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エピソード7:あの時の君へ④

 翌日――連休明けの火曜日、時刻は間もなく朝の8時30分。

 仙台駅西口の自動改札にSuicaをかざし、開いたゲートを出たユカは……少しだけ緊張した面持ちでパスケースをカバンに片付けると、口元を引き締めて歩き続けた。

 平日の朝は、職場へ、学校へ――多くの人がそれぞれの場所へと向かっている。駅の中からペデストリアンデッキへ出た瞬間に浴びた仙台の朝の空気、それがとても冷たくて……季節の移り変わりをヒシヒシと感じた。

「上着、もう一枚厚いのにすればよかった……」

 パーカーとニットのカーディガンで迷った挙げ句、ポケットの多さでパーカーを選んだことを後悔しつつ、ユカが足を動かしていると……後ろから早足で追いついてくる影があった。


「――山本」

「あ、統治。おはよう」


 統治から声をかけられたユカは、首だけを動かして彼の動きを目で追った。そして、横並びになって歩く彼の両手に余る荷物を見やり、思わず目を丸くする。

 彼の両手には、福岡で買ってきた土産物が詰まっている紙袋が握られていた。昨日はバタバタしていたのでちゃんと見なかったが……改めて見ると、中くらいの紙袋4つに箱や小袋が入っており、銀色の保冷バッグも見える。恐らく中身は明太子だろう。

「お土産係、お疲れ様やねぇ……」

「これくらい問題ない。そういえば、佐藤は朝から得意先へ向かうんだったな」

 朝、政宗から届いていたメッセージは、朝は事務所に寄らず、営業先を回るという内容だった。金曜の午前中までは働いていた彼だが、休み明けは更にノンストップで動き回らなければならないらしい。

「みたいやね。モテモテの支局長さんは朝から忙しかよー」

 そう言って笑うユカを、統治は見下ろして……雑多な音に紛れながら、昨晩のことを問いかける。

「あれから……佐藤と喧嘩別れにはならなかったのか?」

「統治、あたし達のことどげん思っとると……?」

 ユカは統治へジト目を向けつつ、改めて前を向くと……視線を少しだけ上に上げた。

 彼女の目の前には駅前の商業ビル。その向こうにある更に高い複合ビルが……これからまた、自分が働く場所だ。

 少しだけ懐かしく、でも、これまでよりも新しい気分。ユカはもう一度深呼吸をして新鮮な空気で体を満たすと、どこかソワソワしている……気がする、そんな友人を笑い飛ばす。

「喧嘩とかしとらんよ。これからも宜しくねって念を押しに行っただけやけんね」


 統治が解錠した事務所の中で、2人が仕事を始める用意を整えている8時50分。パタパタした足音が近づいてくて……扉の前で止まった。

 そして――

「おっ、おはようございまぁっ!!」

 最後の一文字を残し、衝立の向こうで誰かがそこそこ重たい布製品――恐らくカバン――を落としたような音が聞こえる。ユカと統治が何事かと目を合わせていると……息を切らせ、ヨタヨタと歩いてきた支倉瑞希(はせくらたまき)が、「おはよう……ござい、ます……」とかろうじて発声した後、自分の椅子に荷物を置いて、乱れた髪の毛と一緒にヘナヘナと脱力した。

 服装は襟付きのシャツにパンツスタイルで、上からPコートを羽織っているが、ローヒールとはいえパンプスで全力疾走してきたその両膝は笑いを抑えられず、今にも崩れ落ちてしまいそうな危うささえ感じる。ユカにしてみれば約2週間ぶりに会うことになるので、迷惑をかけたことを謝罪したいけれど……完全にタイミングを逃してしまったではないか。

