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エピソード6:一夜漬けの末路②

 その後、博多駅から一旦福岡支局へ戻った5人は、支局内を片付けて施錠した後……瑠璃子と一誠の住んでいるマンションへ移動することになった。

「政宗……何持っとると?」

 肩掛けバッグだけだったはずの政宗は、右手にA4サイズの紙袋を持っている。中には何やら書類のようなものが入っているが、よく見えないので詳細が分からない。

 道すがら問いかけるユカに、政宗はジト目で返答した。

「福岡支局から、明日の試験対策になりそうな例題をかき集めてきたんだよ。ケッカには何が何でも合格してもらうからな」

「ハイ……」

 この状態で彼に逆らうことなど出来るはずもなく、ユカはガックリと両肩を落として覚悟を決めた。

 苦手なことを見て見ぬ振りをしてやり過ごしてきたのは、自分なのだから……このツケはしっかり清算して、仙台に戻らなければならない。

 とはいえ……正答率8割の試験など受けたことがない。本当に大丈夫だろうか。

「……」

 考えれば不安しかない。だから今は……せめて、自分に出来ることをやった上で明日に臨みたい。

 どんな結果になったとしても、後悔しないように。

「頑張らんとね……!!」

 一人呟いたユカの言葉に、政宗は嬉しそうな表情で人知れず頷いた。


 一誠と瑠璃子の住まいは、地下鉄の姪浜(めいのはま)駅から歩いて5分程度の場所にある。

 瑠璃子の案内で建物の前まで歩いてきたところで、彼女がエントランスにあるオートロックを解除した。自動ドアをくぐって、エレベーターで3階まで移動した後……突き当たりにある玄関ドアの鍵をあげて、「ただいまー」と声をかける。

 玄関からL字型になっている廊下を進んだ先には、約19畳の広いリビングダイニング。ユカやセレナも初めて入る部屋なので互いに顔を見合わせつつキョロキョロしていると……別室から出てきた一誠が、最後尾にいた政宗の肩を叩いた。

「政宗君、お疲れ様」

「うわっ!? い、一誠さん!? どこから出てきたんですか!?」

「どこから、って……別の部屋で仕事しよったったい。瑠璃子から話は聞いとるけんが、リビングの机は山本ちゃんと2人で使ってよかよ」

 一誠が笑いながら指を指した先には、リビングへ向かう扉と反対側に、別室へ繋がっている扉が2つ見える。思ったよりも部屋数が多いことに驚きつつ、政宗は「ありがとうございます」と会釈しておいた。

 瑠璃子はキッチンの入り口に自分の荷物を置いた後、冷蔵庫の中身を一通り確認する。そして……。

「さて、じゃあ、セレナちゃんと名杙君は、買物に付き合ってもらうけんねー」

「はーいっ、了解ですっ!!」

「分かりました」

 食事担当の2人がそれぞれに頷いたことを確認した瑠璃子は、視線の先に一誠を見据えた後、笑顔で続ける。

「一誠、車出してくれん? トライアルに行きたいけんが、荷物持ちも欲しいっちゃんねー」

 ちなみに『トライアル』とは、福岡県内を中心に展開している激安スーパーである。今は全国にも店舗を拡大しており、その安さから車で買い付ける人が多い店だ。

 はっきり『荷物持ち』だと指名を受けた一誠は、どこか諦めた表情で脱力した。

「ヘイヘイ分かりました……あ、山本ちゃん、ジュースとかお茶とか冷蔵庫に入っとるけん、適当に飲んでよかよ」

「じゃあ、ちょっと行ってくるけんねー」

「え!? あ、ちょっ……!?」

 ユカが何か言う前に、4人はゾロゾロと部屋から出ていく。程なくして外側から施錠されている音を聞きながら……ユカと政宗は同時に顔を見合わせ、真顔になった。

「なぁケッカ、福岡ってこういう文化なのか? 初めてお邪魔する家で、コップもどれを使えばいいのか分からないのに勝手にお茶を飲めとか無茶振りじゃ……!?」

「福岡っていう単語でひとくくりにせんでほしいっちゃけど……あたしもそういえば、麻里子様の部屋に初めて行った時は、マンションの入口で鍵投げられてで放置されたなー……」

