9 雛
「満季様がお見えです」
居室で寛いでいた満仲に郎等が伝えて、直ぐ下がって行った。
満仲は
「うん」
と返事して待つが、満季は容易に現れない。
暫くして現れた満季だが、縁に突っ立って、入り難そうにして首の辺りを擦っている。
「何をしておる。入れ」
そう言われて、満季はのそのそと入って来た。
「どうした? 座れ」
座って胡座を掻くと、満季は、両の拳を床に突き、頭を下げた。
「済まん兄者。しくじった」
「あの若造のことか? 」
「そうだ」
『大きな口を叩いたくせに、しくじったのか。戯けが』
そう叱責されるのを覚悟していた。
だが、満仲は表情を変えなかった。
「仔細を話せ」
静かに言った。
「う、うん。ならず者共十人ほどを雇って襲わせた。
社の前で、その者達が千方を囲むように立ち塞がったのだが、突然、七、八人の男達が現れて、半弓で狙われた」
「なに、半弓だと? やはり、そうか。蝦夷か? 」
満仲が色めき立った。
「いや、陰から見届けた郎等の話に寄ると、郎等風の者、物売り風の者、町人風の者など、風体は様々だったそうだ」
「ふ~ん。そのような者達を使っておったのか、あの男。
相模でのこと、そやつらの仕業だな。で、どうなった? 」
「それが、あの腰抜け共め。詫びて、全ての者が逃げ出してしまいおった」
「当然だ。元来、そのような者達は怠け者だ。
少しでも楽をして稼ごうと思っておる。
わずかな礼物の為に命まで懸けるものか。
安く上げようとしたのが間違いだな。で、その者達はどうした」
「郎等達に追わせたのだが、蜘蛛の子を散らすように四方八方へ散って逃げおったので、二、三人を斬り捨てたのみで、後は見失ってしまった」
「二度とそんな者達は使うな。下手をすると墓穴を掘る」
「分かった。次はしくじらぬ。済まなかった」
「いや、まるで無駄だったと言う訳でも無い。半弓を使う者達の存在が分かったのは収穫だ。
いっそ、ごろつき共を射殺してくれていたら良かったのにな。
死骸に矢が残っていて、それが武蔵で使われた物と同じなら、奴をひっ括れる」
「麿はもう、奴を捕まえようなどとは考えておらん。殺すと決めている」
「それで気が済むならそう致せ。
だが、麿は麿ですることが有る。
読みを誤っておったようじゃ。二十~三十人もの者達が山中を駆け抜ければ、目立たぬはずは無い。誰も尋常では無いと思うはずだ。
樵や山里に住む者達が、郡衙に報せるはずと思い問い合わせてみたが、見た者は居なかった。
だが、もっと少ない人数であれば、目立つこと無く駆け抜けられるかも知れぬ。
汝の話を聞いていてそう思った。
或いは、たった七、八人でやったのかも知れぬとな。
二、三の郎等を武蔵にやり、聞き込ませてみよう。
それ程の大事とは思わず、郡衙には報せなかったが、見ていた者がいるやも知れぬ」
「なぜそんな面倒なことをせねばならんのか。殺してしまえば済むことではないか」
「綿密に調べれば、或いは思わぬ収穫が有るやも知れぬ」
「何のことだ」
「良い。それより、汝にして貰いたいことが有る。
次は慎重にせねばならぬ。まずは、気付かれぬよう跡をつけさせよ。
必ず、繋ぎの者が現れるはず。そ奴をつけて、手の者達の居所を突き止めよ。
そ奴らを見張っておれば、裏をかかれずに済む」
「なるほど」
「気安く返事をするな。敵は相当な者達。そ奴らに気付かれずにつけるなど、素人に出来ることでは無い。心当たりは有るのか? 」
「無くは無い」
「そうか。ならば任せる。言っておくが、財を惜しんでつまらぬ者を雇うなよ。
ごろつき十人に使う物を、その道に長けた者ひとりの為に使うくらいで良い。それほどの価値の有る者を探せ」
「分かった。今度はしくじらん」
そう言って満季は出て行ったが、満仲はその言葉を鵜呑みにしてはいなかった。
千方と言う男、若いが用心深くしたたかな男だと思った。
「やはり、秀郷の子よな」
そう呟いた。
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十日ほどが経った。
千方は、京に来て以来、一度も満仲には会っていない。
千晴の舘は右京四条一坊西院に在る高明の屋敷からそう遠く無い一角に有る。
