77 凍える涙
「伊太郎。俺達いったい、どこからどこまで似てるんだろうな。……おまえには部活でも日常生活でも、ほんとうにいろいろ助けてもらった。おまえほどいい奴はいないと思ってる……。でもこいつは、沙紀だけは、たとえおまえでも渡せないよ」
「え……。どういうことだ? 」
「こいつから聞かなかったのか? 」
「いや、何も……」
「そうか。なら、言わせてもらう。俺達、実は、付き合ってる……」
言ってしまった。
とうとう、康太が本当のことを言ってしまったのだ。
沙紀はこの後の二人の行く末が気になり、恐怖のあまり、身体が震え出す。
とは言っても、普段から冷静沈着な二人のことだ。
ここで乱闘になることはないだろうと思う。いや、そんなことは絶対にあってはならない。
お願い、これ以上山本君を挑発するようなことはしないで、との願いもむなしく、康太はよりいっそう力を込めて横から沙紀を抱き寄せてくる。
伊太郎は、まさか、というような表情で沙紀と康太を交互に見ると、驚きのあまり声もでないのだろう。
唇をわなわなと震わせているのが、沙紀の目にもはっきりとわかった。
どれほどの間、そうやってお互いを見ていたのだろうか。
ようやく伊太郎のかすれたような低い声が、静まり返った夜の公園前の道に重く響く。
「し、知らなかった……。いったい、いつから? 」
「高校に入学するちょっと前から。伊太郎、ゴメン。このことはまだ誰にも言ってないんだ……」
「山本君、ごめんね。さっきちゃんと返事をしておくべきだったよね。でもね、こうやってあたしたち二人のこと友達にしゃべったの、山本君が初めてなんだ。まだ学校のみんなは誰も知らないの……」
伊太郎は、こうなることを予想していたかのように、瞬く間に落ち着きを取り戻し、いつもの穏やかな表情になっていく。
「じゃあ、入学してしばらくたったころ、おまえたちのことが噂になったよな? あれって、本当だったんだ」
「ああ。そうだ。あそこまで目撃されて、もう完全にバレてしまったとあきらめかけてたけれど。おまえや、井原が違うって否定してくれたおかげで、立ち消えになった。俺と沙紀に一番近い存在の伊太郎と井原の弁明は、何よりも信ぴょう性が高かったってわけだ」
「はははは、そうだったんだ。俺、絶対に違うと思ってた。だって、おまえら、本当にそんなそぶりひとつ見せなかったから。学校でも全くかかわらないし、年末におまえんちに泊まりこんだ時も、何一つ痕跡すらなかった。いや、最初から疑ってないから、想像すらしてなかったんだ。でも、おまえが相崎のことが好きなんだろうなってことは知ってた。でも、相崎にふられて、気まずくなってるのかなとも思ってた。相崎には合唱部の中に好きなやつがいると、ずっとそう思ってた」
「合唱部? 」
「ああ。もう卒業していないけど、ほら、うちの元キャプテンとつるんでた、女子に人気のあった人がいただろ? 」
「確かに、そんなやつもいたな……」
「到底、俺には勝ち目はないなって、張り合う気もなかったけど。あの人もいなくなって、相崎も、その、フリーっぽいし。俺にもチャンスが……と思ったけど。結局、こういうことだったんだ。吉野。おまえの片想いは、結構バレバレだったけどな」
「そうか。俺の気持ちは見破られてたってわけだな」
「ああ。でもな、相崎がおまえに惹かれるのもわかる気がするよ。おまえの何事にも一途で真面目なところとか、妥協を許さない前向きな姿勢は、男であっても見習いたいと常々思ってた。突然のポジションの変更で、キーパーになってからも、誰よりも努力してチームのために頑張っていたし、親と離れて暮らしていろいろ不便だろうに、一度も弱音を吐かないおまえも、すごいな、と思ってた。でもな、その強さも、実は相崎がそばにいるからこそ、発揮できたのかもな。違うとは言わせない」
「……そのとおりだよ」
「にしても、学校の誰もおまえたちのこと知らないなんて、よく今まで黙っていられたな……」
伊太郎は自虐的な笑みを浮かべて言った。
「おまえに何も言ってなくて悪かったとは思ってる。でもみんなに言い回ることでもないし、親にも知られたくないし……」
「そうか。親にも内緒か。なあ、吉野。おまえらしいよ。俺なら、みんなに触れ回って自慢するだろうな。俺のカノジョだ、かわいいだろってな」
「そうしたい気持ちがなかったと言えば、嘘になるけど……」
「でもな、やっぱりおまえらのやったこと、罪だぞ。誰もこのこと知らないせいで、おまえ達に気がある奴らが気の毒だ。俺も含めて、みんなズタボロだよ……。早いとこ公言したほうがいいぞ。これ以上、回りに期待を持たせるな」
「ははは。誰もそんな風に思ってないよ。おまえ、変に気を回しすぎ」
「勝手に言ってろ……。サッカー部のマネージャーたちの嘆きが聞こえるようだよ、まったく。ううっ、寒くなってきたな」
風がひゅーっとうなりを立てる。
「ああ。めっちゃ寒い。おい、伊太郎。風邪ひくなよ。俺はおかげでもう治ったけどな」
「それを聞いて安心した。新学期早々、欠席だったから、ちょっとは心配してたんだ。明日は気持ちを入れ替えて試験がんばらないとな」
「ああ」
「相崎、今夜はいろいろありがとう。おまえも明日がんばれよ! じゃあ、また」
伊太郎は二人に手を振ると、その後二度と振り向くことなくその場から走り去って行った。
公園の街灯が沙紀と康太の後ろから照らし、前には二人の寄り添った長い影が出来ていた。
伊太郎が見えなくなってもしばらくはその影はじっとそこにとどまっている。
背の高い方の影がもう一人の方を向き、長い指が背の低い方の頬のあたりに添えられる。
何度も何度もその指が頬を往復する。
沙紀は涙が止まらなかった。
自分が康太を思うように、伊太郎も沙紀のことを思っていてくれたのだとしたら……。
愛する人に振り向いてもらえないことがどれだけ残酷なことか、沙紀も康太を愛すればこそ、その痛みが身に沁みてわかる。
どうして人と人はこんなにも傷付け合うのだろう。
それが男と女であればなおさらだ。
零れ落ちる涙をそっとぬぐってくれる康太の指先の温かさですら、今の沙紀には心苦しく思えるのだった。




