アオイ 拠点づくり②
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路地裏には、意識を失った男、戦闘不能の男、そして手首を失い血だまりの中でもがき苦しむ男が転がっていた。
後始末をどうするか…私が思案する間もなく、助けられたお嬢さんが、震えながらも駆け寄ってきた。
「あ、ありがとうございます…! 私はラーニャと申します。あなたたちが来てくれなかったら、私は…!」
涙ながらに感謝する彼女に、私は冷静に告げた。
「怪我はない? 大丈夫なら、すぐに衛兵を呼んできて。
こいつらは衛兵に引き渡しましょう。おそらく、犯罪奴隷として余生を過ごすことになるでしょうから」
この街の法は知らないが、白昼堂々女性を襲い、魔法使い(である私と、そうは見えないかもしれないが体術を使うライカ)に手を出したのだ。
良くて鉱山送りか、悪ければ見せしめの処刑だろう。
どちらにせよ、二度と悪事はできない。
「は、はい! すぐに!」ラーニャさんは頷き、よろめきながらも路地の入り口へと走っていった。
私とライカは、念のため男たちが完全に無力化されていることを確認し、手首を失った男には簡単な止血だけは施して(死なれては後味が悪い)、衛兵の到着を待った。
ライカが風魔法で血の匂いを少し散らしてくれる。
やがて、ラーニャさんに連れられた数人の衛兵が駆けつけ、手際よく三人の男たちを拘束し、連行していった。
衛兵たちは、子供である私たちが屈強な男たちを(しかも一人は魔法使いを)返り討ちにしたことに驚きを隠せない様子だった。
しかし、ラーニャさんの証言もあり、特に詮索されることもなく、むしろ感謝の言葉を述べられた。
「街の治安維持にご協力いただき感謝する」と、隊長らしき人物が型通りの礼を言った。
「本当に、ありがとうございました! 何とお礼を言ったらいいか…」
改めて、ラーニャさんが深々と頭を下げてきた。彼女は近くの馬宿(旅人向けの宿と馬屋を兼ねた施設だろう)の娘だという。
「お礼なんて、いいのよ。当然のことをしたまでだわ」
私は、こういうやり取りはあまり得意ではないので、そっけなく答える。
「で、でも、それでは私の気が済みません! どうか、せめて宿に寄って、両親にも挨拶させてください! お願いします!」
ラーニャさんは、必死に食い下がってくる
。その瞳は真剣で、断りきるのは難しそうだ。
それに、馬宿の娘、という言葉に、少しだけ興味が湧いたのも事実だった。
「…分かったわ。少しだけなら」
ラーニャさんに案内され、私たちは活気のある馬宿へと足を踏み入れた。
馬と飼葉の匂いがする。
中では、恰幅の良い主人らしき男性と、優しそうな女将さんらしき女性が、心配そうにラーニャさんの帰りを待っていた。
そしてラーニャさんから事の顛末を聞くなり、二人は顔色を変え、私たちの前に飛んできた。
「おお、娘が大変お世話になりました!」
「まあ、本当にありがとうございます!」
二人は、涙ながらに何度も私たちに頭を下げ、感謝の言葉を繰り返した。
馬宿の仕事は危険も伴うため、娘の身を案じていたのだろう。
その感謝の気持ちは、心からのものだと伝わってきた。
「いえ…」と答えながらも、どうしたものかと少し戸惑う。
「どうか、お礼をさせてください! 何かお望みのものは? お金ですか? それとも…」
「いいえ、お礼は結構ですわ」
私は再び断る。
下手に金品を受け取れば、後々面倒なことになるかもしれない。
「しかし、それでは娘も、我々も納得がいきません! …そうだ! 私たちにできることといえば、馬のことくらいですが…
馬のことなら、いつでも、何でも仰ってください! 馬の世話でも、良い馬の目利きでも、何でも協力させていただきます!」
主人が力強く言った。
(馬か…いずれは必要になるかもしれないけれど、今すぐではないわね…)
「お気持ちだけ、ありがたく頂戴しますわ。それでは、いつか馬を購入する日が来れば、その時は相談に乗っていただけると嬉しいです」
私は、当たり障りのない、社交辞令としてそう答えた。
だが、主人はそれでは収まらないようだった。
「いやいや、そんな先の話ではなく! 今、何かできることは…そうだ!」
主人は何か思いついたように、店の奥へと引っ込んだかと思うと、一頭の動物を連れて戻ってきた。
「これならば、お嬢様!」
それは、馬ではなく、小柄で、しかし頑丈そうな灰色のロバだった。目は穏やかで、人によく慣れているように見える。
「このロバなら、気性も穏やかで、お嬢様のようなお若い方でも安心して乗れますし、荷物もたくさん運べます。どうか、我々の感謝の印として、この子を受け取ってください!」
「えっ…でも、ロバをいただくわけには…」
「どうか、お願いします! これくらいしか、我々にできるお礼がないのです!」
