84 タイミング
「ふうーーっ。疲れたあーー! おばあちゃんったらあれほどママに内緒だって言ってるのにね。あんなにお土産もらったりしたら、ここに来たことがバレバレになるの、なんでわからないんだろう」
祖父母の見送りの姿が見えなくなったところで、沙紀のボヤキが始まる。
「それだけ嬉しかったんだよ。沙紀がかわいくて仕方ないんだろうな……。俺、思うんだけど。ひとんちの家庭の事情に口を出すようで悪いけど、沙紀を通して、おじちゃんのことも見てるんじゃないのかな? 」
「ええ? 」
「自分の子がかわいくない人なんていないだろ? おじいさんだって口ではあんなこと言ってるけど、おじちゃんのこと気になってるんだよ、きっと」
ゆっくりと車を走らせている康太の口から、意外な話が漏れ出る。
そんなものなのだろうか。
沙紀が小さい頃から祖父はずっとあの調子なのだ。
長一郎と徹の仲の悪さは昨日今日に始まったことではない。
昔はパパの悪口言わないで、と祖父をたしなめることもあったが、最近では沙紀自身も慣れっこになってしまって、いつしかそんな光景もあたりまえの日常になっていた。
だから、今改めて自分を通して父を見ていると康太に言われて、沙紀は不思議な気持ちを抱いていた。
もしかしたら親子の間のわだかまりが解ける日もそう遠くはないのかもしれない……と。
沙紀が神妙な面持ちで考えを巡らしていると、いつの間にか見慣れない風景が車窓に広がっていた。
身を乗り出して辺りを見回す。
「ねえ、こうちゃん。道、間違えてない? 高速の入り口ってこの道じゃないよ」
そして前方に群を成す建造物に目が釘付けになる。
あ、あ、あれって……。
その場に全く不似合いな派手な外観のホテル街が突如姿を現したのだ。
「こ、こうちゃん。いったい、どう言うこと……? 」
ハンドルを握る男を見るが、堅く口を閉ざしたままだ。
「黙ってないで、なんとか言ってよ……」
車が急停止する。
両手を頭の後ろに組んでシートにもたれかかりながら、康太がゆっくりと口を開いた。
「このまま、あそこに行く? 」
康太の視線の先をたどると、さっき目に入った豪華絢爛な建物のひとつが見える。
ヨーロッパのお城のような作りのそれは、間違いなく恋人たちの訪れるオアシスとも言える場所だ。
「あっ……」
沙紀はさっきの康太の決意表明が今まさに実行されようとしているのを知る。
彼は沙紀への嘘偽りのない気持ちを、身をもって証明しようとしているのだ。
沙紀もその先にあるものに興味がないわけではない。
いつまでも、受験の願掛けを引きずる理由もない。
今まではまだお互いが高校生であるということもブレーキになっていたが、もう大学生なのだ。
どちらかがその気になれば、実行するのは簡単だ。
沙紀は、もう一度隣の康太を見て、そして言った。
「こうちゃんが、その……。どうしてもって言うのなら、あたし、あたし……。あそこに行ってもいいよ」
「沙紀……。ホントにいいのか? 」
「うん……」
シートベルトを外した彼の顔が近付いてくる。
彼の唇が額をかすめると、それが沙紀の頬に下りてきた時に、動きが止まってしまった。
「沙紀、ごめん……」
「え? こうちゃん、どうしたの? 」
どうして、ごめんなんて言うのだろう。
「沙紀、悪かった。冗談だよ。お願いだからそんな顔するなよ」
「そんな顔って……」
「こんなにも、青白くなって、かたくなってるし」
「あ、あたしが? 」
「ああ、そうだ。それに震えてる」
「あ……」
沙紀は自分の膝の上にある手がぶるぶると震えていることに気付く。
「な? 身体の反応って、正直なんだ、きっと」
「こうちゃん……。あたし、大丈夫だよ。あ、あ、あのホテル、どんな風になってるのか中も見てみたいし。ねえ、行こうよ……」
「沙紀の気持ちは嬉しいけど、今日はやっぱ、やめとこう。俺のフライングだ。ゴメンな……。次は、次こそは行くぞ。ここじゃなくて、誰も知ってる人のいない街に行って、二人だけの、秘め事の旅に出よう」
ひ、秘め事って……。
あまりにも露わな言葉に、身体じゅうが火照ってくる。
肌が見る見る赤くなって、すっかり別人に変身しているだろうことが自分自身でもはっきりと自覚できた。
「あはは……。おまえって、ほんとおもしろいな。なあ、沙紀。俺、沙紀が大好きだ。肝心な時に何も言わないって? そりゃあそうだよ。目の前に沙紀がいると、言葉も出ないくらい見とれてしまうんだ。こんな近くにあこがれの人がいて、その人が自分に心を許してくれていて。もうそれだけで、俺は舞い上がってしまう。冷静になんてなれるわけがないんだ。そんな中で、何か気の利いた一言を発するなんて、至難の業だよ。ただただ沙紀を全身で感じていたいと、そう思っているのが精一杯。だからもう変な心配は無用だから、いいな? 」
「う、うん」
「これからも俺たち、ずっと一緒だよな? 」
「うん、ずっと一緒だよ」
「じゃあ、何も急ぐことはないよな? 」
「うん……」
「なら、今日はもう、俺たちの住む町へ帰ろう」
「わかった。こうちゃん、でも、ホントにホントに、いいの? あたし、ずっとこうちゃんを待たせているから。こんな意気地なしのあたしのこと、嫌いにならない? 」
「んなわけないだろ? 俺の方こそ、無理強いして沙紀に嫌われるんじゃないかって、そっちの方が心配だよ。さあ、帰ろう。俺は大丈夫だから」
再びエンジンをかけて車を発進させる康太を横目に見ながら、沙紀は自分のふがいなさにガックリと項垂れていた。
せっかく勇気をふりしぼって次のステップへと誘ってくれた康太になんという失態をみせてしまったのかと。
これじゃあ、今時の高校生よりひどいよ……と自分の未熟さにしばし後悔するのだった。




