002 転生の孤児
俺は転生した。
その事実を認めるのに数日かかかった。
……いや、『俺』ではなく『私』は転生した、と言うべきなんだろうか? 転生ならぬ転性、生まれ変わったら女の子になっていたなんて昔見た舞台劇みたいだ。
だからそれはいい。
それは問題ないのだ正直。自分の性別なんてそう頓着するものじゃない。問題にすべきなのは俺が転生したという事実それ自体なんだから。
俺は間違いなく死ぬはずだった。
否、転生した以上、俺は間違いなく死んだのだと思う。
だけど俺を襲っていた恐怖はこういうものじゃなかった。
こんな転生だの、あの世だの、ファンタジーやオカルトの入り込む余地のない絶対の死であり、絶対の喪失だった。
それなのに俺は転生し、今も思考し、何か感じる自我を持っている。それは素晴らしい事なんだろうと思う。正しく俺が今際の際に願っていたことなんだと思う。前世の記憶を持ってるなんて人が周りにいなかった以上、これは奇跡かなにかに違いない。
……だけど全く笑えない
自分に何が起きたのか分からない。転生? 新しい命? いったい何が起こったのか分からない。こうしている今でさえ自分がどういう状況なのか分からない。
それが怖かった。
俺の死は決して理不尽なものでは無かった。
不幸な事だったし、哀れで可哀想な被害者ではあったけれど理不尽なものでは無かった。自然な営みのひとつだった。
だけどこれは違う。
明らかに理不尽で不合理だ。
いったい誰が俺を転生させたのかは知らない。もしかしたらなにかの自然現象だとか偶然の奇跡だとかが重なっただけで、俺を転生させた存在なんて居ないなんて事もあるかもしれない。
だけど、どちらにせよ''何か''が俺に次の人生を与えたのだ。
不幸にも災害に巻き込まれ、不運にも半日近く死の恐怖に晒され、そして結局は訳も分からず次の人生が与えられる。
まるで自分がゲームの駒か何かのように動かされているような不快感。理解外のもの自分を好きかって扱われているみたいな嫌悪感。
それがたまらなく怖かった。
何せ俺は知っているのだから。ただ一方的に与えられた生なんてものは、やはり一方的にある日、突然奪われるんだってことを。
そして何よりも。
転生がどうにせよ次の人生がどうにせよ。どちらにせよ俺はもう80年もすれば『あの恐怖』に襲われることになる。
健康に気をつけようが事故を恐れて引きこもろうがいずれ追いつかれる時は来る。人間である以上、いつかは死ぬ。
それが恐ろしかった。
1度、転生したから次もどうにかなるだろうなんて楽観主義にはなれなかった。それにたとえ次の転生の可能性があったとしても、1パーセントでも、それこそ100万分の1パーセントだとしても次の転生が確約されていないなら俺はきっとその恐怖に耐えられない確信があった。
それだけじゃない。前世の俺がそうだったように寿命まで目いっぱい生きられる保証なんてないんだ。ただでさえ赤ちゃんなんて身体が弱いんだから俺が死ぬのはもしかしたら明日かもしれない。
明日死ぬかもしれないという恐怖
それを抱えて生きてくのは、いずれ訪れる死の恐怖と同じくらい恐ろしい。
それが俺を憂鬱にさせる絶望の状態だった。
そして、俺を襲った不幸はそれだけじゃ終わらなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ーーー、ーーーーーーーーーーーーー」
「ーー、ーーーーーーーーーーーーー」
俺の頭の上で2人の男女が話し合っている。
1人は俺が母親と呼ぶべき女性で、もう1人は前世はもちろん今世でも面識のない神父姿の男。
「ーーー、ーーーーーーーー。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「ーーーーー、ーーーーー。ーーーーーーーーーーーーーーーー。ーーー、ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、ーーーーーーーーーーーーーーー、ーーーーーーーーー。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。」
母はどうやら酷く取り乱してるようで腕の中の俺を痛いくらいに抱きしめ、それを神父姿の男が諌めている。いくら周囲に気を使う余裕がなくても俺が今どんな状況に置かれてるかは分かる。だけど同時に俺はそのことについて何一つリアクションを取らなかった。
「ーーーー、ーーーーーーーーーーー、ーーーーーーーーーー。」
