エピソード1:結果、行方知れず。③
翌日、朝の9時半に博多駅筑紫口に集合した政宗と統治は、とりあえず打ち合わせをするために、近くのコーヒーショップへ足を踏み入れた。
福岡市は過ごしやすい気温で、政宗は長袖Tシャツの上からパーカーを羽織り、下はジーンズとスニーカー。ワンショルダーのカバンを背中に背負っている。一方の統治は襟付きで模様のないグレーのネルシャツと黒いチノパン、足は合皮の革靴を合わせていた。私服の2人はそれぞれにブラックコーヒーをオーダーして、向い合せの席に腰を下ろす。
「佐藤、仙台から何か連絡は入っているか?」
コーヒーを混ぜながら問いかける統治に、政宗はスマートフォンを確認しながら返答した。
「昨日の午後、突発的に1件事案があったそうだ。ただ、それに関しては里穂ちゃんと仁義君、それに心愛ちゃんが中心になって対応して、無事に完了したらしい。残業の申請を週明けに出すよう、支倉さん宛にメールだけ送っておいたよ」
「そうか……」
統治は端的に一言呟いた後、ブラックコーヒーを一口すすった。そして政宗を見つめ、今日の行動予定を尋ねる。
「今日はこれから、百道浜の方へ移動するか?」
「そうだな。ケッカがいそうな場所に近づくことで、何か分かるかもしれない。っつーか……昨日も言ったけど、マジでそれくらいしか情報がないからな」
「分かった。何か手がかりが掴めるといいが……」
八方塞がりの状況を打開するためには、自分たちの足で情報を手に入れるしかない。
同じ結論に至った2人は、静かにコーヒーを飲み終えて立ち上がった。
その後、博多駅から百道浜方面へ移動すべく、2人は地下鉄の駅の方へと移動することにした。
福岡市はバス網が発達しており、路線バスでも百道浜方面へ向かうことが出来るが……土地勘のない場所で乗り過ごすのは困る。割と乗り慣れてきた地下鉄のホームを目指し、2人はエスカレーターで地下に降りた。
「悪い統治、ちょっとチャージしてくるわ」
そう言って券売機の方へ向かう政宗を見送りつつ、統治もスマートフォンのケースからIC乗車券を取り出していると……。
「……?」
政宗と入れ違いで券売機の方から歩いてきた女性が、統治をまじまじと見つめていることに気がついた。
見た目で判断する年齢は20代後半、艶のある長い黒髪を後頭部で1つにまとめ、切れ長の瞳と姿勢の良さが印象的な女性だ。
ロング丈のコートにブーツという出で立ちで、左手で1泊旅行に最適なサイズのキャリーケースを引いていた。当然ながら、統治と面識はない。
「あの……俺に何か?」
あまりにも露骨に視線を向けられ、思わず統治から口を開く。その声に女性は慌てて我に返り、ペコリと軽く頭を下げた。
「あ、申し訳ありません。お兄さんがとても、その……複雑なお家柄だったもので」
「え……!?」
統治が思わず軽く目を見開くと、彼女は「お気づきでなかったですか」と小さく呟いた後、彼を見つめて……意味深な笑みと共に言葉を続ける。
「こんな……その、複雑で強力な『縁』は、福岡では見たことがなかったもので、つい……唐突に大変失礼しました」
「強力な、『縁』……貴女は――っ!?」
刹那、視界を切り替えた統治が目を見開いて息を呑んだ。
彼女を構成する『縁』を目視しようとしたその瞬間、『何も見えない』ことに気付いてしまったから。
名杙直系の彼の能力をもってしても、何も見えない。
こんな経験を、つい半年前にもしたような気がする。
「まさか貴女は、名雲の……!?」
統治が思い当たる名前を呟いた時、政宗が怪訝そうな表情で戻ってきた。
「統治、どうしたんだ? 朝からナンパか?」
「佐藤……」
こんな時に何を言い出すんだと苛立つ統治を横目に、政宗の言葉を聞いた彼女は、その名前を反芻していく。
「統治……名杙、統治……ああなるほど、だから……」
一人納得した彼女は、自分を訝しげな表情で見ている政宗を見上げ、口元に笑みを浮かべた。
「あまり人前で軽率に名前を呼ぶのは関心しませんよ、佐藤政宗……んー、こっちも佐藤でいいですかね、佐藤伊織さん」
「へっ!?」
久しぶりに聞いたその響きに、政宗の心臓が一度ビクリと跳ね上がる。
焦りに支配された彼は、狼狽しながら声を絞り出すことしか出来なかった。
「ど、どうして、それ、を……?」
途中で彼女が一瞬思案したものの、結果的にはあまりにもあっさりと本名を見破られてしまった。突然現れた強キャラに一方的にしてやられたまま、為す術もない。
