3 対決
やはり満仲からの呼び出しは有った。
相模の山中で満季の手の者十五人を手に掛けてから三日目のことである。
相模から埼玉郡へ真っ直ぐに戻らず、武蔵守時代に秀郷が武蔵府中に建てた舘に、千方は逗留していた。
街道で姿を見られている以上、詮索される可能性は有る。
その影響を、埼玉郡、特に草原にまで持ち込みたくは無かったのだ。
この舘は今、豊地の弟であり叔父である豊水が留守居役として管理しており、草原の者達も何人も居るので、千方に取っては、居心地の良い場所ではある。
豊水には、相模の山中での出来事は伝えていない。
この叔父は、陽気で気さくな男なのだが、大事を打ち明けられる相手では無い。また、巻き込みたくも無かった。
「権守から呼び出しとは、一体何で御座いましょうな。六郎様がおられることを知っていたことも、不思議と言えば不思議に御座いますな」
千方の居室に入って来た豊水は、首を捻っている。
「”まんじゆう” の思惑など分からん」
「まんじゅう? 」
豊水はその言葉に反応した。
「京では陰でそう呼ばれているそうだ」
「なるほど。満仲と書いて『まんじゅう』と読めますな。なるほどなるほど。はっはっはっは。これは良い」
能天気な男である。
「案ずるには及ばぬ」
「左様で御座るか。郎等共をお連れ頂いた方が良いかと思っておりましたが、必要御座いませんか」
「大勢引き連れて行ったりしたら、腹に一物有ると思われかねん。供は朝鳥一人で十分」
「六郎様がそう仰せなら」
「大丈夫だ」
「ならば、お気を付けて」
千方に軽く頭を下げて、豊水は居室を出て行った。
「油断は禁物で御座いますぞ。満仲は油断のならぬ男と聞いております」
黙って控えていた朝鳥が千方に声を掛けた。
「あの叔父に心配を掛けたくはない。頼りに出来るお方でも無いしな」
「肚を据えるしか御座いませんな」
「元より覚悟は出来ている。だが、命を粗末にするつもりは無い。必ず切り抜けて見せる」
「これくらいのことでいちいち命を捨てていたら、命が幾つ有っても足りません」
「その通りだが、麿はむしろ、そのほうが、命を粗末にするような真似をせぬかと案じておるのよ」
朝鳥は苦笑いをした。
「ご案じ無く。こう申し上げては何ですが、今の六郎様では、この朝鳥、まだまだ安心して目を瞑る分けには参りません」
荒武者と言われた男も白髪が増え、固肥りだった体も少し痩せ、その分、皺が増えている。
千方もにやりとする。
「ならば、麿が死ぬまで仕えて貰わねばならぬな。頼り無いであろうからな」
「麿を化物にでもされたいのですか」
「それも面白い」
「御免蒙ります」
「『案ずるより産むが易し』と申す。そろそろ乗り込むと致すか」
千方は立ち上がり、太刀を佩いた。
「刄を交えての戦いではありませんが、心と言葉を使っての対決で御座います。命が懸かっていることに、何ら変わりは御座いません。
心して臨んで下さいませ」
「分かっておるわ」
「そのお言葉、久し振りにお聞き申した」
朝鳥が笑い、千方も笑った。
朝鳥と馬首を並べて国衙に向かいながら、千方は考えていた。
『何らかの証を掴んでいるなら、満仲は、迷わず検非違使を差し向けて、捕縛しようとするはず。
差し詰め、何もつかんではいないが、疑いは持っていると言ったところか』
そう思った。
相模での訪問先を問われたとしても、問題は無い。
郎等に命じ、千晴の旧知を訪ねさせ、何かの時には証言して貰うよう手配してある。
夜叉丸、秋天丸とは、相模に向かう際にも別行動を取っていた。大丈夫だ。問われて返事に窮するようなことは無い。
だが、千方らの仕業と特定されてしまえぱ、言い逃れる余地は無くなってしまう。
襲って来た者達を斬った訳では無い。
襲おうとしている者達を斬ったのだから、襲おうとしていたことを証明することは出来ない。
遺恨とされるか、物盗り目的とされるかは別として、単なる人殺しとして裁かれてしまうことになる。
迂闊なひと言が命取りに成り兼ねないのだ。千方は大きく呼吸した。
国衙の門前で下馬し、馬を預ける。
名乗ると、広間に案内され、待つように言われた。
途中すれ違った何人かの官人は、値踏みでもするように千方を見ていた。
