2 襲撃 2
その時、千方がいきなり大音声を発した。
「吾は前鎮守府将軍・藤原秀郷が六男にして、今は千常が猶子、藤原朝臣・六郎千方なり。
うぬら、ただの野盗とも思えぬ。主持ちであろう、名乗れ! 」
「何を抜かす。いきなり襲って来て、これだけの者を殺して置いて、我等を野盗呼ばわりするなど片腹痛いわ。
野盗、海賊の類まで、源平藤橘を僭称する昨今、何が藤原か。
うぬらこそ盗賊であろう。我等、公に仕える者。
さて、八つ裂きにしてくれようか。それとも、ひっ捕らえて、検非違使に引き渡そうか」
目のぐりっとした小柄な郎等風の男が恐怖心を押し殺して言い放った。
「何? 公に仕える者とな。それはそれは。
そう言えば、武蔵権守(長官である“ 守” に準ずる官職)・源満仲殿の郎等に、確か似たような顔付きの男がおったような気がするな。
とすれば、満仲殿が我が家の荷駄を襲えと命じたと言うことか? そんなはずは有るまい」
満仲と言う名を聞いた途端、男達の顔が一斉に強張ったのを、千方は見逃さなかった。
元よりこの男の顔など見たことは無い。鎌を掛けて動揺を誘ったのだ。
男達が互いに顔を見合わせた瞬間、夜叉丸、秋天丸の手から、褐色の玉が同時に飛び、二人の男の顔にそれぞれ当たった。
玉は弾け、茶褐色の粉が舞い散った。
当たった男達は、両手で顔を覆ってしゃがみ込み、傍に居た二、三人も、舞い上がった粉で目を開けて居られない様子。
すかさず、夜叉丸と秋天丸がしゃがみ込んだ男達の側に居た二人に飛びかかり、胴丸の隙間から突き上げるように蕨手刀で刺した。
そして秋天丸は、振り向きざま、もう一人の男の膝を蹴り、転倒させ、馬乗りになって喉笛を切った。
吐く息が血を潜り、ひゅるーと言うまさに笛の音色に似た音がして、吹き上がり秋天丸の顔を襲ったが、予期していたのか、予め顔を背けていたので、血が目に入ることは免れた。
その間千方は、先ほど問答を交わしていた男と太刀打ちし、左肩から袈裟懸けに斬り倒していた。
承平・天慶の乱以前には、主に直刀が使われており、斬るよりは突くことが多かったが、蝦夷の蕨手刀を模した、反りを持った太刀が使われるように成って以来、胴丸のような軽易な具足を着けただけの相手に対しては、このような、斬り裂く刀法が多く用いられるようになっていた。
礫を受けて顔を覆ってしゃがみ込んだ二人は、もはや戦う気力は全く無くなり『助けてくれ』を繰り返し始めた。
腕を切り落とされた男は、相変わらず呻きながら転げ回っている。
「ならば、まずは名乗れ。
そして、何もかも白状致せば、命だけは助けてやらぬものでも無い。言ってみろ」
千方は押し殺した声で言った。
実は、息が上がっている。それを悟られまいと、声を押し殺しているのだ。
「わ、我等は、満季様の郎等」
「何? 満季? 満仲の舎弟の満季か。彼の者は今、京に在るのではないのか? 」
「我等だけ、つい先日、下って参った」
「満仲に呼ばれてか? 」
「左様」
「満仲め。さすがに自らの郎等を使うのはまずいと思ったのだろうな」
「満仲様は武蔵権守の任を終えられた後、都に戻り、左馬助に任じられることを望んでおります。
ついては、何かと物入りとなります」
もうひとりの方が卑屈に、千方に取り入ろうとし始めた。
「ふん、聞かぬことまでぺらぺらと喋りおるのう。それほど命が惜しいか」
「何卒」
いずれ、満仲とは一戦交えなければならないと千方は思った。
だが、現職の武蔵権守である満仲と正面切って戦うのは、今はまずい。
朝廷を敵に回せば、それこそ、将門の二の舞となることは必定であろう。そう思った。
千方はふたりに背を向けて数歩離れた。
敵に背を向けるなど、このような時、絶対にしてはならないことだが、それほど、夜叉丸、秋天丸を信頼しているのだ。
そして、千方は、息を整えるように大きく呼吸をした。
『どうしたものか』
そう思った時、
「ぐわーっ! 」