「マジかよ……」

 政宗が顔を引きつらせた後……互いに苦笑いを交換して。

「――さて、時間が惜しい。俺たちも始めるか」

「了解。家庭教師、宜しくお願いします」

 2人は視線の先にある4人がけのダイニングテーブルに向かって足を進め、互いのポジションにつく。

 福岡を出発するまで、あと24時間。

 ユカが仙台に帰るために、時間を無駄に出来ない戦いが始まった。


 1時間後、買い物を終えた4人が、それぞれに荷物を抱えてエントランスに戻ってきていた。

「な、なぁ瑠璃子……なしてプレミアムモルツを2ケースもまとめ買いした、とかっ……!!」

 缶ビールの箱を一つ、その上に食材の詰まったマイバッグを置いて腕をプルプルさせている一誠に、瑠璃子はエレベーターを呼ぶボタンを押しながら笑顔で返答する。

「だって今日は、一誠と名杙君がおるけんね。部屋には政宗君もおるけんが、特売日に買っとかんと」

「だからって……ぐぬっ……!!」

 気を抜くと落としそうになるため踏ん張る一誠。その隣でもう1箱を持っている統治は、手伝いを申し出たいけれど自分もこれ以上持ったら大変なことになりそうで言い出せないのが申し訳ないという、複雑な感情を抱いて……一誠を見つめていた。

 そんな彼の眼差しに気付いたセレナは、努めて明るく笑い飛ばす。

「トーチ君、そげん気にせんでよかよ。一誠さんと瑠璃子さんはいっつもこげな感じやけんね」

「ちょっと橋下ちゃん!?」

「ほらみんな、エレベーター来たよー。乗っちゃってー」

 反論する暇を与えない瑠璃子に、一誠は黙ってヨタヨタと乗り込んだ。最後に乗った瑠璃子が開閉ボタンと階数の数字ボタンを押し、箱がゆっくりと上昇していく。

「ユカちゃんと政宗君、2人きりでどげな勉強しよるっちゃかねー」

「なっ……!?」

 瑠璃子の意味深な発言に、一誠は思わず目を見開いて……慌てて両腕に力を入れた。セレナは「瑠璃子さん、絶好調ですね」と茶化しつつ、隣に立っている統治を見上げる。

 その冷静な顔立ちだけでは、何を考えているのか……読み取れないことが多い人だから。

「トーチ君は、ユカとムネリンが付き合うことになったら……寂しくなかと?」

「寂しい……?」

 セレナの問いかけに、統治はしばし思案すると……はっきりと首を横に振った。

「いや、特に」

「そうなん?」

「ああ」

「そうなんやね……」

 さっぱりした返答の統治に、セレナが目を丸くしていると、エレベーターが3階に到着する。先を歩く瑠璃子が玄関扉を開けて、一誠が真っ先に廊下へと荷物をおろした。

「はぁっ……!! お、重すぎた……!!」

「ほら一誠、後ろがつかえとるよー」

「分かっとる!! 名杙君、その箱はリビングまで持っていってくれるか?」

「分かりました」

 靴を脱いでスタスタと歩く統治の後を、セレナが慌てて追いかける。両手がふさがっている彼の前に出てリビングへの扉を開くと、一足先に中へ入った。


「ユカ、ムネリン、ただい――」


 リビングに入ってきたセレナの目に飛び込んできたのは、ダイニングで横並びに座っているユカと政宗。ユカの前には問題の書かれた紙が広がっており、真剣な眼差しでそれと向き合っている。

 隣に座っている政宗は、スマートフォンの画面を確認していた。そして。

「――はい、そこまで。答え合わせするぞ」

「ん」

 ユカが無言で紙を差し出す。それを受け取った政宗は、赤いボールペンでテキパキと採点をした後、それを彼女へ差し戻した。

「……もう少しで7割ってとこだな。やっぱりケッカが苦手なのは『縁故』の等級における実績計算と、『遺痕』を数値化した時のランク付けだ。例えばここ、なんでAよりBが上だと思ったんだ?」