 何があったのか気になりすぎるので、席が隣の統治が恐る恐る問いかけた。

「支倉さん……その、朝から何かあったんですか?」

「いっ、いえ……佐藤支局長、がっ……あさ、から、いないって……名杙さんにお伝え……しなきゃって……!!」

 呼吸を整えながら一生懸命口を動かす瑞希に、「知っています」と事実のみを突きつけるのは気が引けた。統治は「分かりました」と一言告げた後、ハンディモップを片付けてノートパソコンを起動する。そして、自分の前にいるユカに視線を向けると、瑞希へ一言何か言っておけと言外で訴えた。ユカは呼吸を整えると、瑞希を見つめて口を開く。

「あの……支倉さん、おはようございます……」

「や、山本さんっ!? お、おおおはようございますっ!!」

 ここで初めてユカの存在に気がついた瑞希が、コメツキバッタのように何度となく頭を動かした。

 そこから十数秒後、どうしたものかと立ち尽くしているユカに向けて……瑞希は立ち姿を整えた後、改めて頭を下げる。そして。

「……お帰りなさい。福岡出張、お疲れ様でしたっ……!!」

「っ……!!」

 そう言ってはにかむ瑞希に、ユカは言いかけた言葉を静かに飲み込んだ。

 迷惑をかけた謝罪はしっかり伝えるつもりで出勤してきた。けれど、それはそれとして後ほど改めて。

 1週間を、1日を始める朝のタイミングは、明るい言葉を声に出しておきたいと思ったから。

「やっと戻りました。また今日から……仙台で、宜しくお願いします」

 こう言ってユカは改めて頭を下げた後、顔を上げて、統治と瑞希をそれぞれ見やる。

 福岡とは違う景色と、少数すぎる精鋭。そんなこの環境が……今はとても落ち着く気がしているから。

 ユカと瑞希が言葉を交わしたことを確認した統治が、自身のスマートフォンを操作しながら、朝の打ち合わせを始めた。

 統治の声を聞きながらユカは自席の椅子に腰を下ろし……ノートパソコンを起動しながら、今日のやるべきことをピックアップしていくのだった。


 午前中は各々が残務処理に追われ……政宗が『仙台支局』に帰ってきた時、時刻は13時30分になろうとしていた。

「……げふっ。」

 自分の席に座って、午前中から引き続きパソコンを操作しているユカは、奮発して食べ過ぎた昼食(牛タン定食)に若干後悔しつつ……眠気と戦いながら指を動かしていた。

「……眠か」

「ケッカ、寝るなよ?」

 斜めの位置からジト目を向ける政宗へ、ユカは「分かっとるよ」と口をとがらせた後、空になったコップを持って、コーヒーメーカーの方へと近づいた。

 そして、保温している台座から中身の入ったガラスサーバーを手に取ると、あくびを噛み殺しながら中身をコップの半分ほど注ぎ始めた。

 そんな中……入り口の扉が開いて、2人分の足音が近づいてくる。 程なくして衝立から顔を出した聖人が、奥の自席に座っていた政宗を手招きしていた。

「こんにちは。伊達先生ですよー」

「伊達先生!?」

 インターフォンを鳴らすことなくしれっと入ってきた聖人に、政宗は慌てて立ち上がり……そういえば、統治が彼に鍵を預けていたこと、それを今日の昼に返却しに来ると言っていたことを思い出す。とはいえ、それでもまずはインターフォンを押して知らせて欲しいけれど。

「ちょ、ちょっと待っててくださいね。支倉さん、何かお茶菓子って……あ、福岡土産も渡さないと……統治、どこだっけ統治!!」

 立ち上がってワタワタする政宗を尻目に、ユカはとりあえず自分のコップを自席の机上へ置いた後、再びコーヒーメーカーの前へ戻る。そして、近くに伏せてある来客用のカップとソーサーを用意すると、その中にガラスサーバーからコーヒーを注ぎ、スティックシュガーとコーヒーフレッシュを添えた。久しぶりのことだったけれど、慣れたものだと一人で感心してしまう。

 政宗と瑞希がワタワタしているのを横目に、ユカは「とりあえず飲み物出してくるけんねー」と断りを入れて、統治が頷いたことを確認した後、スタスタと衝立の向こうへと移動した。