暫く待たされた。やがて満仲が現れ、ゆっくりと上座に着く。
顔が大きい。大きな目で千方を見据えた。そして、急に笑顔を作る。
「良う来てくれた、千方殿」
悪人顔とも言える顔相の持ち主だが、笑うと、ひとの良さそうな表情に変わる。
「一度会うて見たいと思っておった。府中の舘に来ていると聞いたものでな」
「恐れ入ります」
千方は、一応神妙な素振りを作る。
「兄上の千晴殿とは京で親しくさせて頂いておってな」
「兄より聞いております」
「ところで、千方殿は今、何をされておるのか」
そろそろ来たなと思った。
「はい。埼玉郡に有る兄の所領の管理などしております」
「位階はお持ちゆえ、そのうち官職に就くことになるであろう」
「まだ、そのような話は御座いません」
「ところで、地元の者から聞いたことだが、千方殿は、十三~十四の頃から暫く、草原には居なかったそうですな。
どこに、おったのかな」
「父の処におりました」
「うん。宮(現・宇都宮市)の二荒大明神にて、初冠を行ったそうじゃな」
「はい。良くご存じで」
愛想の良い素振りを見せる満仲だが、目だけは笑っていない。
笑顔が薄れ、探るように千方を見た。
「だが、その他の時に、佐野の辺りで貴殿を見掛けたと言う話を聞かんな。なぜであろうかのう」
『なるほど。この二日三日の間、麿のことを調べさせていたのだな』
千方は、そう思って心で構え直したが、表情を変えることは無かった。
「佐野には殆どおりませんでした。
居たのは田沼に有る父の隠居所としての舘でしたので、人の出入りも多くは御座いませんでした」
「左様か。ところで、話は違うが、千方殿は弓の名手だそうですな」
心当たりが有った。
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草原に戻って間も無い頃のことだ。
郡家に寄った時、若い官人達が弓の稽古をしているのに出会した。この時の供は夜叉丸と秋天丸のふたり。朝鳥は居なかった。
「麿にも射させてはくれぬか」
うずうずする気持ちを抑え切れなかった。
下野の『隠れ郷』から佐野の舘に移ってから、長弓に興じた。
半弓の腕は相当上がったと自負していた。
だが、その成果が、長弓の上達にどれほど役立つか試してみたかったのだ。
最初は寧ろ多くの違いを感じ、半弓を扱う時のコツは、長弓の上達には余り役に立たないのではないかとさえ思えた。
ところが或る時、千方は、半弓の扱いにも長弓の扱いにもにも共通するコツと言えるものを掴んだ。それからと言うもの、千方の長弓の腕が飛躍的に上がった。
その時、千方は、人前で腕試しをしてみたくなったのだ。
「草原の六郎様で御座いますな。お手並み拝見致しましょう。さあ、どうぞ、どうぞ」
勧められて、千方は弓を取った。
風を読む。右手に二本の矢を持つ。一本をつがえ、他の一本は右手の小指に挟む。
普通ならここで姿勢を正し、呼吸を整え、じっくりと的を狙うところだ。
ところが千方は、弓を構えるや否や、立て続けに二本の矢を発射した。
そして、その二本共が、的の中心を見事に射抜いた。
二本の矢は互いを押し退けようとするかのように黒丸の中心で押し合っている。
「うおー」
と言う、驚嘆の声が上がった。
悪い気はしなかったが、思えば、若さゆえの油断であったのかも知れない。
『調子者』と、祖父・久稔が評した欠点を露にしてしまったようだ。
草原に戻ったばかりの千方には、弓の名手との評判が立ってしまった。
後日、この出来事を聞いた朝鳥は、
「つまらぬことをなされたものですな」
と渋い顔をした。
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「なぜ、命のことを思い出したかと言うと、三日ほど前に、矢で喉笛を射抜かれて死んだ者達がおってな」
満仲が、探るような表情を見せて言った。
「まさか、麿がその下手人ではないかと思っていると言うことでは御座いますまいな」
いかにも滑稽だという素振りを見せて、千方は、明るく笑った。
「まさか! そんなことは思うてもおらん」
満仲がわざとらしく、柔らかい笑いを浮かべる。
そして、
「あれは、蝦夷の仕業じゃ。矢を見れば判る」