「えぇっと……」

 2人の間に流れる空気は、普段以上に真剣なもので……そこに一切の甘さはない。セレナを追い越した先に箱を置いた統治は、2人を見ているセレナへ声をかけた。

「橋下さん、荷物運びの手伝いに……」

「えっ? あ、うん、そうやねっ!!」

 我に返ったセレナは、統治の背中を追いかけて廊下に戻る。そして、分担して荷物をキッチンへ運びながら……改めてリビングに入ると、帰宅に気付いたユカがセレナを見つけて、いつもの調子で声をかけた。

「レナ、おかえりー。今日の晩ごはんは(なん)なん?」

「え、あ、ただいま。えっと……」

 セレナは咄嗟に言葉が出てこないまま口ごもり……不意に、先程のやり取りを思い出す。


 統治は2人が付き合っても寂しくないと言っていた。

 その理由は、きっと……。


 セレナは口元に笑みを浮かべて、そこに右手の人差指を添えた。そして。

「ムフフ……出来上がるまでのお楽しみやけんね。ユカは頑張って勉強するんよー」

「はーいっ」

 わざと口をとがらせるユカと視線を交錯させて……いつものように笑い合う。

 それを見ている政宗もまた、優しい表情で……セレナは踵を返してキッチンに移動すると、材料を取り出している瑠璃子の隣に並んだ。

「セレナちゃん、楽しそうやね。どげんしたとー?」

「ムフフ……こうしてみんなで食事が出来るのが、嬉しいんですよ」

 瑠璃子にそう返答したセレナは、軽く手を洗った後……瑠璃子から指示を仰ぎ、人参の皮をピーラーで剥き始める。


 2人が付き合っても寂しくない、統治がそう答えた理由が、分かった気がした。

 2人はようやく……収まるべき場所に収まった、きっとそれだけのことなのだ。


 そして、約1時間後となる19時過ぎ。

 先程までユカ達が勉強をしていたダイニングテーブルには、瑠璃子達が作った料理やテイクアウトしてきた惣菜が、所狭しと並べられていた。

「瑠璃子さんのがめ煮!! 食べたかったっちゃんねー……!!」

 大きな椀に盛り付けられた煮物を見つけたユカが、キラキラと目を輝かせる。

 『がめ煮』は、主に鶏肉と根菜類を醤油やだし、みりん、砂糖等で味をつけて煮付けたものだ。全国的には『筑前煮』と呼んだほうが伝わりやすいかもしれない、素材の旨味を生かした郷土料理である。

 他にも、揚げたての鶏天や、さつま揚げ、テイクアウトしてきた焼き鳥、サラダに汁物など……見ただけで口の中に唾がたまるメニューばかり。急に空腹だったことを思い出したユカは、どれから食べようかと頭の中で順番を組み立てる。

 一方、政宗は別室から予備の椅子を運びながら、どれをツマミにしようかと思案して……隣に立つユカをチラリと見下ろした。

「なぁケッカ、今日、後は自習でも……」

「政宗はあたしを不合格にしたかと?」

「瑠璃子さんノンアルコールビールありませんかー!?」

 政宗がキッチンへ駆け込んでいく様子にジト目を向けつつ……ユカは政宗が放置していった椅子を組み立てて、所定の場所に設置した。

 そして、全員が席についたところで……福岡の最後の夜が始まった。

 政宗はノンアルコールビールを飲みながら、瑠璃子が作ったがめ煮を取皿に取ると、人参を箸で持ち上げて口の中に入れた。歯で噛んだ瞬間に、中から煮汁がにじみ出てきて、口の中を優しい風味で満たしていく。

