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小説 藤原千方・坂東の風  作者: 青木 航
1/81

1 襲撃 1

 西暦九百六十一年、応和おうわ元年、癸亥みずのといぬの年の夏。我が国は平安中期にあり、承平じょうへいの乱が終結してから二十年の歳月が流れていた。


 夜叉丸やしゃまるが草や雑木を蕨手刀わらびてとうで切り払いながら先導し、千方ちかた秋天丸しゅてんまるのふたりが続いて急な斜面を登って行く。


 馬は下の谷に置いて来た。老臣の朝鳥あさどりを残して見させている。

 あと二間ほどの所で夜叉丸が止まった。


「この上で御座います。様子ようすを見て参ります。ここでお待ちを」


と体を寄せて来て小声で言う。


 痩せ気味で筋肉質の精悍な体付き、眼窩がんかが窪んで恐ろしげな顔付きをしているが、いくさに際しては、千方が最も信頼を置いている男だ。


 藤原千方は、将門を討った功により、下野守しもつけのかみ武蔵守むさしのかみ、並びに鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐんと成り、従四位下じゅしいのげのぼった藤原秀郷ふじわらのひでさとの六男である。


 まわりの者は『六郎様』と呼ぶが、今は兄・千常の猶子ゆうしと成っている。


「うむ」


と千方も小声で答える。


 体中の血が沸き立つような感覚を覚えた。

 夜叉丸は身軽に登って行き、間も無く降りて来た。


「数はおよそ十五。車座くるまざになってのんびりした様子で御座います。

 恐らく、下に放った物見が戻るのを待っているものと思われます」


「馬はどこに繋いでおる? 」


 千方が尋ねる。


「十間ほど離れた所に繋いであります」


と夜叉丸が答える。


 左手で雑木をつかんで、急な斜面で体を支えながら、千方は天を仰いだ。


 茂った木々の隙間から見える空からは陽光が容赦なく照り付けており、わずかな風に乗って、薄い雲が流れているが、体中から汗が噴き出る暑さだ。


「下に出した物見が戻って来た処を襲う。だが、そう長くは待てぬな」


 上腕を覆う袖に、吹き出す汗を擦り付けて拭いながら、千方が言った。


「一刻ほど前に我等が見て参った場所から察しますと、荷駄はもう近くまで来ているものと思われますので、物見も間も無く戻りましょう」


 秋天丸が背負っていた半弓を外しながら応じる。


 汗が滴り落ちるが、顔に滴る汗は拭おうともしない。  

 ただ、しきりに、両のてのひらを衣服に代わる代わる擦り付けて拭う。


 秋天丸は、夜叉丸とは違って、地味な農夫のような平たい顔の男だが、良く見ると小柄な体は引き締まっており、やはり、どこか殺気を帯びている。


 千方は、粗末な直垂ひたたれの上から締めた革の腰紐に挟んで吊るした竹筒を取り、水を口に含み、その涼しげな目で、もう一度空を見上げた。

 二十六歳にしては幼げな面影を残しており、とても、修羅場を潜って来た男とは思えない面立おもだちである。

 それも、二度や三度の経験では無い。だが、やはり戦いを目前にすると緊張する。

 少し下の狭い平場で、放尿は既に済ませていた。


「間に合って良かった」


 千方は、ひとごおのように呟いた。



     ~~~~~~~~~~~~~


 荷駄の一行を見送ったのは、昨早朝、舘の前であった。


「本来なら麿が行かねばならぬ処だが、造作ぞうさをお掛け致す」


「何の、我等、六郎様の"家の子" 。もはや、叔父・甥と言う立場はお忘れ下され。

 亡き将軍様に受けたご恩を思えば六郎様のお役に立てることが、何よりの仕合せと心得ております」


 豊地は人の良さそうな笑顔を見せて頭を下げた。


 母・露女の二人の弟のうち上の弟である。


 露女の父は武蔵国の内の北東に位置する草原郷かやはらごう郷長さとおさ草原久稔かやはらのひさとしで、千方の実父・秀郷の祖母の実家である下野しもつけ鳥取ととり氏との縁を持っていた。


