縫いぐるみの恩返し
その少年は幼い頃から物を大事にするような子でした。
しかし成長という時間がその心を変えてしまい、1つの選択をさせてしまったのです。
それは中学校を卒業する少し前のことで彼は幼い時から大事にしていたヌイグルミたちを処分する事に決めました。
ただし、ずっと傍らに置いていた大事な友達たちをゴミの袋に入れて出す気にはなれません。
そのため母親にお願いして箱に詰めてもらうと供養してから燃やしてくれる人形堂に送る事にしたのです。
「本当に良いの?」
「高校に上がって友達に見られたら恥ずかしいよ。」
彼も悩んだ末の選択とは言え理由は至って単純なものでした。
ほんの1年前には大事な友達で家族と思っていた気持ちは薄れてしまい、最後の確認に首を縦に振ってしまいます。
「それなら明日のお昼には送っておくから後になって後悔しても知らないからね。」
「大丈夫だよ。もう決めた事だから。」
そして彼は最後にヌイグルミが入れられている箱に視線を向けると部屋へと戻って行きました。
しかし部屋に入るとまるで別の場所になってしまったようで寂しさを感じてしまいます。
少年はその理由を知りながらも気持ちを抑えるとテレビを見始めました。
それから少しすると少年は高校生になり、通学路を歩いていました。
手にはスマホが握られ耳にはイヤホンを付けて音楽を聞いており、最近ではよく見られる通学スタイルです。
そして横断歩道に到着すると赤信号なので足を止めました。
ここは見晴らしの良い交差点で交通量は少ないですが信号を無視して渡ろうとはしません。
そして青信号になった事を確認すると再びスマホを見ながら歩き始めました。
しかし彼は気付いては居ませんが左方向から車が直進して来ています。
その運転手も片手にはスマホを持っており視線が前へと向いていません。
そのため運転手は赤信号を見落として交差点へと侵入すると、そのまま直進してしまい車が少年へと襲い掛かります。
その結果は痛ましいもので少年は躱すことも出来ずに轢かれてしまい、車もブレーキを掛けましたが既に手遅れでした。
その光景は周りを歩いていた人たちに衝撃を与え、運転手は車を停車させたまま放心状態になっています。
その中で2人の通行人が119番で救急車を呼んだり、110番で警察を呼んでくれたおかげでサイレンが近付いてきます。
そして救急車は到着してすぐに少年を病院へと送り、警察は運転手に事情を聞いて逮捕しました。
もし、ここで少年が信号を渡る前にスマホではなく左右に視線を向けていれば・・・。
もし、耳にイヤホンを付けずに周りの音を聞いていれば・・・。
もし、運転手がスマホに視線を向けず前を見ていれば・・・。
そのどれか1つでも欠けていなければこの悲劇は回避が出来たかもしれません。
そして病院に連れて行かれた少年は医師の努力の末に一命を取り留めました。
家族や友達にたくさんの心配を掛けましたが、心臓は動き呼吸もしているので生きてはいます。
しかし意識は戻らず体中は事故による怪我でボロボロです。
手術こそ成功しましたがこれまで通りの生活が出来るかは分からないと言われてしまいました。
そんな状態の少年の意識はどうゆう訳かこことは違う何処とも分からない場所に居ました。
「おかしいな~。俺は通学していたはずなんだけど?」
少年は徹という名前で車に轢かれた事を覚えていないようです。
しかも周りは森に囲まれ背負っていたカバンも無くなりおり、着ている制服以外に持ち物はありません。
そんな彼の傍から草を踏み締める音が聞こえてきます。
人にしては不規則で獣だとすれば怪我でもしているのかもしれません。
トオルは勇気を出して立ち上がると僅かな希望を胸にそちらへと向かって行きます。
「頼むから熊とかは勘弁してくれよ。」
しかし、その希望は誰にも届かず、彼はこの森に暮らすクマさんと出会ってしまいました。
目は光を反射して爛々と輝き、全身を毛むくじゃらな体毛が覆っています。
足の片方には大きな傷があり、中身がはみ出してとても痛そうです。
そして互いに目が合うと・・・。
「やあ。もしかして迷子になってるのかな?」
「ヌイグルミが動いてる!?しかも喋ってるーーー!?」
「ここではこれが普通だよ。でも困ったな~。助けてあげたいけど今は病院へ向かってる最中なんだよね。」
「あ・・あの・・・え!?」
「そうだ。その人は人間だから案内してあげるよ。」
