レベルアップ
目が覚めるとベッドの上だった。
布団を剥いで起き上がると見慣れた自分の部屋が目に映る。
「あれ……いつの間にログアウト……」
ふと自分の姿が目に付く。
真新しい手甲、鈍色の胸当て、傷だらけのすね当て。
それはパラダイスロストにおける初期装備。
「――は?」
頭の中が混乱して何も情報を処理できなくなる。
ログアウトしたならどうしてパラロスの装備を付けている?
ログアウトしていないならどうして自分の部屋にいる?
パラロスの運営に俺の部屋の構造がわかるはずない。
衛星写真? 隠しカメラ? なんのために?
思考を滅茶苦茶にされながらも立ち上がり、本棚に目を向ける。
並んだ背表紙はすべて自分で買った物で配置すら同じ。
一冊手にとって見ると、読みかけの部分に栞が挟まっている。
昨日、俺が挟み込んだものだ。
「うそ……だろ」
手から落ちた書籍が床で跳ね、栞が滑る。
テーブルの上にあった財布と携帯端末を持って部屋の外へと走り、階段を駆け下りてリビングへ。
「間違いない……俺の、家」
間取りも、生活痕も、すべてが物語っている。
ここは俺がこの十七年間、ずっと暮らしてきた家なのだと。
ゴミ箱には今朝食べたイチゴジャムとクリームの菓子パンの包装が入っていた。
こんなことパラロスとはいえゲームに再現できるはずがない。
「ゲームの中じゃ、ないのか?」
ムルキベルの言葉がふいに脳裏を過ぎる。
バッドエンド。
世界の終末が訪れた。
「現実……」
考えうる限り最悪の可能性を口にした直後、それに応えるかのような激しい音が鳴る。
それはこの家を引き裂くように現れ、天井に空いた大穴からは月光が射す。
見上げた星空に映り込むのは、パラロスで幾度となく討伐したモンスター。
巨体を振るい、火炎を吐く、鱗に覆われたリザード。
口腔から火炎が漏れる。
それは幾度となく見て来た火炎放射の予備動作。
「――まずッ」
即座に床を蹴って廊下へと飛びこむと、リビングが火炎で満たされる。
そのまま駆け抜けて玄関に降り、新調したばかりの靴を踏みつけて外へ。
駆け抜けて門扉から道路へと出ると、自分の家から火の手が上がっていた。
「家が……そんなッ」
これまで暮らしてきた家が、帰るべき場所が、思い出の数々が燃えていく。
そして、俺の家だけじゃない。
周囲に建つあらゆる民家から火の手が上がり、倒壊している。
道路は割れ、瓦礫で埋まり、電柱が折れて電線が火花を散らす。
夜空は赤く焦げていた。
「これが……バッドエンド」
自分たちが招いた終末。
「とに、かく……」
燃え盛る我が家の屋根にリザードが陣取ろうと這っている。
あれに見付かる前に逃げなくては。
「くそッ!」
思い出と愛着に後ろ髪を引かれながら道路を蹴って駆ける。
瓦礫を躱し、折れた電柱を飛び越え、もっと遠くへ。
リザードは俺を見失ったようで追っては来ない。
だが、その代わりと言わんばかり逃げた先で何かに遭遇する。
角を曲がった直後のことだ。
「――人」
道路を埋め尽くすほどの人だかり。
瞬間的に助かったと思った直後、そのうちの一人がこちらに気がつく。
振り向いたその人の姿はとても生きているとは思えない状態だった。
「アン……デッド」
有り体に言えば、それらはゾンビの群れだった。
そして一番に振り向いたそのゾンビの容姿には見覚えがある。
「三木さん――」
毎朝家を出るたびに挨拶をしていた三木さんが、ゾンビとしてそこにいる。
かつての面影などすでになく、奇声を上げてこちらへと手を伸ばす。
庭いじりをしていたその手は、俺を喰おうとしていた。
「チク……ショウ」
三木さんに続いて続々とゾンビがこちらに気付く。
それから逃れようと正反対の方向へと舵を切る。
迫り来るゾンビの群れから逃げ出すと、その先で更にモンスターに見付かった。
狼に似た姿をしたモンスター、ウルフ。
奴らはこちらに気がつくと、獲物が来たと雄叫びを上げる。
「チクショウがああああああッ!」
パラダイスロストをプレイするように、俺はショートカット機能を使う。
それは不具合なく発動し、右手には初期装備の剣が握られた。
柄を握り締め、腕に力を込め、モンスターを睨み付けて、剣を振るう。
その一撃は大口を開けたウルフを引き裂いて過ぎ、続けざまに二対三体と斬り伏せる。
レベルアップ。
その通知が視界に空しく表示され、俺は足を止めることなく駆け抜けた。
よければブックマークと評価をしていただけると嬉しいです。