と言った。
こんなことで安心してはいられない。
気を抜いたところで、何かを仕掛けて来るつもりだろうと、千方は構えた。
「盗賊に身を投じた蝦夷も、少なくは無いと聞きいております」
満仲が頷く。
「うん、存じておる。
実は襲われたのは、弟の郎党達でな。
所用有って、京から麿の許へ赴く途中であった。首を射抜かれた者。斬り殺された者。
四人とも死んだ。弟・満季には会わす顔が無くてのう。何とか仇を討ってやりたいと思うておるのよ」
己の悪巧みが招いた結果であることは噯にも出さない。
『そうか。十五人の中で、郎党は四人だけだったのか』
と千方は思う。
後は、急遽雇ったならず者達であったのだろう。
満仲に取ってはどうでも良い連中だったのかも知れないし、また、余りにも多くの者が討たれたとあっては、沽券に関わると思ってのことかも知れない。
「胸中お察し致します。しかし、荷駄や懐の暖かそうな富貴の者では無く、屈強な郎党衆を襲うとは、何とも呆れ果てた大胆な賊で御座いますな。
一体、何が目当てだったので御座いましょうか」
「う? うん。お役目上、委細は明かせぬが、理由は有った」
一瞬、満仲の追及の矛先が鈍った。本当の理由など、言える分けが無い。
「手前などには想像も付きませぬが、お役目上、色々と有るので御座いましょうな」
「うん。色々とな。…… ところで、三日ほど前、東海道で命を見掛けたと言う者がおってのう。どこぞへお出掛けであったのか」
「来たな」
と千方は思った。
「はい。京の兄・千晴からの頼みで、兄が相模介を務めていた頃親しくしていた方の所へ行って参りました」
答は用意していたが、
「それは誰で、何の用向きで参ったか」
とまで、満仲は詰めて来なかった。
例え表面上であっても、京で親しくしている千晴の頼みと言われては、証拠も無く追求しづらかったのかも知れない。
また、当然それくらいの答は用意していると思ってのことかも知れない。
だがここに、満仲の小さな罠が仕掛けてある。
満仲は事件がどこで起こったとは、ひと言も言っていない。
それなのに千方が、満仲の疑いを打ち消そうと焦って、相模には行ったが事件とは関わり無いと言うようなことを言い出せば、満仲の疑いは確信に変わる。
『事件が相模で起こったと、なにゆえ思うか』
と追求され、ひとの噂で聞いたと抗弁してみても、
『麿が事件の有ったことを話した時、何故知らぬ素振りをしたのか』
と突っ込まれてしまう。
第一、事件に付いては、満仲が厳しく緘口令を敷いており、今のところ、外部には漏れていない。
『人の噂で聞いた』
などと口走ったなら、自ら白状したも同然と言うことになる。
満季の郎党達が殺された話は終わっていて、千方が相模に行ったことは、全く別の話題だと思っているという素振りを通さなければならないのだ。
「千晴殿の弟御が弓の名手と言う噂を耳にしておったので、一度話してみたかったのよ。
偶然、この府中に滞在していることを聞き、来て貰った。
噂通り、若いが中々の者。
いや、話せて楽しかった。また府中に来た際には、いつでも気楽に訪うが良い。
自分で言うのも何じゃが、実は弓に着いては、麿も聊か自信が有ってのう。一度手合わせしてみたい。どうじゃ」
「権守様。実は白状せねばならぬことが御座います」
千方がいきなりそんなことを言い出したので、
『何を言い出すつもりか』
と探るように、満仲の目が光った。
「たまたま人前で射た時に、思いも掛けず矢が的の真ん中に当たってしまいました」
千方がそこまで言った時、透かされたと気付いて、一瞬の緊張が解れ、満仲がふっと息を吐いた。
「いや、真剣に射ようという気が無く、適当に射たのが、きっと良かったのでしょう。
肩の力を抜いていたのが幸いして、偶然、真ん中に当たったとしか思えませぬ。
思い掛けなく『弓の名手』などという噂が立ってしまい、正直、面食らいました。
それ以来、二度と人前では射るまいと思っています。
麿が射ようとすれば、必ず、他人は名人の技を見てみようとするでしょう。
しかし、偶然が二度も起こらないことは、麿自身が良く分かっております。
外して『なあんだ』と思われるより、せっかく得た名声を、このままにして置きたいと思っているのです。ずるい男なのでしょうか」