満仲は左京一条に舘を構えており、距離的にはかなり離れている。
しかし、高明邸にやって来る満仲に出くわす可能性は有る。
また近々、兄・千晴に従って高明の警護に就くことになれば、その時は必ずやって来る。
満仲と例え出会ったとしても、お互い腹の内を隠して白々しい挨拶を交わすことになるだろう。
千方は昔、祖父・久稔に、顔で笑って相手の腹を探れと言われた時、そんな大人には成りたく無いと思ったことを思い出した。人とは変わるものなのだと思った。
この日は、犬丸と会って祖真紀からの報告を聞くことになっていた。西院の裏で会うことになっている。
西院は淳和院の別称で、右京四条二坊(現・京都府京都市右京区西院高山寺町18高山寺内)にあった。
高明邸の西隣の一画である。
後の世になってのことだが、源氏長者が奨学院別当と併せて兼ねるようになり、足利義満以来、幕府将軍の名乗りは、
『淳和院並びに奨学院別当・征夷大将軍・源某』
となるのだ。
西院の裏口を入って行く飴売りの格好をした犬丸の姿があった。
少しして、夜叉丸、秋天丸を従えた千方が入って行く。
千方らが入って行くと雑木の陰から、犬丸が姿を現した。無言で少し頭を下げる。
「どうじゃ、その後」
千方が尋ねる。
「先日伺った帰りにつけられました」
「なに? 」
「幸い隠れ家近くで見張っていた鷹丸が気付いてくれて、合図を送ってくれたので、知らん顔をしてその場を通り過ぎ、散々歩き回った後、巻いてやりました」
「それで? 」
「当然、竹丸が逆にその者をつけたのですが、こちらも巻かれました。中々の者だったようです」
「用心せねばならぬな」
「今日、もし麿をつければ、今度は逃しません。統領が出張って来ておりますので」
「祖真紀が来ておるのか」
「はい。近くにおるはずです」
父の代には『長』と呼ばれていた祖真紀だが、跡を継ぐことが決ってからの古能代は、戦いに向かぬ者を、千常に頼んで、農夫として開拓地に入植させ、残った者達を更に厳しく鍛え、郷を強力な戦闘集落に改革して来た。
そして、郷長と言うより、戦いを指揮する者と言う側面が強くなり、『統領』と呼ばれるようになっていた。
敵に気付かれぬよう、敢えて今、姿を現さないのだろうと千方は思った。
「どうやら、満季が指揮を取っているようです。それ以上のことはまだ分かりません。今日、鼠が罠に掛かってくれれば、も少し何か掴めるかと」
「そうか。ご苦労。囮の役、十分気を付けて務めてくれ」
「有難う御座います。では」
一度頭を下げて、犬丸は境内を出て行った。少し間を置いて、千方達も裏口から出た。
念の為、東に向かった犬丸の後ろ姿を目で追ってみるが、さすがにつけていると思われる者の姿は無い。
それを確かめて左折し、裏小路を塀に沿って西に向かって歩き出した。
少し行った所で、千方は、こちらに向かって歩いて来る娘の姿に気付いた。朽ち葉色の小袖を着た町娘風の女だ。
『昼とは言え、右京の裏小路を娘ひとりで歩くとは』
そう思ったが、或いは敵かも知れないと閃いた。
ちらりと夜叉丸の顔を窺って見るが、特に警戒している様子は無い。
娘は少し急ぎ気味に反対側の塀際を歩いて来る。近付くに連れて顔がはっきりと分かるようになった。
中々に愛らしい面立ちをした娘だ。
娘が少し視線を上げた。その瞬間表情が変わり、信じられない素早さでしゃがみ込んだと思ったら、小石を拾い、その小石を千方の顔目掛けて投げ付けて来た。
娘に注意を払っていた千方は、身体を沈めて難無くその小石を躱した。
しかし、その瞬間見たのは、前の白壁に当たって跳ね返る矢だった。白壁には矢で抉られた傷がくっきりと残っている。
夜叉丸と秋天丸は、素早く振り向いて、後方の塀の上や木の上などに忙しく視線を走らせている。
矢は後方から飛んで来たのだ。娘が投げた小石を避ける為身を屈めたことで矢を躱すことが出来た。
「申し訳御座いません、抜かりました」
曲者の姿を捉えようと目で追っていた二人が、諦めて千方に頭を下げた。
「やむを得ん。後ろに目は無いからな」
普段であれば、他の誰かが、隠れて後方に目を光らせているはずだった。
ところが今日は、犬丸をつける者を捕らえる為に、祖真紀に従って千方の傍を離れてしまっていた。