『佐藤政宗』と名乗り、呼ばれることに慣れてしまい、本名なんてすっかり忘れてしまったけれど……『縁故』にとって本名は何よりも守るべき個人情報だ。出会って数分足らずの女性に言い当てられるほど、プロテクトを甘くしていたつもりもない。
困惑する2人へ向けて、女性は居住まいを正すと、正式に名を名乗った。
「申し遅れました。ウチは名雲双葉、西日本良縁協会北九州支局の支局長を務めています」
ある程度予測をしていたとはいえ、実際に目の当たりにすると、冷静ではいられない。
名杙と対をなす西の長・名雲家。彼女がどんな立場なのか分からないけれど、統治のような本家直系筋であることには間違いないだろう。政宗は彼女の名前を繰り返して暗記しつつ、この場にいる目的を尋ねる。
「名雲、双葉さん……名雲家の方が、どうして九州に……?」
名雲の本家があるのは九州ではない。しかし彼女は先程、『北九州支局の支局長』という肩書を名乗った。そこに至る理由が、道筋が、何も分からない。
困惑が色濃く出ている政宗へ、双葉はしたり顔で口を開く。
「色々ありまして。そういうお二人こそ、東日本からわざわざどうなさったんですか?」
双葉の問いかけに、政宗は一瞬悩んだ後、正直な現状を打ち明けることに決めた。
どうせここで隠しても、いずれバレるような気がしたから。
「人を……仲間を、探しています。ただ、何か術がかかっているのか、『関係縁』を追うことも出来なくて……」
「人を……」
政宗の言葉を反すうした双葉は、少し思案してから問いかける。
「その方の本名は分かりますか?」
「すいません、同業者なので本名はちょっと……山本結果と名乗っているんですが」
「山本、結果……あぁ、麻里子さんのとこのユカさんですね。そうですか、なるほど、あなた方が……」
刹那、あっさりとユカの存在を口にした双葉に、政宗は目を開いて距離を詰めた。
「ご存知ですか!?」
「え、えぇ、面識もあります。ただ、申し訳ありませんが……今のユカさんがどこにいるのかは……」
こう言って言葉を濁す彼女――双葉に、政宗は必死に食い下がる。
彼女は間違いなく、手がかりを知っている。そう、確信してしまったから。
「お願いです、何か知っていることがあれば教えて下さい。俺たちはただ、彼女と会って話がしたいだけなんです……!!」
「……」
切実な口調でそう言って頭を下げる、そんな彼に双葉はしばし閉口した後、統治の方を見る。そして彼もまた、政宗と同じく頭を下げたことを確認してから……息を吐いて、肩をすくめた。
「驚きました。東の名杙はプライドが高いと伺っていたので、まさか頭を下げるなんて」
双葉の言葉を聞いた統治は、静かに首を横に振る。
「……俺は確かに、名杙の長男ですが、それ以前に『名杙統治』という一個人として行動しています。今は友人を探しに来た、それが全てです」
「なるほど……一誠さん達が目をかけるのも分かります。そうですね……名杙直系の方がいるのですから、事態が好転するといいのですが……佐藤さん、山本さんと『関係縁』が繋がっている手を、ウチの方へ出していただけますか?」
「へ? あ、はい……左手です」
双葉の唐突な申し出に、政宗は何が何だか分からないまま、とりあえず彼女と握手をして――
「名雲双葉です。改めて――宜しくお願いいたします」
彼女の名前を改めて認知した次の瞬間、全身の細胞が一気に目を覚ましたような、そんな感覚に襲われる。
今まで眠っていた部分が強制的に起動したような、言いようのない開放感。
世界に奥行きが増して、もっと深い部分まで手が届くようになった……そんな気がした。
「――っ!?」
反射的に手を離し、思わず息を呑んで双葉を見ると、彼女の口元にはニヤリと笑みが浮かんでいる。
「素質は十分のようですね。流石です」
「えっ、っと……俺、何か変わったんですか?」
彼の見た目に目立つ変化はない。全身をチェックして目を丸くする政宗に向けて、双葉は簡単に現状を告げる。
「ウチと『関係縁』を結んで、少し力を流してみました。短時間であればこの土地での人探しに向いているかと思います。ただ……私の力と名杙の力はあまり仲良しではないので、身体的な不具合が生じた場合の保証は出来ません」
「は、はい……」
彼女が何を言っているのか分からない。そもそも出会ったばかりの政宗に『力を流す』とはどういう意味なのか。
呆けて首肯するだけの彼に、双葉は「これから行動していれば分かります」と告げると、改めて念を押した。
