シュートのお買い物
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暖かい春の日差しが降り注ぎ、ルアン村が新しい畑の開墾や家作りで活気に満ち溢れていた、そんな昼下がりのことだった。
雪解け水のせせらぎと鳥のさえずりが聞こえ、土と新緑の匂いが満ちる中、見張り台から、いつもとは違う、少し間の抜けた鐘の音が聞こえた。
敵襲ではない。来訪者だ。
「おお、今年も来たか!」
「オラライさんだ!」
村の入り口、南の虎口の方へ目をやると、見慣れた荷馬車を引いた小太りの男の姿があった。
月に一度、春から秋にかけて村を訪れる行商人、オラライさんだ。
しかし、今年のオラライさんの様子はいつもと違った。村に近づくにつれ、その目は大きく見開かれ、口は半開きになっている。
無理もないだろう。
以前の、何の変哲もない貧しい村の入り口は、今や深い空堀と高くそびえる土塁、そして複雑な構造を持つ虎口へと変貌を遂げているのだから。
遠目から見ても、その威容は明らかだった。
「こ、これは…いったい…?」
オラライさんは、恐る恐る虎口を抜け(もちろん、見張りの許可を得てからだ)、村の中に入ってきた。
そこでもまた驚きの声を上げる。
活気に満ちた村の様子、増えた人々(ドリマ村からの避難民)、そして建設中の新しい家々。彼の知っている寂れたルアン村とは、まるで別の場所だった。
「やあ、オラライ殿。今年もよろしく頼む」
広場に出てきた父さんが、いつも通りに挨拶をする。
「あ、ああ、村長さん! ご無沙汰しております! し、しかし…この村は、いったいどうされたんですか? この壁といい、人々の数といい…」
オラライさんは、まだ驚きを隠せない様子で尋ねる。
「まあ、色々とあってな。少しばかり物騒になったもんで、皆で力を合わせて村を守ることにしたのだ。それに、ドリマ村が…気の毒なことになってな。
彼らを親戚のようなものとして、一時的に受け入れている」
父さんは、会議で決めた通り、当たり障りのない説明をする。
「へ、へえ…それは大変でしたな…」
オラライさんは、何かを察したように頷きながらも、すぐに抜け目のない商人の顔に戻った。
「ささ、では早速、商売を始めさせていただきましょう!
今年も良い毛皮はありますかな?
おお、これは見事な牙猪の毛皮!
それに、魔石もあるじゃありませんか!」
彼は、村人たちが持ち寄った品物を手際よく鑑定し始める。
だが、その口から出る値段は、いつも通りの、村人を足元を見たようなものだった。
「ふむ、この毛皮の束は、まとめて銀貨3枚でどうですかな?」
「この前の戦いで手に入れた魔石か…小さいのが多いな。よし、全部まとめて銅貨20枚で引き取りましょう!」
明らかに買い叩いている。村人たちは顔を見合わせるが、長年の付き合いと、他に交易相手がいない弱みから、強くは出られない。皆、諦めと不満の表情を浮かべている。
次にオラライさんは、自分の荷車から商品を取り出した。
「さあさあ、こちらには上等の塩がありますぞ! 遠い都から運んできた逸品!
こちらの鉄製の鍬は、どんな硬い土も楽々耕せますとも! さあ、買った買った!」
しかし、その塩は妙に黒ずんでおり、鍬も使い古されたような粗悪品に見える。それなのに、法外な値段を吹っかけてくる。
会議では、オラライさんを上手く懐柔し、情報をコントロールする方針だったはずだ。
俺も、父さんの説明を黙って聞いていた。
だが、目の前で繰り広げられる、あまりにもあからさまで、長年続いてきたであろう搾取の光景に、ふつふつと怒りが込み上げてくるのを抑えられなかった。
(こいつ…! 父さんや母さん、ジョバンニさん、村のみんなを、ずっとこんな風に馬鹿にしてきたのか…! ドリマ村の人たちが全てを失って苦しんでいる時に、まだこんなことを!)