 そんな関係で承平の乱の折、将門の動向を探っていた秀郷が寄宿した際、とぎに出たのが露女であった。

 露女は千方を生んだ。千方は草原郷の久稔の舘で育ち、幼い頃文武を教えたのが豊地なのだ。


「道中の無事、祈っております。都に着きましたら、兄上に宜しくお伝えください。六郎も近いうち参りますと」


「心得ました。都の殿もさぞかしお喜びでしょう」


「さて、それはどうかな」


と千方はぼそっと言った。


 言上ごんじょうを聞いた時の兄・千晴の表情が目に浮かんだ。恐らく、無表情に


大儀たいぎ


と言うだけであろう。そう思った。


 豊地が急にけわしい表情と成る。


「六郎様、そのような物言いはなりませんぞ。

 兄君・千晴様は都でご出世され、千常様が坂東を治める。この両輪が揃ってこそ、ご一族が繁栄すると言うものです。


 亡き将軍様のご威光は衰えていないといえども、村岡五郎(平良文たいらのよしぶみ)の子、次郎(平忠頼たいらのただより)など油断のならぬやからは多ございます。

 ある意味、国司とも戦わなければなりませぬからな。一族の結束が何より肝要で御座います」


「分かっておるわ。他の者の前では言わん」


 己の発した言葉に少し後悔の念を滲ませながら、自嘲気味じちょうぎみに千方が呟く。 


「どうかそのようにお願い致します。


 口から出た言葉は放たれた矢と同じ。もはやつるには戻せませぬ。宜しいな。御身おんみを大切になさいませ」


 千方は、別に長兄の千晴を嫌っている訳では無かった。

 只、千晴は、千方に取って父の秀郷以上に遠い存在に思えているのだ。

”家の子” である千方に取って千晴は、兄と言うより、むしろあるじに近い存在として心の中にある。

 比べてすぐ上の兄(と言っても二十歳近く年の差がある)であり、大きな後ろだての無い千方の養父となってくれた千常は、その母の出自しゅつじの良さに反して、がさつで乱暴な男ではあるが、常に千方のことを心に掛けてくれていた。


 十四の歳に父との対面の段取りをしてくれたのも、父の手で元服出来るよう計らってくれたのも、千常であった。

 その代り何度殴られたか分からない。


 たった一夜の交わりで、露女は千方をはらんだ。

 しかも、当時の秀郷は、既に五十三歳。周りの者達は疑った。

 しかし、月足らずでの出産では無い。

 調べてみても、当時露女のもとに通っていた男は無く、露女の身持ちも固いと言う情報しか得られない。


 秀郷も我が子と認めた。だが、名を付けてくれた以外は、言わば養育費代わりの品々が送られて来るのみで、千方十四の年に千常が取り計らってくれるまで、対面することも無かった。