「道中、くれぐれもお気をつけて。何か異変を感じた時は、必ず福岡支局までご連絡をお願い出来ますか?」
「はい、ありがとう、ございます……」
「ユカさんにも宜しくお伝えください。では……失礼します」
双葉はそう言ってキャリーケースを持ち直し、地下街の方へ歩いていった。政宗と統治は無言でその背中を見送った後……互いに顔を見合わせて。
「統治、俺……名雲の人に初めて会った」
「俺も同じだ。やはり、『縁』を隠すことに長けているな」
「あの双葉さんって人は、それだけじゃなさそうだけどな……」
政宗はそう言って、自分の左手を軽く握る。先程、双葉と繋いだ時に感じた感覚は薄れているけれど……脳の奥に残る確かな感覚が、彼の足を急がせた。
このブーストは、長くもたない。彼女について分からないことはあるけれど、どうせ追いかけても双葉はこれから福岡支局に向かうのだろう。帯同したところで昨日と同じように追い返されるのであれば……自分たちの目指す方向へ進むべきだと、そう思うから。
「いずれまた、顔を合わせることになるだろうから……今は、俺たちも移動しようぜ」
「分かった」
政宗と統治もまた、地下鉄のホームへ向かうために改札をくぐる。
双葉が開いてくれた可能性、それを無駄にしないために。
地下鉄藤崎駅で降りた2人は、百道浜の方へ向けて歩くことにした。
朗らかな秋の1日、土曜日ということもあって、住宅街を歩く人はさほど多くなく、途中にある小学校のグラウンドでは、少年野球チームが練習をしていた。
このあたりは、スマートフォンで地図を見なくても道が分かる。
2人がかつて――10年前の合宿中、何度となく通った道だから。
「懐かしいな……」
中学校の脇を抜けて、『よかトピア通り』に出る。大通りを横切る横断歩道の前で信号待ちをしながら政宗がボソリと呟くと、隣に立つ統治もまた、「ああ」と端的に呟いた。
「まさか……もう一度、ここに来ることになるとは思わなかった」
「海の方へ散歩したり、コンビニに行ったりしてたから、今でも抜け道とか覚えてるよ。ここを左に曲がったら川があって……そこで統治は一人で音楽聞いてることが多かったよな。んで、俺とケッカがそこに合流して、それで……」
政宗の言葉に、統治もまた少しだけ目を伏せて……10年前のことを思い出す。
10年前の、あの夏。
彼らはいつの間にか、一緒にいる時間が増えた。
最初は2人から始まり、時間の経過と共に……もう1人が加わるようになって。
そして――最初から3人でいるようになるまで、あまり時間はかからなかった。
「あれ、政宗……統治知らん?」
10年前の研修期間中、とある日曜日のお昼前。2階にあてがわれた部屋で荷物の整理をしていた政宗は、部屋を訪ねてきたユカからの問いかけに「1階じゃないのか?」と問いかける。
質問を質問で返され、ユカの機嫌が露骨に悪くなった。
「1階におらんけん聞きにきたと。瑠璃子さんが昼食のの準備を始めようとしとるけんが、手伝わんといかんなぁって……」
「もうそんな時間か。統治なら多分、あそこだと思うけどなぁ……」
「あそこ……?」
どうやら政宗には心当たりがあるらしい。立ち上がって部屋を出る政宗についていくユカは、彼と共に1階へ降りた。そして、丁度庭の草取りから戻ってきた一誠を見つけると、汗だくの彼を見上げて行き先を告げる。
「ちょっと統治を呼んできます。ケッカも一緒でいいですか?」
「ああ、分かった。気をつけてな」
どうやらこの2人は、過去に何度か同じやり取りをしているらしい。二つ返事で了承した一誠が2人の間を通り抜け、水分を求めてリビングに入っていく。
政宗と共に靴を履き、外に出たユカは――むせ返るような蒸し暑い空気に襲われ、思わず顔をしかめた。
博多湾に流れる室見川。
その河川敷に座っている統治は、1人、音楽を聞きながら……福岡ドームやシーホーク、福岡タワーといった、福岡のランドマークをぼんやり眺めていた。
彼は麻里子達に許可を取り、たまに1人で考える時間を作っている。
自分が今後、宮城に戻って……どうなっていきたいのか。そんなことを考えたいから。
合宿所ではどうしても、他の人の目が気になってしまうし、彼自身も周囲が気になってしまうから。
特に……最初は格下だと思っていた政宗が、この合宿を境に、メキメキと頭角を現しているのがはっきり分かる。
自分の父親が政宗をやたら気にかけている理由を、統治は詳しく知らないけれど……政宗の才能や可能性を早くから見抜いていた可能性は否定出来ない。