両親とラーニャさん、三人から真剣な目で懇願される。
その必死な様子に、こちらも引くに引けない。
(ロバ…)私は考えた。馬ほどの速さはないかもしれない。
だが、頑丈で、粗食にも耐え、荷物を運ぶ能力は高い。
それに、馬よりも目立たないかもしれない。
(…隠し菜園で飼っておけば、エサにも困らないだろうし、何より、あのオークの塒への物資運搬の効率が格段に上がる! これは…断るべきではないかもしれない)
それに、この人たちの心からの感謝の気持ちを、無下にするのも気が引ける。
「…分かりました。あなたたちの温かいお気持ち、ありがたく頂戴しますわ」
私がそう言うと、ラーニャさん一家は、心底ほっとしたように顔を輝かせた。
「ありがとうございます! 本当に嬉しいです!」
主人が、連れてきたロバのたてがみを優しく撫でる。
「この子、名前はあるんですか?」
私が尋ねると、ラーニャさんが首を横に振った。
「いいえ、まだ付けてないんです。お父さんが市場で買ってきたばかりで…」
「そう。じゃあ、私が付けてもいいかしら?」
「ええ、もちろんですとも!」
私は、穏やかで優しい瞳をしたロバをじっと見つめた。
灰色の毛並みだけど、どこか愛嬌がある。
「そうね…女の子みたいだし、優しい感じがするから…『桃』ちゃん、というのはどうかしら?」
私がそう言って、ロバの鼻先にそっと手を伸ばし、「桃ちゃん、よろしくね」と呼びかけると、ロバは大きな黒い瞳で私をじっと見つめ返した後、ふん、と小さく鼻を鳴らし、私の手のひらにその柔らかい鼻面をすり寄せてきた。
そして、ヒン、と短く、でも嬉しそうに鳴いた。
「まあ! 桃ちゃん、アオイ様のことが気に入ったみたい!」
ラーニャさんが声を弾ませる。
(…可愛い)不覚にも、そう思ってしまった。
動物と触れ合うなんて、久しぶりだ。
ライカも、そばで目を細めて桃ちゃんを見ている。
こうして、私は予期せず、貴重な移動力と運搬力、そして新しい仲間である桃ちゃんを手に入れた。
早速、街で買い込んだ荷物をロバの背に乗せてもらう。
ずっしりと重かった荷物が、桃ちゃんにとっては大した負担ではないようだ。
ラーニャさん一家に改めて礼を述べ、私とライカは、桃ちゃんを連れて馬宿を後にした。
まずは、この子を人目につかない隠し菜園へと連れて行かなければならない。
今日の街への買い出しは、予想外の展開の連続だったが、結果として大きな収穫を得ることができた。
私は、隣を歩くライカと、そしてゆっくりと健気についてくる桃ちゃんを見ながら、未来への確かな手応えを感じていた。
街から戻った私とライカは、まず新しく仲間になったロバを、人目を避けて屋敷近くの隠し菜園へと連れて行った。
翌日からの拠点への物資運搬は、桃ちゃんのおかげで劇的に楽になった。
街で買い込んだ鉄鍋や縄、薬草、干し肉、毛布、それに調整してもらった胸当てや購入した矢など、これまでなら私とライカで何度も往復しなければならなかったであろう大量の荷物を、桃ちゃんの背中に積んでしまえば、一度で森の奥の拠点まで運ぶことができる。
その運搬能力は格段に上がり、拠点整備の効率も飛躍的に向上した。
私は内心で、あの馬宿一家に改めて深く感謝した。
オークの塒を拠点とするための本格的な整備が始まった。
まずは、徹底的な清掃と空間の確保だ。
「ライカ、今日もお願いね。まずは埃と細かいゴミを外へ!」
「はい、アオイ様! 『ゲイル』!」
ライカが力強く風魔法を発動させると、洞窟の奥から入り口に向かって強い風が吹き抜け、床に積もった最後の埃や、隅に残っていたクモの巣などが一掃される。
「よし、次は壁と床磨きよ! 『アクアウォッシュ』!」
私は大量の水を生成し、壁や床に叩きつけながら、水の流れをブラシのように操作してこびりついた汚れを削ぎ落していく。
オークたちが残したであろう脂汚れや、長年積もったであろう苔なども念入りに洗い流す。
岩肌が見えるまできれいになったところを、ライカが『ドライウィンド』で素早く乾かしていく。
清掃に目処がつくと、次は生活空間の整備だ。
「ここに寝床を作りましょう。乾いた苔と枯れ葉を集めてきてくれる?」
ライカが集めてきた素材を、私は水魔法で軽く湿らせてから形を整え、ライカの風魔法で乾燥させて、ふかふかのマット状にする。
その上に、狩りで得た牙猪の毛皮や、街で買ってきた丈夫な毛布を敷けば、岩の上で寝るよりはずっと快適な寝床が出来上がった。
二つ作り、私とライカがそれぞれ使えるようにする。
(伊奈帆は…どこでも丸まって寝てしまうだろうけど)
次は食料の保存だ。
洞窟の少し高い位置にある岩棚を利用し、燻製棚を作る。
狩りで得た肉を薄く切り、塩を擦り込んでから、湿らせた薪(これも風魔法で乾燥を早めたものだ)を使い、煙でじっくりと燻していく。