母は俺に何か告げると額と額が触れ合うほど高く抱き上げたった一言呟く。
「シロナ……」
それが俺の名前なのだと知ったのは少し後だった。
こんなふうな態度を取るという事は愛されていたんだろうとは思う。殆どが夢現か、起きてる時も常に死の恐怖に脅えてた俺は周囲の事情にほとんど目を向けなかったけど、テレビだのエアコンなど無いことを除けば家はそこそこ裕福に見えた。
だから何か事情があったのだろうとは思うけれど、母がどう考えてようが、俺がどう感じていようが現実は変わらなかった。
俺が母に捨てられ何処かの孤児院に引き取られたという事実は。
◇◇◇◇◇
私が孤児院に捨てられてから5年が過ぎた。
クッションから手足が生えた芋虫みたいだった身体は、それなりに人間の形を成し始めたけれど、やっぱり前世に比べて当たり前だけど幼児体型のそれだった。
「はぁ……」
鏡に映る自分の姿を見ながら息を吐く。
鏡に映った私の姿は、前世におけるそれなりに背の高い男子高校生だった『俺の』それではなく、写真でしか記憶のない幼い時分の『僕の』姿ではなく。
幼い少女の形をしていた。
「はぁ……」と、もう一度ため息を着く。
別段、私は自分の性別に不満はなかった。前世では当たり前に男として生きていたけど、自分が女の子になった事実を知った時も別に驚きはしなかった。
前世の自分が性同一性障害だとか同性愛者だとか、そんな記憶はなかったので、多分、毎日襲う死の恐怖がそんな事よりも私の中で大きかったんだと思う。
実際、ため息の原因は私が女の子の見た目をしているからではなく、そのあまりにも酷い容姿だった。
肋が透けそうなほど細い体躯。
生まれた時から着いて離れない深いクマ。
ストレスで真っ白に染まった伸ばしっぱなしの白髪。
正直、水道橋にいたホームレスの方が、まだしもまともな外見をしている。
一応、髪はシスター達や年長組のお姉さん達が結んでくれるし、肌自体は若々しい張りを保ってる。
だけど、その滑らかな肌がより一層私の外見に不気味な雰囲気を与えていた。廃墟で拾った人形を何とか綺麗にしようとして失敗したら多分、私のミニチュアのようになるに違いない。
これは主観的な感想ではなく客観的な事実だ。
実際、私は孤児院の兄弟姉妹達から距離を置かれていた。いや、子供達だけじゃない。シスター達からも私はかなり不気味な子供として見られている。
当たり前だ、どんなに気をつけたところで16歳の青年が赤ちゃんのように振る舞うのは無理があるし、そもそも私には周りに目を向けて幼子の振りをして気を使う余裕もなかった。
結果的に今や私に話しかけるのは神父様か数名の変わり者なシスターだけだった。
おまけに、
「おい、のろま!」
「気味が悪いんだよ!」
「あっち行け!」
突き飛ばされ壁にぶつけて鼻っ柱を抑えながら走り去っていく三兄弟を見送る。これは当たり前……かはともかく私は虐められていた。まぁこんな年少組の子供だけで300人近くいるマンモス孤児院で虐めが起きない方が不思議だし。私のように身体が小さくて不気味な子供が標的になるのも不思議な話じゃない。
シスター達も三兄弟を叱りこそすれ、優先しているのはやはり被害者を慰める事ではなく加害者を叱る方だ。
その事に不満はなかった。
いくら虐めと言っても10才にもなっていない三兄弟のそれは仮にも高校生活を送って、より凄惨な虐めを知っている私からしたら可愛いものだったし、そもそも私目線でいえば彼ら自体が子供であり、つまり子供のやることだ。
そして、実際、そんな子供に付き合うほど私には活力も余裕もなかった。数年経った今も、死の恐怖は薄れていない。それどころか年齢を重ねる度に死の恐怖はより強くなっている。
このまま行けば、寿命より先にストレスで身体を壊しそうだ。
そんな逃避気味の思考で日々を生きていた私に転機が訪れたのは数日後のことだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「かくして、賢者アルスは姫を救い英雄として称えられたのです」
優しい声で物語を終えた神父様の声に兄弟達が歓声をあげる。「賢者様カッコイイ」だの「私もお姫様になりたい」だのはしゃぐ兄弟達とそれに律儀に応える神父様を横目に、私はたった今、彼が読み終えた絵本の表紙を見ていた。
文字は読めない。この国の言葉は日本語でも英語でもなかったし、喋るのがやっとな私には児童向けの絵本の表紙すら何が書いてあるのか分からない。
だけど、この魔法やドラゴンが現れる絵本を、神父様は実際に起きた出来事だと言っていた。読み聞かせの前に100年前に起きた実話だと。