冷静でいようとした思考が、怒りで塗りつぶされていく。
計画? 懐柔?
そんな生ぬるいことをしている場合じゃない。
ここで、この悪習を断ち切らなければ。
俺は、黙ってオラライさんの前に進み出た。
「オラライさん」
「おや、シュートくん。何か御用ですかな?」
オラライさんは、子供相手と侮ったような、作り笑顔を向けてくる。
「……僕、ちょっと気になったんだけど」
俺は、努めて平静な声で言った。
「オラライさん。もしかして計算、苦手ですか?」
「は?」
オラライさんの笑顔が固まる。
「い、いえいえ、シュート様。滅相もない。これでも商人の端くれですからね。計算は得意な方ですとも」
「ふーん。そうなんだ」
俺は、彼が査定した毛皮の束を指さした。
「でも、この毛皮の束、10枚で銀貨3枚って言いましたけど、父さんはいつも『牙猪の毛皮なら、状態が良ければ1枚あたり銅貨5枚くらいの価値はある』って言ってたよ。
それなら、10枚で銅貨50枚、つまり銀貨5枚になるはずだよね?
それに、さっきの魔石。小さいのが15個で銅貨20枚?
ジョバンニさんは『小さいゴブリンの魔石でも、ちゃんと処理すれば1個銅貨2枚にはなる』って言ってたけど。
それなら、15個で銅貨30枚、銀貨3枚はいくはずだけど…おかしいな?」
俺の具体的な指摘に、オラライさんの額に脂汗が浮かび、顔色がサッと変わる。
周りの村人たちも、
「え?」
「そんなに安く買われてたのか?」
「道理でいつもオラライさんだけ儲けてると思った!」
とざわめき始めた。父さんも驚いた顔で俺を見ている。
「い、いや、それはですね、シュート様、相場というものがありましてな…それに、その、手数料とか、運搬費とか…色々と経費がかかるもので…」
オラライさんは、しどろもどろに言い訳を始める。
「へえ。そうなんだ。経費ねぇ…」
俺は、無表情に彼を見つめ、右手を軽く地面に向けた。意識を集中する。
ズンッ! ズンッ! ズンッ!
突然、オラライさんの足元、すぐ横の地面から、音もなく鋭く尖った岩の杭――『アースニードル』が三本、突き出した。
杭の先端は、オラライさんの服を掠めるほどの距離で止まっている。
土魔法の精密操作。
冬の間の訓練の成果だ。
「ひっ…!?」
オラライさんは、声にならない悲鳴を上げ、その場にへなへなと座り込んだ。腰が抜けたようだ。顔面は蒼白になっている。
集会所の広場が、水を打ったように静まり返る。
村人たちも、父さんさえも、俺の突然の、そして容赦のない行動に息を呑んでいる。
リリーやキャシーが小さく悲鳴を上げたのが聞こえた。
俺は、座り込んだオラライさんを見下ろし、冷たい声で言った。
「もう一度だけ聞くぞ。計算、間違ってるよな?」
その言葉が引き金になったかのように、静寂は破られた。
「そうだ! やっぱり計算がおかしかったんだ!」
「俺たちが無知だと思って、ずっと騙してたんだな!」
「よくも今まで!」
「泥棒商人め!」
それまで黙っていた村人たちが、堰を切ったようにオラライさんを取り囲み、怒りの声を上げ始めた。
長年溜め込んできた不満と怒りが、一気に噴き出したのだ。
村人たちの怒号が飛び交う中、俺はふっと表情を和らげ、座り込んでいるオラライさんの前にしゃがみ込み、目線を合わせた。
さっきまでの刺すような視線とは違う、子供らしい笑顔で。
「ねえ、オラライさん」
「は、はいぃっ!?」
恐怖で顔を引きつらせたまま、オラライさんがか細い声を出す。
「交渉しようか」
僕は優しく、しかし有無を言わせぬ響きで言った。
「こ、交渉…? は、はい! お願いします! 何でもしますから!」
彼は必死に頷く。
「よし。じゃあ、まず買い取り価格だ。
さっき僕が言った通り、ちゃんと計算して、適正な価格で買い取ってくれるんだよね?
