06(仮)/エリザヴェータ・シルバニア/ユートピア西部・ヴォルガへの招待と邂逅//
06/エリザヴェータ・シルバニア/ユートピア西部・ヴォルガへの招待と邂逅//
(1)
北部のアムールの城から針葉樹の森を南西の方角に、黒いペガサスが先導する馬車に乗り、小一時間すると、針葉樹の森を抜け、草原地帯に出ると、北部と西部の領地の境界の大きな川が見えてくる。
アムールから魔獣が棲むオルト山脈を越える必要がある東部の領地に向かうのと違って、西部へはこの川に架かる橋一本を越えるだけの安全な旅なのですわ。
わたくし、エリザヴェータ・シルバニアとしてはアカイン家の領地である西部を訪れるのは七回目くらいなのです。
馬車の中で、アンナちゃん様の向かいの席に座り、その隣の席にニコニコと嬉しそうな顔をするアレクと少し距離をとり、たわいない話をしながら、流れる川とその風景をわたくしは楽しんでいました。
川沿いを南下してゆくと、高く大きな赤茶色の壁が並んでいるのが見えてきます。
その壁の一部が形を変え、大きな門となり、その門に魔法陣が浮き出て、わたくしたちを乗せた馬車は、すうっとその中を通過し、複数の建物が立ち並んだ場所へと歓迎されました。
「きゃあ! アンナ様!?」
「アンナ様が乗る馬車よ!」
「アンナちゃあ〜ん!」
片手にクレープロールを持った、おしゃれな服装の若い民が気づき声をあげる。
アンナちゃん様は、その声に気づき、サービス精神旺盛に馬車の中からひらひらと手を振り、ウインクを飛ばしました。
屈強な体躯の男たちが耳を真っ赤にして、馬車に向かい、敬礼してきます。
彼らは傭兵です。
ユートピアの魔法騎士たちは、国に所属している国家公務員で、主にオルト山脈の魔獣管理や国境付近の警備といった任務に就いています。
それとは別に個人の依頼で魔獣の討伐や警護を行うのが彼ら傭兵です。
この町には傭兵として働く彼らが所属し、仕事を斡旋する組合があり、彼らの必需品である武具や魔道具、薬、契約魔獣まで揃う城下町。
それが、アカイン家の当主がアスモデウス・アカイン3世になってから建てられた比較的新しい建物群が並ぶ、現在のアカイン家本家の居城がある城塞都市ヴォルガなのですわ。
まあ、パーニャ叔父様から教わった知識だけなので、わたくしも詳しくは知らないのですが、領主夫人であるアンナちゃん様の宣伝する商品の看板なんかもあって、民たちが賑やかに闊歩し、町は活気に溢れていますわ。
「アレクちゃん、エリザちゃんも、お腹すいてないかしら? クレープロール、食べる?」
ウインク付きでそうアンナちゃん様に訊かれて、わたくしは「はい」と即答しました。
アンナちゃん様が馬車から下りると、黄色い悲鳴が響き渡ります。
わたくしとアレクもアンナちゃん様に続き馬車を下りました。
「アンナ様、お先にどうぞ」
順番を譲ろうとする民の申し出を断り、アンナちゃん様は慣れた様子でクレープロールが売っている屋台の列に並んでいます。
「アレクちゃんもエリザちゃんも貴族だからって、必ず自分が優先されるなんて思ってはダメよ?」
アンナちゃん様がにっこり笑ってわたくしたちにそう告げた。
「うん! ママ、わかってるよ!」
「そうですわね」
二人してアンナちゃん様の言葉に頷いた。
順番待ちをしている間、わたくしを見た民が話している声が聞こえた。
「シルバニア子爵令嬢よ!」
「まあ、レオナルド様とアムール図書館館長のエカチェリーナ様の?」
「エカチェリーナ様が年上でレオナルド様は婿養子になったらしいわよね」
「昔、わたし、レオナルド様にお声を掛けていただいたことがあるわ」
「わたしはひと月だけ付き合ったことがあるわ」
「わたしは一晩だけだけど甘い夜を過ごしたわ」
わたくしのお父様が女性にモテる方だということは理解していましたが、昔の話とはいえ、お母様以外の女性との恋の話を聞くと娘としてはいい思いはしません。
そして、かつて愛しかったあの方の事が思い出され複雑な気分なのですわ。
誰彼構わずたらし込む、ひどい方。
まだ幼かったアマイモンと裸で男二人毛布に包まって寝ていた姿を見つけた時は問い糺して、アマイモンが「魔王に奉仕していた」というものだから、魔王妃になったわたくしと一緒の寝台で寝ていただけないものだから、男色を本気で疑いましたわ。
アマイモンはあの方のことが大好きでいつもついて回って、「オイラは魔王のアイジンだ」とか巫山戯たことを言う変わった子でしたけれど、強くて、南部の領主ゴルディアス初代公爵として魔王妃だったわたくしをあの方がいなくなった後も支え、最後まで看取ってくれましたわ。
魔将貴族も代替りして、わたくしの知る顔は多分もう一人もいないと思いますわ。
それから、わたくしの知る限り、お父様は男色の気はありません!
