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エピソード2:告白②

 このエピソードには、児童虐待、及び、モラルハラスメントを連想させるような表現・描写があります。

 当然ですが、そのような行為を肯定するつもりはありません。上記の内容に嫌悪感を抱く方は、読み進めることをご遠慮ください。


 また、作中で登場するものは全てフィクションです。

 幸せだった。

 幸せだと思っていた。


 それを狂わせたのが自分の存在だということに気付くまでは。


 食事を終えた3人はゴミを片付けて、海岸沿いを歩き始めた。

 一箇所で話をしているとあの『遺痕』に気付かれてしまうかもしれないし、誰かに今からの話を聞かれてしまうかもしれない。ユカの提案で久しぶりに3人で砂浜を歩く。

 過去、『遺痕』と対峙した思い出もある海岸線は、あの時と変わらずに……一定の速度で波打っていた。


「あたしのお母さんは……あたしと2人でおるときは比較的普通やったけど、お父さんと一緒におる時は、お父さんの顔色を伺ってばっかりで……だんだん、人形みたいになっていったっちゃんね」


 ユカは2人より半歩前を歩きながら、少し遠くを見つめて過去を語る。

 自分の中に断片的に残っている――普段は決して蓋をあけない、そんな記憶だ。


「普通やったよ。お母さんと2人で一緒におる時は。でも……窮屈に感じることも多かった気がする。お母さんがどう思っとったかは知らんけど、お父さんはあたしを女の子っぽく育てたかったみたいで、ピアノとかバレエとか習い事もしたよ。ただ……ご承知の通り、あたしにそげな才能ないけんね。興味も特になかったけん、真面目にやっとるとは言えんかった」


 彼女は20年前、福岡市内に住んでいるごく普通の夫婦の長女として生まれた。

 仕事は忙しいが子煩悩な父親と、おっとりしていて優しい母親。世間の評価はそうだったし、今でもどこかでそう思いたい自分もいる。

 名前は『結唯香(ゆいか)』、2人を結びつけた唯一の宝物である彼女には、品がある女性に育って欲しいという願いを込めた。俗に言う『授かり婚』だったこともあり、子が『かすがい』となって夫婦を結びつける……当人たちも含めて、そう思っていたから。

 母親は彼女を大切に育てた。育児書を読み、公園では同じ年齢くらいの母親と話をして……近くに頼れる身内はいなかったものの、慣れない子育てを自分なりに、彼女のペースで頑張っていた。

 父親は仕事が忙しく、平日の育児には参加出来なかったが……休日は家族で買い物に出かけたり、家で一緒に遊んだり、と、楽しい時間を過ごしていたことを、おぼろげに覚えている。


 そんな家族がずれ始めたのは、結唯香が4歳の頃だった。幼稚園が終わって、公園で遊んでいる最中、遊具から落下して頭を打ったことがある。

 母親はすぐに彼女を病院へ連れて行った。頭を打っていたが意識ははっきりしており、泣いたのは最初だけ。精密検査でも異常はなく、本人もケロッとしていたので……病院で注意事項等を確認した後、2人で帰宅して、いつもどおり過ごした。

 そして、夜遅くに帰ってきた夫に夕食の用意をして、今日の出来事を話したところ……彼は夕食を食べながら彼女を見やり、呆れたような口調でこう言ったのだ。


 ――お前、よくそんな呑気でいられるよな。どうせママ同士の井戸端会議に夢中で、ちゃんと見てなかったからだろ?


 呑気でいたつもりなんてないし、ちゃんと見ていた上での不慮の事故だった。しかし、それを告げたところで所詮言い訳だ。彼女が痛い思いをしたこと、病院に連れて行く事態になったことに変わりはないのだから。

 咄嗟のことに母親が言葉を探していると、父親はビールを飲みながら……饒舌に言葉を続ける。


 ――お前、元々トロいもんな。これで結唯香が顔に傷でもついたら、どうするつもりだったんだ? 女の子だぞ? もっとしっかりやってくれないと困るんだよ。誰のおかげで生活出来てると思ってるんだか……。


 仕事で嫌なことでもあったのだろうか。普段より少しだけ攻撃的な言葉が、母親の心にチクチクと突き刺さって……ジワリと血が出るような、そんな感覚を抱く。



 私のせいで、結唯香は怪我をした?

 私が……ちゃんと、していなかったから?




