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ぽーかーふぇいす  改訂版  作者: 大平麻由理
第七章 グリーグ ピアノ協奏曲イ短調
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81 勇み足

沙紀視点になります。

「ま、まあ! 沙紀ちゃん、どうしたの? 院長! 沙紀ですよーー! 沙紀ちゃんですよおーー! 」


 沙紀の祖母であるタキは驚きのあまり目を丸くして、祖父の長一郎を大声で呼んでいる。


「どうした? いったいどうしたんだい……事務長」


 奥の方から白衣を着た長一郎がすぐさま姿を現した。

 そして沙紀を見つけるや否や、タキと同じように目を丸くしている。


「これはまた、どういうことなんだい? そこにいるのは沙紀だね? こんな急にどうしたんだ? それにしてもよく来たなあ。さあさあ、そんなところへ突っ立ってないで、早く中へ入りなさい」


 長一郎は沙紀の手を取ると、靴を脱ぐのも待ちきれないと言うように、早く早くと彼女を引っ張る。

 祖父母はお互いのことを長年、院長、事務長と呼び合い、沙紀も子どもの頃は、それが二人の本当の名前だと思っていたくらい、日常的な光景でもある。

 医院を開業した時、資金も不足がちだったため、タキが事務を全て取り仕切り、院長である長一郎を支えてきた。

 今は沙紀の父である徹の弟夫婦が後を継いで、医院を盛り立てている。

 が、しかし。弟夫婦には子どもはいない。

 長一郎も完全に引退したわけではなく、午前中の外来と、昔からの馴染みの患者の往診は続けているのだ。

 ちょうど午前の外来の診察が終わったところに、思いがけずやって来た孫の沙紀に、嬉しさと驚きで天にも昇るほど舞い上がっている様子のこの二人は、沙紀の横にいる康太の存在には、案の定、全く気付いていないようだ。


「お、おじいちゃん。わかったから、そんなに引っ張んないでよ。さあ、こうちゃんも上がって」


 沙紀は強引な長一郎をうまくかわし、康太の背を押して一緒に来てと促す。

 するとようやく康太に気付いたタキがまたもや一段と目を丸くして驚きの声を上げる。


「まあーーー。あらあら、もう一人いるじゃないですか。えっと、どなたかしらね? 」

「ほおーー。これはこれは、どちらのお方でしょうか? 」


 長一郎もメガネをずらして、上目遣いに康太を覗き見る。


「おじいちゃん、おばあちゃん。こうちゃんだよ。ほらうちの隣に住んでるピアノの上手なこうちゃん! 」

「こんにちは。お久しぶりです」


 沙紀の説明を聞いた二人は、ああ、ああと同時に頷く。

 もちろん、康太のあいさつなど、これっぽっちも聞いてはいない。


「あの、おりこう坊やのこうちゃんかい? これまた大きくなったねえ。最後に見たのは確か二人が小学生の時だったかしら……。それからは沙紀の家に行ってもこうちゃんには会わなかったからねえ」


 何度も頷き目を細めるタキは、突然康太の手を取ると、さあさあと言って部屋の中に彼を引きずり込んで行く。

 この二人から見れば、沙紀も康太も身体は大きくなっても、あの頃の小さい子どものままなのだろう。

 沙紀もまた、長一郎に手を引かれて、半ば引き摺られるようにして、部屋の中に連れ込まれたのだ。


 長一郎の趣味である石の置物がずらっと並べて置いてある昔ながらの応接間に通された沙紀と康太は、白いカバーがかけられた、これまた昭和ちっくな古いソファに腰を掛けるや否や、院長と事務長の質問攻撃に晒される。

 大学はどうだだの、ポチはまだ元気かだの、前に持って行ったサツキの盆栽は今年も花をつけたかだの、それはそれは息をつく間も与えられないほど、次から次へと質問の応酬が続く。

 沙紀の返事を待たずして次の質問に移るため、いったい何の話をしているのやら、横で聞いている康太には全く理解できていないようだ。

 これほどかみ合っていない会話も無いだろうと思える三人の様子を、傍らで静かに見守ってくれている康太が気の毒ではあったが、沙紀はいつものことだと半ばあきらめて、祖父母との触れ合いのひと時を楽しむことにした。

 やはり、そこは血の繋がりとでも言うのだろうか。

 てんでバラバラの話もいつのまにかお互いに頷きあって、見事に決着がついている。

 すると突然タキが康太に向かって話し始めた。


「えっと、お隣のこうちゃん、だったわね。あなた、とてもおとなしくなったねえ。昔は沙紀ちゃんに負けないくらいよくしゃべってくれたもんだけど。お行儀も良くてほんとにおりこうな子どもだった。ねえ院長? 」


 それは一瞬の隙を突いたような、不意打ち攻撃だった。

 沙紀も驚いたが、康太はもっとびっくりしているようだ。


「そうだな。でもいい青年になったもんだ。……で、もう何歳になったのかな? どこにお勤めで? 」


 長一郎はれっきとした医者であり、それなりの教養も持っていて、みんなから尊敬されている人物である。

 しかし時々、えっ? というような爆弾発言をするのだ。

 今日もすでに小爆弾は何発か投げ込まれていたのだが、今のは中爆弾くらいか……と沙紀は値踏みをする。


「おじいちゃん。しっかりしてよ。こうちゃんはあたしと同い年。だって同級生だよ。小学校も高校も同じなんだから。だから今は、沙紀と同じ大学一年なの。まだ働いていないよ」

「おおっ! そうだったか。じゃあ、十八歳かな? 」

「いえ、もう十九になりました。四月生まれですから」


 タキまで、そうだったの? と、今初めて知りましたとでも言うように、深くうなずいている。

 そして、とうとう大爆弾が炸裂する瞬間が、今まさに、訪れようとしていた……。


「そうだったのね。十九と十八。ちょうどいい歳だわね。で二人そろって挨拶に来てくれたってことよね? はいはい。わかりましたって。こういうことは早い方がいいですよ。ねえ院長? 」

「そうだそうだ 早い方がいい。あんなに小さかった沙紀が、もうこんな風に嫁に行くときが来るなんて……。感無量だな。学生結婚もいいもんだ。生活面で困る事があったら援助するからな。何でも遠慮なく言いなさい。うおっほんっ! 」


 長一郎の最後の咳払いが、やけに大きく応接間にこだまする。

 隣の康太を見ると、きょとんとしている。

 沙紀はそんな康太と顔を見合わせると、居ても立ってもいられなくなり、握りこぶしを振りかざして立ち上がった。

 そして。


「ストーーーーップ! 」


 と、大声で叫び、とんでもない方向にシフトチェンジしつつある会話を中断させた。


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