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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第七章 グリーグ ピアノ協奏曲イ短調
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83 肝心な時

「それは大変だねえ……。二人のお付き合いは親に反対されているのかい? 」

「ちがうよ。きっと大賛成だろうとは思うんだけどね。ただ、あんまり騒がれるのも困るし、家が隣同士ってのもいろいろあるんだ……。当分このまま何も言わず、黙ってるつもりだよ」

「おやまあ。大賛成なら、何も問題はないと思うけどね……」

「でも……。二人でどこかにでかけるたびに、どうだった? どこに行ったの? どんな話してるの? って質問攻めに合うに決まってるし、なんかめんどくさくて」

「あらあら、困った子だわね。親なら誰だっていろいろ気になるし、心配だからね。わかった、わかった。沙紀ちゃん、誰にも言わないから安心しなさい。なるほど、そういうことだったのね。ってことは私達には本当のことを言ってくれたんだ……。嬉しいですね。ねえ、院長? 」

「ああ、ああ……」


 二人の話を聞いていた長一郎はティッシュで鼻をかみながら、何度も何度も頷いている。


「何か困ったことがあったら、何でも言ってきなさいね。院長も私も、いつでもどんな時でも沙紀ちゃんの味方だから」

「ありがと、おばあちゃん」

「さ、お昼の用意ができるまで庭でも散歩していらっしゃい。ハナミズキが終わって、今はヤマボウシが満開ですよ」


 沙紀は康太を庭に連れ出し、あても無くぶらぶら歩き始めた。

 そこは、松やつげ、そして足元にはシダ類なども植え込まれている、よく手入れされた和風の庭だった。


「こうちゃん、今日はありがとう。なんか変な誤解されちゃったけど、あたしの言いたかったことも言えたし、来て良かったって思ってる」


 沙紀は真っ白に咲いているヤマボウシを見上げながら言った。


「それくらい、お安い御用だよ。それにしても、沙紀のおじいさんおばあさんって、おもしろいな。沙紀の天然のルーツここにあり! ってことがよくわかったよ」

「えええっ? 失礼しちゃう! あの二人は昔からあんな調子でズレてるのは認めるけど、あたしまで一緒にしないでよ。誰がテンネンだって? 」


 沙紀は康太がそういう風に自分を見てたのかと思うと、無性に腹が立ってきたのだ。


「そう怒るなよ。天然でもいいじゃないか。素直でかわいいのが沙紀なんだから」


 素直でかわいい……。

 そこに反応した沙紀はふと思うことがあった。

 康太は時々こういう何でもないときに限って、かわいいだの好きだのとさらりと言ってくれる。

 もちろん沙紀にとってはこの上なく嬉しくて幸せを感じる言葉なのだが、いいムードの時、つまり二人きりで見つめあったり、抱き合ったり、キスをする時にはそんなことを言ってもらった記憶がないのだ。

 いつもそういう時は沈黙のまま過ぎていく。

 ごくごくたまに、愛してる、と言ってくれることもあるけれど。

 別にハリウッド映画のようにとろけそうな台詞を毎回期待してるわけではない。

 でも沙紀はやや不満だったのだ。


「そうやってかわいいとか言えばあたしが許すとでも思ってんの? こうちゃんはずるいよ。いつだってそんなこと言ってるけど、肝心な時は何も言ってくれないじゃん。きっと心の底からあたしのことかわいいと思って無いんだ……」

「肝心な時? いったいどういう時だよ? 俺はいつだって沙紀はかわいいと思ってるよ。それじゃあだめなのか? 」

「だめじゃないけど、その……」


 康太は意外と鈍感だ。

 女性の気持ちはデリケートなのだ。

 そこははっきりと言わなくても察して欲しいところでもある。

 康太が、下を向いてもぞもぞしている沙紀を覗き込み、次の瞬間、そうか! と何かが閃いたように瞳を輝かせると、とんでもないことを口にする。


「わかった。そういうことか……。なら、俺の嘘偽り無い気持ちを証明するから、帰りは覚悟しとけよ。随分とオ、ア、ズ、ケ、だったからな。車があるからどこへでも行けるし……」


 ニヤリと前歯を見せる康太に、何か野生の生き物の本能のようなものを垣間見たような気がして、その場から動けなくなってしまった。

 康太が行こうと言った場所が、沙紀が瞬時に思い描いたあの場所に間違いないと確信したからだ。


 そうだった。

 受験が終わったら接近禁止命令も解けたはずなのに、伊太郎からの告白の日以来キスは愚か、見つめ合うことも、抱き合うことも全くなかったのだ。 

 チャンスがなかったと言うのもあるが、沙紀自身が個室で彼と二人きりになるのを避けていたというのが正しいのかもしれない。

 今度そういう機会が訪れた時には、きっとお互いに強く求め合うだろうし、これまでの関係とは違っていくだろうことも予想が付いていた。

 だからこそ、そこに踏み出す勇気がなかったのかもしれない。

 未知の領域は、沙紀をどこまでも臆病にする。


「沙紀ちゃーーん! お昼ごはんの用意が出来たわよ」


 部屋の中からタキが二人を呼ぶ。

 沙紀は晴れ渡った空を見上げ大きく深呼吸をすると、邪念を振り払うように両手で頬をパンパンと叩いて、部屋に戻った。

 康太も彼女より少し遅れて縁側の踏み石から部屋に入る。

 

 タキが用意してくれた出前の特上にぎりも、近所で話題騒然だというロールケーキも沙紀の口の中では無味無臭。全く食べている気がしなかった。

 それもこれもすべて康太のせいだ。


 帰りは覚悟しとけよ……。


 康太のさっきのフレーズが沙紀の脳裏に何度も繰り返される。

 これでパクパク食べろという方が無理な話である。

 どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。

 あれではまるで自分が康太を誘っているみたいではないか、と思ってみてももう遅い。


 食事も終わり、あれやこれや土産を渡そうとするタキに、家には内緒で来ているので持って帰るわけにはいかないとこれまたさっきあれほど説明したはずなのに、断るのに四苦八苦する。 

 祖父母の家を出て車をスタートさせた時には、すでに三時を回っていた。

  

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