「では、都で会おうぞ。我等も所用を済ませたら、急いで参る」


 千方は、千晴に感じる違和感を振り払うかのように、話を本筋に戻した。


「はい。それまで、都の女子おなごなど眺めて日を過ごしてお待ちします」


 大柄な体を深く折って千方に挨拶した後、豊地が荷駄隊の方に体を向けて、


「参るぞ! 出立しゅったつじゃ! 」


と良く通る声を上げた。



     ~~~~~~~~~~~~~


「参りましたぞ」


 夜叉丸が押し殺した声で告げた。千方にも、向こう側の坂道を駆け上がって来る馬蹄ばていの響きが聞こえた。 


 千方ら三人は崖の上によじ登り、雑草の中に身を伏せた。

 左手にはいずれも半弓と二本の矢を持っている。

 機は一瞬である。男達が馬に駆け寄る前に倒さなければならない。


     ~~~~~~~~~~~~~


 崖の上の台地。


「来おったか。で、護衛は? 」


 かしららしき大男が物見から帰った男に聞く。


「五人にござる」


「ふん、五人か。ま、そんなものだろう。半数はここで昼寝をしていても良いかも知れんな。はっはっはっは」


 修羅が迫っているとも知らず、男は高笑いをしている。


 その瞬間、千方ら三人が、くさむらの中からおどり出た。 


 驚いた男達がその方向に顔を向けた時には、三本の矢は既に放たれていた。


 かしららしき男は正確に首を射抜かれて卒倒した。他にも二人、同じように首を射抜いぬかれて倒れる。

 悶絶する暇も無く声も上げない。動脈に矢が刺さった二人の首からは、矢を朱に染めて、赤い糸のように血が噴き出している。


 他の男達が唖然とした瞬間、もう二の矢が放たれていた。更に三人が倒れる。


 やっと我に返って、何が起きたかを悟った男達が、太刀を抜き掛けた時、半弓と矢筒を男達に向かって投げ付け、太刀を抜き放った千方達が、既に飛び込んで来ていた。


 弓と矢筒をその場に捨てず、戦いの場に投げ込んだのは、逃げ出す者が出た時、素早く拾って射る為だ。武具を投げ付けるなどと言うのは、当時の常識としては論外である。


 先頭の男は太刀を抜き掛けた腕を千方の振るった毛抜形太刀けぬきがたのたちで斬り落とされ、悶絶して倒れ、大地を転げ回る。


 赤い血が土に振り撒かれ、千方の頬や直垂ひたたれにも掛かった。


 わずかな血の飛沫はすぐに地に吸い込まれ、腕の切り口から流れ出る鮮血は土の上で盛り上がって、少しずつ、不気味に色を変えて行く。


 夜叉丸と秋天丸もそれぞれまた、一人ずつ倒していた。


 男達は一斉に後退あとずさりし、両者の間に間合いが出来た。


 奇襲を受け混乱した状態から、やっとのことで一瞬脱け出ることが出来たのだ。 


 千方に右腕を切り落とされた男は、喚きながら地を転げ回っている。既に大量の出血をしている為、放って置けば、やがて失血死するだろう。

 そのさまが、男達の恐怖心を煽った。


 間合いを取ったとは言え、山の中腹に開けた台地でのこと、それ以上下がる余地は無い。

 おまけに、千方達はいつの間にか、男達と馬の間に入り込んでいる。


 彼等を倒さない限り、男達に逃げ道は無いのだ。

 いくさでも無ければ、遺恨を持った果し合いでも無い。逃げられるものなら、彼等は逃れたい。命まで懸ける理由など無いのだ。


 しかし、逃げられないと分かったらきもが据わる。

 転げ回っている男を含めてあっと言う間に九人が倒されたとは言え、自分達は六人も残って居るのだ。


『二人一組で相手一人に当たることが出来るではないか』


 男達の誰もがそう思い始めた。


 異様な騒ぎにおびえた馬達が騒ぎ出し、その内の一頭が、甘く結んだ手綱を振り解いて駆け去った。


 命を懸けた接近戦で、時代劇のヒーローのように、ばったばったと斬り倒すなどと言う芸当は、奇襲を受け混乱し逃げ惑う敵を討つ場合を除いて、出来るものではない。


 一旦動きが止まり、相手に状況を判断する余裕が出来たら、やはり数が物を言う。


 まして、この時代にはまだ、『剣術』などと言う体系的な技術は生まれていない。個々に戦いの中で会得したすべは持っているにしても、要は、体力と気力が勝負を決する。 


 一対一の戦いでは、先に息切れした方が負ける。疲労により体の動きが鈍くなり、相手の攻撃を避けられなく成るのは、テクニックを駆使した現代のボクシングや格闘技でも言えることだ。


 まして、一時の混乱を脱して腹をくくった男達と、二対一と成るこの戦いでは、千方側に勝ち目はまず無い。


 気持に余裕が戻ったのか、男達のうちの一人が不敵に笑った。 


「たった三人で、良くもここまでやってくれたものだな。だが、これまでだ。仲間のかたきは取らせて貰う」


 その言葉に勢い付いてか、他の男達の表情にも余裕が浮かび上がる。


 男達は、野伏のぶせりや野盗のたぐいでは無い。

 がらの悪い者も居るが、明らかに主持あるじもちらしい者も居る。直垂ひたたれの上に胴丸、小具足こぐそくといったで立ちだ。


 男達はじりじりと間合いを詰め始めた。互いに汗が吹き出す。目に入らぬよう、眉根まゆねに力を入れ、盛り上げる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんばんは。 はじめまして。 戦国系は自分も書いたことがあり、常日頃から読んでおるのですが、そういや、平安もの無いかなぁと、色々漁っていたら一瞬で引き込まれ、感動のあまり、感想書かせて頂き…
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