…こいつらをここで完全に潰しておけば? 男爵家の跡継ぎ候補たちが瀕死になれば…数日後の遠征自体が中止になるかもしれない…!


それは、ルアン村を救うことに繋がるのでは? そして、私が逃げる時間を稼げる…!)


(…いいアイデアだわ)


覚悟は、決まった。


「いい加減にしなさいよ!」


頭を叩こうとしたインバの手を、私は素早く掴み、渾身の力で跳ね除ける!


「いたぁいっ!? な、何すんのよ! このクズ!」


インバが驚きと痛みで叫ぶ。他の三人も、予想外の抵抗に動きを止めた。


「あらあら、驚いた顔しちゃって」


私はゆっくりと顔を上げ、憎しみを込めて四人を睥睨へいげいする。


「あなた達、本当の『戦い方』って、知ってる?」


右手に魔力を集中させる。腕が淡い蒼色の光を帯び、周囲の空気がピリピリと震えるのを、私自身も感じた。


「「なっ…!?」」


「ま、魔法だと!? 貴様、いつの間にそんな力を…! ただの水玉遊びじゃなかったのか!?」


クジュが顔を引きつらせる。


四人が恐怖に顔を引きつらせる。彼らは私が以前使ったのとは比較にならない魔力を感じ取っているのだろう。


「人の痛みを、思い知れ!」


まず、一番体格のいい長男のゴミュに狙いを定める。


「『ウォーターバインド』!」


水の縄が生きているかのようにゴミュの体に巻き付き、締め上げる。


彼は巨体を捩よじって抵抗しようとするが、水の縄は食い込むばかりでびくともしない。


「ぐっ…! なんだこれは!離せ!」


「まずは一人目よ」


私は冷ややかに告げると、ゴミュの腹部に目に見えぬ水の槌を叩き込んだ。


「『ウォーターハンマー』!!」


「グボォッ!!」


鈍い衝撃音と共に、ゴミュは短い悲鳴を上げ、白目を剥いて拘束されたまま崩れ落ちた。


次に、クジュが恐怖に顔を引きつらせて後ずさろうとするのを、私は見逃さなかった。


「『ウォーターバインド』!」


「ひぃっ! や、やめろ!」


クジュもまた水の縄に捕らわれ、身動きが取れなくなる。


「これで二人目」


容赦なく放たれた『ウォーターハンマー』がクジュの胸を打ち、ゴキリと嫌な音が響いた。クジュは声もなく床に沈む。


「さあ、次はあなたの番よ、カッス兄様?」


実の兄であるカッスは、既に腰を抜かし、見苦しく命乞いを始めていた。


「ア、アオイ! 頼む! 許してくれ! もう二度としないから! 俺は、お前の実の兄じゃないか!」


「『ウォーターバインド』」


その言葉を聞く前に、私は彼をも水の縄で縛り上げた。


「ふふ、三人目」


『ウォーターハンマー』。カッスの悲鳴は、途中で途切れた。


最後に残ったのは、インバだった。


彼女は顔面蒼白でガタガタと震え、ついに立っていられなくなったのか、その場にへたり込んだ。


そして、足元から生温かい液体が広がるのが見えた。


恐怖のあまり、尿を失禁してしまったのだ。


「あらあら、おもらし? 汚いわね」


私は凍てつくような笑みを浮かべた。


「でも大丈夫よ。水が綺麗にしてくれるから良かったわね、『お姉様』?」


「い、いやぁぁぁぁっ! た、助け――」


インバの懇願を遮るように、最後の『ウォーターバインド』が彼女を捉え、そして、私は宣言した。


「これで、綺麗さっぱり、ね」


「『ウォーターハンマー』!!」


甲高い悲鳴と鈍い打撃音が重なり、インバは汚物の中で意識を失った。


数瞬後、そこには、もはや先程までの傲慢な兄姉たちの面影はなかった。


血と汚物にまみれ、手足がありえない方向に捻じ曲がり、かろうじて息はあるものの、完全に無力化された四つの肉塊が、冷たい石の床に転がっているだけだった。


苦痛に顔を歪め、うめき声を漏らすことしかできない彼らの姿は、哀れというより滑稽ですらあった。


私は、その惨状を冷ややかに見下ろし、湧き上がる感情を抑え込むように深く息を吐いた。


長年の憎しみと屈辱が、この一瞬の暴力によって晴らされたかと言えば、そうではない。


むしろ、心の奥底には、言いようのない虚しさと、自分が人間ではない何かになってしまったかのような、冷たい感覚が広がっていた。


だが、後悔はない。


これは、生き延びるために、自由を掴むために、必要なことだったのだ。


私は、床に転がる肉塊に向かって、吐き捨てるように言った。


「サヨナラ、私の『ご家族』。次に会うことがあれば、その時は、本当に命を奪ってあげるわよ」


憎むべき兄姉への、長年の復讐。ルアン村への遠征が中止になるかも知れない、ささやかな手助け。


そして、私自身の逃亡への最後の布石。


全てを、やり遂げた。


私は、もはや何の未練も感じないその場に背を向け、今度こそ、本当の自由を手に入れるために、屋敷の出口へと、静かに歩き出した。


足音一つ立てず、影のように。夜の闇が、私の逃走を隠してくれるだろう。



アオイが、憎悪と決意を胸に秘め、フレッド男爵邸の影へと消えていった、その直後のことである。


屋敷の長い廊下に、異様な静寂と、そして微かな呻き声、血と汚物の匂いが漂っていた。


定期巡回をしていた老執事が、その異変に気づき、恐る恐る声のする方へと近づいた時、彼は己の目を疑った。


そこには、男爵家の次代を担うはずのご子息、ゴミュ様、クジュ様、カッス様、そしてご令嬢のインバ様が、まるで打ち捨てられた雑巾のように、冷たい石の床に転がっていたのである。