もちろん、いつもお世話してるんだから、少し色を付けてくれるのは大歓迎だよ?」
「も、もちろんですとも! 適正価格で! い、色もつけさせていただきます! 本当です!」
「それからさ」
俺は、彼が荷車から出した粗悪な塩や鍬を指さした。
「これ。こんなもの、本当に僕たちに売るつもりだったの?
どうするの? …今までも、こういうので騙してたんだろうなぁ」
俺はわざとらしく眉をひそめ、溜め息をついた。
「あーあ…なんか見てたらイライラしてきた。地面から、また何か出しちゃいそうだよなぁ」
俺が再び地面に意識を向けた瞬間。
ズドドンッ!
今度はオラライさんの両脇の地面が盛り上がり、先ほどよりも太い岩の柱が突き出した。
完全な威嚇だ。
「ひぃぃぃぃっ! お許しください! 申し訳ございません! お詫びいたします! この品物は全て差し上げます! ですから、どうか命だけは! 魔法はおやめください!」
オラライさんは完全にパニックに陥り、地面に額をこすりつけて許しを請う。
その姿は哀れだったが、同情する気にはなれなかった。
「そっか。ちゃんと謝るんだね。じゃあ、僕の言うこと、聞いてくれるよね?」
「は、はい! もちろんでございます! 何なりと!」
「うん。僕は君と違って優しいから、条件は二つだけだよ」
俺は冷徹な計算を隠して、あくまで子供の無邪気さを装って言った。
「一つは、今日の出来事…僕が魔法を使ったこと、村の防御施設のこと、ドリマ村の人たちがいること、その他ここで見聞きした一切を、絶対に誰にも口外しないこと。いいね?」
「は、はい! 誓います! 墓場まで持っていきます!」
「口約束じゃ信用できないから、『念書』を取らせてもらうからね。
この世界には便利なものがあるよね。
契約を破ったらどうなるか、商人なら知ってるでしょ?
もちろん、そのマジックスクロールの費用は、オラライさん持ちだから」
念書は、魔法的な拘束力を持つ契約書だ。
破れば相応のペナルティがあることを、商人なら当然知っているはずだ。
オラライさんは、顔面蒼白になりながらも、こくこくと頷くしかない。
「そして、もう一つ」
俺は続ける。
「僕たち、これからは自分たちでも色々な所に物を売りに行ったり、買いに行ったりしたいんだ。
だから、馬車が必要なんだよね。
そこで、オラライさんの次のフレッドの街への帰り便で、村の人間を二人、一緒に乗せて行ってほしいんだ。
そして、街で僕たちが使うための、丈夫で手頃な馬車を探すのを手伝って、斡旋してほしい。もちろん、旅費と斡旋料は君持ちね。どう?」
俺は、にっこりと笑いながら、最終確認を促した。
村人たちも、俺の言葉を聞いて、なるほど、と頷いている。
オラライさんの顔は引きつっているが、突きつけられた条件に、もはや反論する気力も残っていないようだった。
「どうかな?」
僕がにっこりと問いかけると、腰を抜かしたままのオラライさんは、涙目で必死に頷いた。
「は、はいぃ…承知いたしました…その条件で、どうか…お許しを…」
「うん、よかった!」
僕は満足そうに頷き、立ち上がった。
「これで、素晴らしい取引ができたね!」
(力ずくで脅し上げただけだがな)
俺は内心で毒づく。
「は、はい、仰る通りでございます…」
オラライさんは、もはや反論する気力もなく、ただただ頷くばかりだ。
「それじゃあ」
俺は、念を押すように、彼の顔をじっと見つめて言った。
「また来月も来るんだよね?」
「も、もちろんですとも! 必ず! 必ずまいります!」