 応接用のソファに座っていたのは、男性が2人。コーヒーを持ってきたユカの姿に気付いたスーツ姿の茂庭万吏が、「お疲れさん」と声をかけて右手をあげた。

「ケッカちゃん、おかえり。久しぶりの仙台はどう?」

「そうですね……朝晩が思ったより冷えます」

 ユカはそう答えつつ、二人の前にコーヒーを置いた。そして、机を挟んで二人の前に立つと、空になったお盆を持ったままで深々と頭を下げる。

「今回は……本当に、ありがとうございました」

「そういうのいいって。俺たちはお土産をもらいに来ただけなんだから。ね、伊達ちゃん?」

「そうだね。勿論、ケッカちゃんからのコーヒーも有り難く頂戴するけれど」

 もう一人の客人・伊達聖人は笑顔でそう言うと、カップを持ち上げてブラックのまま中身をすする。そんな彼を万吏は横目で見ながら……改めてユカを見ると、口元に笑みを浮かべた。

「厄介事、片付いたみたいだね。お疲れ様。政宗君も統治君も寂しがってたから、相手してやってね」

「……分かりました。引き続き、宜しくお願いします」

 ユカがそう言って、再度軽く頭を下げた次の瞬間――右手に紙袋2つ、左手に茶菓子入りバスケットを持った政宗が、隠しきれない焦りと共に入場してきた。

 ユカは政宗にその場を任せて事務所の方へ戻ると、手に持っていた盆を片付けて、自席の椅子に腰を下ろす。

 そして、おやつの時間までに手元の残務を整理して……先程政宗が持っていたバスケットの中にあった萩の月を2つ食べようと決意したところで、正面にいた統治がユカを手招きした。

「山本、立て続けに申し訳ないが、ちょっといいだろうか」

「どげんしたと?」

 ユカは間を置かずに立ち上がると、統治の後ろへ回り込んだ。そして、彼のパソコンに表示された『生前調書』に視線を向ける。

「東側のテンプレ、久しぶりに見た気がする……統治、この人、早急に対応せんといかんと?」

「佐藤から上がってきた案件なんだが、俺も佐藤もなるだけ急いだ方がいいと思っている。実は金曜日、突発的な事案が発生しているんだが……」

 統治が続けて語った内容に、ユカは「ふーん……」と軽く頷いた後……隣で仕事をしている瑞希を見た。

「支倉さん、金曜日の報告書とかって、流石にまだ上がってませんか?」

「あ、えっと……名杙心愛さんからは週末に届いていました。共用フォルダで『未処理/10月』のところに保存してますっ……!! あと、里穂ちゃんも今日中に持ってくるとは言っていたんですけど……時間までは……」

「分かりました。ありがとうございます」

 ユカは瑞希へ頭を下げると、統治の方へ向き直る。そして。

「統治、あたしは今週やったらいつでも大丈夫やけんが……他に連れていきたいメンバーがおるんやったら、調整してくれてもよかよ」

「分かった。決まり次第予定を入れておく」

 統治の言葉にユカは「よろしくー」と声をかけた後、自分の席に戻ってパソコンの前に腰を下ろす。

 そして……衝立の向こう、弄り倒されてヘトヘトになっている政宗の声を聞き流しながら……自分の作業を再開するのだった。


 聖人と万吏がいなくなり、それぞれが仕事を進めていると……16時30分に片倉華蓮が出勤してきた。

「……お疲れ様です」

 長めのシャツワンピースにスキニージーンズという出で立ち、髪の毛を右下で緩く結っている彼女は、落ち着いた物腰で会釈をした後、静かに自分の席へと向かう。

「片倉さん、今回は色々とありがとう」

 ユカの言葉に軽く会釈した後、自分の席に荷物を置いた華蓮は、パソコンの電源を入れながら淡々と口を開いた。

「……私は特に、何もしていません」

「そげなことなかよ。あ、そうだ……えぇっと……」

 何かを思い出したユカは、手元のクリアファイルの書類を入れ替えながら……「コレだ」と、1枚紙を取り出して自分の机に広げた。

「福岡でちょっと、突発的な『縁切り』と、それに付随する時間外勤務が発生しとるとよ。あたしのデータを今から入力するけんが、政宗と統治のデータが入ったら、3人分出力して支倉さんに渡しとってくれる?」

