04/エリザヴェータ・シルバニア/秘密の花園//
04/エリザヴェータ・シルバニア/秘密の花園//
庭師により手入れをされ、迷路のように入り組んだ色とりどりに美しく咲き誇るバラの花園の中を麦藁帽子を被ったアレクが無邪気に走り回っています。
淑女としてはどうかと思いましたけれど、大人の目から見たらわたくしはまだ子供。
日傘を差したお母様とアンナちゃん様がわたくしたちを優しく見守っていらっしやっています。
期待に応えてなければなりませんわよね?
「アレク! お待ちなさい!」
わたくしは年相応の少女らしく、動きやすくて軽いサマードレスの布地を両手で摘んでアレクを追い駆けた。
通路ではない花の中にアレクの姿が消えるけれど、暫くして、「イテテ!」と花の中から叫び声が聞こえて、アレクが飛び出してくる。
「バラには棘があるから飛び込んだりしたら危ないんですのよ!」
頬に薄っすら赤い血を滲ませたアレクにわたくしはそう言った。
「フフッ、ウフフ……」
「あら、サーシャ! 顔から血が出てるわね。治療しましょう」
後ろから不気味な笑い声がして、慌てた様子のお母様がアレクの元に急いで駆け付け来ました。
「美味しそう……」
不穏な台詞にわたくしは背中がぞくりとして、後ろを振り返ると、アンナちゃん様の綺麗な長い爪の指を口許に当て、はぁはぁと呼吸を荒くして、魔将貴族の証である黄金色の瞳の奥が赤く爛々と輝やき、ジュルリと舌舐めずりする音がした。
わたくしはその瞳をよく知っている。
既視感を覚えた。
それは少女リリスの記憶の断片ーー。
髪や肉が焼け焦げたように臭いがし、全身にビリビリと電流が流された痛みに呻く。
焼け焦げて動かなくなった積み重ねられたら大人たちの屍の中から、赤い瞳の化け物が、まだ息のあるわたくしたちを襲い、お母様の血肉を啜り、わたくしは……
「これで大丈夫だと思うけど、治癒魔法が使える子にちゃんと治してもらったほうがいいかもしれないわね」
お母様の言葉にわたくしは我に帰る。
(大丈夫。わたくしのお母様は、ここにいらっしゃるわ……)
お母様は何もない空間に魔法陣を出現させ、そこから傷薬の染みたガーゼと絆創膏を取りし、それでアレクの傷をサッと隠すと、今度はその魔法に手を突っ込み、その中から城の中にいるはずのシルバニア家お抱えの治癒魔法士が魔法陣の中から摘み出されるように飛び出してきた。
治癒魔法士は突然喚び出されて辺りをキョロキョロと眺め、状況が分からずお母様を見た。
「リーナおばさん。アカイン家の男は傷の治りが早いんだよ! だから、ぼくは大丈夫。ねぇ、そうだよね? ママ」
アレクはわたくしのお母様の好意を断り、母親であるアンナちゃん様のほうを見た。
「えぇ、……そうよ。アレクちゃん。そのくらいの傷、すぐに治るわよ☆」
先程まで様子が可笑しかったアンナちゃん様の瞳に黄金色の輝きが戻り、ばちんとウインク付きで応えた。
魔法陣から喚び出された治癒魔法士はお母様に「私はどうすればいいのでしょうか?」と喚び出された用件がなくなり居心地が悪そうにしている。
「喚び出してごめんなさい。もう、帰っていいわよ」
お母様の言葉に治癒魔法士は逃げるように城のほうに帰って行った。
アンナちゃん様が言うように、アカイン家の家系の者は魔族の中でも傷の治りが早い。
歴代の魔法騎士団の団長の中には、オルト山脈の魔獣に心臓を抉り抜かれてもその魔獣を倒し、その毛皮を持ち帰り帰城したという伝説のある者もいるくらいです。
それに加え、アカイン家の者は身体強化魔法を得意とする家系だからこそ、代々この国の魔法騎士団の団長はアカイン家の者が選ばれているのですわ。
「ぼくもいつかパパみたいな魔法騎士団長になるよ。だから、ぼくが"エリザ"を守るよ」
アレクが急にわたくしの前に跪き、まだ剣はないけれど、わたくしの掌の甲に騎士の誓いのキスをした。
「ふふっ、可愛らしいわね」
「まぁ、アレクちゃんはリーザちゃんの騎士なのね♪」
盛り上がるお母様とアンナちゃん様の言葉など耳には入らずわたくしは顔を真っ赤にして黙りこくった。
(なっ! 今、アレクはわたくしのことをエリザって呼びましたわよね? 不意打ちすぎますわ〜!)
心の中で大絶叫した。
庭園に咲く、リーゼロッテで、花の冠をお母様たちに作ってあげたり、庭園を散策している間に、いつの間にか太陽は西の針葉樹の森の上まで下りてきていて、西の空がオレンジ色に染まり、夕陽の光がリーゼロッテの花弁を黄金色に輝かせ、空には青い月が浮かんでいた。
「リーザもサーシャもよく遊んだからお腹がすいているんじゃないかしら? 城に戻りましょう」
「ぼく、お腹ぺこぺこ」
お母様を先頭にアレクがその後に続き、わたくしも着いて行こうとしたら、アンナちゃん様がわたくしを花園の影に手招いた。
「エリザちゃん、ありがとう。アレクちゃんと一緒にいてくれて。あの子、うちの中じゃあんな顔してくれないから、パパもあの子には冷たいのよね」
去年の今頃、初めてアレクに会った時、お父様のことを訊ねたら、悲しそうな顔をしてあまり話してくれなかったから、そんな気がしていたけれど、昨日のパーニャ叔父様の授業と今朝のヴァンお兄様との会話でアレクが魔法騎士団長であるお父様から冷遇されていることが察せられた。
「これからもアレクと仲良くしてくれると嬉しいわ♪」
「もちろんですわ」
(結婚の約束もしましたもの)
わたくしは有頂天になっていました。
「それで、ね。すこし言いづらいのだけど、エリザちゃんにもアカイン家の血が混ざっているわよね?」
「はい」
(何だろう?)
「あのね……」
アンナちゃん様はわたくしの耳元で衝撃の事実を明かしてくれた。
わたくしが無自覚に魅了効果のあるフェロモンを撒き散らしていたなんて!
その事実を知って、わたくしの楽しかった夏季休暇は終わりを告げた。