126.冬コミ当日(後編)
「セットまだありますか?」
「すみません。たった今Vライバー図鑑がなくなってしまって」
「あぁ...じゃあキミアイとアクスタを」
「ありがとうございます。1000円になります」
総司も2000円になりますBOTから解き放たれて1000円になりますBOTに進化した。
開始から1時間が経過し、ついに300部あった架空Vライバー図鑑がすべて捌けてしまった。このペースのままでいくと普通にあと1時間もしないうちに完売しそうな勢いなんだが...。
あれだけ何度もリスナーの前で絶対売れないって杞憂したのが恥ずかしいくらいなんだけども。
僕はといえば本日2回目の『セーラーリツ』を描き終え、15人目の『パラダイスロストちゃん』制作に取り掛かろうとしているところだった。
スケブの受付はすでに先着50人分が埋まったため新規受付は終了し、僕は目の前にそびえたった巨大なスケブの塔を呆然と眺めていた。
正直、他のサークルさんでのスケブは30分から1時間かけているところが多いらしく、僕みたいに5分ちょっとでちゃちゃっと雑に描く感じではないらしい。
やっぱり50人は流石に多すぎたかな。
もし今度参加する機会があったらもう少し人数を制限しよう。
今描いてる人は...あぁ、『最上級ツナマヨ』さんか。この人は比較的新しめのリスナーさんで先月くらいからよくコメントしてくれている気がする。
昨日の第4回ラジオでもふつおたでVライバーになりたいって送ってきてくれていたな。
この人に限らずちょくちょく僕にVライバーになるためにはどうすればいいかという相談がくることがあるけど、正直僕の場合は特殊すぎてあんまり参考にならないと思うんだよね。
Vライバーというジャンルが確立され始めた2018年と比べてVライバーになるだけなら今は少しお金を出せばだれでも気軽になることができると思う。
でも相談してくる人ってそういう自己満足じゃなくてちゃんとバズって知名度も上げたいと思うから難しいんだけどね。
有名な絵師さんにモデルを描いてもらうとか、新たな覇権ゲームを開拓するとか、ショート動画で流行に乗っかって動画を出すとかいろいろやりようはあると思うけど運も絡んでくるからなぁ。
黎明期はVライバーっていう新規コンテンツを開拓していった数少ない先駆者たちがバズるのは当時の目新しさという観点から見ると容易だったと思うけど、あとから出てくる人たちは二番煎じになりかねないから結局のところ何かしらの武器が1つでもないと長続きはしないよね。
まぁそれでもこのまま今後技術の進歩とともに指数関数的にVライバーの数が増えていくと思われるので少しでもチャンスのあるうちにやりたい人はVライバーになっておくのはありだと思うけど。
まぁ...偉そうに講釈垂れといてなんだけど僕自身デビューしたとき片手で数えられるくらいしか業界にいなかった絵師系のVライバーだったっていうくらいしかバズった要因がわからないので僕の見通しがまったくもって見当はずれということもあり得るんだけどさ。
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「肩痛…」
腕をぐるぐる回しながら肩の緊張をほぐす。
時刻を確認すると開場からすでに1時間半ちょっと経過しており、僕はスケブ25人目を描き終えようやく折り返しに入るところだった。
「1000円になります。…はい、ありがとうございます」
集中していて周りの音が聞こえなくなっていたけど、総司も頑張って1000円になりますBOTしてるな。
「すみません。セットありますか?」
「ありがとうございます。1000円に…あ…」
「…どうしました?」
「すみません。前の人でセット完売してしまいました」
完売!?
在庫を確認するとあれだけあった段ボールが小さく折りたたまれており、残っているのは無料配布のコピー本のみとなっていた。
「申し訳ありません…。コピー本無料配布なので良ければ持っていってください」
「いえいえ全然!次参加するとき楽しみにしてます。頑張ってください!」
「ありがとうございます」
今の時点でまだかなりの数の人が並んでいるということはみんなが言っていた通り500部で足りなかったということか?