オラライさんは、びくりと肩を震わせて即答した。
「そっか。うん、来月が楽しみだな」
僕がそう言うと、オラライさんの顔がさらに引きつったように見えた。
彼にとって、来月のルアン村訪問は、もはや楽しみどころか恐怖の対象になっただろう。まあ、自業自得だ。
その後、父さんや村の大人たちが間に入り、具体的な話が進められた。
オラライさんは、俺の指摘通りに買い取り価格を計算し直し、かなり色を付けた(というか、脅し取られた)金額で村の産品を買い取っていった。
そして、問題の粗悪品は「お詫びの印」として村に置いていくことになり、さらに念書へのサインも、震える手でさせられていた。
費用はもちろんオラライさん持ちだ。
そして、彼がフレッドの街へ帰る際に同行し、馬車の購入と斡旋を任されることになったのは、元ドリマ村の村長の息子であるドリクさんと、その妻のフージーさん夫妻に決まった。
ドリクさんは元村長の息子だけあってしっかりしているし、フージーさんも賢明な女性だ。
二人なら、きっと足元を見られずに、村のために良い馬車を選んできてくれるだろう。
(馬車があれば、僕たち自身でフレッドの街や、他の村へ交易に行くこともできる。
オラライさんだけに頼る必要はなくなるし、村の産品をもっと有利な条件で売買できるかもしれない。
それに、人の移動や物資の輸送にも使える。村の活動範囲が格段に広がるはずだ)
オラライさんとの一件は、当初の計画とはだいぶ違う形になったが、結果的には村にとって大きな一歩となるかもしれない。
オラライさんが、魂が抜けたような顔で荷馬車に乗り込み、ドリクさん夫妻を乗せて村を出ていくのを、俺たちは広場で見送った。
村人たちの間には、安堵と、少しの興奮が残っている。
そんな中、ルカオン兄さんが俺の肩をぽんと叩いた。
「おいシュート、お前の頭の中どうなってんだ? あんな交渉術…いや、脅し方、どこで覚えたんだ? すごいけど、ちょっと怖えぞ…」
兄さんは苦笑いを浮かべている。
「まあ、結果的に村のためになったからいいけどさ。無茶はするなよ」
「うん、分かってるよ兄さん」
続いて、シャナイア姉さんが優しく微笑みかけてくれた。
「でも、シュートのおかげで、村は守られたし、これからは不当な取引をされずに済むわ。
ありがとう、シュート。本当に賢い子ね。ちゃんと村のことを考えてる」
姉さんの言葉に、俺は少し照れた。
それを見ていた他の子供たちが、わらわらと集まってくる。
「へへっ、シュートすげえ! 俺も火魔法だけじゃなくて、頭も鍛えねえとな!」
ジャンが腕を組む。
ブレディも力強く頷く。
「僕も…計算できるようになれば、オラライさんみたいな悪い大人に騙されないんだな!」
「私も頑張る! 文字が読めたら、もっと色々なことが分かりそう!」
キャシーが意気込み、リリーも
「私も! シュートみたいに、みんなの役に立てるようになりたい!」
と目を輝かせた。
仲間たちの言葉に、俺は照れながらも、胸が熱くなるのを感じた。
「ああ、みんなで頑張ろうぜ! 勉強すれば、できることはもっと増えるはずだからな!」
オラライさんをやり込めたことへの小さな罪悪感よりも、仲間たちと共に未来を切り開いていけるという確かな手応えの方が、今は大きかった。
まだまだルアン村はこれからなのだから。
俺は、活気を取り戻した村の広場を見渡し、次なる展開に思いを馳せるのだった。
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