「なぁ統治、福岡の煮物って……味が優しいけどしっかりしてるよな」

 政宗の感想に統治が頷くと、瑠璃子が「お醤油が違うけんねー」と言いながら缶ビールを飲む。そんな彼女を心底羨ましいと思いつつ、政宗は次に汁物が入ったお椀を手に取った。豚汁のように野菜と肉が入っている中に……一つ、白い餅のようなものを見つける。

「瑠璃子さん、福岡の味噌汁は、餅入りなんですか?」

「んー、それはお餅とは違うかな。福岡では『だご汁(だんご汁)』って呼ばれとる料理で、小麦粉で作った団子が入っとるとよ」

「すいとんみたいな感じですか?」

「まぁ、ご先祖は同じかもしれんねー」

 瑠璃子はそう言って、政宗に「とにかく食べてみろ」と目線で訴えた。彼はとりあえず汁を一口すすって……甘い麦味噌の風味を楽しんだ後、問題の小麦粉団子を箸で取る。

 弾力のある団子を噛むと、それに染み込んでいた野菜の旨味と味噌の風味が口の中へ広がった。

「……あ、美味い。なぁ統治、これ、今度作れないか?」

 政宗の自然な問いかけに、統治もまた、何の疑いもなく思案する。

「構わないが……麦味噌が必要になるな。いや、『はっと汁』を作る要領でいいのかもしれないから……」

 そんな2人のやり取りを真正面から見ていたセレは、隣に座るユカに問いかける。

「ね、ねぇユカ、トーチ君ってムネリンのシェフなん?」

「んー……否定出来んねぇ……」

 ユカは味のしみた鶏天を食べながら、福岡の味に驚き、好きになってくれている2人を生暖かく見守るのだった。


 食事を終えると、ユカと政宗は再び試験対策へ。残り4人で食器などの片付けを行っていると……時刻は間もなく21時になろうとしていた。

 一誠は大きな鍋を棚の上へ片付け終えると、ペットボトルのラベルを剥がしていたセレナへ声をかける。

「橋下ちゃんはそろそろ帰らんとな。俺が家まで送っていくけんが、用意してくれるか?」

「はーい」

 セレナが素直に首肯したところで、一誠は勉強している2人を見やり……その脇で使い終わったプリントを整理していた統治に目を向けた。

「政宗君はまだ山本ちゃんと勉強したかろうけど……名杙君、君はどげんする?」

「そうですね……」

 一誠の問いかけに、統治はしばし思案した後……顔を上げて結論を告げた。

「俺も今日はホテルに戻ります。荷物の整理もしておきたいので」

「分かった。博多駅やったよな……じゃあ、橋下ちゃんを送った後に回るけんな」

「ありがとうございます」

 統治は一誠へ軽く頭を下げると、勉強をしている2人へと声をかけておく。

 自分がこれ以上ここにいても……2人のために、特に出来ることはなさそうだから。

「佐藤、山本、俺は先にホテルに戻っておく。佐藤、明日の朝は9時前に筑紫口だ」

「分かった。統治、今日はお疲れ様。また明日な」

「くれぐれも荷物を忘れるなよ。山本も、明日に支障をきたさない程度に頑張ってくれ」

「ありがと。また明日ね、統治」

 ユカも顔を上げて彼に手を振った後、再び手元の問題に集中し始めた。

 その様子を見た統治は、静かに踵を返すと……荷物を持って、玄関へ向かう。

 玄関先には既に瑠璃子が控えていたため、統治は立ち止まり、彼女にも頭を下げた。

「今日はありがとうございました。佐藤達はまだ残るみたいですが……」

「よかよー。あの2人は私が適当な時間に追い出すけんが、名杙君はゆっくり休まんねよー」

「はい。では……失礼します」

 もう一度軽く頭を下げた統治は、靴を履いて、一誠やセレナと一緒に玄関から出ていった。足音が遠ざかっていく音を聞きながら、瑠璃子は内側から施錠をして……リビングへ向けて歩き出す。

 勉強熱心な2人へのブレイクタイム(おやつ)を何にするか、そんなことを考えながら。

 これを書いた後にだご汁が食べたくなって自分で作りました。(知らんがな)

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