 ――全て、私が悪い?




 ここで母親が毅然と言い返していれば、何か変わっていたのかもしれないけれど。

 言い返さない女性を目の前にした彼は……そこから何か、変わってしまった


 その日から……彼は結唯香の様子を気まぐれに確認するようになった。そして、娘のあらを探しては、その全てを母親に事実として正論で突きつけ、彼女が疲弊していく様子を見てストレス発散をするようになったのだ。


 ――結唯香の口の聞き方が生意気で女の子らしくないぞ。誰の育て方が悪いんだか……。

 ――小学校の算数で100点取れないとか、ありえないだろ。お前、ちゃんと宿題を見てやってるんだろうな? 小学生のうちから塾なんて、金がもったいないぞ。


 ピアノの練習をサボっているのも、バレエのステップが上手く出来ないのも――娘が自分の理想通りに育たないのは、全て、母親の教育が悪いから。

 彼は休日サービスもしてくれる、外でお金も稼いでくれる。娘とも遊んでくれるけれど……何も満たされない、何も認められない、そんな日々。


 娘は可愛い、けれど……完璧にしなければ、彼に責められる。

 彼の理想通り、品があって素直な女性に育てなければ、彼は自分を認めてくれない。




 どうしてこの子は……彼の理想通りに育たたないの?




 これらのやり取りは全て、子供の前では行われなかった。

 だから……結唯香は、母親が知らないところでストレスをためていることになど気付けないまま、成長していった。


「あたしが小学校低学年の頃やったかな。ピアノをやりたくなくて、お母さんに反抗的な態度を取ったことがあって……そしたらお母さんが怒って、あたしを家の外に追い出したことがあると。あたしは泣いて謝って……それから、お父さんの仕事が遅い時、何回か外に出されるようになった」



 気付けなかった。気付けるはずもなかった。

 母親のメンタルはとっくに崩壊していて、その間接的な原因が、自分にあったことなんて。



 ――お前なんか生むんじゃなかった!!


 そう言われて手を振りほどかれ、家から追い出された回数を数えるのはやめた。

 自分を否定される回数を数えたところで……何の意味も見いだせないのだから。


「今思うと、家の中にあたしがおらんことで、お母さんの気持ちを整理する時間を作れたのかもしれんけど、そげなこと、外の人には分からんよね。あたしの泣いてる姿を見てた大人が、児童相談所に通報して……一度、児童相談所に保護されたことがあると。そこで、夫婦仲に決定的な亀裂が入った」


 児童相談所の職員は、2人で彼女たちの家にやって来た。

 そして、男性の職員が母親と話をしている間、若い女性の職員が優しくこう尋ねたのだ。


 ――結唯香ちゃんは、お母さんにどんなことを言われたのかな?


 ここで自分の答えによって、母親がどうなるのか……少し考えれば分かる。

 生むんじゃなかった、なんて、素直に伝えたら……母親はきっと、父親だけでなく、この人達からも怒られてしまうから。


 どうしよう。

 何を伝えよう。

 どうすれば――自分の居場所を、守ることが出来るだろうか。


 母親を守りたくて、彼女は咄嗟にこう言った。


 ―― あたし一人で、お出かけしてこんね、って……。

 ―― そう、お出かけしてこんね、って、言われたんだね。


 女性は彼女の言葉を反すうした後、「ありがとう」と言って立ち上がる。

 そして、奥にいる男性職員と打ち合わせをした後、彼女一人だけを連れ出したのだ。


「多分、これまでにも通報があったっちゃろうし、そういう事件に過敏な時期やったのかもしれんね。あたしはその場で保護されて、児童相談所の中で1週間、学区内にある児童養護施設で1週間くらい過ごしたかな。なんか……目まぐるしかった」


 児童相談所の中には、問題のある家庭から保護された子供を一時的に保護しておく施設がある。

 中にはちょっとした体育館や図書室、談話室などがあるけれど……ここは所詮、寄せ集めの一時しのぎだ。処遇が決まれば出ていく。親しくなってもすぐにいなくなるし、自傷行為や暴力行為をしてくる子供、年齢を盾にして威張っている中学生もいた。部屋も相部屋なのでプライバシーはない。いつも誰かに見張られているような……そんな視線を感じると、とてもではないけれど深く眠ることなど出来なかった。


