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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第八章 ショパン ピアノソナタ 第三番
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95 特製カレー

康太視点になります。

「ただいま」

「あら、おかえり……」

「おじゃまします……」


 帰宅した沙紀の声に呼応した春江が惰性的におかえりと言った後、次のおじゃましますにびっくりしたように反応してキッチンから顔を出す。


「まあ、こうちゃんも一緒じゃない! あらあら、どうしましょう」


 春江が沙紀の後ろに立っている康太を見つけるなり感嘆の声をあげる。


「こんばんは。突然押しかけてすみません」

「何言ってるの。うちはいつでも大歓迎よ。そんなところに立ってないで、早く中に入って来なさい! ああ、でも残念だわ。こうちゃんが寄ってくれるって前もってわかってたら、おばちゃん、腕をふるってもっと気の利いた夕飯を用意しておいたのに。実はね、昨日のカレーしかないのよ。沙紀がせめてメールで知らせてくれれば、もっと何か作れたのにね……」


 リビングに入ってきた康太に向って、いかにも申し訳なさそうに春江がぼやく。


「だって、ママ。ついさっき、家の前でばったりこうちゃんに会って、急にうちに来るって決まったんだもん」

「ばったりね、はいはい」

「本当に、ばったりなんだってば」


 百合ノ葉学院に行って、その後大学に戻り四限目の講義を受けて。

 講義が終わって、車に同乗させてもらって近所のコンビニまで一緒だったのは認める。

 けれど、康太は買い物があるのでそこで別れて沙紀は歩いて家まで帰って来たのだ。

 すると、本当に偶然、家の前で康太と再び一緒になったというわけだ。

 少々無理な設定ではあるが、ばったり会ったことに嘘はない。


「ウソだと思うなら、裏の筋の井ノ坂さんのおばさんに聞いてよ。あたし、おばさんとすれ違って、挨拶したもん。ちゃんと一人だったし。おばさんに証明してもらおっか? 」

「沙紀ったらムキになっちゃって。わかったから。ばったりでも、何でもいいから、こうちゃんならいつでもうちに連れて来てくれたらいいんだし。さあさあ、二人とも手を洗って、テーブルについて」

「なんか、まだ疑ってるし。ホントにホントに、ばったりなんだってば。でね、雅人先生が小学校のキャンプで、今夜いないんだって。それでうちに誘ったんだ」

「まあ、そうだったの。じゃあ、ゆっくりしてもらってね。パパも遅いって言ってるし」


 先に手を洗い終わった康太がリビングに戻る。


「さあ、こうちゃん、座って待っててね。カレーあっためるわね」

「ありがとうございます。俺、カレー大好きなんで、喜んでいただきます。おばちゃんのカレー、うまいんだよな。なんか久しぶり」


 康太の家のカレーは豚肉入りが定番なのだが、春江のは牛肉を使ったコクのあるカレーだ。

 昨日の残りなら尚のことうまみを増しているだろうと、康太の顔も自然とほころぶ。


「そう言ってもらえるのはありがたいんだけど……。今日のカレーは、その……。おばちゃん特製じゃないのよ。年に数回しか包丁をもたない我が家のおてんばお姫様製なんで、こうちゃんのお口に合いますかどうか……」

「うわーーっ、ひどい! ママもパパも昨日、あんなにおいしいって食べてくれたじゃないっ! 」


 洗面所から戻ってきた沙紀が悲鳴にも似た声を上げ、プリプリと怒っている。


「こうちゃん、大丈夫だからね。本当においしいんだから。だから、あたし特製のめちゃうまカレーを残したりしたら承知しないからね! 」

「そ、そうなんだ。わかったよ。ありがたく頂くよ……」


 つい今までのカレーに対するワクワク感が急速に減少してしまったせいか、心なしか顔が引きつってしまう。

 いつだったか沙紀が焼いたお好み焼きをもらって食べたのだが、どうも粉っぽくておまけに硬く、ソースでごまかしてなんとか食べきったのを生々しく思い出していたのだ。

 お好み焼きに関しては康太の方が格段に調理の腕前が上だったと記憶している。


「あらまあ、沙紀ったら。お客様に向ってえらく強引だわね。そんな態度だとこうちゃんに(あき)れられてしまうわよ。ねえ、こうちゃん。こんな子放っといて、早く素敵な彼女でも作って見せ付けてやってちょうだい。そうすれば、もう少しこの子も女の子らしくなるんじゃないかしら」

「もうっ! ママったら大きなお世話よ。あたしの女らしさは目に見えないところにあるの。ハートの奥の奥にね」

「はいはい、わかりました。さあ、カレーも温まったし、あとは……。冷蔵庫の中のサラダを出してくれる? ドレッシングもね」


 なんとなくじっと座って待っているのも気が引けて、康太も小さい頃から馴染んだこの家のキッチンでいつのまにかまめまめしく立ち働いていた。

 そして準備が整い、食べ始めたカレーは……。

 意外にもおいしかったのだ。

 大き目のゴロゴロした野菜も煮崩れることなくほっこりとしていて、いい具合に味が染み込み、辛口のルーとマッチしている。

 

「うまいっ! 」

「でしょう? 」


 康太の賞賛の声に気を良くした沙紀は、どう? と言わんばかりに胸を張り、得意満面の笑顔になる。

 そして、有頂天になっているのかと思いきや、突如、神妙な面持ちになり、サラダのトマトを箸で突付いたまま、ピタッと動かなくなってしまった。


「おい、沙紀、どうしたんだよ? 」


 心配になった康太が沙紀に訊ねる。

 褒め方が足りなかったのだろうか。

 でも、理屈抜きにおいしいし、思いのままを率直に表現したつもりだった。

 これ以上どうすればよかったのだろう。


「沙紀、お行儀が悪いわよ。いったいどうしたの? 」

「あっ……。ご、ごめんなさい。ちょっと考え事してて」

「変な子ね。何も食事中に考えなくてもいいでしょ? 」

 

 春江が怪訝そうに沙紀を覗き込む。


「そうなんだけど……。ねえママ? ママはパパと結婚する前、誰かと付き合ってた? 」


 水を飲もうとグラスを手に取りかけた康太が、そのままその場で固まってしまい、不自然に動きを止めてしまった。


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