違和感はあった。
私が転生したこの地は私が知る世界より随分後退して見えた。いわゆる中世ヨーロッパ風。世界史の成績が悪かった私じゃ、その言葉が表現として正しいのか間違っているのか分からなかったけれど、少なくとも私が生きた現代より、この世界は前の世界だと思っていた。
正直、それを知った時、私は絶望した。
もしこの世界が私の死んだ世界より未来の世界なら、もしかしたら若返りだとか、そういうSFチックな技術も生まれてるかもしれないし、あるいは私が長生きすれば、そんな技術が生まれるかもと思ったからだ。
だけどこの世界は、少なくとも私の知る世界より100年は前の世界に見えた。だからこそ私は絶望で周りを見る余裕をなくしていたんだけど。
しかし、改めて考えるとこの世界は違和感が多い。
薬に薬草だの使ってわりには塩コショウは普通に使われている。礼拝堂にはステンドグラスが大量にあしらわれているし、それどころか孤児院全体でも窓ガラスがふんだんに使われている。
確か硝子が気軽に使えるようになったのって歴史的には結構最近だったはずだ。
そして今日、神父様から語られた実話に基づいた絵本。それを考えれば、この世界が私の知る世界とは違う、奇跡もオカルトも存在する世界。
私の知らない異世界なんじゃないかと考えることをできる。
そしてそんな世界なら不老不死の存在だとか若返りの魔法なんてのもあるかもしれない。私は高鳴る胸と、それが否定された時の絶望を警戒しながら神父様に声をかける。
「あの……」
馬鹿正直にこの世界って魔法が実在するんですか? と聞こうとして心の中で首を振る。それじゃあ私がこの世界以外の魔法のない世界を知っているみたいな前提になってしまう。
これ以上、気味の悪い子供にならないために私は言葉を変える必要があった。
「しんぷさま、まほうってどんなのがあるんですかっ?」
噛みそうになるのを何とか耐えつつ、やっと口にする。5歳のこの身体はたとえ中身がどうであろうと口は舌っ足らずになるしすぐに転ぶ。歩けるようになったあとも定期的におもらしもする。……それを処理するのは正直死にたくたる時間だ。
滅多に人と話さない私から声をかけられたのが以外だったのか、彼は少し驚いたような表情をしたけれど、しかし、すぐに普段の優しげな表情に戻ると他の子供にするように私に応えてくれた。
「そうですね……魔法と一言に言っても色々な種類がありますが、私達の生活に関わるものとしては火をつける魔法、水や氷を生み出す魔法、シスターイリヤが使う癒しの奇跡も魔法のひとつと言われることもあります」
おそらくは5歳児に分かりやすいように簡単な言葉で語る彼の話を聞いて私はほとんど無意識の動作で彼の目を見つめていた。
それはきっと彼が嘘をついたり、子供相手に夢を守ろうと方便を口にするのを恐れていたから、少しでもその真意を探ろうとした結果なのだと思う。
あるいは彼の言葉に、そこから導き出される希望に歓喜の声を上げるのを抑えるためにあえて理性的に振舞おうとした結果なのかもしれない。
それでも私は彼の最後の言葉にシスターイリヤを探して周囲を見渡すのを止められなかった。
「『おともだちのみんな~』狐さんは子供たちにそう言って笑いかけました」
彼女は思いのほか近くにいた。
年初組の中でもさらに幼い子供たちに絵本を読み聞かせている女性。
フードはつけておらず、黒い帽子だけを着ているフワッとした印象の少女だ。前世の感覚でいえば同い年位の女の子だけどこの世界では普通に成人だ。
確かに彼女は時々怪我をした子供がいると治療室に連れていって手当をしている。てっきり薬草だの軟膏だの塗りつけているのだと思っていたけど、あれはつまり魔法で傷を治していたって事なんだろう。
……あれ、でも私は何で私はそのことを知らずに。
あぁ破傷風が怖くてケガとかしないように過ごしていたんだった。三兄弟からのいじめや不可避の怪我も基本は治療の必要もない軽いものだったから軟膏で済まされていた。
まぁ過ぎたことはどうしようもない。
今後の課題にしよう。
それよりも重要なことは、この世界には迷信でも夢物語でもなく実際に魔法が存在し、奇跡があるらしいこと。それならもしかしたら私の恐怖を和らげる方法が見つかるかもしれない。
人魚の肉とか、吸血鬼になる方法とか、集めると願いをかなえるために龍が現れるドラゴンなボールとか!!
……あるいは賢者アルスのように不老不死の魔法使いとなるか。
「これだな……」
私は人知れずつぶやいていた。