001プロローグ とある少年の最期、あるいは物語の始まり
始まりは空から降ってきた土埃だった。
それは次に小石と土砂が混ざった雨になって、さらに次の瞬間には文字通りの山津波となって俺たちを襲った。
土砂崩れという現象を知ってはいた。
修学旅行で訪れたこの場所が過去に起きた地震で被災した場所であるの事も事前学習で理解していた。山道を歩く軽いハイキング中にガイドも、そのことを話していた。
だけど大半の人間が、例えば俺の友人がそうであるように、そのことを自分とは結びつけていなかった。
多分それは当然のことだ。
毎日のように交通事故が起きていて、そのうち何割かの人が命を落としている。だけどそれを恐れてみんなが道を歩くのをやめてしまったら社会は回らない。誰もが命を失う可能性を知りながら、それを無視するのは人が生きる上で重要なことだ。
だから
だから、これは例えば過去に起きた災害に当事者意識を持たなかった罰だとか。
普段、自分が何気なく過ごしている日常がいくつもの幸運に守られた奇跡だって事に対する無意識だとか。
あるいは日々を何気なく生きている間にも世界中で理不尽に人が死んでいることへの無関心だとか。
そういうものに対する罰みたいなものじゃなくて、確率論によって決定付けられた偶然な出来事。
誰もが一生のうちに何度となく引く不幸のくじ引きで、たまたまババを引いてしまっただけ、テレビの中で見た“不幸なだれか“の役割が自分に回ってきただけのことに過ぎない。
……そんなふうに思えたらそれだけよかっただろうっ!!!!
岩や木々に飲み込まれ麓まで削り落ちてきた俺はそう絶叫していた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺は……なんてことをしてしまったんだろう。
なんてことをしでかしてしまったんだろうっ!!!!
そう後悔した数は既に100を超えた。
土砂崩れが起きた瞬間、俺は思わず近くにいた名前さえも朧げな少女を庇ってしまった。
いや、庇ったというのも結果論だ。
あの混乱の中、俺には周囲の様子を冷静に認識するような余裕はなかった。間違っても明確な意思をもって彼女を助けようとしたわけじゃなかった。
ただ単に、感覚としては巣から落とされたヒナを木の上に乗せるような半端な行動。ただ何となく、その意味も考えずに手癖でやってしまったような偽善。
助けたいと明確に願ったわけでもなく、当然その結果として自分の命が危険にさらされるなんてことにも考えつかない。そんな慢心とも、傲慢とも言えない俺の不誠実な行動は、即座に因果応報となって帰ってきた。
だからこそ俺はここにいる。
山の麓。
土砂に流されてというより土砂と一体になって流れてきた俺は、最初下半身が土砂に飲まれて埋まってしまったんだと思った。
生き埋めになってしまったんだと。
でも上半身は埋まってないしラッキーだと。
だけどそれも少し離れたところに落ちている”見慣れた下半身”を見つけて間違いだと知った。
混乱が驚愕に変わり、理解を経て、そして恐怖に引きつり、絶望に染まるのに、そんなに時間は掛からなかった。
向き合うのは自分が絶対に助からないという現実。
俺は絶対に助からない。
下半身が千切れ飛んでるんだ。
たとえ今すぐ世界で一番優秀な外科医がこの場に現れても、たとえ最高レベルの医療設備がある場所に瞬間移動しても、絶対に助からない。
そしてそんなありえない現象が起きるはずもなく現実では人の声さえ聞こえてこない。
夢だ、そんなはずないと考えようとしても体中に走る痛みは容赦なく、これが夢幻なんかじゃないという現実を叩くきつけてくる。
死にたくないと叫ぶ感情と、絶対に助からないという理性が心を引き裂く。
死の間際に美しい過去の情景が思い浮かぶなんてことはなかった。大量のアドレナリンで感覚がマヒするなんてこともなかったし、天使が空から迎えに来るようなこともなかった。
あるのは避けられない絶対的な死。
そしてそれ以上に恐ろしいのが避けえようのない自我の喪失だ。
自分が消えていく感覚がある。
血流が滞って末端から肉体が死んでいくのが理解できる。自分の肉体がただのタンパク質とカルシウムの塊になっていくのが実感として感じられる。
人は死後に何処に行くんだろなんて考えた事はあるけれど、その答えが無だと知っていたらもっと違う人生を歩んでいたはずなのに……!!
だけど、それを知った時には何もかもが遅くて、今、俺の目の前には、自我の喪失とその後の無だけがあった。
それがひたすらに恐ろしかった。
あるいは、もし死後も意識を、自分を保っていられるんなら地獄に落ちたってかまわないとも思う。いま、目の前にある喪失から逃避するためならたとえ千年の拷問にだって耐える自信が俺にはある。地獄でなくとも悪魔と契約したって、許されない罪を犯したってかまわない。
だけど自分が決して死ぬのを回避できないように、そんな”奇跡”は起きない。
何かで読んだ漫画に『考えるより先に身体は動いていた』なんてセリフがあった。
だけど俺のこれは違う。考えるより先に動いていたんじゃない。考えなしの行動だ。だから俺はこうして死の間際に泣き叫びそうになりながら、だけどもう叫ぶほどの体力もなくただ喘いでいる。
あるいは明確な正義感をもって人を助けていたら信念を胸に死ねたのかもしれない。
あるいは助けたのが恋人や友人なら自分に陶酔して死ねたのかもしれない。
あるいは明確な意思をもって行動していたら後悔せずに死ねたのかもしれない。
答えはきっと存在しない。
この恐怖から逃避できるならと思う一方で、何も感じなくなってこの恐怖心が消えるのも同じくらい怖い。だからきっと答えなんて存在しないし、答えなんて出せないんだろう。
人生の最期に、俺はそんなことを考えた。
信念を持たず自分に陶酔することもできず後悔を胸に死んだ。
目が見えなくなり音が消え、体中の感覚が喪失し、世界が暗闇の飲まれる。天も地もない暗闇の中でゆっくりと自分を形作る外角が消え……
そして……
そして俺は流れを感じた。
どこかへと流れていく感覚。淀みのない、波もない川をゆっくりと下っていく感覚。
そこであれと違和感に気づく。
流れに対してじゃない、その流れを認識する自分に対して。
先ほどまでの喪失は自分の存在なんてものを保てるほど甘いものじゃなかった。それなのに今の俺は自己を認識し、さらにはそれに疑問を持つほどの思考力も取り戻している。
周囲には温もりが満ち、さっきまで俺を襲っていた冷たさはどこかへと消えている。
何かがおかしい
何が起きてる?
解らない、それでもとにかく周囲の状況を
「あぁ……うぁ……….」
そう考えた瞬間。
「うあぁぁぁぁぁああん..................................!!!!!」
俺は絶叫を上げた。
……ここはいったい?