01/エリザヴェータ・シルバニア/伝説の魔王妃は平和になった世界に転生したようです//
01/エリザヴェータ・シルバニア/伝説の魔王妃は平和になった世界に転生したようです//
わたくしには生まれてから時折見る夢がある。
それはとても断片的なもので、あまり楽しい夢ではなかったけれど、その夢をわたくしははっきりと覚えていた。
その断片的な夢は、わたくしではない誰かひとりの女性が経験したことの追体験だと気付くのに時間はかからなかった。
わたくしがそう確信したのは七歳の誕生日を過ぎた頃だった。
ーーわたくしはいつもの夢の続きを見ていた。
そこは城の中の玉座の間だ。
わたくしは空の玉座の隣に座り、忠臣たちと議論を重ねていた。
"神に告げられた終末の宣言"について。
「大変でございます! リリス様!」
慌てた様子の兵士がわたくしの下へと駆け寄ってくる。
「魔王妃様の御前で無礼だぞ!」
忠臣の一人が兵士を叱りつけた。
魔王妃リリス。
夢の中で、わたくしはそう呼ばれていた。
「よい。申してみよ」
わたくしは威厳たっぷりに兵士に発言を促す。
「魔王様が人族が送り込んだ勇者に刺されました!」
兵士の言葉をわたくしは信じられず、凍りついたように絶句する。
世界から光が失われ、世界が闇に包まれた。
寒い。
苦しい。
痛い。
言い知れぬ痛みが、恐怖が、わたくしを襲った。
すると声が聞こえた。
『大丈夫だ。この世界に生まれてきた生命には幸せになる権利がある。だから、世界は滅んだりしない! だから、リリス。お前は幸せになるんだ!』
頭の中に響くその声は暗闇を照らす光のほうから聞こえてきた。
玉座の間の先にある展望台から見える光を失ったはずの東の空に黄金色の光の柱が天に向かって伸びてゆくのが見えた。
わたくしはゆっくりと展望台のほうへと近付いた。
光の柱がある場所。そこはわたくしたち魔族が住むこの国と人族が住む人界を隔てる見えない壁のある場所だった。
光の柱は目に見えないその壁を壊しながら、地上に虹色の雨を降らす。
それは一瞬だった。宙に伸びる光の柱の中に愛しいあの方の姿があった。
黄金色の長大な竜に背中に跨る漆黒の髪に黄金色の瞳の美丈夫。わたくしの愛しい魔王様。
その背中には剣が刺さっているのが見て取れた。
魔界と人界を隔てることなく、虹色の優しい光の雨が世界に満ち溢れる。
あの方は優しく微笑んでいた。
わたくし瞳からぽろぽろと熱いものが零れ落ちる。
「漆黒の髪に黄金色の瞳の尊いお方……」
光の柱が消えて、わたくしはあの方の名前も顔も思い出せなくなっていた。
世界に光が戻り、世界を隔てる壁はなくなった。
しばらくして、人界との境界が無くなった場所を調査するために派遣した兵士たちが報告にやって来る。
「魔王妃様! 人族の軍が我々の領土に攻め入って来ました!」
わたくしは涙を拭い、兵士たちに告げるのだ。
「全軍、我が領土と民を守れ! 人族からもう何も奪わせるな!」
ーーわたくしはそこで目を覚ました。
瞼を腫らしたわたくしの顔を見て、侍女が大慌てでお母様を呼んできた。
お母様は「まぁ、リーザ。怖い夢を見たのね? 大丈夫、あれはただの夢よ」とわたくしを優しく抱き締めてそう仰ったけれど、あれは本当にただの夢だったのかしら?
ただの夢だと思い込もうとしていたけれど、うとうしながら七歳の誕生日を迎えたこの日、午後からのパーニャ叔父様の歴史の授業の話を聞いていた私の頭の中で、ばらばらだった夢と現実の話が突然繋がりましたの。
(わたくしが見ていたあの夢はただの夢なんかじゃありませんわ!)