これは断言できますわ!
夫婦円満なのですわ!
だから、女性に優しいお父様を愛しているお母様が偶に見せる憂いを帯びた顔を見ると、わたくしは胸が張り裂けそうになるのです。
屋台の店員から手渡されたクレープロールをアンナちゃん様がアレクに渡し、それに嬉しそうに齧り付いているアレクを見ていると、わたくし愛の告白をしてくれたのはわたくしの魅了魔法にかかった、ひと時の気の迷いだったんじゃないかと今でも不安になりますの。
「エリザも一緒に食べよう。美味しいよ」
「エリザちゃんもどうぞ♪」
アンナちゃん様に手渡された、食欲を唆る甘辛い匂いのタレで炒めた魔猪肉を緑の葉野菜とクレープ生地でくるっと包み、トッピングに角切りのミツイモの紫と黄色の彩り鮮やかなクレープロールにわたくしは齧り付くと不意に涙が溢れました。
あの頃、丸焼きにして岩塩をつけて食べた魔猪肉より、ヤキイモにして食べたミツイモより美味しいはずのクレープロールの味はわたくしの口には辛かったようなのです。
「エリザ、大丈夫?」
アレクがオロオロしながら、わたくしに優しくハンカチを差し出してくれました。
「大丈夫ですわ。ちょっとタレが辛かっただけですから」
わたくしは差し出されたハンカチでそっと涙を拭いました。
(2)
わたくしの涙が引っ込んだ頃。
「はい、どうぞ。やっぱり女の子は甘いほうが好みよね? アンナちゃんには女の子の子供がいないから、お昼も近いし、ついいつもの注文をしちゃったわ。ごめんなさい」
男児二人の母親であるアンナちゃん様がそう言って、笑顔で果物とクリームがたっぷり入った甘いクレープロールをわたくしに手渡してくださいましたけれど、本当はわたくし、魔猪のクレープロールがそんなに辛くなかったのに、わたくしのほうが申し訳ない気持ちになりました。
「他のヤツがぁ、並んでるのにぃ、順番まもらないヤツは悪いヤツなんだぞぉ」
わたくしの胸中を指摘するかのように、クレープロール店の注文待ちの列の後ろのほうから呂律が回らない男の声がそう指摘してきました。
「シソ、落ち着いて」
声がするほうを見ると、黒いサングラスを掛けた輝くような金髪のロングヘアーのギターを担いだ男に支えられて、眠そうに目を擦りながらも、こちらを指差す、黒いサングラスを掛けた白髪の毛先だけ紫色に染めたひょろ長い体型の男がいた。
「みんな、腹減ってんだ。ルーシー、ルールはまもらないといけないって、あいつが言ったんだ。ルールはまもらないと、みんな腹を空かせることになる」
シソと呼ばれた男の腹から、ぐーっと辺りに大きな音が響き、彼は糸が切れた操り人形のように、ぐったりとルーシーと呼んだ男に凭れ掛かった。
「えっ!……ルーシー様!?」
周囲の民たちが騒めく。
シソと呼ばれた男を支えている方の姿には見覚えがあった。そして、ルーシーという呼び名にも。
「きゃあ! アンナちゃん、びっくり☆ 南部の領主であるルー様が西部にいらしたたのね♪」
そう、かつてアマイモンが統治していたユートピア南部の現代の領主。ルーシー・ゴルディアスだ。
嬉しそうな声をあげたアンナちゃん様が、列に並ぶ彼のところまで駆け寄っていった。
「やあ、アンナちゃん。僕はもう隠居の身だよ。爵位は息子のアザゼルに譲ったよ。今はこうして詩曲を作りながら旅する吟遊詩人さ」
背負っていたギターを掻き鳴らし、ルーシーはそう言って一曲吟じた。
「僕らは〜
愛を求めて〜
さ迷う旅人〜
照りつける〜
黄金の太陽〜
優しく照らす〜
青い月〜
僕は誰だ〜
君は誰だ〜
砂塵の中〜
さ迷う僕は〜
そう〜
自分探しの旅の途中の旅人さ〜
この世界に〜
真実の愛があると〜
信じてさ迷う旅人さ〜
黄金の太陽が〜
青い月が〜
世界が〜
真実の愛を〜
覆い隠してしまっても〜
予言の神が〜
告げた〜
終末を越えて〜
僕らは見つける〜
虹色の雨が染み込んだ〜
この愛された世界で〜」
アンナちゃん様やその場にいた者全てがルーシーの奏でる詩曲に聴き惚れた。