今回は完全に、千方側が裏をかかれたことになる。
「ご無礼お許し下さい。申し訳御座いませんでした」
近寄って来た娘が千方の前に膝を突き、頭を下げた。
「何を申す。そなたのお陰で命拾いした。礼を申す」
「いえ、役目に御座いますれば」
「役目? そうか、もうひとりと言うのはそなたか。名は何と申す」
それには答えず、娘はただ笑みを浮かべている。
千方は、夜叉丸と秋天丸の顔を見た。ふたりともニヤニヤしている。
「何だ、気持ちの悪い奴らだな」
「チェンジュマルチャマ、こんにちは」
娘が幼い童のような声でそう言った。
千方は、娘の顔をじっと見ていた。
「雛か! 全く分からなかったぞ」
「フクロウの雛に御座います」
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十四の歳、千寿丸と名乗っていた千方が、千常に連れられて下野の隠れ郷に入り、童達と対面した時に、先代の祖真紀に促され、回らぬ舌で挨拶したのが幼い日の雛だった。
雛はペコリと頭を下げ、回らぬ舌で
『チェンジュマルチャマ、こんにちは』
と言った。
それを受けて千方が、
『言いにくそうだな。六郎で良いぞ』
と言うと、
『ろくろう? なんか、ふくろうみたい』
と返した。
『梟か、夜目が効くと良いな。
朝鳥の雛かふくろうの雛か? 』
千方のその言葉を理解出来ず、雛はきょとんとしていた。
その時朝鳥が、呆れたという顔をして、
『このような幼い童に、そんなことを言っても、分かるはずがありますまい』
と言ったので、皆どっと笑ったのだ。
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「驚いた。そのようなことまで良う覚えておるのう」
「朝鳥様とのやり取りが面白かったと言って、皆が何度も話してくれました。覚えていた分けでは御座いません」
「しかし、口も良く回らなかった、あの幼い女童がのう」
「十五になりました」
「そうか、あの時の麿の年よりひとつ上になっておるのか」
「手薄になるので、六郎様の身辺に気を配るよう、統領より言いつかっております」
「しかし、昨日今日、下野の山から出て参ったとは思えぬな。
黙っていたら京の娘にしか見えん」
千方は幾分興奮気味に雛に話し掛けている。
その様子を見ながら、夜叉丸と秋天丸は互いに目を合わせ、無言の会話を交わした。
「ここ一年ほどは佐野のお舘で下働きをしておりました」
「そうであったか。だが、佐野とて板東の片田舎ではないか」
「采明様という方から、立ち居振舞いを躾られました」
「采明? ああ、千常兄上の母上に付いていた侍女じゃな。
兄上の母上は先年亡くなられたが、采明は達者であったか。
兄上の母上は公家の姫。その方に京に居る頃から付いていて、供をして板東に下って来たと聞いておる。京生まれの采明から躾られたのか」
「はい」
「それにしても、侍女なら兎も角。下女に作法の躾とはな。暇も無かったろうに」
「統領から殿様に、特別にお願いしてあったものと思います。
役目に必要なものと思ってのことと言われました」
「そうであったか」
「六郎様」
拾って来た矢を見せながら、夜叉丸が千方に話し掛けた。
「半弓で御座いますな。しかも腕は確か。雛が石を投げなければ、六郎様の首を後ろから射抜いておりましたでしょう。
背筋が寒くなります。我等の油断でした」
そう言いながら、秋天丸は、夜叉丸から矢を取り上げて、鏃、矢羽などを丹念に見ている。
「蝦夷の物か? 」
「はい。間違い御座いません」
「どこの者か見当は付くか」
「それは難しいです。大和人と成って残った者、陸奥に送還される前に逃亡した者、また、朝廷に献上された者達の子孫で行方の分からなくなっている者など数多くおります。
矢の造りだけでは、なんとも」
「雛。曲者は、どのような者であった」
「顔を布で覆っておりましたので」
「射た辺りを探してみよ。なんぞ残しているやも知れぬ」
「はっ」
と返事をして、秋天丸が、雛の案内で、曲者が居た辺りに走って行った。
残った夜叉丸は、四方に目を配り警戒を続ける。
曲者は、結局何も残してはいなかった。