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60.トラウマ

中学3年生の夏、それこそ自分が男子と女子のどちらとして振舞うべきか悩んでいた時のこと。

休みの日にお互いの家で遊ぶくらい仲のいい男子がいた。当時は今と違って桜花や総司のほかにもほどほどに交友関係もあったし、まぁまぁ明るい方だったと思う。



「律月一緒に帰ろうぜ」


「あ、待って。桜花と総司待たないと」


「あ、いや...なんか用事できたって先帰ったっぽい」


「え?そうなんだ。何も聞いてないけど...」


不審に思いつつも、いつもと比べて明らかに挙動不審な彼の隣を歩いて家まで帰る。いつものように帰り道の途中にある三叉路で別れようとすると途中で彼は立ち止まって真剣な表情をした。



「どうしたん?」


「いや...あの...」


「ん?」


彼は少しの間逡巡した様子で何か口を開いては閉じを繰り返し、ようやく決心がついたのか僕の目の前に立った。その時点でなにか少し嫌な予感はしていた。


「実は少し前から律月のことが...好きになってた。付き合ってくれない...か?」


「え...」


突然の告白に絶句して数秒間何も声が出てこなかった。今思うと僕からしたら気の置けない男友達だったけれど、彼からしたら見た目は同年代の女子である僕のことは確かに意識してもおかしくはない。


いくら仲がいいと言ってもそれは友人としてであって恋人として付き合うかと言われればまたそれは違った。もしかしたらちゃんと事情を話せばまた友達としてやりなおせるのではないか...そんな淡い期待をもって僕は断る理由として本当は自分が男であることを告げた。



「ごめん...実は私...いや、僕は男なんだ」


「え、どういう...」


「トランスジェンダーで...体は女だけど心は男なんだ。だから...ごめん。お前とは付き合えない」


「・・・」


彼は呆然とした表情でうつむいていた。それはそうだろう。一世一代の決心をして好きな女子に告白したのにその返答が「実は心は男」という突拍子のないものだったのだから。



「...え、じゃあ...いつも一緒にいたのは俺のことが好きとかじゃない、のか」


「...うん。普通に僕的には同性の友達として」


「.........そっか」


再び彼は顔が見えないくらいうつむいてしまった。そして何も言わないままゆっくりとした足取りでそのまま去って行ってしまった。僕はその背中に声をかけることが出来ず、彼が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。



その日から彼は僕と極端に関わりあいが少なくなった。その様子を見ていた周りは僕と喧嘩したからだとか勝手な噂を流し始めた。まぁ、喧嘩したという噂ならばまだよかった。


まずかったのはその時に流れた噂が僕に告白して断られたという本当のことが広まっていたことだった。僕はそんなことは少しも言っていないのでおそらく勝手に誰かがちょっとした悪戯心で流したデマだったのだろうが、なまじ本当のことだったのでまずかった。



当然この噂は彼のもとにも届くことになる。そうなればこのことを知っているのは僕しかいないので、僕が彼に告白されたということを言いふらしている犯人ということになってしまう。



怒った彼は問答無用で僕に対して反撃をすることにして、今度は彼の身近な人に僕が「トランスジェンダー」であることを言いふらしはじめたのだ。中学生になり少しは物の分別が付くようになっているとはいえ、誤解であるが彼は僕が自分を貶めていると思っているのでこれくらいはしてもいいと振り切れてしまったのだろう。



それからは悲惨なものだった。小さな中学校だったのもあってかあっという間にその噂は広がって行った。もともといた友人からは距離を置かれ、告白されたこと言いふらすような軽薄な人間だと軽蔑される。



そんな日が続いていると僕は周りの人の目が見れなくなっていた。誰かが笑っていることでさえ僕に対しての嘲笑に聞こえた。そうしてすっかり人間不信になり、そのうち学校に行かなくなってしまった。


それは周りから軽蔑されたということも大きかったのだが、一番心にきたのは親友に理解してもらえず拒絶されたことだった。



3カ月ほど引きこもっていた僕に対して毎日家まで来て話をしてくれたのは桜花だった。それに彼女は総司と一緒に学校で僕が噂を言いふらしたという誤解を解き、トランスジェンダーは嘘であると味方になって行動をおこしてくれた。あの時、二人がいなければおそらく今もあの部屋にこもっていたかもしれない。



3年生の冬頃にもう一度保健室登校をしてみることにした。誤解が解けたといっても僕の心にはまだ深い傷が残っていたので何人かのクラスメートがそのあと謝罪に来たが、正直何を言っても信じることはできなかった。



そうして卒業した後は桜花と総司と一緒に中学時代のクラスメートが誰も進学しない少し遠い高校を選ぶことにしたのだ。






「なるほどね...まぁ思春期の男子はなにかとねぇ。勘違いしちゃったんだね」


「それが僕にとってトラウマになったんだけどな...」


「うーん...彼とはそのあと話せたのかい?」


「いや...卒業するまで一度も顔を合わせてすらいない」


何もかもそいつのせいにするつもりはないが、彼を許す許さないの前に多分僕は彼と再会したとしても何も話すことはできないだろう。もしかしたらパニックになるかもしれない。



「まぁ、それは災難だというしかボクにはできないけどね」


「本当に軽いな、お前は」


「おや、ボクからの慰めがほしいのかい?」


「やめてくれ。詐欺にでもあいそうだ」


そういうとジキルはにやりと口角を上げた。こうして嘘くさい微笑みを見ていると本当に詐欺師みたいだ。



「まぁ、彼は彼としてさ。篠宮悠がそんなことするのかな?」


「いや...たぶん、絶対言いふらすなんてことはしないだろうけど...」


「拒絶されるのがこわい?」


「・・・」


信頼している人に拒絶されて軽蔑されることほど恐ろしいことはない。それに悠に対しては僕も依存してしまっているのでいきなり突き放されたら、今度はもう桜花や総司さえも信じられなくなってしまうかもしれない。



「ま、ボクはあの子が拒絶するとは思えないけどね」


「いやそうだよ。そうだけど...」


いくら悠を信じていても心の奥深くにあるトラウマが足枷となって一歩を踏み出させない。呪いのように僕の周りにまとわりついてくる。



「はぁ~...本当にしょうがないね、君は」


ジキルはあきれたように深くため息をついた。



「その夏祭りの当日までに本当の自分を篠宮悠に打ち明けること。これが今回の課題だよ」


「・・・」


「君はこうでもしないと一生進めなそうだからね。少し強引かもしれないけど君のためを思ってだよ?」


そうかもしれないけど、そういえばこいつはなんで悠に固執しているんだろうか。特に理由はないのかもしれないけど。



「ま、ボクは君ならできると信じているよ!じゃ、また2週間後くらいにねー」


問答無用でジキルは僕に課題を突き付ける。複雑な気持ちを抱えながら僕は急激に意識が覚醒していくのを感じた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 辛…。なんという悲劇。ジキル鬼畜だァ…!
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