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書簡小説  作者: 八谷響
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第四章

     三月三日 柊耶から征志郎へ


 一昨日の夜が忘れられず、気づけば物思いに耽っています。

 とうてい越えられないと思っていた境界をあんなに容易く越えてしまえたなんて、まだ信じられない自分がいます。初めて結ばれたのはもう四ヶ月も前だというのに。お笑いになりますか?

 姉さんに疑われていたと仰っていましたが、問題はありませんでしたか? 手紙は手渡しにしているし、家に持ち帰らずすぐに処分するようにしているはずなのに、姉さんはいったいどこから疑いを抱いたのでしょう。

 姉さん次第では、またしばらく会えない日が続くのでしょうか。毎日同じ学校の中にいるのに、極力接触を持たないようにしていますし、そんなことになったら僕は寂しくてしかたがありません。

 征志郎さん。僕はいつもあなたのことを考えていて、おかしくなりそうなのです。


     三月四日 征志郎から柊耶へ


 千景は最近いらいらしていることのほうが多くて、私も辟易している。夫婦らしいやりとりなど、まったくしていません。食事の時も一切会話がなく、そのくせ夫としての勤めは要求される。本当にやりきれません。

 本心を言うと、彼女には触れたくないのです。私の手も私の目も私の唇も、君を求めるためにある。君のことだけを愛し君だけに愛されて暮らしていくことができれば、私はどんなに幸福なことだろう。

 今夜は仕事で遅くなると言って出てきました。いつもの場所で待っています。


     三月六日 柊耶から征志郎へ


 二人でどこかに行ってしまいたい。朝から夜までずっと、愛し合って過ごしたい。


     三月七日 征志郎から柊耶へ


 私も同じ気持ちだ。


     三月八日 柊耶から征志郎へ


 鎌倉はどうでしょうか。研究をまとめるためにしばらく逗留すると言えば、姉さんはついてこないでしょう。


     三月二十五日 征志郎から柊耶へ


 なんて短い日々だったろう。君と二人だけで、思うまま過ごすことができたなんて夢のようだ。もとの日常に戻ることが、どれほど苦痛だったろう。

 片時も離れていたくない。


     三月二十六日 柊耶から征志郎へ


 姉さんがいなければいいのに。


     四月一日


 大学教授の妻、服毒死

 四月一日午後二時頃、○○大学教授凪野征志郎氏の妻千景(二十)が自宅の居間で倒れているのを使用人が発見した。すでに死亡してから数時間が経過しており、死因は毒物であると判明した。

 千景夫人は控えめな性格で、交際範囲も非常に狭かったことから、捜査当局は夫人の交流していた人々への捜査から着手した。


     四月二十三日 征志郎から柊耶へ


 葬儀の手伝いなど、いろいろありがとう。ようやく元の生活に戻れました。千景の遺品は、昨日ようやくすべてご実家に送り返すことができました。

 もう少ししたら、今の家を処分しようと思います。一人暮らしには広すぎて手入れが行き届かないし、あまりいい気持ちにはなれません。この家には、いい思い出はないに等しい。

 一緒に暮らしませんか。二人きりで。


     四月三十日 柊耶から征志郎へ


 やっと、頃合いの下宿が見つかりました。学校にも近いし、家主のおばあさんはあまりこちらに干渉したがらない性格です。門限さえ気をつければ、不必要な詮索はされずにすみそうです。

 美倉の家はすっかり沈んでいて、両親の嘆きようを毎日見ているのが正直つらかった。兄がしっかりしているから日々の暮らしは成り立っていますが、兄も悲しくないわけではないのです。ふとした瞬間に、力なく肩を落としている様を見かけます。

 僕は昔から、姉とはそれほど仲がよくなかった。だからでしょうか、もうこの世にいないのだという実感も希薄ですし、だから悲しいとも思えずにいます。

 僕の薄情さを、征志郎さんはお責めになりますか?


     五月一日 征志郎から柊耶へ


 下宿の住所をありがとう。今度近くまで遊びに行ってもいいですか? 足を向けたことのない場所なので、一緒に歩いてみたいです。

 不思議なもので、千景がいなくなってからのほうがより一層彼女の存在を感じるような気がします。不仲であっても、やはり私たちは夫婦だったということなのでしょうか。

 警察の捜査は続いていますが、彼女がなぜ死んだのかはまだわからないそうです。私も何度か呼び出され、尋問を受けました。私が殺したかもしれないと疑われているのでしょう。我々夫婦の間柄がどのようなものであったかは、周りの人に訊けば自然にわかったでしょうから。

 実は、思うように転居できないのもそのせいなのです。捜査のめどが立つまでは、下手に引っ越しなどすれば余計な疑いを招きかねません。一時的な旅行も、許可を取らねばならぬそうです。

 千景はなぜ死んだのでしょう。夫婦生活に悩んでいたのは確かですが、だからといって自ら命を絶つほどではなかったと思うし、まして人の手にかかったなどということもないはずです。彼女は交友関係が狭く、恨みを買うほど深く関わった人がいたとも考えられません。


     五月七日 柊耶から征志郎へ


 征志郎さん、やはりお疲れではないのかと心配です。先日お会いしたときも、お顔の色が悪かった。どうぞご自愛ください。

 姉さんのことで、心ないことを言う人たちがいることも知っています。世間は本当に無責任です。遺書がなかったことも、そういう人たちに不要な想像をさせる原因かもしれません。いずれにせよ、他人のことなのだから放っておけばいいのにと思います。

 征志郎さん、よければ一晩だけでも、家を離れてみるのはいかがでしょうか。どこか、家の近くに泊まるくらいなら何も言われることはないでしょう。

 二人で過ごしましょう。煩わしいことなどすべて忘れて。


     五月十四日 征志郎から柊耶へ


 君の提案に乗って正解だった。自分ではわからなかったけれど、やはり相当疲れていたようです。おかげで骨休めができました。

 君がずっとそばにいてくれる一日が、あんなにも心安まるとは思わなかった。

 一緒に暮らしたい。たとえ誰からも認められず祝福を受けることがなくとも、私は君を伴侶と呼びたい。


     六月一日


 大学教授の妻毒死事件、新たなる展開

 当局は、地道なる捜査の結果ついに新たな手がかりを掴んだ。そもそもなぜ凪野千景夫人が死亡するに至ったのかということすら、自殺、他殺、事故のどれとも決定づけることができていなかったこの事件であるが、親族知人への聞き込みの結果、夫人が死の直前に大変不安定な精神状態にあったであろうという証言が出たのである。

 夫人は子供に恵まれず、そのことを実家の両親にいつも話していたという。非常に思い詰めていた様子であったともいうので、あるいはそれが高じて無分別な選択をするに至ったと考えることもできる。

 また別な証言では、夫婦の仲がよくなかったという話も浮上した。前述したように子供が生まれなかったことから、夫婦仲が冷たくなっていたのだとすれば、それもまた神経質になっていた夫人に誤った道を選ばせる一因となったと言えないこともないのである。

 新たな進展が見られた捜査の、今後の展開が待たれる。


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