火加減は難しいが、失敗しながらも少しずつコツを掴んでいった。
出来上がった干し肉や燻製肉は、縄で吊るして保存する。
街で買った鉄鍋と火打石を使えば、簡単な煮込み料理くらいは作れるだろう。
拠点近くの小さな畑には、薬草や成長の早い葉物野菜の種を蒔いた。
私が持つ『豊穣』の力の影響か、あるいは土壌が良いのか、驚くほど早く芽を出し、少しずつだが収穫できるまでになっていた。
これで、いざという時の食料も確保できる。
洞窟の奥には、道具置き場も設けた。
予備の矢、縄、たいまつ、獣脂ランプ(これも手作りだ)、武器の手入れ道具などを整理して置く棚を作る。
木材は、周辺の森で手頃な枝を拾い集め、ライカが風魔法で形を整え、私が水魔法で接着箇所を補強するという、簡易的ながらも魔法を活用した作り方だ。
日が短くなり、朝晩の冷え込みが厳しさを増す中でも、私たちの作業は続いた。
伊奈帆はいつも入り口近くで見張りをしてくれ、時には迷い込んできた小動物を捕らえてきてくれることもあった。
洞窟の中は、もはやオークの住処の面影はなく、獣臭さもほとんど消え、代わりに焚き火と燻製の匂いが微かに漂う、私たちの「秘密基地」と呼ぶにふさわしい空間へと変わりつつあった。
がらんとしてはいるが、そこには確かな生活の基盤が築かれ始めていた。
(問題は、逃げ出した後、どうするか…どこへ向かい、どう生きていくか。それを、そろそろ真剣に考えなければならないわね…)
伊奈帆は、私がそんな考え事をしている間も、拠点の周囲を静かに巡回し、私たちの安全を守ってくれている。
そんな日々が流れ、街で薙刀を注文してから一ヶ月ほどが過ぎた頃、武器屋から「注文の品が完成した」との連絡が、私が密かに手配していた方法で届いた。
今度は、一人で行く必要があるだろう。大きな買い物だし、ライカを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「ライカ、少し街まで行ってくるわ。新しい武器を受け取りにね。ここはお願いできる?」
「えっ、アオイ様お一人でですか? 私もお供します!」
ライカが心配そうに言う。
「大丈夫よ。今回は桃ちゃんもいるから」
私は、すっかり私たちに懐いたロバの背を撫でながら言った。
「あなたは、ここの留守をお願い。何かあったら、すぐに伊奈帆に知らせて」
「…わかりました。お気をつけて、アオイ様」ライカは少し不安そうだったが、私の決意を察して、力強く頷いてくれた。
私は、桃ちゃんの背中に乗り、一人で街へと向かった。
ライカがいないのは少し心細いが、同時に、自分の足で道を切り開いているという実感もある。
歩くのとは比べ物にならないほど速く、
そして楽だ。桃ちゃんは私を乗せても嫌がるそぶりも見せず、穏やかな足取りで道を進んでくれる。
その温かい背中と、時折こちらを振り返る優しい瞳に、私は日に日に愛着が湧いていくのを感じていた。
隠し菜園では、最初は警戒しあっていた伊奈帆とも、最近ではお互いに距離を取りつつも、穏やかに過ごしているようで、それも嬉しかった。
武器屋で受け取った薙刀は、私の身長に合わせて作られた、まさに逸品だった。
黒檀のように艶やかで、手に吸い付くような感触の柄。
穂先は、まるで氷のような鋭い輝きを放ち、全体が絶妙なバランスで保たれている。
手に取った瞬間、まるで自分の体の一部になったかのような、強い一体感があった。
『流水槍術』の動きにも、しっくりと馴染む。
これを自在に扱えるようになれば、私の戦力は飛躍的に向上するだろう。
これこそが、私の新しい力となる。
薙刀を大切に背負い、再び桃ちゃんに乗って拠点へと戻る。
空は高く澄み渡り、冬の訪れを間近に感じさせる冷たい風が頬を撫でていく。
オークの塒を拠点化し、資金と物資を確保し、新しい武器も手に入れた。ライカはますます頼もしくなり、伊奈帆と桃ちゃんという仲間も増えた。
私自身の力も、魔法も体術も、確実に向上している。
こうして、多くの出会いと、厳しい戦いと、そして確かな成長と共に、私の6歳の一年は終わろうとしていた。
拠点の洞窟に戻り、新しく手に入れた薙刀を壁に立てかける。
その静謐なまでに美しい刃を眺めながら、私は燃え残る焚き火の炎に照らされた洞窟の天井を、静かに見上げた。
(朱斗さん…私は、なんとかやっています。少しは、強くなれたでしょうか…?)
込み上げてくる様々な感情を胸にしまい、私は、まだ見ぬ彼方へと、心の中でそっと呟いた。
「朱斗さん…私は、きっと元気になりますから」
それは、この過酷な世界で生き抜き、必ず彼を探し出すという、私自身の、ささやかで、しかし力強い誓いでもあった。
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