なんか並んでいくれている人に申し訳ない気持ちになるな...。
「並んでいただいている方申し訳ありません。完売となりましたのでよろしければ無料配布だけでもご自由にお持ちください」
並んでくれている人たちが次々にコピー本を手に取っていく。
今度参加する時は委託販売も視野に入れていかないといけないかもしれない。
「総司、会計おつかれ様」
「ん?あぁ、ありがとう」
「あとは僕一人で大丈夫だから、総司も好きなサークル回ってきて」
列がなくなりスペースに来る人たちがまばらになったので総司に休憩してもらうことにした。
単純計算で500人分の会計をこれだけの速さでこなすということは肉体的にも精神的にも疲れただろう。
「それはありがたいが...本当にリツ一人で大丈夫か?」
「うーん...まぁ」
大丈夫、とは言えないけど。
「あ、こうすれば」
折りたたまれた段ボールを切り取って、
「完売御礼!無料コピー本はご自由にお取りください!スケブ作業中につき声掛け不要です!」
と書かれたポップを作ってテーブルに置く。
「ならまぁ...そういえばリツは欲しいものとかないのか?」
「え?あるけど」
「ついでに行ってこようか?」
「まじ?めちゃくちゃ助かる」
本当はスケブを描ききってから総司と交代していこうかなーと思っていたんだけど、もしかしたらその時には売り切れてしまっているかもしれないしこの提案はありがたい。
「じゃあこのメモにあるやつ買ってきてもらっていい?」
「んー、おけ。なるべくすぐ戻ってくるけど何かトラブルあったらすぐ呼んでくれ」
「わかったわかった」
そう言って総司は不安げな顔をしつつメモを片手にスペースを出て行った。相当僕のことを心配してくれているみたいだけど、僕のコミュ障具合からして妥当な反応なので言い返す言葉もない。
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「すみません。スケブ受け取りに来たんですけど」
「あ...はい。スイッターのIDは?」
「ただの田中です」
しばらくして一番最初にスペースに来てくれた人がスケブを受け取りに来てくれた。
たしか、この人は『セーラーリツ』だったよな?
「こんな感じなんですけど...大丈夫ですか?」
「おぉ...!すごい!ありがとうございます!」
スケブを手に取ると田中さんから感嘆の声が漏れた。よかった、喜んでくれてるみたいだ。
こうして生の反応をもらえるっていうのは新鮮でなんだから嬉しいな。
「いえ...一番最初に来てくださってありがとうございます」
「次参加する時も一番最初に並びに来ます。応援してます!それでは」
田中さんは満足げな顔をして去って行った。こういう反応をもらえるだけで今回この冬コミに参加した価値があるというものだ。
田中さんとすれ違いで総司が帰ってきた。
「戦利品ゲットしてきたぞ」
「お、どれくらいいけた?」
「なんと頼まれてたのは全部いけた」
「おぉ!ありがとう」
総司から紙袋を受け取ると中には頼んであった同人誌やグッズが詰め込まれていた。
特に一番欲しかったのは昔からフォローしている有名絵師さんのエリカ組本。正直、人気どころだから後からだと買えないかもしれないと思っていたけど総司のおかげで助かった。
「俺がいなかった間、なにかなかったか?」
「んー、特には。ついさっきスケブの受け取りに一人来てたけど」
コピー本持っていく人もちゃんとポップを読んで会釈だけして去って行くからちゃんとしたコミュニケーションはさっきのだけかな。
「何...?ちゃんと受け渡しできたのか?」
「そりゃまぁ」
「そうか...成長してるんだな」
「僕のことバブちゃんだと思ってる?」
さすがになめられすぎてるかもしれない。
総司が帰ってきてからぽつぽつとスケブの受け取りにやってくる人が現れはじめた。みんな一様に喜んでくれるのがちゃんと一回一回嬉しい。
「これで...終わり!」
「お、描き終わったか」
「疲れたぁ...」
「お疲れ」
現在の時刻は14時5分。
なんとか50人分のスケブを描き切ることができた。疲れたけど今までの普通の依頼と違った達成感がある。
「お腹空いてないか?」
「さっき軽く携帯食料食べたから大丈夫」
「そうか」
会場入りする前にもコンビニで適当に食べたしお腹はあんまり空いていない。でも、今日くらいは地元に帰る前に打ち上げで総司と一緒に美味しいもの食べて帰りたいよな。
「あ、あの」
「あ、スケブの受け取りですか?」
「はい...」
総司と軽く談笑しているとサングラスとマスクをした完全なる不審者スタイルの女性...もとい黒森さんがやってきた。改めてみると明らかに挙動不審すぎる。
「お名前教えてもらってもいいですか?」
「マインルーク(仮)です」
おそらくデビュー前だからスイッターの名前も仮りでつけているんだろう。
でも、『Nol・ro・Minerouk』ってどういう意味なんだろう...調べても何の言語もヒットしなかったし。
『ラ・ヨダソウ・スティアーナ(特に意味はない)』的なノリなんだろうか?