と言う声がふたつほぼ同時に上がった。
振り向くと、夜叉丸と秋天丸が既にふたりを斬り倒し、夜叉丸が、腕を切り落とされた男の傍に走り、刺し殺そうとしているところだった。
「夜叉丸! 」
と千方が叫んだが、構わず夜叉丸は男にとどめを差した。
「夜叉丸、なぜ殺した! 」
咎めるように、千方が強く言った。
だが、夜叉丸は表情も変えない。そこに秋天丸が口を挟んだ。
「戦とはなりませんでしょう。
こちらも武蔵権守に正面切って戦を仕掛ける分けにも参りませんが、向こうも、六郎様に正面切って戦を挑む力は御座いません。
何しろ後ろには、下野一国が控えているのですから…… 。
となれば、夜叉丸の申す通り、六郎様のお命を密かに狙うことになりましょう。
我等ふたりだけで、六郎様のお命を守り抜くことは出来ません。
郷から人数を呼び寄せ、交代でお傍を守らねばならぬと言うことになります。
我等、根が横着者ゆえ、出来ればそうならぬようしたいと思っております」
童の頃から千方に従っている二人。
黙って従うだけの郎党では無い。
千方に取ってその方が為に成ると思えば、遠慮なく直言する。
そして、千方もまた、それを聞く耳を持っている。
暫くの間、千方は身動きもしないで立ち尽していた。
殺戮を悔いている訳では無い。この坂東で生き抜く為にはやむを得ないことと思っている。
荷駄を奪われれば、埋め合わせなければならない。
その負担は民の肩に伸し掛る。それを避けたいなら、何としても奪われないこと。或いは、自らが他の者から奪う外に無い。
そんな時代だった。中途半端なことでは、何度でも襲われる。籐家の荷駄を襲うことに恐怖を覚えさせなければならない。
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都から下って来る受領は、任期の間にいかに私服を肥やすかに専念し、民から搾取する。
その蓄えた私財を都の有力者に献じて、次にもっと豊かな国の国守に任じて貰うよう運動するのだ。
だが、坂東のような疲弊した国に赴任した場合は、私財を蓄えるどころか、都に納めるべき米や布を調達することさえ困難な場合が多い。
完納し、引き継ぎを済ませて、後任の国守から、国衙の財産の引き渡しの確認をした旨の証書、解由状を貰わない限り、二度と受領の職を得ることが出来なくなってしまうのだ。
受領の搾取が激しくなり、官人や有力者が同時に群盗でもあると言う異常な状態を作り出したのは、朝廷の責任だった。
土地と民を直接管理し、定期的に田畑の状態や戸数・民の数を調べて、それに応じた租庸調を課すと言う面倒な手続きを放棄し、受領に丸投げして、受領個人の責任に於いて決まっただけのものを納めれば出世させ、納めなければ罷免し登用しないと言う、至って簡潔で楽な方法に変えてしまったことにすべて起因していた。
短期的に稼げるだけ稼いで、さっさと都に帰りたがる受領が居る一方で、王臣貴族の家系の者が地元の勢力と姻戚関係を結び、退任後も、『前何々様』と呼ばれ、地元に勢力を扶植して行くと言うことも片方には有った。
十世紀の坂東は己が力のみが頼りの、正に“自力救済” の世界だったのだ。
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昨年、平将門の子が入京したとの噂が有り、満仲は、検非違使や大蔵春実らと共にこれの捜索を命じられた。
兵と呼ばれた者達は、本来の官職以外に、こう言った場合、駆り出される。
皇族や、三位以上の位の、公卿と呼ばれる者達の為に良く尽した。
もちろん、それは、猟官の為であり、惹いては蓄財の為である。
特定の公卿に対してと言うよりも、特に満仲などは、万遍無く奉仕し、また、貢物なども、各方面にばら撒くのだから、源経基の子と言うこともあって、朝廷での評判は至って良い。
その代り、財はいくら有っても足りない。