 だから、早く帰りたかった。

 自分の家に、自分だけの居場所に。


 そして、再び家に帰ってきた時、父親と母親が2人で出迎えてくれると思った。

 自分がいない間に2人で出かけたりして、あの時のお姉さんが何とかしてくれて、誤解が解けて仲良しに戻って、また3人で仲良く暮らしていける……そう思っていたのに。


 けれど、彼女を出迎えたのは――笑顔の父親と、彼に完全に隷属した母親だった。


「お母さんはもう、自分の意志がなかった。あたしをお父さんの理想通りにしようと頑張って、頑張って……上手くいかないと自分を責め続けてた。お父さんは相変わらず、あたしには甘くて、都合が悪いことは全部、お母さんのせいにしてた。あたしはお母さんが怒られるのが嫌で、嫌で……頑張ったけど、親が求めているレベルには達しなかった」


 家に戻り、日常が戻ってくると思っていた。

 けれど……父親の理想を叶えられず、結果だけを見た彼は母親をなじる。

 母親の全てを否定することで、己の正当性を言い聞かせているようにも見えた。

 この頃になると、父親は結唯香の前でも母親にきつくあたるようになっていた。自分のせいで、何も悪くない母親が泣いている姿を見たくなくて……彼女はよく、俯くようになった。

 髪を伸ばすようになったのもこの頃からだ。髪が長い女の子は、父親の理想だったから。


「そのうち、お父さんはあたしが外出するのを嫌がるようになってきた。休みの日もずっと家におってあたしを監視して、勉強させたり、興味のない音楽を聞かされたりしたかな。優しかったけど、なんか……過保護で、窮屈やった。お母さんは……うん、空気みたいやったね。平日に爆発することもあったけど……何言われたんだっけ。忘れちゃったよ」


 ユカはそう言って、苦笑いを浮かべる。

 それだけ、自分の中で母親の印象が薄かったことを……今、改めて実感していた。


 ただ、あの瞬間だけは――はっきりと、覚えている。


「なんか、休みの日……お父さんの機嫌が悪くて、またお母さんを怒ってた。そしたら、お母さんが爆発して……あたしなんか生むんじゃなかった、って、初めてお父さんの目の前で言ったことがあると。そのままあたしは外に放り出されて、お母さんは家の中で暴れ始めた。あたしは何が起こってるのか分からなくて、家に入りたかったけど入れなくて……焦って、雨が降っとったこともあって、階段から足を踏み外した」


 大好きな人を、傷つけてしまう。

 望んでいないのに。

 居場所のない自分はいつだって、一番欲しいものを手に入れることが出来ない。



 落ちる。



 古いアパートの階段を一直線に下へ下へ。全身を強く打ち付けられ、気付けば辺りに血が広がっていた。


 痛い。

 痛い。

 全身がとても、とても――痛い。



 でも、不思議と涙は出なかった。

 悲しみを越えた達成感が、胸の中に去来する。



 死ぬんだ。

 死ぬんだ。

 死ねるんだ。



 良かった。

 これで……中途半端な自分はおしまい。

 誰の邪魔も、しない。



 雷鳴が轟く中、雨にうたれながら……少女は静かに目を閉じる。

 全てが終わった、そんな安堵感に包まれながら。



「気付いたら病院におって……世界の視え方が変わった。最初は怖くて訴えたけど、看護師さんも分かってくれんくて……退院したあたしは、父方の親戚の家に預けられた」


 面識などない父方の親戚。子供がいない夫婦に預けられた結唯香は、ほとんど喋ることもなく1日を過ごしていた。


 自分が喋っても、無駄だと思った。

 だって、大人は誰も……自分の話を信じてくれない。

 目の前には大量の糸が漂っていて、それぞれ色が絶妙に違うことも。

 そして……夫婦がそれぞれ、別々に浮気をしていることも。言ったところで誰も信じてくれなかっただろうけど。


 学校では、腫れ物に触るような扱いだった。一度、軽くいじめられたこともあるけれど……いじめっ子から自分に向けて伸びていた『糸』を握ったら、急に優しくなったりもした。

 全く意味が分からなかったけれど、この『糸』に触ると人に好かれるのかもしれない、そんなことを考えながら……それ以上、干渉する気にはならなかった。


 好きになってもらえても、それはきっと、この『糸』のせい。

 自分を知った上で、ありのままの自分を好きになってくれたわけじゃない。



 そんな関係は、いらない。

 もしも、この『糸』が切れてしまったら……また、悲しい思いをすることになるから。


挿絵(By みてみん)



「お父さんは仕事で忙しくて、結局、全然会いに来てくれんかったな。それで……なんかもう、人生がどうでもいいって思ってた時に、麻里子さんが現れたと」


 それは、突然の出会いだった。

 学校の帰り道、彼女は結唯香の目の前に現れて……たった一言、こう言ったのだ。



 ―― その力をコントロールして金を稼ぐ方法、知りたいか?



