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遺伝するのは、どこまで

作者: 工藤 響

私は、感覚で行動する人間だ。兄は、慎重に考えて行動する人間だ。母は、感覚で行動する人間だ。父は、慎重に考えて行動する人間だ。私は、醤油顔だ。兄は、塩顔だ。母は、塩顔だ。父は、醤油顔だ。私は、身長が高い。兄は、身長が低い。母は、身長が低い。父は、身長が低い。だから何だ。それがどうした。私は私だ。兄は兄だ。母は母だ。父は父だ。誰かに言われたことがある。「感性はお母さん譲りだね。」何を言っているのだろうか。母の感性を私は受け継いだのか?それなら私の感性はどこに行ったのだろうか。彼女のおなかの中に置いてきたのだろうか。誰かに言われたことがある。「さすが、〇〇の倅だ。」さすがだと。私が考えたことになぜ、父の子供ということが関係あるのだろうか。まったく関係がないとは言い切れないが、わざわざ言わなくていいじゃないか。遺伝というものは、うたたかな夢のようだと私は思う。小さなころだけのものだと思う。感性、能力、欲望、その他いろいろなことを作り上げるものは、自分の置かれた環境によって変化するも思う。私の友達に何をやっても途中で投げ出すやつがいる。どうしてやめるのと彼に問うと、「無理だから。俺にはできない。俺は何をやっても駄目なんだよ。父親の遺伝だよ。」と、御託を並べるやつがいる。彼はいつも遺伝のせいにする。彼は父親の姿を覚えていない。小さいころに両親が離婚してそれきりだ。これは本当に遺伝のせいなのか。だとすると、とても奇妙なことだ。遺伝というものがとても恐ろしくなってくる。遺伝を言い訳にしているだけなのではないかと思う。私は当然彼の父親のことなど知らない。もしも、彼の言うと通りの人間だったのなら、遺伝は関係あるということになるだろう。これを読んでいる方々は遺伝はとても強力で、あらがうことはできないと考えますか。それとも、遺伝など大したことはなく、自分の力量次第だとおもいますか。

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