だが、富んだ国の受領に成り、民や富裕層から搾り取れば元は取れるし、それどころか、何期か勤めれば、莫大な財を築くことも出来るのだ。
何しろ、決まっただけの物を官に納めさえすれば、後は、すべて、自分の懐に入れることが出来る。
そう言う制度になってしまっていたのだから、搾取に歯止めは掛からない。
そんな時、武蔵守を拝しながら、やれ、体の調子が優れぬだの、今年は方位が悪いだのと言って、なかなか赴任しない者が居ると言う話を耳にした満仲は、上手く工作して、まんまと、武蔵権守の職を手に入れたのだ。
青公家であれば、鬼や東夷の住むと言われる亡幣の国などに赴任したく無いと思うのは、当時としては無理からぬこと。
しかし、満仲は、播磨や畿内諸国ほどの利は望めぬまでも、坂東は、言われるほど疲弊していないと言うことを知っていた。
亡弊の国として、税の半分が免除されている上に、有力者達の内で、秘かに、新田開発が進められているのだ。
満仲が武蔵権守として赴任して来たのには、そんな事情と思惑が有った。
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「時を移してはなりませぬ」
秋天丸が千方を急かせるように言った。
「うむ」
千方が頷くと同時に、夜叉丸は、半弓と矢筒を拾い、崖に向かって走り出していた。
半弓と矢筒を投げ落とすと、血塗られた抜き身を引っ提げたまま、細い雑木を左手で掴み、そのまま崖に沿って体を滑らせる。
降りると言うよりは、草や雑木を掴んだり、石や岩を軽く蹴ったりして減速しながら滑り落ちて行く。
千方が続き、秋天丸が続いた。
あっと言う間に、下の沢に降りると、ことさらに退屈そうな表情を浮かべた朝鳥が迎えた。
「おお、阿修羅の殿のお帰りですな。遅いので、成仏してしまわれたかと、心配致しましたぞ」
「ふん、相も変わらず、口の減らぬ年寄よな」
手頃に束ねた藁束と端布を朝鳥から受け取ると、千方は傍らに流れている谷川に入り、太刀を洗った。
夜叉丸と秋天丸のふたりは、手で洗い直垂の袖で拭く。
太刀を洗い終えると、三人は一旦岸に上がり、千方はそれを布で拭った後、鞘に納め、待っていた朝鳥に渡す。
他のふたりは、そのまま小岩の上に置き、三人とも素っ裸になり、一斉に水の中に走り込んだ。
河原遊びに来た童達のように、水飛沫を上げ、頭から水を被る。気持ち良さそうに血と汗と泥に塗れた体を洗いながら、夜叉丸の顔にさえ安堵の色が浮かんでいる。
『今日もまた、命を繋げた』
と言う感慨であろうか。
『昔、この者達と良くこんな風に水遊びをしたな』
と千方は思った。
朝鳥から受け取った新たな乾いた端布で体を拭くと、千方は狩衣に着替えた。
血と汗と泥に塗れた直垂を、朝鳥が掘って置いた草陰の穴に手早く埋めると、さっぱりとした直垂に着替えた夜叉丸達は、千方が乗るのを待って馬に乗った。
「上におる馬は惜しゅう御座いますな」
と秋天丸が言った。
「欲をかくと碌なことは無い」
いつもの千方の答え方だ。
「左様」
朝鳥が千方の言葉を引き取る。
「では、我等はひと足先に参ります」
「裏道を抜けて、下野の郷へ参るか? 夜叉丸。長老に宜しくな」
「はっ。処で朝鳥殿。穴掘りで、腰に来てはおりませぬかな。お年ですから、余り無理はなさいますな」
そうからかったのは秋天丸の方だ。
「何を抜かすか。汝の墓穴も掘るつもりでおったわ。それは、又のことになったようじゃがな」
「では、御免」
夜叉丸が馬の腹を蹴って駆けだした。秋天丸も千方の方に頭を下げて、後を追う。
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千方と朝鳥、それに、朝鳥の乗る馬の鞍に手綱を結んだ、振り分け荷物を載せたもう一頭の馬は、ゆっくりと街道に向って下って行く。
少し陽も落ちた東海道を、残照を背に、のんびりと武蔵に向かう主従の姿は、どこぞに用足しにでも行った帰りのような風情だ。