「えーっと...これかな。どうぞ」
「ありがとうございます!」
スケブを受け取って開くと黒森さんがグラデーションのように驚愕の表情を浮かべる。
「こ、これ...」
「すみません。実は佐井さんにID教えてもらってまして」
「あ、あ...」
動揺して黒森さんがショートしてしまった。正直、IDで確信したけど声とかでバレないと思ってたんだろうか。
「先生...騙すようなことをしてすみません!こうやって冬コミにまでぐいぐい来たら引かれちゃうんじゃないかと思って...」
「いえ、別に気にしてないですよ」
自分で言うのもなんだけど打ち合わせの時に散々露呈していたんだからもう今更だと思うけど。
「そちらも頑張ってください」
「はい、頑張ります!先生と会えてよかったです!ありがとうございました!」
そう言って黒森さんは帰って行った。初配信も頑張ってほしいけど、帰るときに動揺が残っているのか手と足が同時に出ていたのは少し心配だ。
「今のは...?」
「んー、仕事関係の知り合い」
「なるほど」
まだ情報が出ていない仕事関係のことを言うわけにもいかないしな。総司もそれをわかってか詳しくは聞いてこなかった。
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「よし、忘れ物ないかな」
「大丈夫だと思う」
15時を過ぎて無料配布のコピー本もすべて捌けて、ついさっき最後のスケブの受け取りが終わったため閉会までまだ時間はあるが撤収することにした。
せっかく来たから閉会までいてもよかったんだけど打ち上げで美味しい店に行くんだったら早めに行かないと新幹線の時間に間に合わなそうだったしな。
「お隣の方、今日はありがとうございました」
「あ、お疲れ様です。すごいにぎわってましたね」
頼くん推しのお姉さんのサークルもすでに完売しており、撤収作業を行っているところだった。
「本当にフォロワーさんのおかげです」
「ありがたいですよね」
「はい」
今度からもうちょっと詳しくほしい人の数を調査して早めに完売しないように多めに持っていこう。
「何かの縁ですし、もしよろしければスイッター教えてもらってもいいですか?」
「あ、大丈夫です。えっと...瀬戸内海の瀬、良品の良にカタカナでリツ。瀬良リツです」
こういう場で交流が生まれるのもリアルイベントならではのいいところだと思う。
「瀬良リツさん...ん?あれ、もしかして」
「はい?」
「無人島人狼の時にいた人ですか?!頼くんと一緒にキラーやってた人ですよね!え、ていうかご本人だったんですね」
「は、はい...」
急に圧がすごい...。
「あ...すみません興奮しちゃって」
「いえ...」
多分この人推しのこととなるとかなり周りが見えなくなるタイプだ。僕もわりとそっち系なので逆に親近感がわいた。
「それでお隣さんのスイッターのお名前は?」
「あ、私は凛々しいの凛に音で凛音です!普段からいろんなイベントで頼くん周りの同人誌作ってるので、もしどこかのイベントで会ったらよろしくお願いしますね!」
「はい、また次回も頑張りましょう。今日はお疲れさまでした」
「お疲れさまでしたー!」
凛音さんと分かれて会場を出る。早速フォローしようとおもって検索してみるとプロフィール欄からえぐいくらいの頼くん強火熱を感じた。
今日は忙しかったけどめちゃくちゃ楽しかったな。
初めての参加ってことで終始緊張していたけど終わってみればちゃんと完売もしてスケブも50人分描き切れたし大成功なのではないだろうか。
「総司、うまいもん食べいこう」
「何系がいい?」
「やっぱ肉じゃない?」
「そう言うと思って事前によさげな店調べておいてあるぞ」
「おぉ!」
流石総司、仕事が早い。




