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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第八章 ショパン ピアノソナタ 第三番
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91 大学探訪

康太視点になります。

 こんなに広かったのだろうか……。

 正面の通用門からは奥は見えない構造になっていて、まさか図書館を迂回すると芝生の中庭が現れるなんて思ってもみなかった。


「すっごい、広いね。なんか外国の学校みたい! 」


 沙紀は両手を上げてくるりと回った。今にもスキップでもして駆け出しそうだ。


「俺だってびっくりしたよ。大学の敷地がこんなにでっかいとは思わなかった。俺達の教育大の倍はあるな」


 学園祭の時はどこもかしこも屋台が並び、パフォーマンスであふれ、学生や近隣の住民で身動きが取れないほどの込み具合だった。

 本来の落ち着いた学内の様子など知るすべもなかったのだ。

 中庭を中心にスクエア状に学舎が立ち並び、まるで中世の城内の回廊のような通路でひとつひとつの建物が繋がっている。

 学生課で木下教授に連絡を取ってもらい、入室の許可を得た。

 三階建ての新学舎の二階の西端がお目当ての研究室のありからしい。

 学生が頻繁に出入りしているのですぐわかる、と説明もそこそこに窓口を追い払われた二人は、本当に辿りつけるのだろうかと不安を抱きながらも、音大の独特の空気を心地よく感じながら回廊を進んで行った。


 構内からはピアノやさまざまな楽器の音色が聞こえてくる。

 それは中学高校時代の放課後、音楽室から聞こえる吹奏楽部の練習の音と似ている様で、どこかちがう。

 やはりここは音大だ。


「なんかなつかしい感じだね。高校時代の合唱部を思い出しちゃう。でもなんか違うんだよね。やっぱ音楽専門の人達の集まりだから、実力の違いが音色に出るのかな? 」 


 沙紀はきょろきょろと辺りを見回しながらそんなことを言う。


「うーーん、どうだろう。実力の違いもあるかもしれないけど、根本的に違うんだよ。どうしてだと思う?」


 何も沙紀と議論を交わそうと思ってこんな問いかけをしたわけではないのだが、音の違いに気付いた彼女にもっといろいろ問いただしてみたい気持ちになっていた。


「ええ? どうしてなの? そりゃあ、優秀な人が奏でると、どんな楽器も音が違ってくるとしか言いようが無いんだけど……」


 沙紀は人差し指を顎に添えて首を傾げる。


「よーく耳を澄ましてみろよ。トランペットにクラリネット。サックスにホルンも聞こえる。それに重なるように響く弦楽器の音が聞こえないか? 」

「あっ! わかった。そうだ。バイオリンだ。もしかしてチェロも? 」


 沙紀はようやく康太の言わんとしていることを理解したのだろう。

 中学高校で耳にした音はこれらの弦楽器の音が含まれてなかった。

 まれに高校でオーケストラ部を有するところもあるが、康太と沙紀の母校である北高にはもちろんそのような部は存在しない。 


「そうだよ。やっと気がついたみたいだな。だから音の広がりというか、響きが違うんだ。弦の音を聞くとなんかゾクッとするよ。うちの教育大も昔はオーケストラ部があったらしいけど今はもうない。だからうちの音楽専科の奴らでバイオリン弾きの数名がここのオーケストラ部と合同で活動してるらしいぜ」

「ふうーーん。こうちゃんは何でも詳しいね。そっか、オーケストラか。ねえ、こうちゃん……。怒らないで聞いてね。あのさ、やっぱこうちゃん、音大に行きたかったんじゃないの? 」

「またそんなことを言う。別に音大に行きたかったなんて思ってないよ。今の大学での生活が今の自分に合ってると思うし。でもピアノはずっと続けるつもりさ。なあ沙紀。俺って、あれもこれもやりたい、ただの欲張りだと思わないか? 」

「そんなことはない……と思う。ただ、こうちゃんって何でも器用にこなしちゃうから、本当に自分が一番やりたいことに気付かないのかもしれないね」


 確かに沙紀の言うとおりなのかもしれない。

 何でも器用にこなすなどと言われるのは、何事も陰ながら努力を積み重ねた結果、ある一定のラインに到達するものだと思っている康太にとって、やや不満なのだが、沙紀のこの何気ない一言がどうも的を得ているような気がしてならないのだった。

 本当に自分が一番やりたいことって、何だろう。

 もちろん、小学校の教師になりたいという思いに嘘はない。

 でも、一番やりたいことと問われれば、立ち止まって考え込んでしまう。


 明らかに他の建物とは違う新学舎の前まで来ると、一階のピロティーで靴をぬぎ、スリッパに履き替えるよう指示がしてあった。 

 階段脇に構内見取り図が掲げてあり、木下教授の研究室を探すのだが、見当たらない。

 教えてもらった場所は、別の人の名前が載っていた。

 もしかしたら昨年度の古い表示のままなのかもしれないと思った康太は、そんなことに一向に構うことなく、まるでホテルのロビーのようなきれいなこの建物に気をとられてふらふらしている沙紀の手をぐいっと引き寄せると、黙って階段を上がっていった。


 学生課で言われたとおり、二階の西端にある研究室のドアの前まで来たのだが。

 やはりそこに貼ってあるパネルには、別人の名前が記載されている。

 星川研究室……と。


「ほしかわ? ええっ! 何で? ここじゃないよね。いったいどこなんだろ」


 沙紀がきょろきょろと辺りを見回したその時だった。

 ちょうど星川研究室のドアが開いて中から出てきた女子学生らしき人とぶつかりそうになる。


「きゃーっ! あっ、ごめんなさい。もしかして木下先生に御用の方ですか? 」


 沙紀も女子学生と同じように驚いて、うわーと言って一歩退いたのだが、不思議そうな顔をして康太と顔を見合わせる。


「……木下先生、だって……」


 沙紀が恐る恐る言った。


「た、確かに……」


 康太も半信半疑で沙紀に答える。


「あの……。私の用件は終わりましたので、ど、どうぞ……」


 遠慮がちにそう言って、女子学生が道を開けてくれた。


「上原さん……どうした? どなたかいるのかな? 」


 部屋の中から、佐藤楽器店で会ったあのメガネの紳士が、心配そうな顔をしてひょっこりと姿を現した。


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