5 バッタと虫かご
紅茶を飲みながら様々なジャンルに派生する話に花が咲く。
夏子が春江と同い年であることやお互いの趣味の話などで、とっくに昼を過ぎていてもそれは尽きることが無かった。
「あ、もうこんな時間。あの、幼稚園のお迎えに行かないと」
「ほんとだ。すっかり話しこんじゃって。わたしはこれで帰りますね。ごちそうさま。どうもありがとうございました」
春江は自分の使った食器を持って立ち上がり、キッチンに運ぶ。
と言ってもすぐそこにアイランドキッチンがあるため、あっという間に片付くのだ。
動線がいいというのはこのことかと納得しながら吉野家を後にした。
我が家に戻った春江は、自宅のキッチンを見て目の前に広がる現実に愕然とする。
我が家はあまりにも普通だったからだ。掃除も行き届き、シンプルに整えていると自負していたが、吉野家と比べると明らかに見劣りがする。
沙紀も学校に上がったことだし、そろそろパートにでも出て少しでもゆとりある生活を目指したいと切実にそう思った。
それにしても夏子の家は、家具の選び方も置き方も、センス抜群だと思う。
手元にあったインテリア雑誌をパラパラとめくってみるが、そのどれもが吉野家には敵わない。
この家を買う時の頭金にと、結婚前からずっと貯めてきた貯金をほとんど使い果してしまった春江にしてみれば、リフォームはもちろん、小さな家具ですらそう簡単には買い換えることは出来ない。
徹はある事情から父親と仲たがいしているため、町の名士である親にも一円たりとも頼らずにローンを組んだ。
月々の支払いも結構な金額になっている。
これはますますパートにでも出ないとやっていけないなと、新聞の折り込み広告の求人案内を細かくチェックする。
そしてネットでさらに詳しく調べているうちに壁に掛けてある鳩時計が三時を知らせる。同時に玄関のドアがガチャっと開いた。
「ただいまーー! 」
沙紀だった。五軒離れた家の人にも聞こえるくらい大きな声が、あたりに響き渡る。
「おかえりなさい」
五時間目まで授業がある日は、だいたいこの時刻に帰宅してくるのだが、今日はいつにも増して急いでる様子だ。
母親に顔も合わせないまま二階に駆け上がって行くと、あっという間に虫かごと虫取りあみを完全装備した沙紀がバタバタと階段を降りてきた。
「沙紀ちゃん おやつは? 」
「いらない! 今からこうちゃんと虫取りに行くから! 」
野球帽をひょいっと横にしてかぶり、足の先端に運動靴を引っ掛けただけの状態で、小走りに駆け出していこうとする沙紀を春江は何とか引き止めようと声をかける。
「ちょ、ちょっと待って。どこに行くの? 」
「いつもの広場。もし、ひろちゃんが遊びにきたらそう言っといてね。じゃあ行ってきまーす! 」
「沙紀! ちゃんと靴を履きなさい! 六時には帰ってくるのよ! 」
「はーーい! 」
勢いよくドアが閉まったと思ったらほぼ同時に隣の家の玄関のドアもバタンと閉まる。
全くもって気の合う者同士というか、沙紀が隣の康太を振り回しているだけというか……。
どちらにしろ朝から晩までいつも一緒でよく飽きない物だと春江は感心するばかりだった。
ひろちゃんというのは、近所に住む青山美ひろ(あおやまみひろ)という沙紀と同じクラスの女の子だ。
以前遊びに来た時、ひとり黙々と玄関の靴をそろえていたあの色白のかわいい子である。
春江がお膳立てしたわけではないが、いつの間にか仲良くなった二人は、お互いの家を行き来するようになった。
ただ沙紀が、あまりにも康太と激しい遊びをするので、それについていけない美ひろはなかなか遊びの輪に入ろうとせず、遠くから眺めていることが多かった。
おしとやかで女の子らしい美ひろと、外を走り回って身体全体を動かすのが好きな活発な沙紀。
全く性格の異なる二人だがお互いに何か通じるものがあるのだろう。
アンバランスなコンビではあるけれど、けんかをするでもなく楽しそうに過ごしている。
しばらくはこのままそっと見守っていこうと春江は思っていた。
夕方になり、バッタで満員御礼な虫かごと共に沙紀が帰ってきた。
そのバッタを庭に放すものだから、春江はたまったものではない。
洗濯物を干す時、足元でぴょこぴょこ跳ねるかわいい客人を踏まないように、日々精進している春江の苦労など、沙紀は知りもしないのだろう。
クツワムシが混ざっていた日の夜は、そのけたたましい鳴き声で夜通し眠れなかったことも記憶に新しい。
台所のテーブルの上には、夏子の焼いたりんごのケーキが一切れそっと置かれている。
沙紀にと帰り際に夏子が持たせてくれた。
夕食前だったが、食欲旺盛な沙紀にはそんなことも心配無用だ。
どんなにいっぱいおやつを食べても夕食はしっかり食べる。
毎日の運動量がとにかく多いので食べても食べてもお腹がすくらしい。
ぱくぱくと一瞬にして平らげると、満足そうな顔をして、こう言うのだった。
「ママ、おいしかった! こうちゃんちのおばちゃんは魔法使いだね。だってこんなにおいしいケーキが作れるなんてすごいもん。ママもおばちゃんに魔法を習って、ケーキ作ってね」
「わかった。ママも作れるようにがんばってみるね」
次の日、春江は夏子にレシピを聞いて、ついでにケーキ型も借りて来た。
その日から春江のケーキ修行が始まったのは、もちろん沙紀には内緒だ。
上手に焼けるまでは内密に練習を続けようと、キッチンにこもる日が続いた。