全員が血にまみれ、手足は不自然な方向に曲がり、苦痛に顔を歪めてか細い呻き声を漏らしている。


特にインバ様の周囲は、強いアンモニア臭と共に液体が広がっており、事態の異常さを際立たせていた。


廊下の壁には衝撃の跡が生々しく残り、床には血溜まりと…見慣れぬ汚物までが広がっている。


執事は、長年この家に仕えてきたが、これほど凄惨せいさんな光景は見たことがなかった。


「!!!!」


声にならない悲鳴を上げ、執事は腰を抜かしそうになりながらも、必死に現状を把握しようとした。


そして、これがただ事ではないと悟ると、震える足で主君の元へと急いだ。


男爵の書斎に飛び込み、彼は蒼白な顔で、言葉を振り絞った。


「だ、旦那様! 大変にございます! ご子息様方が…皆様、廊下で…! み、皆さま、瀕死の重傷にございます!! お、お召し物も汚され…!」


「なんだと!?」


報告を受けたフレッド男爵は、椅子から転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がった。


その顔には、驚愕と、不信の色が浮かんでいる。


「馬鹿な! 屋敷の中で、誰がそんなことを…いや、今はいい! 案内しろ!」


男爵は、執事を伴い、慌てて書斎を飛び出し、現場へと急いだ。


そして、彼が目にしたのは、執事の報告を遥かに超える、惨状だった。


「ゴミュ! クジュ! カッス! インバ! おい、しっかりしろ! 何があったのだ!?」


見るも無残な姿で床に転がる我が子たちを前に、男爵は激しく動揺した。


特に、跡継ぎとして期待していたゴミュとクジュ、そしてカッスとインバの無力な姿に、彼の顔は怒りと屈辱に歪んだ。


インバに至っては、失禁したまま放置されている。


幸い、長男のゴミュが、かろうじて意識を保っていた。


「ゴミュ! 聞こえるか! 一体、何があったのだ! 誰にやられた!」


男爵がゴミュの肩を揺さぶると、ゴミュは薄目を開け、苦痛に顔を歪めながら、震える声で語り始めた。


「…ち、父上…あ、アオイです…あの忌み子が…」


「アオイだと!? あの出来損ないがか!?」


「は、はい…我々が、遠征について、少し…からかったところ、突然…ま、魔法を…! あ、青い光と共に、一人ずつ…! あの女…本性を隠して…!」


ゴミュは、途切れ途切れに状況を説明した。


アオイが強力な魔法を使い、まず水の縄で拘束し、抵抗できないようにしてから、一人一人を的確に、そして容赦なく打ちのめしたこと、そして「次に会ったら命を奪う」と言い残して去っていったこと…。


「あの、忌み子がァァァァァァーーーーッッ!!!!」


ゴミュの話を聞き終えたフレッド男爵は、烈火のごとく激昂した!


自分の子供たちが、それも四人がかりで、あの存在しないものとして扱ってきた娘一人に、こうも無残に、そして計画的に打ちのめされたという事実。


そして、その娘が、男爵家の権威を、そして彼自身のプライドを、根底から踏みにじったという屈辱!


「よくも…よくもこの私を、そしてフレッド家を愚弄ぐろうしてくれたなァッ!!」


男爵の怒りは、書斎の調度品を蹴り飛ばさんばかりの勢いだった。


「医者を呼べ! 今すぐにだ! 全力で治療させろ!」


まず、子供たちの手当てを指示する。


彼らがこのまま死ぬことはないだろうが、まともに動けるようになるには相当な時間がかかるだろう。


精神的なダメージも計り知れない。


「そして…ルアン村への遠征は一時中断だ! この状況では不可能だ…!」


計画の変更を余儀なくされ、男爵の表情はさらに険しくなる。


「だが、これは許さん…絶対に許さんぞ…アオイめ…!」


男爵は、憎悪に燃える目で、廊下の闇を睨みつけた。


「総員に告げよ! 今すぐアオイを捕えよ! 屋敷からも、この街からも、絶対に逃がすな! 何としても、あの忌々いまいましい黒髪の娘を連れ戻すのだ!! 生死は問わん!!」


フレッド男爵の怒号が、屋敷中に響き渡った。


静かだったはずの屋敷は、にわかに衛兵たちの慌ただしい足音と怒声に満たされ、アオイを捕縛するための、緊急の捜索体制が敷かれ始めた。


アオイの捨て身の反撃は、確かに遠征を一時的に阻止したかもしれない。


だが、同時に、男爵の怒りに火をつけ、彼女自身への容赦ない追手を放つ結果となったのだ。アオイの逃走劇は、始まった瞬間から、過酷な追跡劇へと姿を変えようとしていた。

ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

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