「そこから、きっと大人が色々話し合って……あたしは最終的に、麻里子さんと一緒に暮らすようになった。そこで『縁故』のことを知って、あの研修に参加して、それで……」


 ここまで言ったところで、ユカは言葉を切る。

 そして、立ち止まって後ろを振り返り、2人を見上げた。



「政宗と統治に、会えたっちゃんね」



 人を信じること、誰かを守ることを諦めて。

 自分自身にも無関心で、決して誰にも踏み込まずに生きていく――そう思っていた。

 合宿に参加したのも、麻里子がその期間家にいないことと、自分の能力をコントロールするためだった。

 この能力を活かせば、お金を稼いで1人でも生きていける。今まで何も成功しなかったから、せめて、せめてこれくらいは成し遂げて……人に迷惑をかけず、1人で生きていきたい。


 それ以上の理由なんて、何もなかったはずなのに。


「色んなことがあったけど、2人に会えて、一緒に頑張って……こんなあたしでも、誰かの役に立ててる気がした」


 10年前、初めて『仲間』に出会った。

 自分を『ケッカ』と呼んで屈託なく接してくれる政宗と、一歩引いた所から冷静に見ていてくれる統治。

 2人は……2人と、あの場に居た大人は、今のユカを知った上で、関係を続けてくれた。



 悲しいことはあったけれど、彼らのおかげで生きることを諦めたくなかった。

 あの時の約束が――彼女を未来へ繋ぎ止めていたから。


挿絵(By みてみん)



「やけんが、統治がおらんくなって、政宗から仙台に呼ばれた時は……ちょっと嬉しかったよ。やっと3人で一緒にいられるって。あたしも、必要とされとるって……」


 ユカはそう言って、静かに瞬きをする。

 そしてそのまま2人を見つめ……ゆっくりと、首を横に振った。


「今のあたしには……『縁故』としての力がないと。だからもう……同じもの、何も視えんよ」

 子育って夫婦でやらなきゃ駄目です。母親任せでも父親任せでも駄目。

 お父さんのセリフは、モラハラだと思ってます。霧原が言われたら無言で実家に帰る言葉をなるだけ選び、淡々と書き連ねました。ママンもうちょっと反抗して……。

 これまでの『エンコ』における機能不全家庭は、


・政宗→父親と死別し、母親が育児放棄

・蓮→親は生きているが2人とも無関心

・桂樹→父親が色々だらしない、母親は知っていて放置している


 というパターンだったので、ユカの場合は「父親が母親を壊した」ということにしました。もうバリエーションないよ……あ、仁義の家は健全です。お母さんが死後、ちょっと暴走しちゃっただけです。


 ちなみに、2017年に書いた外伝(https://ncode.syosetu.com/n9925dq/39/)で、ユカの過去についてちょろっと書いたのは……主にこの、児相が初めて介入したところでした。

 ユカ自身が混濁しているので、全てが時系列通りの事実ではありませんが、


・「お父さんは、今日もお母さんとお出かけなの」→自分が家にいられないのは、両親が出かけているからだと思いたかった。

・「お父さんは閉じ込める(・・・・・)けど、お母さんは出て行けって言う(・・・・・・・・)けんが、お姉さん(・・・・)がお出かけしてこんねって言っとったよ」→児相から帰った後に父親から過保護にされたことを「閉じ込める」と言った。母親に関しては文字通り。『お姉さん』は児相職員で、「お出かけしてこんね」はユカ自身が言ったこと。


……という後付があります。(後付って言うなよ)


そして本文中では、おが茶さんが描いてくれたイラストを挿絵として使わせていただきました!! 特に2枚目の3人の絵は、もう、何回使ったか分からないな!!(笑)

 そして1枚目の絶望的なイラストは、絶対このタイミングで使うんだって意気込んでました。ありがとうございます!!

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