74 決意表明
「こうちゃんってホントにえらいな。あたしなんて全部親に甘えてるもん」
お世辞でも何でもない。
親と離れて暮らしているだけでも大変なのに、誰に甘えることなく自分の道を堅実に進んでいく康太を本当に尊敬している。
「誰だってそうだよ」
「そんなことないよ。なかなかできることじゃないって。こうちゃんみたいに迷惑かけないように頑張ってる人もいるっていうのに、あたしって、情けないよね。うちだって家のローンがまだまだどっさりあるらしくてさ、ギリギリの生活みたいな感じなのに、両親とも、あたしにお金がかかっても文句も言わずにいろいろ協力してくれて、申し訳ないって思ってる」
「そうか……」
「ママだってあたしが中学に入ってからずっとパートに行ってるし、毎晩家計簿睨みつけながら電卓叩いてるのを見ると、うちってそんなに貧乏だったのかなってマジで心配になることもあるしね。それにあたしが医学部に行かないって言った時から、またパパとおじいちゃんの仲が悪くなっちゃってさ。その間にママが入って苦労してるのも知ってるし。あたしってやっぱ親不孝者かも……」
「そうなのか? じゃあ、俺も沙紀に負けないくらい親不孝者だよな。ピアノのために膨大な時間とレッスン費をかけてくれたのに、全うすることはできなかったわけだから。名誉挽回のためには、まずはなんとしても大学に合格して、それで教員免許とって。将来しっかり仕事して恩返しするしかないんだよな、俺達には」
「そうだね。まずは合格だよね」
そして康太の方を振り向いた……のだが。
ああ、また彼にスイッチが入ってしまったようだ。
抱き寄せられ、そのままベッドに二人して倒れてしまう。
もちろん勉強もちゃんとしている。そんなに頻繁に二人きりになることもない。
けれど。会えば、どうしても一度はこんな状況になってしまう。
今回は会えない期間が長かったせいもあって、沙紀もこうなることを望んでいなかったと言えばうそになる。
彼に抱きしめられると心から幸せな気持ちになるし、身体に触れられるのも嫌じゃない。
最後の一線だけはどうしても越えられない弱虫な自分がいるのも事実だが、彼も協力的だったし、親の庇護のもとにいる高校生の分際であればなおのこと、今の状況以上のことを望むのは得策ではないことも理解していた。
ところが。
今日の彼は違った。
キスが深まるにつれ、衣服まで乱される。
そして素肌が触れ合い、行為に激しさが加わった時点で、ふと我に返ったのだ。
こんなことをしている場合ではないと。
この先には今までに知りえなかった大人の世界が待っているだろうことも予想が付く。
そして一度その扉を開けてしまえばもう引き戻せないこともわかっていた。
「ああ、沙紀。愛してるよ……」
「こうちゃん、あたしだって。でも……」
「このまま、最後まで……。いい? 」
沙紀を見る康太の目が、その先を懇願しているのだ。
そして、再び唇を重ねようとした瞬間、沙紀は自分の手で康太の口をふさいでいた。
「こうちゃん、ストップ! 」
突然の沙紀の制止に、康太はびっくりしたのかピタッと動きを止めた。
「あのね、こうちゃん。あたし、たった今、決めたんだ」
「な、何? 」
「あのさあ……ちょっと言いにくいんだけど。こういうの、合格が決まるまでお預けにしない? 」
「ええ……? オアズケ? 」
康太がゆっくりと沙紀から離れて起き上がる。
沙紀も彼に手を引かれて、ベッドの上に起き上がった。
「うん。しばらくは、こういうことは、やめようって……そう、思って……」
「ってことは、キスもダメってこと? 」
「……うん」
「じゃあ、もちろん、それ以上もダメってことだよな? 」
「うん。それ以上は、今までも滅多にオッケーした記憶ないけど? 」
康太の顔が情けなく歪み、はあ……と大きなため息をつく。
「とにかくなんとしても大学、合格したいんだ。こうちゃんは模試の合格判定も余裕のAだからいいけど、あたしなんて一度だけBで後ずっとC判定なんだよ。もう崖っぷちもいいところ。合格するためには気持ちから引き締めていかないと……ね? 」
「おいおい。ねえ、俺の大切でかわいい沙紀ちゃんよお……。それとこれとは別だろ? 関係ないよ。寧ろ、無理に我慢する方が精神的に不安定になると思うけどね、俺は……」
そう言って再び抱き寄せられ、露わになった胸元に彼が顔をうずめてくる。
「そんなの知らないよ。とにかくあたしは決めたんだから。浪人なんてことになったら、また両親に迷惑かけちゃうし、こうちゃんと一緒に大学に通う夢も叶わなくなる。だからね、お願い。そうだ。今から、このラインからこっちのエリアに入ってきたらダメだからねっ! 」
沙紀は康太の身体を押しのけると、目にも止まらぬ早業で衣服を整え、空間に見えない線引きをして康太を遠ざける。
そして勇ましく立ち上がって、彼の広いデスクの半分を陣取り、黙々と問題集に取り組み始めた。
「沙紀、ホントにホントなのか? 俺にとっては悪夢でしかないけど……」
「本気だよ。こうちゃん、ごめん。あたしだって、こういうの辛いよ。ずっとこうちゃんのぬくもりを感じていたいと思ってる。でもね、あれもこれもやりたいって欲望のままに生きてると、何もかもがうまくいかなくなるような気がして……。二人して笑顔で四月を迎えたいの。そして桜並木を胸を張って二人で歩きたい。ね、こうちゃん。あたし、ずっとあなたのそばにいるから。逃げたり隠れたりしないよ。だから。お願い……」
「わかった。沙紀の気持ちを大事にするよ。俺も、ちょっと暴走気味だったし。ごめんな……」
しぶしぶながらも康太から納得の答えをもらい、沙紀の隣で彼も問題集を解き始めた。
こんなにも沙紀を思ってくれている彼にとっては、厳しい取り決めになったかもしれないが、これも合格切符を手に入れるまでの願掛けみたいなものだ。
絶対に合格して、そしてそのあかつきには、彼の腕の中でいっぱい甘えたいと思う。
沙紀の決意は決して揺るぐことはなかった。