「え? あ……はい。分かり、ました……」

 ユカのテキパキした指示に華蓮は一瞬面食らいつつ、手元に正方形の付箋を用意すると、必要事項を書き込んだ。

「期日はいつまでですか?」

「そうやねぇ……福岡への請求を考えると、週末までってところやろうか。一応朝の時点で全員にメールは回しとるけんが、多分今日明日中には入っとると思うけどね」

「分かりました。あと、山本さんの仙台での欠勤に対する扱いですが――」

「――それなら、瑠璃子さんからあたしにメールで指示があるけんが、それが届いたら情報共有するけんね。ただ、今回はちょっと扱いが複雑やけんが……今月の仙台は欠勤で処理になるかもしれん。有休使うかどうかはちょっと考えたいけんが……とりあえず通常の欠勤でよかよ」

「分かりました」

 華蓮は付箋にやることを書いて、それを見える位置に貼り付けた。そして、今まで以上に事務仕事に対して的確なユカを見やり……ちょっとだけ言葉を選んで問いかける。

「山本さん……福岡で事務研修でも受けてきたんですか……?」

 その問いかけに対して、ユカは苦笑いで首を横に振った。

 あのテストはもう、出来れば二度と受けたくない……そんな気持ちを言葉に込める。

「そげん生易しいものじゃなかとよ、片倉さん……」


 そんなこんなであっという間に、時刻は間もなく18時。

「持ってきたっすーーーーーーーーー!!」

 高校のジャージ姿の名倉里穂が、トレードマークのポニーテールを競走馬の尻尾のようになびかせながら、右手に持ったクリアファイルと一緒に室内へなだれ込んできた。

 彼女は真っ直ぐに瑞希の席――本人は里穂のためにドアの鍵を開けに行ったため、後ろからパタパタとついてきている――を目指すと、彼女の机の脇に置いてあるトレイへ華麗にファイルを投げ入れる。

 そして、ジト目を向けている統治へ向きなおり、盛大な圧と共に確認をした。

「セーフっす!! これはセーフっすよねうち兄!?」

「……」

 統治は机上の電波時計を確認した後、ため息と共に首を縦に動かす。

「……17時58分。2分前だから、しょうがないな」

「やったっすー!! やれば出来たっすー!!」

 里穂はこう言って盛大に喜んだ後……自分に苦笑いを向けているユカに気付き、大きな目をキラキラさせて駆け寄ってきた。

「ケッカさん!! いつからいたっすか!?」

「え!? えっと、今日の朝9時から……。里穂ちゃん、相変わらず元気やね」

「私は元気が一番っすからね。なにはともあれお帰りなさい、本当に良かったっす!! これで政さんの顔がどどめ色からちょっとマシになるっすよ!!」

「どどめ色……!?」

 里穂の言葉にユカは政宗を見やる。彼は自分の顔を手元の鏡で確認した後……わざとらしく咳払いをして里穂を見た。

「里穂ちゃん、金曜日はありがとう。肴町の案件、心愛ちゃんと対応してくれたんだよね」

「あ、そうっすね。分町ママや伊達先生、森君とも一緒だったっすよ」

「その件なんだけど……実は、まだ完全に終わったわけじゃなさそうなんだ。金曜日のこと、俺たちにも詳しく聞かせてもらえるかな」

「ふぇ?」

 政宗の言葉に、里穂はポニーテールを揺らして首を傾ける。そんな彼女の変化を見守りつつ……ユカは手元の『生前調書』に視線を落とし、静かに段取りを組み立て始めていた。

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