そう確信してわたくしの眠気は一気に吹き飛びました。
申し遅れました。わたくしはエリザヴェータ・シルバニア。
かつて人族が異世界と認識し、魔界と呼んで恐怖していた隣の国。今では人族と魔族の和解により魔法使いの住む国ユートピアとして栄えているこの国。その一年の半分を雪と氷で覆われた北部の領土の管理を任され、東と南に聳える山脈地帯と河川の恩恵を受けたアムールに居住区を作り住んでいる由緒正しき四大魔将貴族のひとつシルバニア家本家の当主であり、魔法学院の学院長でもあるお祖母様。マリア・シルバニア侯爵の長女であるエカチェリーナお母様と由緒正しい魔将貴族のひとつアカイン家本家の当主であり騎士団の団長でもあるアスモデウス・アカイン伯爵の弟であるレオニードお父様の一人娘なのですわ。
家柄に恵まれ、白磁のような白い肌に、淡いピンク色のふわふわの髪の毛。魔族の貴族の証である黄金色の瞳を持つ容姿に恵まれ可愛らしい美少女。
それが今のわたくし、エリザヴェータ・シルバニアなのですわ。
夢の中の鏡に映ったわたくしはもっと色っぽくて美しくて威厳のあるお姿でしたけど、まぁ、わたくしはまだ七歳のなったばかりの幼い少女。大人の女性と比較しても仕方ありませんわ!
あら、話が逸れてしまいましたわね。
「エリザヴェータ。この国の建国の功労者の名前を一人答えろ」
わたくしの目の前には子供にも分かるように書かれたこの国の歴史の本が広げられ、お母様と同じ銀色の髪と白磁のような肌の端正な顔によく似合う銀縁眼鏡を掛けたパーニャ叔父様が、わたくしに問題を投げ掛けた。
わたくしの答えを待って、期待に満ちたようなパーニャ叔父様の銀縁眼鏡の奥の黄金色の瞳がいつもより輝いているように見える。
「魔王妃リリス様です」
わたくしは自信たっぷりに答えた。
「そう、だ、な……」
溜息混じりの声のトーンから、どうやらわたくしの答えはパーニャ叔父様のお気に召すものではなかったようです。
コホンとひとつ咳払いをすると、パーニャ叔父様は気を取り直したように口を開いて、わたくしの家庭教師として歴史の授業を再会した。
「魔王妃リリス。リリス様は神話の時代が終わり、神々がこの世界を手放し、魔界と人界がひとつになった世界で起きた魔族と人族の数々の戦いの中で魔族の兵士たちを鼓舞し、魔将軍たちの指揮を統括し、何度も人族の軍を退け、この国を守った。そして戦いで功績を残した魔将軍たちに爵位や領地を与え、我々、魔将貴族を賛美されたお方だ」
夢の中の軍を率いる凛々しい魔王妃リリスの姿を思い出し、わたくし自身が褒められているような気分になって上機嫌になる。
「漆黒の髪に黄金色の瞳の者が最も尊いと言い残したのを多くの忠臣たちは耳にし、魔王妃の残した言葉を信じ、今も魔将貴族の間では漆黒の髪と黄金色の瞳は高貴で純粋な魔族の証として敬われている。そして
魔族と人族が交わった赤い瞳の混血児たちは長年のお互いへの恨みから、エリザヴェータ。お前たちが生まれてくる前まではユートピアでもエーデンハルトでも酷い迫害を受けていたんだ」
「え?」
わたくしは自分の耳を疑った。
愛しいあの方の面影を忘れないように、"魔王妃リリス"は言葉に残したのだ。
誰かを迫害するためにあの言葉を残したわけではない。
魔族も人族も関係なく、この世界にある生命全てが幸せである事を願っていた愛しいあの方がこの事を知ったら、どんなに悲しむことかと思うと、わたくしの気分は急に落ち込んだ。
「それを救ったのが、現代の"魔王"とその伴侶であるジュン・クロウド公爵と名乗っている黒髪と金の瞳の人族の男だ」
わたくしはパーニャ叔父様の言葉に顔を上げた。
現代の魔王様。黄金色の髪と瞳のカエラ・シロノワール様のご尊顔とお声は毎年行われている新年会などでお話をされているのでわたくしも存じていますが、その伴侶の方の容姿ならば、わたくしは一度見たなら忘れるはずがありませんわ。愛しいあの方と同じ髪色と瞳の色。パーニャ叔父様の話が本当ならば黒髪と金の瞳はこの国では尊ばれる存在。ですが、公爵で人族?
わたくしは首を傾げた。
「代々、魔王候補は魔将貴族の中から選ばれる。その為に貴族同士で政略結婚をし、本来であれば、次代の魔王候補はエリザヴェータ、お前だったかもしれない」
「わたくしが次代の魔王?」
わたくしは魔王妃リリスだった夢の記憶はありますが、そんなわたくしが魔王候補?