いつか自分は、名杙という大きな家を背負うことになる。そのことに大きな不満はないけれど……不安なら、ある。
外に出てみて分かった。
あの家は恐ろしく歪んでいて――中央で立ち続ける両親が、いつ折れてしまってもおかしくないことが。
少しでも早く、彼らの助けになりたい。
でも、そのためには……どうすれば良いんだろうか。
統治は無意識のうちに、口元を引き締めた。
そして、聞いていた曲が終わり、次の曲へ入れ替わる瞬間――
「――あ、本当におった!!」
イヤホン越しに聞き慣れた声が届いたような気がして、統治は反射的に、プレイヤーの一時停止ボタンを押した。
そして肩越しに振り向くと、ユカが土手を駆け下りて、コチラへ近づいてくるのが分かる。
「統治、こげなところで何しようと?」
「考え事だ。何か用か?」
真顔で返答する統治に、ユカがため息混じりで理由を説明した。
「もうお昼ごはんの時間やけん呼びに来たと。ほら、帰ろうよ」
言われた統治が促されるままに立ち上がると……土手の上にいる政宗が、大きな声で2人を呼んだ。
「2人ともー、行くぞー」
「分かっとるー。ほら統治、行こう」
クルリと背を向けて再び土手を登るユカの背中を追いかけて、統治は土手の脇にある階段を登った。
「統治、1人で何を考えとると?」
土手の上の細い道を歩きながら、ユカが斜め後ろを歩く統治に問いかける。
「何でもいいだろう。山本には関係ない」
「むー。そうかもしれんけどさー」
教えてもらえずむくれるユカに、先頭を歩く政宗がニヤニヤした表情と共に振り向いた。
「ケッカ、男には知られたくないことがあるんだよ。あんまり詮索するのは可哀想だろう? やめてあげてくれ」
「……その言い方には言いたいこともあるが……まぁいい。本当に関係ないことだ」
統治はそう言って、耳につけていたイヤホンを外すと、それを手に持つ。
刹那、川からの風が吹き抜けて、3人の髪の毛や洋服を巻き上げていった。
突風に顔をしかめたユカは……わざとらしく政宗の背中の真後ろについた。そして彼を盾にして、その歩みを再開する。
「ケッカ……俺、盾なの?」
「よかやんね。年長者なんやけん、年下の女の子くらい守ってあげんといかんよー」
「ハイハイ。じゃあ、しっかり隠れててくれよ。でないと守れないからな」
そう言って笑う政宗に、ユカが笑顔で首肯する。
そんな2人の様子を見ていると……自然と、統治の口元が緩んだ。
実家ではしばらく、こんな表情をした覚えがないのに。
ここではどうしてこんなに……気軽に、笑えるようになったんだろうか。
前を歩く2人を、改めて見つめる。
すると答えは、すぐに分かった。
そうか。
この2人と一緒に……3人で、いるからだ。
そんなことを思い出していると、彼らが進みたい方向の信号が青に変わった。
思い出に浸る前に、やるべきことがある。2人が思考を切り替えて、百道浜の方へ向けて一歩前に踏み出そうとした、次の瞬間――
――前方から凄まじい『殺気』を感じた2人は同時に足を止め、慌てて世界の視え方を切り替える。
そして、正面から静かに歩いてきた女性の姿に気付き、その気迫に圧されて……踏み出しかけた足を、前に出せなかった。
Q:政宗の本名は、『佐藤伊織』でファイナルアンサー?
A:厳密に言うと、苗字が違います。彼の戸籍上の苗字は母親と同じままなので、今も佐藤ではありません。育ての親の彰彦とは養子縁組などをしていたわけではないので、学校で名乗る通名としての『佐藤』は許可されていましたが、正式な書類には本名を書いてます。
双葉さんがそれでも『佐藤伊織』と言ったのは、佐藤姓を名乗った期間が長くなっていることと……彼自身が『佐藤』という苗字に強い愛着を持っていることが分かったこと、加えて、父親の苗字が『佐藤』だったので、「まぁ……佐藤でいいか。下の名前は間違いないし」という判断を下しました。
よし、これでおおっぴらに「いおりん」って呼べるぞっと。
政宗が隠蔽している本名を、縁を見ただけで言い当てた謎のお姉さん・双葉に関しては、外伝で過去などを掘り下げる予定です。まずは瑠璃子誕生日から。名雲本家筋の彼女がどうして九州にやって来たのか、どんな能力者なのか……等、多少は今後の本編でもフォローしますが、深く気になる方は12月25日の外伝もよろしくお願いします!!
そして、本文中の挿絵は、以前、おが茶さんに作ってもらった第3幕動画の中からピックアップしました。10年前の3人が懐かしい……ユカもそろそろ戻ってきますので、引き続きよろしくお願いします!!