そう言ってクマさんは2本の足で立ち上がるとトオルの手を取りました。
しかし、すぐに自分の足に気付くと触れた手を離してしまい途方に暮れてしまいます。
「どうしよう。この足じゃ君の手を引いてあげられないよ。」
「・・・な、なら・・・俺が抱えてやるから案内してくれよ。」
「良いの?」
「ああ。その代わり案内は任せたからな。」
「うん!」
クマさんの大きさは50センチほどで傷からはみ出した綿を見る限り重さも大した事が無さそうです。
そのため両手で持ち上げて胸の前で抱えると先程クマさんが歩いていた方向へと歩き始めました。
「なあ、ここは何処なんだ?」
「僕も少し前に来たばかりだからあまり詳しくはないよ。周りの皆が言うには長く大事にされていた人形やヌイグルミが捨てられるとここに集まってくるみたい。」
「そうなるとお前も誰かに捨てられたのか?」
「そうかもしれないね。昔はこうやってたくさん抱えてもらって一緒に寝ていた気がするけど、頭の中身も綿だから詳しく覚えてないや。」
そして2人が話していると森が開けた所へと到着しました。
そこには他にもヌイグルミが来ているようで中央を向いてそこに座る人物を見詰めています。
「ここが僕たちを直してくれるお医者さんが居る所だよ。あそこに座っているのがそのお医者さんになるね。」
「なんか何処かで見た事があるような・・・。」
「さあ行こう。もしかするとあの人なら君が帰る場所を知っているかもしれないよ。」
「あ、ああ。そうだな。」
トオルは思考を途中で中断すると中央の切り株に座っている人の所へと向かいました。
そして、その視線がトオルへ向くと最初に驚いた顔になり、続いて立ち上がると近付いて行きます。
「ここで人と出会ったのは久しぶりね。」
「あの、ここは何処ですか?」
「私も良くは分からないけど、あの世とこの世の間?みたいな所だと思うわ。ん~・・・でも、アナタって重症ね。体の方は生きてるのか疑問なくらい。」
「重症?体の何処も痛くないですよ。」
「痛くないだけで怪我はしてるの。ここでは痛みがないから気付かないだけよ。ちょっと服を脱いでみなさい。」
「変な事をしないで下さいよ。」
「しないから早くしなさい。」
そして言われた通りに服を脱ぐとそこには驚きとも言える光景が広がっていました。
何故なら体の至る所の皮膚が避けおり、そこから綿が飛び出しているからです。
血は流れていませんが体が動かせるので今まで気付けず、これが現実なら血が体から流れ尽くして死んでいたでしょう。
「あ!あの!?これ!?」
「落ち着きなさい。ここは現実じゃないって言ったでしょ。だからその体もアナタの物ではないから大丈夫よ。でも・・・そうね。アナタには今日から私の仕事を手伝ってもらうわ。」
「え!?どうしてですか!」
「仕事が終わったら帰り方を教えてあげる。それまではバイトとして料金分を働きなさい。」
「地獄の沙汰も金次第って事ですね。」
「三途の川を渡したいなら別に構わないわよ。それと私は直江よ。今日からよろしくね助手君。」
「俺はトオルです。」
そしてトオルは服を着るとナオエの助手として働く事になりました。
最初に任された仕事は人形が着ている服のボタンを縫い付ける事です。
これくらいは学校の授業でしているので簡単な作業と言えるのですが・・・。
「ダメ。他のボタンと縫い方が違ってる。ちゃんと観察して適切な処理をしなさい。」
「・・・はい。」
しかし最初から失敗をしてしまいナオエからお叱りを受けてしまいました
トオルは働いた経験のない学生なので親以外に叱られた経験が殆どありません。
それでも言われた事を噛み締めて少しずつ仕事を覚え、次第に助手らしくなっていきました。
「それなら次はこの子を洗ってあげて。」
「はい。」
ここには次々に怪我をしたヌイグルミがやってきます。
それは服のボタンを直すという簡単な事からクマさんの様に大きな傷を負っている事もありました。
今回任されたのは汚れている体を綺麗にする洗濯作業で近くの川から水を汲んで来なければなりません。
「ナオエさん。やっぱり水洗いですよね。」
「当たり前でしょ。お湯だと痛む物もあるし彼等は火に弱いのよ。燃え移ったりしたらどうするの。」
「納得です。」
ここにはガスコンロなどは無いため湯を沸かすには薪を拾って火を燃やさなければなりません。
しかし体が燃えやすい素材で出来ている彼等にとって火とはまさに大敵と言えます。