有るはずも無いことだが、一瞬、千方が事件に付いて自白するのではないかと抱いた期待を外されて、満仲は鼻白んだ。
「そうか」
と、つまらなげに呟いた後、気を取り直して声の調子を上げ、
「また、いずれ都で再会することもあろう。千晴殿同様、末長く親しみたいものじゃな」
と言った。
千方はと言うと、内心ほくそ笑んでいた。
「そのように仰って頂けることは存外の光栄に御座います。また、お身内のご不幸お悔やみ申し上げます。
ご供養の為にも、一日も早く下手人を捕らえられますよう、陰ながらお祈りしております」
「千方殿」
と言って、満仲が、一瞬、千方に鋭い視線を投げた。
「そのことは、武人としての恥ともなることゆえ、決して他言はせぬように」
「ははっ。決して他言は致しませぬ。
良いな朝鳥」
千方は意識して畏まって見せた。
「ははっ」
後ろに控えていた朝鳥が発した言葉は、この席で、そのひと言だけだった。
自分が、千方を庇ったり、助けようとしたりするような態度を見せたら、益々、満仲の疑いを煽る結果になることを分かっていた。
また、幸いなことに、この日の千方の受け答えに危うい処は無かった。
~~~~~~~~~~
舘に帰ると、叔父の豊水が、権守・満仲の用件は何だったのかとしつこく聞いて来た。
「京の兄上と親しいので、麿がここに居ると聞いて会いたかったと言うだけのことらしい」
そう適当に答えて置いた。
「ほう。それだけのことですか。色々と噂に聞く、癖の有る男。
何か魂胆が有るのではと心配しておりましたが、ひとが言うほど悪い男では無いのかも知れませぬな。
ですが、朝廷に内緒で密かに新田開発をしていた土豪など、満仲に脅されて、その殆どを召し上げられたと言う噂も御座います。
もっとも、噂ですから、かなり尾鰭の付いた話に成っているのかも知れませんが」
黙って聞いていた千方だが、もしこの叔父が詰問されるようなことでも有ればと思うと、ふと不安を感じた。
「叔父上。今後、人前では、そのような噂話はせぬようになさいませ。
相手は現職の武蔵権守。国衙の役人の耳にでも入れば、どのような災厄が降り掛からぬとも限りません」
「そ、そうですな。気を付けると致しましょう」
「明日、草原に戻ることにする」
「左様ですか。では、今宵はゆっくりとお休み下さいませ」
豊水が出て行くと、
「まず、今日は無事に切り抜けましたな」
と朝鳥が呟いた。
「我が家の荷駄を襲おうとしていたのだから、それを阻止せんが為、麿がやったと確信しているのは間違い無い。
だが、突き付けるべき証が無い。また、後ろ暗い謀あってのことゆえ、大騒ぎも出来ぬ。
そこで麿を呼び付け、何か襤褸を出さぬかと探りを入れたのであろう」
「正面が駄目なら搦め手から、何か理由を付けて豊水殿を捕らえ、尋問すると言うことは十分考えられますな」
「だから叔父には何も話さなかった。知らぬことは、どう聞かれても白状のしようが無いからな」
「仰る通り。今日は案外あっさりと済みましたが、これからも、気は抜けませぬぞ」
「心して置く」
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草原に戻ってからも、千方は油断無く過ごしていた。
ところが、その翌月の初めに、意外なことが起こった。
正任の国司が武蔵守として赴任することになり、満仲は武蔵権守の職を解かれたのだ。
権官には色々な立場が有り、代理の場合、補佐の場合もあれば、ほぼ常設の職と成っている場合もある。
満仲の場合は、代理として職を得ていたので、正任の武蔵守の赴任が決まれば、職を解かれることになるのだ。
しかし、満仲は抜け目が無い。事前に情報を察知し、京での任官の工作を進めていたので、帰京後、時を置かずに左馬助の職を得た。
せっかく満仲が帰京し、危険が薄れた訳だが、何の皮肉か、まるで満仲を追うように、千方も上洛しなければならないことになっていた。
兄・千晴に呼び寄せられているのだ。
舞台を京に移して、満仲と千方の長い戦いが幕を開けようとしていた。
まず、抜け目の無い満仲に災厄が降り掛かることから、舞台は幕を開けることになる。