「ああ、お前の父親のレオニード義兄さんは現代の魔王カエラ・シロノワール様の婚約者だったんだ。姉さんは義兄さんと結ばれて今は幸せだからいいけれど、義兄さんからカエラ様を奪ったのはエーデンハルトが送り込んだ"勇者"だ」
「勇者……」
勇者と聞いて、わたくしは眉間に皺を寄せて、唇を噛み締めた。
「エリザヴェータ、昔の話だ。まぁ、魔族にとって勇者は昔から天敵で、ユートピアの御伽噺の中じゃ、勇者は悪者だからな。七年前までは実際にいて、その勇者は今も魔王様の隣にいる。今のこの平和になった世界じゃ、初代勇者も魔王妃も語り継がれる伝説だ。あー、この話は他の者に話してはいけないぞ? 特に姉さんと義兄さんの前では、な? 俺の首が飛ぶ」
パーニャ叔父様は銀縁眼鏡のつるに手を添えて、神妙な面持ちでわたくしにそう言い含めた。
「まぁ、義兄さんも婚約破棄された訳だし、何とか取り入ろうと王子様とエリザヴェータとの婚約を目論んでいるみたいだが、どうなることやら……」
パーニャ叔父様のお話は今のわたくしには少し難しくて、でも、そうなったらわたくしは困ったことになる。
何故なら、わたくしには既に結婚の約束をした方がもういるからだ。
あれは去年の今頃、わたくしは彼に愛の告白を受けた。
わたくしは嬉しくて、彼の告白を受け入れた。
夢の中のあの方は、わたくしに愛の言葉のひとつなど贈って下さったことはなかった。
いつも城を留守にして、民たちや魔獣のことをいつも気にかけていたと思ったら、妖精族や挙げ句の果てには人族のことまで首を突っ込んでいた。
わたくしが詰め寄ると、のらりくらりと躱し、「愛とか恋とか俺にはよくわからないんだ」とわたくしに衝撃の告白をした。
(彼は、あの方とは違う。わたくしを愛してくれるはず!)
コンコンとわたくしたちのいる部屋の扉が叩かれて、今年も過ごしやすい北部のアムールの城に、夏季休暇を過ごす為、東のアカイン家の領地から彼がやって来た。
「リーザ! 君がこの部屋にいるって聞いてやって来たんだ。誕生日おめでとう! きみに花を持って来た! 受け取って!」
わたくしに初めて愛の告白をしてくれた時のように、その手で真っ赤な赤い花束を差し出し、花束と同じ色の赤髪の同い年の従兄弟である彼はキラキラとした茶色の瞳で真っ直ぐにわたくしを見つめた。
けれど、わたくしにはひとつ不満がある。
「アレク、わたくしのことをリーザって呼ばないでほしいですわ!」
「ど、どうして!?」
「リーザって愛称、聖女っぽくてわたくしが嫌なのですわ!」
「え? 聖女様に似てるなら、いいじゃないか。リーザのママもそう呼んでいるんだし、聖女様はこの世界を救った救世主様なんだから!」
キラキラと瞳を輝かせて話すわたくしの婚約者、アレクこと由緒正しい四大魔将貴族のひとつアカイン家本家の次男アレクサンドル・アカインは何も悪くはない。
「エリザヴェータ。聖女リゼ様を嫌うなんて罰当たりだぞ? 聖女様は清らかで心優しいお方なんだ!」
夢の中で聖女をよく知るわたくしは、「それはただの思い込みですわ」と言おうとしたけれど、がっしりとパーニャ叔父様から両肩を押さえられ、否定は許さないとばかりの圧が凄い。
「聖女リゼ様は、そのお力で人族を救い、我々魔族をも救い手を差し伸べて下さった神に選ばれたお方なんだ!」
(ああ、始まってしまいましたわ! 聖女狂信者のパーニャ叔父様の聖女語りが!)
声に出せない叫びを心の中だけで叫んで、わたくしはアレクと一緒に、聖女信者であるパーニャ叔父様の布教という名の、熱く、長い、聖女伝説を聞かされた。
この平和になった今の世界において、最大の功労者は、魔王妃でも勇者でもなく、聖女リゼなのだ。
アレクも加わって、わたくしの誕生日会の準備が整うまで、わたくしたちはパーニャ叔父様の歴史の授業を、北部であるアムールの地で色とりどりの花が咲き乱れる美しい夏の庭園を眺めながら受けた。
戦争も飢えもなくなった、この平和な時代で……