そのためトオルは抱えられる桶を手にして川へと向かい、何往復もして大きな桶に水を溜めて洗濯を始めました。
「あ~生き返るわ~~~。」
「痒いところはございませんか?」
「それならもうちょっと上を頼んます。」
ヌイグルミたちは住んでいた地域によって話す言葉に違いがあります。
トオルは冷たい水の事を忘れるために相手に話しかけながら、それから何十日も同じ作業を繰り返しました。
今では何処に出しても恥ずかしくないシャンプーの達人です。(ヌイグルミ限定)
そして努力が評価されナオエから大きな仕事を言い渡される時が来ました。
「そろそろ本格的に仕事を覚えてもらうわね。この子の破れた部分を直してみて。最初は一緒にして教えるけどなるべく早く覚えるのよ。」
「頑張ります。」
「素直でよろしい。」
そして穴が開いている所を内側に巻き込むように縫っていきます。
大きな裂け目なら分解の必要もありますが小指ぐらいの穴なのでその必要はありません。
その出来栄えは良いとは言えず、ナオエがその痕を見て評価してくれます。
「・・・下手ね。」
「自分でもそう思います。」
「今日から私の横について作業を覚えなさい。いきなり出来るとは思ってないから頑張るのよ。」
「はい。」
「頑張ってトオル。」
「みんな応援してるよ。」
トオルの周りには傷を負ったヌイグルミたちが集まり声援を送っています。
そこには最初にここへと案内してくれたクマさんも含まれ、今も治療される時を待ち続けています。
それ以外にもトナカイや恐竜にイルカなども居て、毎日の様に励ましの言葉を送ってくれていました。
それから2年以上も仕事を手伝いトオルは少しずつ実力を身に着けて行きます。
そして、とうとうその時がやってきたのです。
「トオルにこの子達の治療を任せるわ。」
「コイツ等はずっと手を付けてなかったですよね。もしかして俺の為に残っていたんですか?」
「貴方の為に最後まで応援したかったそうよ。それと彼等をちゃんと直せば元の世界に戻る切っ掛けになるかもしれないわ。」
「みんな・・・。」
「僕たちの事をお願いね。今のトオルになら出来るよ。」
「俺達はその為に残ってたんだからな。」
彼等と長く共に過ごして来たトオルにとって、そこに居るヌイグルミ達は友達や家族と同じ様な存在となっていました。
しかし治療を終えたヌイグルミたちは森に帰ったり消えてしまったりしてしまい、二度とここへは戻って来ません。
それを知るトオルにとって彼等を治療するという事はもう会えない事を意味しています。
「うぅ・・・。」
「泣いてないで早く治療して。アナタはここから戻らないといけないのでしょ。」
「・・・そうだな。」
そしてトオルはこれまで覚えた技術と心を込めて破れている手や足を直していきます。
中には目が取れ掛けている者や、頭が破れている者もいるので直す所はたくさんです。
それを丁寧に直していきますが終ると同時に1人・・・また1人とお別れの言葉を残して消えて行きました。
そして最後に残ったのはここへと連れて来てくれた恩人と言えるクマさんです。
「お前が最後だな。」
「そうだね。きっと君なら元の場所に戻れるよ。」
トオルは励ましの言葉を貰うとクマさんを抱き上げて初めてその部分を確認しました。
しかし、その近くには見覚えのある焦げ跡があり、記憶と心を強く刺激したのです。
「まさか・・・お前は!」
「ハハハ。気付かれちゃったみたいだね。僕たちは君が大事にしてくれていたヌイグルミなんだよ。」
「で、でも箱に詰めた時にはこんな傷は無かっただろ!」
「僕たちは君に死んでほしくなくて怪我の代償としてこの身を捧げたんだ。だからきっと僕たちの傷が治れば君も元の世界に戻れるはずさ。」
「でも・・・俺は自分勝手な考えでお前たちを捨てたのに・・・。」
「それならこれは僕たちの自分勝手な行いだから気にしなくても良いよ。それにこの後にどうなるかは誰にも分からないからね。」
「それでも・・・ごめんな。」
「ううん。僕たちはずっと大事にされていたからそのお返しだよ。だからそれが実を結んだところを最後に見せてほしいな。」
「・・・ああ。」
トオルは目から流れる涙を拭うと作業を再開しました。
足を分解して破れた部分を縫い合わせ、新しい生地を当てて焦げた場所も直しています。
すると仕事が進むにつれて昔の思い出が蘇り、その時の気持ちや温もりが触れている部分を通して胸へと流れ込んで来ました。
そして最後の一針が終るとクマさんは光に包まれるように消え始めてしまいます。
「お前も消えちゃうんだな。」
「そういうトオルもだよ。」
トオルは言われて自分の手へと視線を落としました。
すると同じ様に体が光に包まれて姿が消えていきます。
「ナオエさん!」
「良かったね。どうやら現実に戻れるみたいよ。」
「あの・・・これまでありがとうございます!それにお前たちもありがとう!」
「そう言ってもらえると僕たちも嬉しいよ。」
そしてトオルの視界が暗くなると、次に目を開けた時には何処か知らないベッドの上でした。
この2年以上は地面の芝生の上に寝ていたので大きな違いを感じ、あの場には無いはずである現代の光景に目を大きく開けます。
「・・・こ・・こは?」
声を出そうとしても上手く出せず、体も鉛の様に重くて動かす事が出来ません。
しかし傍には母親が座っており、目から涙を流しながら名前を呼んでいます。
そして周りに視線を向けるとそこには見覚えのある者達が並んでおり、トオルの目にも涙が浮かんできました。
「み・・ん・・・な。」
その体には見覚えのある傷が残っていますが、間違いなくトオルが高校に上がる前に捨てようとしたヌイグルミたちでした。
そのプラスチックの瞳はトオルを見詰めており、言葉が無くても互いの無事を祝っているようです。
「かあ・・さん。あ・・い・つら・・・は?」
「実は人形堂には送らずに物置に入れて置いたのよ。後になって開けて見たらアナタと同じ所が破れてたからきっとこの子達ならアナタを助けてくれると思って置かせてもらったの。見た目がアレだからちょっとカウンセリングも進められたけどね。」
「・・・あり・・がとう。」
そしてトオルはここに居る全員へとお礼の言葉を送りました。
クマさんには最後に伝えましたが他のヌイグルミたちには言えなかった言葉だからです。
その後トオルは2年以上も眠っていた事を知らされ、目を覚ました後はリハビリを頑張りました。
その結果、歩けるようにはなりましたが早く走る事は出来なくなりました。
代わりに腕や手に関しては後遺症もなく元の状態へと回復しています。
片目にも傷があったそうですが奇跡的に回復し、記憶の方も無事なようです。
それを手助けしたのがあの時の記憶と傷付いたヌイグルミたちでした。
トオルは体が回復してくると少しずつヌイグルミたちの修理を始め、その行動に周りを驚かせました。
そして高校を止めたトオルはネットで調べたあるお宅へと来ています。
そこにはヌイグルミ病院と書かれた看板が掛けてあり、下には二代目院長ナオエと書いてあります。
何故ここが分かったかと言うと、以前にヌイグルミのリサイクルに興味がありネットで調べた事があるからです。
ここでは捨てられたヌイグルミを回収し、修理をして販売していると目にした記載されていました。
そのためトオルはその時に責任者である初代院長の顔を見て記憶に残っていたのです。
二代目に引き継いでいるのは調べ直して知った事ですが、ここに来たのには会う以外にも理由があります。
「・・・ごめんください。」
『ドタドタドタ!』
「やっと来たわね助手!」
「あの・・・もしかしてナオエさんですか?いちおう就職の面接に来たのですけど。」
「1年以上も待たせておいて何言ってるの!即採用してあげるから仕事を手伝いなさい!」
「それよりも見た目がお若いような・・・。」
トオルが知っているナオエは50歳くらいに見えていたのに出て来たのは二十歳くらいなので同一人物とはとても思えません。
しかしトオルの事を助手と呼び、この態度を見ると自分が知るナオエそのものとし思えませんでした。
「あっちだとなんでかあの姿なのよね。別に困らないから良いのだけど、こんなにピッチピチのギャルを捕まえて失礼しちゃうわ。」
「やっぱり中身は婆さんかも・・・。」
「何ですって!!」
「ナンデモアリマセン。」
「グダグダ言ってないで仕事を始めるわよ!助けを求めている子はたくさん居るんだから!」
「はい!」
そしてトオルとナオエはその人生をヌイグルミの救済に費やしました。
後にあちらへと再び行けるようになったトオルはそこで自分が大事にしていたヌイグルミたちとも再開を果たします。
どうやら彼等もこちらへと自由に行き来が出来るようになり共に傷付いたヌイグルミたちの救済に当たりました。
それからヌイグルミ病院はその長い歴史が終わるまでに多くの人とヌイグルミから笑顔と感謝の言葉を送られる事になりましたとさ。